先の契約と新しい契約? | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

ローマ教、人間の編み出した宗教のせいで、聖書が伝えている事実が

神の言葉通りに伝わらなくなって20世紀近くがたちます。

これは異邦人の世界に伝えられたローマ教という宗教の教えです。

 

イエシュアが来られてユダヤ教という古い宗教を廃止し、キリスト教という新しい別物の教え、生き方を教えられていると考えているでしょう?

信じた最初から、周りの先輩、牧師、教師にそう教えらているから、そう思うだけで、聖書にはそんなことは書かれてもいません。

聖書には、宗教の教えや、変化、進化する神の教えや契約は書かれていません!

イエシュアが来られて昇天されても、神の教えは、エデンの園、

永遠の中から同じで、何一つ変わってなどいません!

この理解がない場合は、人造宗教の思想で、神の教えを人間が自由自在に曲げ続けることをしてしまうのです。

 

神が人に生きることの出来ない律法を与えたけれど、イエシュアが

処刑されたので、その教えから解放したなどという、まやかしの思想を信じてはならないのです。

律法、本当の言葉は神の教え=トラー=婚姻契約が破棄されたら、

罪の定義も、聖別の定義も、神の約束、保証も全てなくなり、

それこそ無法地帯になります。

罪を定義するものが取り払われて無くなれば、罪もなくなり、

人がやりたい放題になり、イエシュアの死の意味も全くなくなります!!!罪が無いなら、恵もいらない。全ての人が罪を生きる無法地帯になる。

自分が教えられて、復唱している教えを、再検証しなければなりません。

変わらなければならないのは、神の言葉、教えの方ではなく、

人間の内側が変化しなければならない事と、聖書には書かれているのです。

それがずっとずっと聖書に書かれているのに、人の編み出した宗教の教えは、神の教えの方を悪者に仕立て上げ、厳しすぎる教えだ!!!今はゆるゆるの自由を与えられた!なんでもやれる、なんでも食べれる、神の教えは生きる必要がない!と意味不明な、イエシュアが教えた教えと真逆の教えを唱えているのです。

神の教えに、真っ向から反する教えを主張しています。

これはっきり言って、イエシュアと何の関係もないローマ教や

世俗的思想そのものです。聖書ではない、偽物の教え、駆除、除去しなければならない人を蝕む思想、宗教の教えなのです。

人が神になり変わる、人が神の場所を乗っ取りハイジャックし、

神の教えを塗り替える冒涜をしているのです。

 

神のトラーが終了という意味は、人に罪が罪とも分からなくさせ、

神の聖別を生きる実態、意味を人に理解させず、神の前に神の聖別を汚す行為、罪をしても、気が付かずそれでイエシュアに属している、主を愛している!と宣言する。

エゼキエル書に警告された通りの事を、しているのです。

 

エゼキエル22:26 その祭司たちはわがトラーを犯し聖なる物を汚した。彼らは聖なる物と汚れた物とを区別せず、清くない物と清い物との違いを教えず、わが安息日を無視し、こうしてわたしは彼らの間に汚されている。

 

イエシュアが言われた教えの方を捨てて、ローマ帝国皇帝の勅令の方を尊重し、取り入れ、生きていることにも全く気がつけない。

見聞きしている、神の教えを否定した思想は、聖書ではなく、ローマ帝国が作った勅令、思想、宗教である事を、多くのクリスチャンは

その黒歴史を教えられてもいないのです。

それは神の教えを捨てているから、そして巷に20世紀近くも浸透したローマ帝国製造教の教え、多くの異邦人が信奉しているから、

それらが聖書であるのだ〜と信じているからです。

堂々巡りの図式なのです。

 

ユダヤ教というのは、イエシュアが語っていた通り、「人の編み出した教え」の付け足しがあるから、〜教〜イズムと呼ぶのです。

神の教えに、付け足ししているからです。

ローマ教は、土台が、神の教えをなし崩し、廃れた!終了した!

