一週間は、神が造られた「時」であり、人は神の時を生きています。
神を知らない人も、全ての人は一週間は7日間として過ごしています。一週間は、7日間と神が造られました。
この第7日目だけは、神しか分からない日だったのです。
無人島に居ても、月、星、太陽で、月、年は特定できます。
一週間の7日目は、誰も分かりません。
そして、この第7日目は、神が全世界の創造主である証拠、宣言でも
あるのです。誰が、この世界の所有者、権威者、支配者であるのか
それを表しているものなのです。
偽の神々は実在しません。それらは人の思想、考えの中にあるものを、教え、形として作り出しただけで、実際に存在しません。
そして、それらの偽物の神々は、イスラエルの神とは全く違う神です。
それらの神は実在しませんから、人との関わりを持ちません。
何も補償、約束しません。何の助けも与えません。
偽物だからです。
イスラエルの神は、神が契約を人に与え、関係を結んでいるのです。
神の創造された人の生き方を人に教え、導き、購い、許し、補償、
約束、助け、許し、神は共にその人と共に住まう約束を与えているのがイスラエルの神です。
そのような神は他にいません。他は全部空想、実在しない人間が編み出した神々だからです。それらを、悪霊が利用しているだけです。
創造の最初から神は、神のモアデイムを人の与え、教えました。
その中心がシャバットであり、この第7日目を「残りの民」に伝え、
ガードし今に至るのです。
創世記を読むと、その中に記されているのは、個人個人の人生であり神が選び出した個人です。
アヴラハムが選び出されて、全民族の父として、世界へ同じ神の教え福音、祝福を与えるために選び出したと神が言われました。
それ以前に神が創造されたのは、ユダヤ人ではなく、「人」です。
「ユダヤ人」のために、神はシャバットを造られたのではありません。神が創造された人のために、造られたのです。
荒野では、6日の昼にマナが2日分降りました。
そして、時をガードする残りの民はこの日、神が言われた通りに
マナを集め、その日の日没には止まって、神と共に皆がこの日を
祝ったのです。
出エジプトする以前にも、同じようにシャバットを祝ったのです。
詳しく書かれていませんが、モーセがエジプトの王に神の祭りを
祝うために、荒野に行かせてくださいと書いてあります。
その一言で、神の祭りをモーセは知っていた事が語られているのです。詳細が、詳しく書かれていないだけです。
カインとアベルもエデンを出てすぐに、神の前にコルバンを捧げているでしょう。
エデンの園と同じく、親と同じこと、神が言われた事を無視して、カインも違う事をしました。
神がどのような性質のコルバンを捧げるのか教えていたからです。
神の教えの内容はそこには書かれていませんが、コルバンは、
初穂初子を捧げることが教えられているのです。
それは、モーセの五書で後から分かることですが、口頭で同じ教えを
神から聞いていたのです。
問題は、カインは、神が言われた通りにしなかったこと、これは親であるアダムとハヴァの罪と同じことをしたのです。
これが人類の問題の根なのです。
神が言われたことをしない、神が言われたことを無視する、
神が言われたこととは、違うことを人がする。
これをずっとやっているのです。
表向きは、コルバンだから同じように見えるでしょう。
カインの捧げ物は、収穫物でした。彼は野を耕すことが仕事だから
です。自分の収穫物の中で初穂ではない、普通のものを神の前に
差し出したのです。
だから、神はそれを受け入れなかったのです。
コルバンは、生贄と訳されていますが、「近づく、引き寄せる」と
いう意味のヘブライ語です。
これは、イエシュアの購いの業を表しているものなのです。
神に近づく、最上のもの、初穂、初子=イエシュアを通して、
人は神との関係に戻っている、対話する、祈る、関わりを持つ、
コルバンを抜かしては、神の前の関わり、祈りはないことを教えて
いるのです。
そうすると、西洋宗教の世界で教えていることは、聖書とはズレた
ことを教えていることが書かれています。
人は、人種に関わらず、永遠の中に神が用意された子羊の血の代価
コルバンを通して以外、神の元に近づけないことを、最初から
教えているからです。
人類で、人種別で、時代別で、誰か自分の努力で神の元に修復された人のことが、聖書に書かれていますか?いません。
購い、救い、許し、神の元に引き寄せられることは、行いや動物の
生贄を通しては、可能ではないからです。
イエシュアの購い、救いを、コルバン=動物や収穫物を通して
教えているのであって、それらは学習ツールであり、人を一時的に
許す代替えなどではないからです。
一旦、見聞きした西洋人が編み出した教えが混じったものを全部捨てて、聖書に書いてあることを忠実に探り直す必要があります。
神は神との関係に戻った人、全て、もれなく、婚姻指輪を与えました。それが「シャバット」なのです。
神は日曜礼拝など、神の民に、関係の中に入った印〜婚姻指輪として与えていません!
