殆どの異邦人クリスチャンは、イエシュアが来られて、今までとは
違う別の新しい教え〜ローマ教が教えられたと誤解していると思います。
又は、古い教えは廃れたのだ、ユダヤ人だけの教えだ!などと主張しています。
旧約聖書、新約聖書という、時の偽教師、異端者が編み出した
タイトルページです。
1)聖書に対するタイトルページを鵜呑みにし、神の教えに古い、
新しい別ものがある。
2)イスラエルと異邦人は、別の群れだ。
3)新しい契約とは、中身がシナイ山で与えられたトラー=婚姻契約とは違う教えだ!
これら上記は全て、人の思想、空想、作り話、憶測、勘違い、
聖書の事実ではないことを土台に、西洋宗教が作った思想です。
聖書ではない教え、神学を人が編み出した思想、教えが作り出され
続けて、聖書の事実を曲げた解説が浸透してしまったのです。
聖書は、ユダヤ人のものではないのです。
神の国は、ユダヤ人のものではないのです。
「イスラエル」という、神が選び出した神の国に属する聖別された
すべての民、それは、ユダヤ人と異邦人、混合の共同体であり、
同じ天の国の相続人であり、神の家族であると教えているのです。
別物に仕分ける〜分裂させる、その思想は、人の編み出した思想であり、神が伝える神の家族の事実とは全く異なります。
イエシュアを通して神の元に戻った大家族、それがイスラエルなのです。
福音書にも、トラーに記されたその事実が、ずっと書かれているのです。なぜなら、エデンの園を飛び出して、そして、ヤコブの子孫
12人がエジプトへ下り、そして430年、異教の神々、異教神に
属する王の下、本当の神に繋がれない奴隷状態から、脱出した歴史の事実は、その中にも、異邦人が混じって、エジプト脱出をしているのです。
福音は、最初から同じです。神の言葉を聞いて、その通りに信じて
実行した人は、神の者とされた!と書いてあるのです。
ユダヤ人は、神の国を表す代表者、長男として、役割を与えられた
だけです。
全ての人は、もれなくズレて、エデンの園=神の中から外側に飛び出て、別の場所に閉じ込められたのです。
これは、人種に、時代に関係なく、皆同じです。
生物学的なユダヤ人が、イスラエルではないことは、
ずっと聖書の最初から記されています。
ノアも、アヴラハムも、元々異邦人です。
神がある一人を選び出し、神の国、民、聖別された人、イスラエルの神、イエシュアをそっくりそのまま反映する国民としたのです。
異邦人は、イスラエルの代表筆頭者ではない。接木された枝、
同じ羊の囲いに加えられたと、トラーに記されている事実を、
イエシュアや、パウロが説明しているのです。
別の2つの群とも、聖書のどこにも書いてないのです。
聖書=神の言葉は、木や、真珠と例えられています。
全部繋がっているのです。勝手に切り離しているから、全体像、
神の言葉が1つとして繋がり、どこも相反することなど、聖書に書かれてもいないことが、見えないだけです。
自分の体の中の全ての臓器は、自分に属し調和しています。
臓器同士が、敵対しあったり、拒絶反応を起こしません。
それを、別物=別の人の臓器を移植するから、拒絶反応が起きるのです。それは、その人に属さない異物、他人の臓器だからです。
それを、宗教の教えが、そのままやっているのです。
神の教えの中に、異物=人間の思想という他人の臓器を移植して
不協和が起きている、それはイスラエルの神に属さない、別物、
別の性質、偽物だから、矛盾だらけ、神の言葉と辻褄が合わない
神の言葉が、人が編み出した思想、教え、考えを、拒絶するのです。
創世記12:2 わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、
あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。
12:3 あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは、あなたによって祝福される」。
<世界の全ての民族の父とされ、そして同じ祝福、贖い、救いを
