聖書に何が書いてあるのか 確かめる | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

神の教えを時代ごとに分断し、そして聖書、神の言葉は変化したと

いう思想を持つ人には、聖書が一貫して同じである事実が覆い隠されてしまいます。

だから、繋がらないのです。何が書いてあるのか繋がりが見えない!

しかも、イエシュアご自身を教えている、モアデイム、神が創造された記念日を捨てているから、聖書の中核である教えが見えないままになっているのです。

 

神の言葉の進化論は偽物の教え、偽仮説、嘘、偽情報です。

神の実態を覆い隠す教えであり、罪そのものです。

罪の定義を捨てる人は、イエシュアを信じながら、罪であることを

しているのに、全く気が付けないままいるのです。

自分よがりの罪の定義、聖別の定義、その他諸々神が何を教えているのかにも、気が付けないまま信仰生活をする。

信仰生活、その土台は人間、ローマ帝国が作った宗教の教えを忠実に実践しているのです。神の教えを捨てて、人間の教えに忠実に

生きていることにも気が付けないのです。

 

 

マラキ2:9 あなたがたはわたしの道を守らず、トラーを教えるに

当って、人にかたよったがために、あなたがたをすべての民の前に

侮られ、卑しめられるようにする

3:6 主なるわたしは変ることがない。
それゆえ、ヤコブの子らよ、あなたがたは滅ぼされない。
 
書いてあるでしょう。偏った教え。人間の教えです。
神の教えを知らない、ガードしない。
それは、恥ずべき生き方になるとあります。

 

ヘブル13:8 イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも

変ることがない。

 

神が変化する!という思想、ダービー教の思想は、聖書とは辻褄が

合わないこと、神の教えに戻ればはっきり見えます。

聖書記者は、100%全て、モーセの五書=神の教えを指して、

モーセの五書、その解説の預言書や諸書を指して語っているのです。

勝手に自分の考えをずらずら書いているのではない!ということを

はっきり知ってください。

そして、マタイ以降には、キリスト教が言うような、神が神の教えを

終了し、別の教えが教えられている!そんなことは1つも書いてありません!そのようなことをする人、偽教師、偽預言者とあるでしょう。神が伝える偽教師、偽預言者の定義は、神のトラーに反する

異なる教えを施す人のことであると、聖書に書いてある事実にはっきり

目覚めて読めば良いのです。

 

イザヤ 40:8 草は枯れ、花はしぼむ。しかし、われわれの神の言葉はとこしえに変ることはない」。

1ペテロ1:24 「人はみな草のごとく、その栄華はみな草の花に似ている。草は枯れ、花は散る。

1:25 しかし、主の言葉は、とこしえに残る」。

これが、あなたがたに宣べ伝えられた御言葉である。

 

ペテロはイザヤの40:8を引用しているでしょう。

1ペテロ1:15−16は、レビ記11−27章を考えて、聖別された生き方をしてと言っているのです。

そのペテロが、使徒10章で食規定を破れ!と神から教えられたなどとは、あり得ません。そんなことを考える人は聖書に登場する人にはいません!

異教徒が考える思想です。自分よがりの聖別、自分空想の聖別は

神が伝える聖別とは違います。

 

1ペテロ1:15 むしろ、あなたがたを召して下さった聖なるかたにならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なる者となりなさい。

 1:16 聖書に、「わたしが聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者になるべきである」と書いてあるからである。

 

マタイ24:35 天地は滅びるであろう。

しかしわたしの言葉は滅びることがない。

 

イエシュアが言われた「わたしの言葉」とはイコール父の言葉=

トラー=モーセの五書=婚姻契約のことです。

それは滅びない!と言っているのに、イエシュアを信じる異邦人

クリスチャンはイエシュアの言葉に反して、廃れた!という偽情報

大矛盾、嘘を本当と信じさせられているのです。

 

ヤコブ 1:17 あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、上から、

光の父から下って来る。

父には、変化とか回転の影とかいうものはない。

 

神は変化しない!と言っているのに、ダービーやローマ帝国は、

変化した!怒りの神から恵みの神に変化したと神の言葉を、言い換え、塗り替え、偽情報、嘘を人に

吹聴し、浸透させました!