昇天以降、人間が考える日がいつでも聖別された日とはなりませんし、そのようなことをすることを、神は禁じています。
カインの捧げ物と同じ、神はそれを神が伝えた通りの近づき方とは
違うと言われているのです。
6日の日没は、第7日目が始まる時であり、それが神が創造された記念日
「シャバット」とであると皆が神から教えられていました。
そして、シャバットを中心に、イエシュアの業を表す祭りが教えられていたのです。
荒野から約束の地に入り、土地の収穫物から食物を得る時になったら
空からマナが降るのは止まりましたが、ずっと残りの民は、神の時
モアデイムをガードし続けて、今日に至るのです。
人は神が創造されたものを、どのように定義し直してみても、
神の創造された事実は変えられません。
人が、性転換手術を受けて、ホルモン剤を注射し続けて、見かけが
別の性に変わったように見てても、結局DNAは同じです。
男性が見かけが女性になっても、命を生み出せないし、女性が男性になったつもりでも、女性に命を生み出す機能はもてない。
人が神の言葉、デザインを言い換え、作り変えてもそれは虚無であり、神が禁じている行為なのに、人はそれをやり続けているのです。
神はそのようなものを、神ご自身が創造されたものとして、認めて
いないし、受け取ってもいません。
もし受け取ったら、それは偽物です。神は人が神が伝える真実に
気が付くまで、忍耐深く待っているだけです。
神の教え、言葉を歪める、変える、別物にすり替える、再定義し直す、それをするのが、人間が編み出した宗教の教えであり、
人間が作った神の記念日なのです。
人間が作ったものと、神が造られたものは別物なのです。
神の記念日は、神ご自身が造られたものが本物であり、人間の作ったものは、イスラエルの神のものなのではないのです。
それは、イスラエルの神が伝えて教えていることとは、何も関係が
ないのに、伝統で継承され、人間が神の教えと記念日を別物に変身させたものを、神の仰せだと信じて、大勢の人がそれをガードしています。
大勢が、皆が何十世紀にも渡りするから、それが真実で、
それが神の仰せになるのですか?
そんなことあるわけがないのです。
誰が、どんな数の人が、何をしようとも、神が伝えることはそのようなことで変化などしません。
大衆が進化論信じても、それは神の創造に反する偽物の教えでしょう。それと同じなのです。真実ではないことは、永遠に真実には
ならない!
