申命記4:2 わたしがあなたがたに命じる言葉に付け加えてはならない。また減らしてはならない。わたしが命じるあなたがたの神、
主の命令を守ることのできるためである。
箴言30:5 神の言葉はみな真実である、神は彼に寄り頼む者の盾である。
30:6 その言葉に付け加えてはならない、彼があなたを責め、あなたを偽り者とされないためだ。
箴言の記者は、聖書を記した記者は100%全て、モーセの五書を
語っているのです。
神の言葉は全て真実!真実なものは、変化しません!
神の教えに付け加えるな!と神に言われているのに、カトリック
キリスト教、宗教の教えを作る人が、これに違反し続けているのです。
今も、神の教えに違反する、付け足し、差し引きを、聖書を教える人が率先してしているでしょう。イエシュアを信じているのに、
神の言葉を捨てることが、おかしいとさえ気がつけないのは、
神の言葉を廃れたと否定し、人間が作った教えの偽情報を信じ、
神の教えの方を捨て去っているからです。
マタイ15:5 それだのに、あなたがたは『だれでも父または母にむかって、あなたにさしあげるはずのこのものは供え物です、と言えば、
15:6 父または母を敬わなくてもよろしい』と言っている。
こうしてあなたがたは自分たちの言伝えによって、神の言を無にしている。
15:7 偽善者たちよ、イザヤがあなたがたについて、こういう適切な
預言をしている、
15:8 『この民は、口さきではわたしを敬うが、その心はわたしから
遠く離れている。
5:9 人間のいましめを教として教え、無意味にわたしを拝んでいる』」。
5:17 わたしがトラーや預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。
5:18 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、トラーの一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。
神を敬う、愛することはどうして証明されると神が言われていますか?神の教え=トラーを神が言われた通りに生きること!
それが生きることはキリスト。神を愛する人は、神の仰せを愛して
神が言われたトラーを生きる!と書いてあるのに、神を愛する人は
神の言葉を堂々と捨てて、それを恵の生き方である!などと
聖書を曲げた教えを信じて実行しているのです。
イエシュアは、トラー、預言書を引用して、人に話しているのです。
イザヤ29:13、エゼキエル33:31
イエシュアが語られた教えは、100%父の教え=モーセの五書のみです!モーセの五書を解説する、預言書、諸書を引用して父の教えを
解説しているのです。
ヨシュア1:7 ただ強く、また雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じたトラーをことごとく守って行い、これを離れて右にも左にも曲ってはならない。
それはすべてあなたが行くところで、勝利を得るためである。
コヘレト 12:13 事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、
神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である。
ガラテヤ 3:15 兄弟たちよ。世のならわしを例にとって言おう。
人間の遺言でさえ、いったん作成されたら、これを無効にしたり、
これに付け加えたりすることは、だれにもできない。
黙示録 22:18 この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、
わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。
22:19 また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる。
ローマ帝国支配の安定のための手段です。
ローマ帝国は、四世紀当時深刻な不安定に直面しており、共有され
統一された宗教を作ることで、新たな士気と社会、市民の結束をもたらす可能性があるとコンスタンティヌスは考えていました。
コンスタンティヌスは、安定した統一された帝国には統一された宗教グループが不可欠であると考えたからです。
民衆の支持と忠誠は、帝国支配には不可欠なものでした。
メシア信仰は、四世紀当時民衆に広く浸透し、司教と教会階層を通して強固な組織構造を有していました。
この中には、ユダヤ人がいないことを、知って下さい。
ユダヤ人は、神の教えを捨てる冒涜に耐えられず、世界へ散り、又は
密かに彼らは神の教え、トラーをガードして生きていたのです。
異邦人は、ローマ帝国勅令で、トラーを生きることを、死刑、処刑、重税、投獄を持って禁じられていたので、それに同調し、偽物の教え混ぜ物の教えに流されていった時代なのです。
神の教えが、異邦人西洋教父達により、まがいものの
宗教の教えに変身して行く過渡期だったのです。
神が神の教えを終了、変更したのではありません!ローマ帝国の仕業
異邦人が、神に対しての罪を犯したということを、はっきり歴史の
事実から認識してください。
西洋教父達、ヘブライ聖書を知らない、ユダヤ人と完全決裂した人々は、独自の思想、西洋哲学、ギリシャローマ哲学、異教の神々の思想を混ぜる教えを土台とした、聖書とはズレた思想を既に作り上げていったのです。
コンスタンティヌスは、異邦人の間にあった宗教、この影響力を利用して、自らの権威と帝国への忠誠心を高めることができました。
ローマ帝国は、数世紀にわたる激動の後、政治的正統性の新たな基盤が必要でした。
4世紀、コンスタンティヌスは自身の政治的成功を、キリスト教の神と結びつけて、宗教を政治的プロパガンダの道具として、そして自らの権威への服従を得るために利用しました。
ここで注意してください。イエシュアが伝えた教えは、キリスト教
カトリックという宗教ではありません!!!
