世界が、イスラエルに注目すること、イスラエルの神が本物の神で
あることをいつか知る事、これが神のプランでもあります。
昨日のトラーの箇所は、出エジプト30:12–34:35
その箇所に付随する預言書、1列王 18:1–39でした。
出エジプトは、神のミシュカン、天の家を地上でそっくりそのままを
作り、神の家のレプリカを通して、イエシュアの全て、永遠の中に
屠られた子羊の血の代価を通して、贖いだされた人々、神の聖なる民とされた人たち〜ヤコブの子孫12の兄弟、部族と、それに加わった異邦人、ヤコブの子孫と同じように神の声を聞き、イエシュアの
代価、子羊の血の購いを神が言われた通り信じて、鴨居にその血を
塗って行動に移した人たち〜信仰により義とされた人達が、
神の花嫁〜聖なる民とされたのです。
神は、生物学的な血筋など、語っていません。誰でも、イエシュアを
通して、神の完了の業を信じて、その事実を受け取る人を、新しくされた人の事実を与え、内側に神が住まうこと、エデンの園の最初から
教えているのです。
神は、アヴラハム〜異教の神々を崇拝する父に育てられた異邦人を
突然呼び出しました。伝道集会があって、イスラエルの神ご自身を
イエシュアの贖い、救いを誰かを通して教えられたのではないことは
明らかです。神が直接、アブラハムに現れ出たのです。
そして、神の伝える教え、贖い、救い、イエシュアの業の事実を
アヴラハムに教えて、そしてそれを世界へ伝える事を、アヴラハムと
その子孫に託したのです。
神の民とされた、この世の礎が創造される以前から屠られた子羊と
その代価を受け取るために、同じくこの世の礎が造られる以前から
選び出され、聖別された人。
それは、血筋に関係ない、神の言葉を受け取り、信じて、それを生きるか、生きないか、それだけがカウントされると神が言われたのです。アヴラハムも元は異邦人です。ノアも同じです。
その人たちに与えられた神の家の家訓=神が神の聖別された人と関係を持っている根拠、証拠、土台、補償、約束がシナイ山で
与えられた婚姻契約、大家族の契約なのです。
神は神が聖別した人々と、この契約を土台に関係を結んでいる事実を
はっきり聖書から読み取り、理解する必要があります。
私達が教えられてきた教えは、聖書ではない、人間の思想が混じった
神の言葉の方を変える、歪める教えです。
空想話と同じ、2つ別の家族、2つ別の教え、生き方。
聖書とは関係のない、人間の教え、宗教が浸透してしまったのです。
残念ながらその思想、実践が定着してしてしまったのですが、
今それが元に戻る起動修正を、神ご自身がされているのです。
変化する神、時代ごとに変化する神の贖いの方法、許しの方法
時代ごと、文化により神の教えが変化するという、人間が編み出した
思想仮説は、偽物です。
それらは、聖書ではないのに、聖書=神の教えだとされてしまった
大嘘、偽情報、フェーク情報を完全に断ち切らない場合には、
聖書に目の前に書かれていることさえ、その通りには読み取れない、嘘に騙される
魔法にかかった状態のまま、聖書に書いてもないことを、書いてあるという嘘を信じ込んだまま行きます。
そして、神の伝える真実、神ご自身の実態、深い関係から隔たる、
離れるのです。宗教の教えなど最初から要らない、存在してはならない教えだったのです。
神にミシュカンを地上に作らせた理由は、目に見えない神、天の家
家族の生き方、贖われた人は新しくされた事実を、動物、収穫物
初子、初穂のコルバンを通して、実際に五感を通して体験する形で
神から特別なレッスン、学習の場を与えられていたのです。
神の声だけを聞いて、偽物の教えと本物の神の言葉を聞き分けて
生きる訓練。それが荒野の40年の旅路なのです。
私達も同じです。イエシュアを通して父の元に戻った人たちは、
荒野の旅路〜この世の地上の旅路があります。
それは、新しくされた人の実態で、再学習、成長する過程です。
その時に、神の教えではない、別物の声を聞いていたら、それは
神ではなく、別物を反映させ、学習させ生きてしまう事をしてしまうのです。
神の言葉、教えを、人が退ける、終了とする、破棄するという行動は、一体何をしているのか分かりますか?