神の言葉、教えを受け取る側が、勘違いした教えを浸透させて、
別物が受け取られ、別物をやっているだけなのです。
イエシュアが到来されたら、全ての人の内側、理解が変えられると
預言されています。
エレミヤ31章でされた未来預言ですが、この状態は未だ現在は実現していません。
ユダの家とイスラエルの家の人が、イエシュアをメシアと知り、
頭脳に神の教え=トラーが刻まれて、それを皆が生きる、そのような
ことは、未だ起きていないからです。
そして、全ての人が、神のトラーを、神ご自身を内側からその通りに
正しく知り生きている、そのようなことも起きていません。
異邦人も神の教え=トラーが永遠普遍などと、全員が気がついていない状態なのです。
神の教え、実態、デザインは、全て「7」で表されています。
7は、完全、完了を意味します。
イエシュアが未来再臨し、世界を統治する事実が「仮庵の祭り」
の一連で表されています。
神の祭りは、7日が中心です。
シャバットがその中心であり、過越の祭りも7日間です。
種無しパンを7日食べる週。そして、それは永遠の中に屠られている
子羊で誰でも、どの時代の人も神のもとに戻った人は、新しくされている、神が内側に住まわれる事実を教えているものなのです。
7日間の仮庵の祭り、イエシュアが私達仮の体、朽ちる体に住まい、そして朽ちない体に変えられて永遠に神と共に住まう事実が表されています。
7日間の仮庵の祭りの日の次の日は、「第八日」の記念日であり
第一の日ではない理由があります。
イエシュアと共に住まう事実が、「第八日」で継続されて、
永遠に続くことを教えているものです。
永遠にイエシュアの統治、神と共に住まう時代が来ると預言されています。
私達は、神に創造されました。
神がこの世の全て、礎を造られる以前から既に選び出されたこと、
そして、聖別された事実が書かれています。
そして、子羊イエシュアも永遠の中に既に屠られ、神のもとに戻る
購いは完了されていることが、聖書にはクリアーに記されています。
それを理解していた人、いない人がいるだけなのです。
どの時代も、いつの時代でもどの人種でも同じです。
神の言葉を神が言われる通りに理解している人、いない人。
神の教えをその通りに受け取り生きている人、いない人。
そして、未来変わるのは人の中身、頭脳、内側で、理解、性質であり、神の教え、言葉が変わるのではありません。
人は、全ての創造物は神に創造されたのです。
そして、神の似姿、性質そっくりに造られたのは人です。
人のために、世界の全てが造られました。
そして、神は人との関係を結んでいる土台、根拠、証拠、補償は
神が提示された「婚姻契約」を通してだけ、人との関係を結んでいるという事実をはっきり理解しないとならないのです。
神の言葉、教えを神から学ぶ、それはどうやってですか?
エデンの園から、神から直接文字で記された正式な契約書を渡される迄、預言者、選び出された個人個人を通して、神の同じ教えは口頭により伝えられたことが、トラーには書かれています。
神が教えること、言葉を学ぶ者〜神に属する聖別された人の務めは、本文を書き直すことではなく、神が伝えている意味通り、
その意味、事実を丹念に探り出すことにすぎないのです。
これを完全に無視しているのが、人間の思想を通して、聖書を解説、読み解く行為なのです。
人間が編み出した教え、西洋宗教、その思想の根拠に置く神学、聖書とは逸脱した思想全ては、神の言葉に忠実に根付いて、神の考えを
探究、求めることではなく、自分が思いたい、考えたいように勝手に
答えを編み出す行為なのです。
聖書に基づき考えない人は、伝統の教え、宗教=人が作った慣わし、
人間が変えてしまった神の創造された記念日は、今は人間が勝手に
作り変えて良いと教えて、そう信じて実践しています。
マタイ13章でイエシュアが語れた言葉をよく考えれば良いのです。
聖書に、み言葉、言葉、仰せ、教え、さとし、定めetcと書いてある
全ては、1000%モーセの五書=父の教え=トラー全部を指して
語っている事実にだけ立ってください。
マタイ以降には、モーセの五書を終了した教えが書いてあるという
最大級の神に対する大冒涜、エデンの園で犯した人類初の人がした
罪そのものを捨ててください。
神の言葉、教えではないことを根拠に、真実を探っても、
どこからどこまでが神の教えで、どこからどこまでが人が編み出した
偽物の教えか、区別がつかないままになります。
以下が、その偽物の教えに対する、イエシュアのトラーからの警告
そのものです!
神の教えから、右へも左へもそれてはならないと教えているのに、
人間の教えは、右へも左へも自分の考えで逸れて良い!と教え続けているからです。