創世記から同じ、古代から同じ、永遠から同じ、トラー、神の教えを
正しく解釈し、生きることを、手本を持って地上で示したのです。
トラー、預言書、諸書に記された神の教え、メシアが真実であり、
それが人の生きる本当の生き方であることを、教えに来られた。
そして、永遠の中に屠られた子羊の血の贖いの代価が真実であること
新しくされた命、永遠の命が真実であることを、地上で証明されたのです。
その時から、初めて聖霊が住まう、復活の命が与えられたのではないのです。
最初から、神が人の内側に住まうことを教えられたいたことは、
モーセの五書の中に詳しく記されているのです。
それを、学ばない、書かれている意味を知らない人には、理解ができないだけなのです。
ローマ帝国の内部紛争の終結。
西洋宗教、人造宗教、キリスト教内部の神学上の論争は深刻な内部紛争を引き起こし、帝国の安定を脅かしていました。
325年、ニカイア公会議を招集することで、コンスタンティヌスはこれらの神学上の論争を解決し、統一された教義を確立しました。
この会議の中には、ヘブライ聖書を知る、イエシュアが教えた教え、モアデイムを知り、生きるユダヤ人は一人もいません!
異邦人による、異邦人のための、混ぜ物宗教をこの会議で作ったのです。
そして、それを施行することで、宗教的、ひいては政治的統一を
確保しました。
ここが注目点なのです。既に、1世紀から、ローマ帝国下では、
神の教え、イエシュアが教えられたトラーを実践することを、
複数のローマ皇帝達により、処刑、重税、投獄、勅令により禁じられていたことを、知って下さい。
だから、神の教えを、イエシュアが教えられた通りに生きていた
主にユダヤ人ですが、何百万という人々が迫害され、処刑されたのです。異邦人は、トラーを生きて、ユダヤ人と同じとみなされないために、やがて二世紀以降は、ユダヤ人の群れと完全決裂し、ヘブライ
聖書を知らない異教徒上りの西洋教父達に聖書とは違う思想を教えられ、独自で聖書を持たない人たちは、西洋教父達が教える教えが
聖書と教え込まれてしまったのです。
しかし、ローマ帝国下にない国々に住む異邦人は、五世紀以降迄、
イエシュアが教えられた通り、トラーを生きて、神のモアデイムを
祝っていたのです。
トラー=イエシュアが教えたトラーをガードして生きた異邦人の中にも、残りの民を神は確保しておられます。どの時代も。
十六世紀の宗教改革で、このまがいものの宗教、ローマ教の教え
司教達が編み出した思想が聖書とは異なる!とルターが99の質問状を書いた事件があったでしょう。
変えられた神の教えや記念日、それらは、聖書の教えとは違うから、それは聖書ではない!と主張した異邦人達がいたのです。
神の記念日を捨て、代わりに太陽神の休日=日曜礼拝などに変えたのを聖書の通りに戻そう!と主張した人たちがいたのです。
混ぜ物宗教、それが人造宗教、ローマ教だからです。
でも、それらの主張は却下され、今日に至るまで、宗教改革後も
人間が作った宗教の教え、神の教えを終わりとし、聖書にない異教の
神々の祭りを作り変えた、日曜礼拝、クリスマス、イースターを聖書に書いてもないものを、何の疑いもなく実践し続けているのです。
ルターでさえ、大元の神の言葉に戻るクリアー、クリーンな軌道修正、悔い改めはなかったのです。しかも、ルターは最後には、反キリストの手先になり、神のトラーを潰し、ユダヤ人殲滅思想を書に記して、ルターが書いたユダヤ人殲滅方法の全てを、ヒットラーが実践してしまったのです。