神ではない、人間、別物が神になり変わる事をしているのです。
人は、神を否定し、神の創造された性質、デザイン、構造、生き方を
否定してみても、神の似姿に造られた人は、どこかで神を求めているのです。
それが、別の神々を作る理由であり、それは、どんなものでも神に
なってしまうのです。
あの島で行われていた悪魔崇拝と同じものの起源は、バアル、モレク神に子供を捧げた儀式と同じです。
それらに、イスラエルも高き所の礼拝に参加してしまっていたのです。
異教の神々の教え、基準、生き方が、イエシュアを信じる人の中にも
浸透しているのです。
神と神の教えを退けても、神を求める人の本来の性質は、取り除けません。
だから、別物の神、宗教=人間の教えを編み出して、それに仕えるのです。
神を退ける、それは神の教え=トラーを退ける事なのです。
神の教えを退けたら、他の何でも神になれるのです。
神ではない、人の思想、偶像、ズレた生き方の全て。
依存症も同じです。人間の教えがそれです。
神=神の教えではないものを、神の教えとしてしまっているのです。
そうすると、境界線がなくなるのです。何でも神になる。
人間の考えで、神の言葉を仕分ける、このような教えは、罪の根源
そのものです。
エデンの園の蛇の騙しそのものを、堂々とイエシュアを信じる人が
主張するように、されてしまっているのです。
宗教の教え、西洋宗教の教えは、人間が主体です。
人間が、人の判断で神の言葉を捨て、削除、歪め、破棄し、
人が神の言葉を仕分けて良いという、神に敵対する思想が、
昇天以降の聖霊時代、神の教えには縛られない、自由を与えられたのだ〜と主張しているのです。これ完全に聖書ではない、人間の作った宗教=別の神々の教えに成り代わっているのです。
そうすると、人間が作った神の方がパワフルになってしまうのです。だから、多くの人が神の教えに根付かない、生き方をしない、
捨てているのです。
繁栄の神学を唱えるクリスチャンは、別の神々=金銭に仕えるように
教えられているのです。
それは、聖書ではない、人が作った宗教の教えです。
人、富、名声、薬物依存、性依存、それが小児性愛、同性愛、
不品行、禁欲主義、結婚を禁じる、LGBT、様々な異様な形の別の
神を求めるのです。
神に創造された人の性質ではないことを、生きているのです。
ちなみにカトリックが司祭たちに婚姻を禁じたのは、経済的理由です。グレゴリオ7世。他にもいます。
ローマ教がふんだんに集めた富を、司祭の妻、子供、家族が相続したら、ローマ教会の資金が大幅に目減りしてしまうからです。
そして、その結果、独身司祭が、女性のメイドを雇い、内縁の妻として、子供まで儲けていたのです。でも市民は、その方が安全と思っていたのです。もしかして、祭司たちに自分の妻子供を襲われるかも
しれないからです。ひどいシステムです。
そして、そのような事が出来ない人々が、闇で女性を取り込み、
生まれた子供を全部葬っていた。
それがバシリカの地下から何百体という乳児の骨が発見されたりしているのです。
修道院孤児院での児童性的虐待も、同じです。とにかく、神の創造の性質、教えに反した生き方を人に強要する、神の言葉を捨てる事から全て罪の道へ導かれているという事実に目が開かれないとならないのです。
考えても分かるでしょう。このような宗教思想は、聖書ではなく
人間が編み出し続けている偽物の教えなのです。
結婚を禁じるのは悪魔です。なぜなら、神が男女を創造し、神が結婚を創造されたからです。
サタンは、神の創造の性質の反対をいつもするのです。
偽物、カウンターフィット。悪霊は、無から有を生み出せません。
サタンができるのは、神の創造されたもの、神の言葉を、歪めて
人を騙す事、そして破壊することです。
クリスチャンの世界で教えられる、人間が神の言葉を否定すること、
神の言葉は廃れたという人間の思想から何が出てくると思いますか?