そして、聖書に書いてもない新しい教え=新しい契約がある!という

空想思想を土台とした、人造宗教なのです。

翻訳聖書を利用しているから、もちろん聖書を読んでいるのですが

聖書を読みながら、人間が作った思想を通して、神の言葉を曲げる

歪める、端折る、破棄する、捨て去った解釈、解説に変えてしまっているのです。だから、7とかいてあるのに、1と読み替えているでしょう。真実に気がつけないのは、洗脳のせいです。

そして、クリスチャンは、書いてある意味を全部アレゴリー=寓話

たとえ話だとすり替えてしまっているのです。

だから、聖書に書いてもない、イスラエルは地上を統治し、父なる神の花嫁で、クリスチャンは永遠に天を治め、イエシュアの花嫁だ。

又は、イエシュアが天と地を出張し、行き来するとか、本当に

作り話のオンパレードを聖書だと思い込んでいるのです。

預言書なども、多大に誤解して読んでいるでしょう。寓話であると。

だから、天は無法=トラー無しの場所だから、神の教えはクリスチャンには関係ない、神のモアデイムも関係ないなどという思想を唱えていますが、それら全て聖書とは何も関係のない、神の教え、聖書を

正しく理解していない、西洋人が編み出した思想なのです。

 

ユダヤ教の場合は、神の教えをどう生きるのか?の解説があります。

異邦人のように神の教えが廃れたというような教え、神に対しての

罪や冒涜を語り、行動することを、彼らはしません。

人の編み出した伝統の言い伝え、先祖の言い伝え、人の教えとあるのは、それら神の教えをどう生きるのか?の解説が、本質とは逸脱をした教えが、ユダヤ人の中にあるからです。

それらを、イエシュアがある一部の学者、その学者の多くはパリサイ派です。パリサイ派が大多数であったからです。

パリサイ派、イコール、偽善者というこの刷り込みも捨ててください。使徒に書いてあるように、殆どのパリサイ派は善良な人で、

人に対して厳しい解釈を施した教えをしませんでした。

葬式には、お風呂に入ってゆっくりしてはダメなどという、そういう

教えはしない。体を大事にして風呂に入ろう。そういう事を教えた

善良な人たちが殆どでした。

しかも、一世紀当時のイエシュア信者は、パリサイ派が殆どであること知っていますか?だから、パウロもパリサイ派なのです。

 

使徒5:34ところが、国民全体に尊敬されていたトラー学者

ガマリエルというパリサイ人が、議会で立って、使徒たちをしばらくのあいだ外に出すように要求してから、

パウロの大師匠である、ラバンガマリエル、国民全体に尊敬されて

偽善者などありえないでしょう?!人の刷り込みとは怖いものです。

パリサイ派、イコール偽善者。神の教えを生きること、律法主義だ!

神の教えを生きるなかれ!そんな嘘を教え込まれているのですから

もう、どこから誤解を解いたら良いのか分からないのです。

 

ある一部のパリサイ派やその他の学者達と議論したのであり、

神の教え=トラーが廃れたということを、イエシュアが伝えているのに、ユダヤ人が信じないから、イエシュアが彼らと討論していたなどと、とんでもない勘違いを考えてはならないのです。

 

クリスチャンの間にも、聖書とは何も関係のない、人が編み出した

教えの数々があり、しかも、神の教えから逸脱した解説のオンパレードがされ続けてしまい、そのような聖書とは何の関係もない解釈や

理解に対して、イエシュアが、当時の学者達の考えを正していると

理解しないとなりません。

マルコやマタイに書かれているように、手洗いの儀式や、シャバットに落穂拾いをしたとか、シャバットに病人をイエシュアが癒して

シャバットに違反したなどと、人の言い伝えに固執し、シャバットの意味、本質を理解しない人々は、イエシュアやイエシュアの弟子達を批判したことが書かれているでしょう。

 

シャバットの本質、実態を理解しないまま、本末転倒の教えを人が

編み出していたことが書かれているのです。

それら「人間の言い伝え」をイエシュアが戒めているだけであり、

イエシュアが神の教え=父の教え=トラー=モーセの五書を否定した教えなど絶対にするわけない!ということが、聖書の記述、事実、

神の言葉から理解できない場合には、聖書は正しく読まないまま、

神の教えを歪めた聖書解説の道に、はまったままになってしまいます。

聖書には、クリスチャンが言うように、神の教え、言葉が廃れたいう事は1つも書かれてなどいません!イエシュアも言われたでしょう。神の教えが廃れるより、天地が滅びる方が容易いと。

そして、神が神の言葉は永遠に固く立つ!と言っているのに

どうして、イエシュアを信じるクリスチャンが、神の言葉が廃れたという、神の教えに反撃する思想を唱え続けるのか、ぜひ疑問に思い

聖書の真実を探ってください。

聖書記者=預言者、使徒、残りの民で、神の言葉が廃れた、変更された!などという考えを持つ人は一人もいません!