 

詩篇19:7 主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ、

主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。

 

完全である神の言葉を、どうして神は言い換える、否定する、終了させるのですか?全く辻褄合わない、矛盾だらけの人間の教えです。

 

詩篇89:34 わたしはわが契約を破ることなく、わがくちびるから出た言葉を変えることはない。

 

契約を破らない!人が契約を破るのです。異邦人クリスチャンの間に浸透した教えは、まさに神の契約を真っ向から破り続けるローマ帝国の思想を実践してしまっているのです。

そして、神が神の言葉を変えない!と言っているのに、クリスチャンが神が神の言葉を変えた!と、人間が神の言葉を塗り替えている

この大冒涜、神に対する罪に気がつけないのです。

神の教えを捨てる、イコール神が伝える罪の定義を根こそぎ捨てているのです。その行為こそが、死に匹敵する罪!とあるのに。

 

テトス1:2 偽りのない神が永遠の昔に約束された永遠のいのちの望みに基くのである。

 

神は偽らない!偽れない。神が永遠と言われたのに、後で嘘!

途中で変わると言いますか?それは、偽る神です。

聖書だけに戻るということの意味に気が付けば良いのです。

聖書に書いてない教えを、信じている、それが西洋宗教の教え

実践なのです。

 

ルカ16:17しかし、トラーの一画が落ちるよりは、天地の滅びる方が、もっとたやすい。
21:33 天地は滅びるであろう。
しかしわたしの言葉は決して滅びることがない。
 
イエシュアの言葉はどこから来ますか?トラーです。
神の言葉は廃らない!とイエシュアが言っているのに、イエシュアを
信じるクリスチャンが、神の言葉、教えは廃れた!という真逆を
言い続ける。自分が言っていることが聖書ではない!おかしいと気がつかないとなりません。
 

詩篇119:89 主よ、あなたのみ言葉は天においてとこしえに堅く定まり、

102:27 しかしあなたは変ることなく、あなたのよわいは終ることがありません。

 

硬く定まりとは、永遠のフィックスされ揺るがない、クムという言葉です。聖書を読んでいるのに、頭の中は、人間コンスタンチヌスや
ダービーが作った偽物の教えが占拠しているのです。
 

神は変わらない!とあるのに、神は七変化、時代ごとに変わる。

怒りの神から、恵みの神?いい加減空想話は捨てないとならない。

こんなことを、異邦人がするのは、結局パウロのような正しい教師

トラーを知る人に教えられず、トラーを知らないまま、西洋宗教の思想で、翻訳聖書を間違った読み方をしている人に学んだからです。

 

民数記 23:19 神は人のように偽ることはなく、また人の子のように

悔いることもない。言ったことで、行わないことがあろうか、

語ったことで、しとげないことがあろうか。

ヘブル6:18 それは、偽ることのあり得ない神に立てられた二つの不変の事がらによって、前におかれている望みを捕えようとして世をのがれてきたわたしたちが、力強い励ましを受けるためである。

 

偽らない神!嘘は言わない!永遠と言って、後から一時的だったと

言い換えない!と書いてあります。

言ったのに、やらない、取り消す神?それは、空想の神であり聖書に書いてあるイスラエルの神ではありません。人の思想、脳内ジーザス

神です。

 

詩篇 110:4 主は誓いを立てて、み心を変えられることはない、

「あなたはメルキゼデクの位にしたがってとこしえに祭司である」。

 

神は人間の祈りやゴリ押しで、神の考えを変えるようなお方では

ありません。人間が作り出した宗教で、いくら人がイスラエルの神が

言われたことを塗り替えても証拠があります!