与えるために、アヴラハムが選ばれたのです。>
創世記15:6 アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた。
<信仰義認は、アヴラハムに与えられた譲渡契約に基づいているのです。>
ヤコブ2:17 信仰も、それと同様に、行いを伴わなければ、
それだけでは死んだものである。
2:18 しかし、「ある人には信仰があり、またほかの人には行いがある」と言う者があろう。それなら、行いのないあなたの信仰なるものを見せてほしい。そうしたら、わたしの行いによって信仰を見せて
あげよう。
2:19 あなたは、神はただひとりであると信じているのか。
それは結構である。悪霊どもでさえ、信じておののいている。
2:20 ああ、愚かな人よ。
行いを伴わない信仰のむなしいことを知りたいのか。
2:21 わたしたちの父祖アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげた時、行いによって義とされたのではなかったか。
2:22 あなたが知っているとおり、彼においては、信仰が行いと共に
働き、その行いによって信仰が全うされ
2:23 こうして、「アブラハムは神を信じた。
それによって、彼は義と認められた」という聖書の言葉が成就し、
そして、彼は「神の友」と唱えられたのである。
創世記15:6を、ヤコブ2:23で引用しているのです。
はっきり、2つ別種類の契約の内容が記されています。
1)信仰により義とされる。これは譲渡契約です。
神が一方的に贖いを用意し、人に提示している。それは信仰による
以外、人の努力や行いでは受け取れないものです。
永遠の中に屠られている子羊の代価を、神が与えている。
これを受け取る人は、この事実=神の者とされていることは、
後から、この事実を取り上げられません。
この譲渡契約の印が、アヴラハムの「割礼」なのです。
アヴラハムに属する人、これは、異邦人含め、神が伝える義〜
子羊の血の贖い、神の言葉を受け取る人に与えられるものです。
これが、破られないということ。それを、割礼で表しているのです。
この「割礼」は深掘りすると、たくさんの教えが詰まっています。
新しくされている事実を得る。
これはエデンの園の最初から教えられているのです。
神により、境界線が敷かれているのです。
神により、聖別された人を与えられたことを教えている。
そして、新しくされた人、神に聖別され、神の者となった、娶られた人は、イスラエルの神の大家族に加えられるのです。
この譲渡契約は、アヴラハムに属する人、信仰により属する人
アヴラハムの子孫は、永遠の約束、契約として、信仰義認が与えられているのです。
2)そして、ヤコブが、神を信じた人は、神の教えを生きると
はっきり書いています。
神の婚姻契約は、1つだけです。ユダヤ人と異邦人は別物の契約
教えと、教えられていますが、聖書にはそんなことは1つも書いてありません。
この1つの契約の中には、1)譲渡契約 信仰により義とされることと、義とされた人、神の者となった人に与えられた2)宗主契約
この2つの契約が網羅されているのです。
これを、クリスチャンは多大に誤解して、律法主義!などと意味不明なことを言い続けているのです。
譲渡契約は、信仰により無条件で与えられた身分です。
聖霊が内側に住む、神の者とされた。
その人は、その後、神の家に住まう上で、条件付きの契約〜宗主契約があるのです。
これを人は、破ることが、できる!と書いてあるでしょう。
未来預言です。
エレミヤ31:31 主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家と
ユダの家とに新しい契約を立てる日が来る。
新しい契約とは、再更新される同じシナイ山で与えられた1つの契約です。これ以外の契約は、文字で記されたものは、人に与えられていません!神の別の契約など存在もしません。
この契約は、歴史の節目で何度か、再更新されている同じ契約です。
そして、神の契約の中身が変化するのではないのです!