ヘブル書8章も、神の教えが廃れたという読み違えて誤解している

箇所ですが、シンプルで明らかな事実が、ずっとあるのです。

神の家の家訓=婚姻契約は1つしかありません。

神との関係にある証拠は、神が提示した婚姻契約を前提に全てが成り立っている事実があるのです。

もし、クリスチャンが言うように、人間の側で神の契約を捨てたら

それは、神が警告している通りのことをしているのです。

夫を裏切った!ということです。イスラエルが警告された罪、高き

ところの礼拝、契約に記された生き方を捨てた、同じことを、

異邦人がしているのに全くそのことに気がつけないままなのです。

 

エレミヤ31:32 この契約はわたしが彼らの先祖をその手をとって
エジプトの地から導き出した日に立てたようなものではない。
わたしは彼らの夫であったのだが、彼らはそのわたしの契約を破ったと主は言われる。

 

この箇所をクリスチャンは、どう教えられ、どう理解して読んでいますか?

エジプトを出た後、シナイ山のシャヴオートの時に立てたようなもの=契約ではないと書いてあります。

これどう言う意味だと思いますか?

クリスチャンは、もれなくこう教えられるでしょう。

古い契約は破棄されて、ジーザスが来られて新しい契約=教えが

与えられた。モーセの律法は廃れて、キリストの律法を生きるのだ!

意味不明、聖書とは辻褄合わない解説をしているのです。

イエシュアが教えた教え、クリスチャンが律法と呼ぶ、モーセの五書

父の教えですが、イエシュアが教えているのは、モーセの五書=トラーだけです。そして、一点1画も、神の言葉に付け足し、差し引きするなかれ!と神が警告していることを、イエシュアも同様にそう警告しているでしょう。

モーセは神の預言者であり、神の言葉をそっくりそのまま文字で記して、そしてイスラエルを約束の地に導く役割を与えられた人です。

でも、神の言葉で記されているイエシュアの実態、贖いの命、救い、新しくされることは、人間モーセが提供できるものではないでしょう?それは、イエシュアを通してのみ可能!

そして、神の言葉は、イエシュアご自身そのものであり、聖霊であり神なのです。文字で書かれた実態を、人の中に実現できるのは、

神以外には無いでしょう?そのことを、聖書は言っているのに、

モーセは律法を与え、キリストは命を与えたという意味を、

トンデモなく勘違いし、モーセは厳しい掟を人に与え、キリストは

厳しい律法から解放しに来られて、聖霊により生きることを与えた?意味不明な解説をしているのです。

 

ヨハネ 1:17 トラーはモーセをとおして与えられ、めぐみとまこととは、イエス・キリストをとおしてきたのである。

 

神の言葉は神ご自身であり、消えたり廃れたり変化などできないのです。次の文章に書いてあります。

ここで伝えているのは、出エジプトした時のイスラエルの状態

内側の状態、彼らがまだよちよち歩きの赤ちゃん同様の幼児だった

のです。だから、神の教えに根付き、生きる成熟した人ではなかった!だから、神の契約を平気で破り続けてしまったということを

神は伝えているのです。そのような、頭脳に割礼がない幼児の状態の時とは違う。再更新される契約に加わる人は、成熟した人。

誰も神のトラーは変わるなどという、偽物教えなどしない。

皆が頭脳に腹に神の教えが刻まれ、染み付いているから、誰も主を

知ろう!と言わない!と書いてあるのです。

 

神の教え=契約の中身が変わるのではなく、問題は人の内側、肉の

ままが抜けらずに生きている、その状態が変わらなければならない!ということを、ずっと人に伝えているのに、キリスト教の教えは、

神の言葉が古く、悪く、廃れなくてはいけないという、聖書にない

ファンタジーストーリーが、でっちあげられているのです。

神の言葉の対する偽証、冤罪を犯しているのです。

 

神が彼ら〜イスラエルと、そして一緒にエジプトを出たエジプトの

異邦人達、彼らは、神が彼らの夫であるのに、神の契約を破ったと

あります。これは、一度だけではない、何度も神の契約を破ったのです。

イスラエルが、最初に契約を破ったのは、いつですか?

 

続く