神が発した言葉を、文字として証拠として、契約としてイスラエルを

代表として、神の民に与えたものがあるからです。

聖書を正しく学ばない!それが、問題の本当の原因です。

1世紀以降、ローマ帝国の弾圧、神のトラーを実践することを

重税、処刑、投獄を持って、ローマ帝国支配下の国々に生きる、

全ての人に強要したことをクリスチャンは、教えられていない、

知らないのです。

異邦人は、ユダヤ人とみなされることを恐れて、ユダヤ人との関わりを一切絶ったのです。

だから、異邦人はイエシュア、パウロ、預言者が教えた、ヘブライ聖書を知らないでしょう。聖書教師が、翻訳聖書しか知らない。

周りで、信じた最初から、ユダヤ人のようにヘブライ聖書に精通し

学び、イエシュアが教えた教え、トラーを教えられ、シャバットや

新月、過越や仮庵を教えられ祝ったクリスチャンなど一人もいないでしょう。

私の場合、ヘブライ聖書を教える教師など、アメリカにいてもいませんでした。

周りは誰一人として、イエシュアが教えた通りに教えず、代わりにローマ帝国が

作った宗教の教え、シンボル、実践、聖書にない記念日、日曜礼拝、クリスマス、イースターを祝う宗教文化を教えられました。

これ聖書ではありません!

アメリカでメガチャーチとして知られる有名なチャーチのパスターで

大変温厚な人格者でしたが、聖書通読をモットーとしながら、

ヘブライ聖書など全く知らない人でした。欽定版聖書が絶対と言っていた。英語翻訳聖書、キングジェイムス聖書。それは翻訳聖書でしょう。

だから、翻訳聖書だけ読んでも意味が分からないから、解説もできない。それが当たり前だったのです。

でも、それは神の意図とは違うのです。

人が知らなくてはならないのは、イエシュアが教えた通りのトラー

父の教え、聖書なのです。ヘブライ聖書に書かれた意味を、当時の人たちが理解していたように、別の言語で解説できる教えられる教師、

イエシュアが生きた通りを教え、神のモアデイム、シャバットや、

新月、過越、仮庵の意味を知り祝うことを教えられるそのような教師が必要なのです。

神の教えが廃れた!というのが偽情報であるとも気が付けない、

それでは正しい教師とは言えないのです。

そんな人は、誰一人聖書に記されていません。

西洋宗教の教え、神の教えを人が塗り替えた思想や教えなど

知る必要はないし、実践する意味もない、危険、知らない方が安全なのです。

聖書には、デイスペンセーション神学で神の教えを解説することなど

1つも書かれていません!ヘブライ聖書を、デイスペンセーション神学で解説するユダヤ人がいますが、それは聖書とずれています。

聖書は、神の言葉は、神の言葉で読む、紐解く、解説するのです。

神の伝えている真理、言葉こそを知ること!それが神のみこころだからです。神のモアデイムを祝うだけで、イエシュアが分かります。

クリスチャンには通じない内容ですが、その祭り、記念日の意味を知り、祝う人には通じるのです。

だから、トラーを知るユダヤ人がマタイ以降を読むだけで、そこに

書かれているのは、タナックのメシアである!と気が付くことができるのです。

でも、それを読まない理由は、異邦人が伝えた偽物の宗教の教えのせいなのです。ユダヤ人は、タナックに記されたメシアを知っていますが、それがあの2000年前に来られたメシアであるということに

気が付けない人がいるというだけです。

でも、今一世紀時代よりもっと多くのユダヤ人が、イエシュアに出会っている現象があるのです。

同時に、イエシュア=トラーであると聖書に書かれた事実を知らなかった異邦人も、イエシュアが教えられ、生きて、そして祝ったそれらを知って、神の言葉に戻る!ことを、多くの異邦人クリスチャンが

しているのです。これは神がされているからです。

終わりの時が来たからです。