多神教と同じ事が起きるのです。
人間の判断が主体になるからです。聖書=神の言葉ではなく、
その人の感覚、フィーリング、判断が神となってしまうのです。
神の真理ではなく、人間の考えが神の教えの上になってしまっているのです。
神は、感じなさい、フィーリング、感情を頼れ!などと言っていません。「知りなさい!」と言われているのです。神の伝える事実を知り、それをしっかり頭脳に刻み、握り締め、神の言葉から右へも
左へもそれるな!危険だからです。感情をたよりに、奇跡、不思議
高揚感体験、これって薬物中毒の世界が求める事と同じです。
混乱しかありません。
神、神の言葉から離れたら、真理から離れているということを
忘れないでください。
神が伝える言葉=真理から離れたら、そこには真実はありません。
神の教え、言葉を否定する人間の教えの中には、永遠に真実など
ありません!嘘、騙しだからです。個人的真理など、存在しないのです。
真実は、永遠に神から出た真実であり、個人によりその真実は変わらないのです。
今は、性別だけではなく、自分は犬と信じるとか、今朝は犬、夜は猫などと言ってそれを認めましょうなどと、馬鹿げた事を言っていますが、人の感覚、フィーリンが真実を判定するのではないのです。
事実、真実、真理が真実である、これは永遠に変わらないのです。
イスラエルの神、神の言葉を排除する場合、神の真実をその人が
取り除いて、境界線がない思想=何でもその人が解釈すること、
感じる事、考える事、それが真理であるなどと考えて、それでOKと
言っているのです。
偶像礼拝とは何ですか?神は真実であり、1つの神しか存在しません。
人間が自分の思想から、自分製造の真理を編み出しているだけです。
それが、神の言葉に人間の思想、考えを付け足した、人造宗教
イスラエルの神の教えを終了、破棄、否定する教えです。
そして、それは、神の真実、現実から、乖離する事です。
今日本でも牧師、教師がLGBTを擁護する運動があるそうですが、
完全に、神を排除した、偶像の神々=人間の思想を崇拝する行為をしているのです。
イザヤ 5:20 わざわいなるかな、彼らは悪を呼んで善といい、
善を呼んで悪といい、暗きを光とし、光を暗しとし、苦きを甘しとし、甘きを苦しとする。
これを、聖書を教える教師がしているではありませんか!
男を女と呼び、女を男と呼んでも、たとえ見かけの形を変えても、
事実は変わらないのです。
性別は、人が選択して選べない。自分が自分を選べない。
自分として生まれてくる事を、選べる人は、誰一人としていないからです。
神の言葉、教えを変える事は、神の実態、真実、現実から離れて
生きる事になります。
偽物の教え、異教の神々は、境界線がありません。
他の宗教でも見えますが、人の中にある思想が、神として形、宗教の教えになり、偶像が作られます。
それらの偶像を見た事あると思います。人間と動物の融合。
神と人間、男と女、境界線がないぼやけた偶像を作るのです。
人の思想が、神の言葉からずれたら、それは偽ものとの融合だからです。
手や足がたくさんある。神の創造を歪めて、融合させ、境界線が
ないものを作るのです。それが、LGBTでもあるのです。
境界線がない、偽物と融合する。
東洋宗教は、世界の全ては神と言います。ニューエージも同じです。
あなたは、神になれる。世界は、自然は、神。
これは、日本人の思想にもあります。自然を拝む。
人が神の言葉を捨てる事、それが他のものとの融合であり、
境界線がなくなるのです。
神の教えと、人の教えの区別さえ、聖書を読んでも分からなくなっている、識別できなくなっているのです。
そして、神ではなく、別の主人の奴隷になるのです。
自分の手で編み出した金の子牛を通して、イスラエルの神を拝んでいるのです。
神は断固として、それを拒絶している事に、気が付かないとならないのです。
神の言葉を捨てる、偽の教えを取り入れることです。
ローマ帝国、ローマが神の教え=トラーを捨てさせ、そして神の創造されたモアデイム〜アポイントメントの日の全てを捨てさせ、そして
人が作った別物の記念日に変えてしまいました。
神が変えたのではないことを、聖書の記述、事実から正しく把握してください。神が聖別された日を、人が変えることなどできません。
そして、神は、今は人が自由にシャバット、新月、祭りの日を決めて
変えて良いなどと言ってもいません。断固として禁じている!
個人や国の文化の祭り、記念日は、それぞれがやれば良い事です。
神が神の子らを全員呼び出し、会見するための聖別された日は、
神が創造された日であり、人間が別物を作り出せません。
なぜなら、人間は神により、神の言葉により造られた被造物だからです。
人は、神の聖別された日を、塗り替えられません。
それは、勝手に言って、やっているだけで、神は神の聖別された日以外、普通の日としているのです。
「今はいつでも安息日、礼拝日、主の日」と主張する場合、それは
人間が神になり変わる行為なのです。
神ではない人間、人は神の創造された記念日を作り変えられません。
自分定義、自分だけの真理は、神の真理ではなないのです。
このように、神の教えと、人の教え、神と人との区別、境界線が
ない事、それが人間の編み出した宗教であり、人間の教えを混ぜて
神の言葉を曲げた人間の思想でもあるのです。
神の教えを捨てる人には、識別力がなくなり、罪の基準も
捨てて、何が善、何が悪なのか、神の伝える真理を捨てているから
区別が出来ず、善悪の境界線が分からないまま混乱するのです。