それが、預言に書かれているのです。
人の内側が、変貌する!その人達でガードされる、同じ契約。
エレミヤ31:32 この契約はわたしが彼らの先祖をその手をとって
エジプトの地から導き出した日に立てたようなものではない。
わたしは彼らの夫であったのだが、彼らはそのわたしの契約を破ったと主は言われる。
人が生きられない契約を与えて破ったから、別物の契約が未来与えられる、イエシュアが来られたから、神の契約は破棄されたという
出鱈目な聖書解説の全てを削除すれば、何を神が教えているのか
その事実が見えてきます。
出エジプトして、この婚姻契約を受け取るシャヴオートの時、既に
金の子牛を作り、自分勝手に神に近づき、神の祭りを祝ったでしょう。偽物の教えを通してイスラエルの神に近づく〜契約を破ったと
書いてあるのです。夫を裏切る、イコール、偽物の教えで、イスラエルの神=夫に近づくことです。
詰まり、人は神が伝えていることではない教えを、様々に編み出して
人造宗教を作り、その宗教の教え、慣わし、記念日を通して、
勝手に神に近づくことをするなかれ!と警告しているのです。
聖なる民〜花嫁とされた人は、今まで知らなかった夫に家に嫁いで
その家=神の家、天の家のしきたり、生き方を1から全て夫に教えてもらい、その生き方を身につけて行く過程が残っているのです。
それが、新しい人として、成長すること、変貌し続けて行くこと、
変えられて行くこと。これは、モアデイムを通しても教えられていることなのです。
神の教えを捨てるから、何を教えられているのか、体験的にも分からない状態になるのです。
神のモアデイムを捨てる人には、その意味は全く通じていません。
神の民、娶られた人、聖なる民となった人は、神が教える、
神が創造された、神のに姿=イエシュアの生き方と同じ生き方をする!この二つ目の契約の部分がごっそり抜けて、別物の教えに変えられてしまっているのが、ローマ、キリスト教の教えなのです。
これらの教えは、聖書の記述にもない、神の教えではありません。
エデンの園から、永遠の中に屠られた子羊の代価により、義とされることは、ずっと教えられています。
永遠の中に屠られた子羊の贖いの代価=義を、神がアダムとハヴァに
着せたでしょう。
彼らが、今と同じように、神の前に罪を告白して赦され、義とされている事実は、最初から同じです。
なぜなら、イエシュアがトラーに記された、メシアの贖いの事実を
再度解説していることでも分かるでしょう。
「イエシュアを通して以外、誰も父のもとには戻ることが
できない!」
クリスチャンが解説するように、動物のコルバンを捧げるから赦されて、イエシュアが来られる以前は、神の律法を生きて
かろうじて認められた、義とされたとか、ユダヤ人だけ、神の教えを生きれば良いとか、そんなことは聖書には書いてないのです。
エデンを出て、どうして、カインとアベルが神の前にコルバンを
捧げたのか?それは、コルバンは、イエシュアの贖いの代価を表しているものであり、イエシュア=コルバン=引き寄せる、近づく、
これを通して、神の元に戻った事実〜新しくされた人を教えているの
です。
ノアも、神から直接口頭で、神の教え=トラーを聞いて生きていました。
創世記6:8 しかし、ノアは主の前に恵みを得た。
6:9 ノアの系図は次のとおりである。ノアはその時代の人々の中で
正しく、かつ全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。
恵を得ている、イコール、信仰により義とされている事実=恵により
与えられたことが、はっきり書いてあります。
そして、神の前に全き人である事実、タミン、シミも傷も欠損も罪が
ない状態にされていたのは、信仰により義とされている事実があるからです。
同じ!同じ、永遠から同じです。イエシュアの贖いの代価で、イエシュアが人の罪となって屠られている事実は、永遠の中に完了している
からです。その事実を地上で証明されたのです。
そして、人とならなければならない理由は、神は人ではないから
贖いができないことになるのです。
ノアが神に言われた通りに、箱舟を作りました。
材料、寸法、船の内側の構造全て、神が言われた通りを、作ったのです。
この中で面白いことが、分かります。
創世記 6:14 あなたは、いとすぎの木で箱舟を造り、箱舟の中にへやを設け、アスファルトでそのうちそとを塗りなさい。
続く