伝統で語り継がれた偽情報の嘘が神の言葉により暴かれる | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

仮庵の祭りは、7日間、そして最後の日、単独で第8日目と言う

記念日があるのです。

祭りの最初の日と、最後の日は、曜日に関わらず、シャバットと同じように止まり、祝い、閉じると言うのが、創造主が創造された祭りの祝い方である、神ご自身の口から語られています。

これは、未来、再臨後、イエシュアが世界をエルサレムから

統治される時代を迎えても、永遠に変わらない、神の祭りの

日程、祝い方なのです。

2025年は、10月6日、月曜日の日没から仮庵の祭りが始まり、10月13日、月曜日の日没で終わります。

 

春の祭り、1)過越も7日間であり、最初の日と最後の日が

ミクラコデッシュ=聖会、シャバットと同じように止まり祝うと

神が言われました。

過越から7週後の2)シャヴオートの祭りは1日だけの祭りですから、その日も、曜日に関わらずシャバットとして祝うのです。

 

そして、1年の最後の祭りは、3)秋の祭りの仮庵の祭りです。

7日間、仮庵で祝い、そして、最初の日と、最後の日をミクラコデッシュ、聖会、シャバットとして祝うと神が言われました。

神が言われたら、人がなんと説明を塗り替えても、人の説明は

神の前に何も意味がありません。

神が言われる事を聞く人に、神は神が伝える真実をあかし、

教え続けてくださるのです。

異邦人は、信じた最初から、神の教えではなく、ローマ帝国が作り替えた人造宗教の教え、伝統、慣し、儀式、記念日にすり替えられたコピー品、偽造を教えられてしまい、聖書に記された

生粋の神の言葉、教え、記念日を教えられてもいないままなのです。事実に目を向ける必要があります。神は、人間が人間の意見で勝手に神の教え、記念日を変えて良い!などと一言も言ってないどころか、そのような行為を厳重警告、命に匹敵する罪!

と言い続けているでしょう。黙示録の最後までそう書いてあるのに、書かれている意味が読み取れないままいるのです。

 

申命記4:2 わたしがあなたがたに命じる言葉に付け加えてはならない。また減らしてはならない。わたしが命じるあなたがたの神、主の命令を守ることのできるためである。

 

マタイ 5:19 それだから、これら=トラーの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。

 

黙示録22:18 この書=神のトラーの預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。もしこれ=神の言葉に書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。

22:19 また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、

神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる。

 

レビ記 23:33 主はまたモーセに言われた、

23:34 「イスラエルの人々に言いなさい、『その七月の十五日は仮庵の祭である。七日の間、主の前にそれを守らなければならない。

23:35 初めの日に聖会を開かなければならない。

どのような労働もしてはならない。

 

レビ記23 章は、神の創造された神の子らのために設けた

神が呼び出しているアポイントメントの日、定めの日、モアデイムの全てが書かれています。

これが、イエシュアの業を網羅している預言的祭りであり、

人の生きる、命のサイクル、地上での人生のサイクル、人類歴史のサイクル全てを表しているものでもあるのです。

 

どう言う意味か、神のモアデイムを知り、生きる人には、聖書が

創世記から黙示録までぴったり1つ、同じことを一貫して教え

続けていることが、クリアーに見えます。

神が創造された世界は、人の為に造られました。

人は、神との関係の中を生きるように造られました。

神が創造された人は、神の似姿に造られたとあります。

詰まり、神の言葉で造られている、そのDNAは神の言葉の真理

そのものです。

だから、神が伝える通りを生きるのが、人の本来の生き方、神のデザイン通りです。

それに反する生き方は、人に、害、破壊、傷、崩壊、神との関係の隔たり、人と人との関係の破壊、隔たり、歪みそれらを編み出すものであるから、NO と神が言われる、シンプルな事実なのです。

パソコンやスマホに水をかけたら、壊れるでしょう。

そのようなことをするように、パソコンは作られていないからです。自動車にガソリンではなく、水を入れたら走らない。

同性同士で婚姻しても、次世代に繋ぐ命は生まれない、

そのような行為は、神の前に死に匹敵する、神のデザインを

完全に歪め、曲げる罪である!

神が人に教える、人の生き方は、普通に理解できる事なのです。

 

エデンの園の最初から分かる通り、バベルの塔でも分かる通り、人は、人間の考えで頂点、権威を神から奪い、そして世界を

統一しようとしてきたのです。だから、帝国が起こり、衰退し

それを繰り返していますが、人間が支配するグローバリズムは、永遠には続かないのです。衰退、崩壊する!

悪を持って身を固く立てられないと、神が言われる事が真実だから。やがて崩壊するのです。

 

春の祭りも収穫祭です。過越は、大麦。シャヴオートは小麦、

そして、秋の祭りは、1年の全ての収穫が集められる収穫祭です。

これを通しても、神が教えている事が見えるでしょう。

エデンから出て、エデンに戻る!

神から切り離された人が、神の方で人の所に来てくださり、

近寄り救出し神のものとして娶り、神の家の花嫁とされた。

大麦の初穂、過越の祭りの7日間の3日目に、初穂の祭りがあるのです。

この日、イエシュアが復活された日です。この祭りの日は、

異教女神の名で呼ばれるイースターなど、聖書には書いてありません。神が創造されたのは、「初穂の祭り」イエシュアの

命に連なる事を最初から教えているのです。

そして、その初穂に連なった人、種無しパン、マッツア=罪が

削ぎ落とされた人にされた人が、成長する7週間があるのです。

婚姻契約をシナイ山で受け取る祭り、シャヴオートがそれです。

正式に神から文字で記された婚姻契約書を受け取ったのが

シャヴオートの祭りです。シナイ山の麓には、異邦人も、イスラエルと共に一緒に居たのです。この日は、小麦の収穫祭です。

見えますか?永遠の中に既に屠られている子羊は、過越の夜

出エジプトした時、戸口に子羊の血を塗り、その家は死が通りすぎ初子が死なかった。

子羊を家の前に持ってくると言うだけで、エジプトではおぞましい行為!とされたのです。でも、モーセを通して神の仰せを聞いたイスラエルと、少数の異邦人、エジプト人も、同じように

子羊の血を戸口に塗った人の家は、死が通り過ぎて、覆われたのです。子羊の血により、命が救われた事を、最初から教えているのです。

子羊の血、イコール、過越の子羊です。永遠の中に屠られている

イエシュアの購いの血の代価があるからです。

見えにめえないものが、地上で目に見える形で表された、

それが過越の子羊の血であり、イエシュアが地上で証明された、天の中に既にある、子羊の血の贖いが事実であることを、全世界へ証明されたのが、過越の祭りでされた処刑、初穂の日の復活の

出来事なのです。

そして、種無しパンは、種無し=罪が削ぎ落とされた事を教えているものです。マッツア=要らないものが削ぎ落とされている!

小麦と、水だけ!最初から、新しくされている人の事実を、神は人に教えられ、それを受け取り、信仰により信じた人には、聖霊が内側に住み、神のものとされた!と聖書に書いてあるのです。

 

神が語った言葉で分かるでしょう。エデンの最初から、同じ。

神ご自身が屠った動物の毛皮を、アダムとハヴァに着せた。

義の衣を着せたのは、神です。アダムとハヴァは、神の前に罪を

告白して、自分たちが何をしたのか、神が見る通り一緒に復唱

させられたからです。

告白と訳されている言葉は、「(神と)同じ事を見て、言う」と

いう意味です。ホモロゲオとギリシャ語で書かれていますが、

神の目から見た通りを、一緒に見て、それを自分の口で復唱するから、告白と言うのです。自分の考え、勝手な事を言ったのではない。自分が犯した罪を、そっくりそのまま腹の中の思いまで、神の前にさらけ出し、罪許され、義の衣を着せられたのです。

全部繋がり、同じ事を最初から教えられていることに、気がつくでしょう。聖書を書いてある通りに、把握すれば見えます。

 

そして、エデンの園を出ても、神が共についてきたことが書いてあります。神と会話し、対話し生きていた家族。

エデンの園、エゼキエルの幻にある通り、神の家、神殿から、

水が流れ出している。それは、エデンから世界の四隅へ流れ出る

生ける水=イエシュアのことを表しているものなのです。

人がどこに行っても、神が共に居られて、付いてくるからです。

神の方から、人に近づいてアプローチし、救い出すからです。

 

そして、婚姻契約を与えられた人は、神の言葉を聞いて、

子羊の血の贖いを受け取った人なのです。

義とされた人です。義とされるために、神の婚姻契約=トラーが

与えられたのではない!と言う事実をはっきり把握してください。

神がトラーを神の聖なる民に与えた意図に対して、全く違う、

ずれた考えをしているのです。

神の家に嫁いだ。ロイヤルファミリー、聖なる民とされた人は

今まで聞いたこともない、知らない、ロイヤルファミリーの

メンバーの生き方を、王から1つ1つ全てを教えられる!

分かりませんか?異教神の教えにまみれて、先祖代々生きていた

そこから、いきなりイスラエルの神のものとなった。

聞いたこともない、異物の生き方に聞こえるけれど、それが

神が教える、神が創造された神の似姿の人の生き方なのです。

イスラエルも、アヴラハムの子孫、ヤコブの子孫がエジプトに

430年も住まい、アヴラハムが聞いて生きて教えた、トラーから離れた生き方をしていたのです。

430年ですよ。エジプト、太陽神、ラーの文化、異教まみれの

教えに生きて、本物の神、イスラエルの神に仕えることが出来なくなった状態、奴隷から神が贖い出したのが、出エジプトの

一連の出来事です。これは、全人類もれなく同じです。

エデンから出て、偽物の神々の支配する世界の中に、閉じ込められてしまったからです。

神の教えを捨てると言う行為は、夫に対する裏切り!と書いてあります。しかも、神の教えを捨てて生きるとは、愚かな行為、

生き方なのです。

シャヴオートで婚姻契約を受け取った人は、異邦人含め、意味が

よく分からなくても、「主が言われた通りを生きます!」と

神の前で皆が宣言したのです。

でも、地上の旅路で、最初から神は、彼らが神の教え、婚姻契約に反する生き方をする、異教の神々の儀式、記念日、伝統、

慣し、教えに交わり、それに染まること、ずれた路線を行くことを、最初から預言しているでしょう。

これは、異邦人に対しても、全く同じことなのです!

神の教えからそれてなどいない!と、本気で信じているなら、

では、聖書に戻り、神の言われることを、書いてある通りに

把握し直す必要があります。神の教えは廃れた!その大嘘を

土台とする信仰は、砂の上に建てた家の警告そのもの!

異教神まみれの教えに染まって、神の教えを捨てている行為!

ずれている、罪!といち早く気がつく必要があるほど、危険な

ことだからです。

何も感じない。すぐに死なない。でも腐敗、隔たりは確実に

広がり続けていく。神と遠い隔たりが出来るのです。

本来の生き方、本物自分の生き方ではない、神が創造された

デザインの生き方からずれているからです。

申命記の最後を今読んでいる時期なのですが、そこには、未来

イスラエルが神の婚姻契約を破る時に課せられる、結末が既に

語られているのです。

異邦人も同じであることに、気がつかないとなりません。

イスラエルには罪でも、異邦人には罪とならないと言うのは

ありません。

でも、祭りやシャバットでも分かるように、異邦人はイスラエルに住んでいません。イスラエルに住んでいる人のように、国全体がシャバット、祭りで止まる、休みになりません。

だから、神はその点、ご存知なのです。

でも、シャバットや祭りの初日に休みではなくても、二十四時間

労働しているのではない、その日の中で、必ず時間を取り分けて

神のモアデイムを祝うことはできるでしょう。

今年の仮庵の祭りの終わりの日は、日曜日日没に始まるのです。その日は多くの人が休みでしょう。

 

続く