神の言われる永遠の真実 言葉だけに戻ろう | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

ヨハネ14:1 「あなたがたは、心を騒がせないがよい。

神を信じ、またわたしを信じなさい。

14:2 わたしの父の家には、すまいがたくさんある。

もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。

あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。

14:3 そして、行って、場所の用意ができたならば、

またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。

わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。

 

古代ヘブライの世界の婚姻、結婚のプロセスが分かれば、

イエシュアが話していることが分かります。

実際に婚姻する迄の期間は、一年と長い間があったのです。

婚約、イコール、婚姻したのと同じステータスです。

これ、私達の地上の人生と同じです。神のものとなった。

そして、花婿は、花嫁がどんなに遠くに住んでいても、迎えに

行くのです。花婿が迎えに来る。だから、イエシュアが戸の外に立って戸を叩くと言われたのです。

誰でも、イエシュアの声を聞いた人、イエシュアを受けいれた人、その人は神のものとなり、神と特別な関係に入った祝宴を

する。

その人達は、この地上の旅路で、神に教えられたこと=トラーを生きて安全に守られ、神の国、約束の地に入ることを、成長しながら準備するのです。

それが、神のモアデイム全体を通して教えらているのです。

 

春の祭りは、救い、購い、新しくされ、そして花嫁になった人が

神の教え=婚姻契約を与えられたのです。

これが全て、神の祭り、記念日で教えられているのです。

 

1)過越 子羊の血の購いで救い出された

2)種無しパンの7日間 マッツア 罪が削ぎ落とされた

3)初穂の祝い日 イエシュアの復活の命、初穂に連なる人にされた過越から7週間、穂を数える週、7回のシャバットを経て

4)シャヴオートの祭り 正式に神ご自身が記した婚姻契約=

神の家の家訓、花嫁が生きる全てが記されているトラー=モーセの五書=神の教えが与えられた 

 

この春の4つのモアデイムは、永遠の中に完了した神の業が、

地上で実際に実現され、イエシュアにより証明されました。

 

秋の祭りは、3つ。全部で、7つ。

神のプラン通りの、完了、修復の業を教えているのです。

 

1)角笛を吹く日 王の到来を告げる準備、目覚ましコール

この日から10日間、神の子ら全員で軌道修正 悔い改め

一年を振り返り、神の教えとずれた生き方を探り、2度とずれた

生き方をしない決意を次の年に向けてするのです。

 

2)大贖罪日 これは最も聖なる日と呼ばれる日です。

この日、軌道修正の集大成。そして、この日に実際にエルサレムの神殿を通してされたことは、全てイエシュアの業を網羅して

教えているのです。

 

3)その日から、5日後が、仮庵の祭りの7日間です。

春の祭り、イエシュアの最初の到来。秋の祭り、再臨を教えている預言的祭りであり、これを実際に祝い、再臨を準備して!

と神が教えているのに、クリスチャンの間では聖書を教えらて

おらず、神の記念日を全く実践しないまま、ローマ帝国皇帝の

教えに忠実に生きるよう、ずれたことを教えられてしまったのです。それが、コピー品、人造偽造の教えなのです。

 

都上りの祭りを見ても、それでイエシュアの業を網羅しているのが分かります。

 

1)過越 イエシュアと出会い神のものとなった

2)シャヴート 花嫁となった人が、神の家の家訓を与えられて生きる人生の旅路がスタートした。

3)仮庵 イエシュアが戻られて、永遠にイエシュアの中に住う

時代に入る。

 

神は、神の教え、記念日を人間が作り替え、塗り替え、別物に

変えることを、厳重警告しています!

神の教えを汚し、シャバット、祭りを汚す行為、

「わたしの聖別を汚した!」と言っているのがそれです。

神が創造された、神がご自身が神である証明であるものを

人間が変え続けている!そんな行為を、神は永遠に許して放置しない!と言っていること、その警告、自分にも言われていると

通じないのは、人間の教えに聞き入り、神の教え=罪の定義を

捨てているから、神の言われることなど通じなくなっているのです。

クリスチャンは、神が神の教えを捨てよ!と教えた、神の記念日も捨てよ!と教えたという、ローマ帝国の大嘘を聖書と信じているから、今はなんでもあり!違う教えが聖書に書いてある!と

書かれていもいない、空想を本当だと信じているのです。

自分の目で聖書を読んで、確かめれば良いのです。

神が神の教えを記念日を破棄し、ローマ帝国皇帝が作った教え、トラーを破棄せよ!神の記念日を祝うな!ユダヤ的なこと=トラーは生きるな!ということは、聖書には、1つも、どこにも記されていません。

再臨は、イエシュアが言われた通り、最後に神の名=神の実態は1つ、異邦人が語るような、変身する神、変化する神の教えを

伝える神ではないことが、全世界の人に認識され、そして

世界は1つとなる。天と地が1つになる。

神のトラーでイエシュアがエルサレムから統治される時代が来る。それが仮庵の祭りの第8日目の祭りで表されているのです。

2年前のこの祝い日、ちょうどその日週一度のシャバットの日と

重なった日に、多くの人が殺害され、人質にとられてしまったのです。

 

春の祭りは、イエシュアの最初の到来で、実際に地上で証明され

ました。タナックが語る、永遠の中に屠られた子羊、トラーの

中でずっと教えられて来たことが、事実であることを、生ける

トラーであるメシア、イエシュアにより証明されたのが

最初のイエシュアの地上の到来です。

人の罪を負って、罪なきイエシュアが罪という名を着せられて

苦悩するしもべとして、最初到来した、それが、春の過越の祭りです。

人類は、ユダヤ人ではなくても、神がイスラエルが辿った歴史の

史実、神が選び出したイスラエルに起きた出来事を通して、

全ての神の子らに同じことを教えているのです。

 

一人の人、アダムから全ての人に罪が入り、エデンの園、神の中

から飛び出て、神と隔たりのある場所に閉じ込められ、偽物の

主人、王、神の奴隷となってしまった。

それは、全ての人に同じ事実でしょう。

それが、イスラエルを通して起きたことで、聖書には書いてあるのです。イスラエル、異邦人、同じ人間であり、人種別などでは

ありません。

異邦人ルツと同じように、あなたの神がイスラエルの神であると信じているならば、イスラエルと同じように、子羊の血で贖われ、永遠の中から選び取られ、そして神のものとなったら、

同じイスラエルの神の家のメンバーとして、同じイスラエルの神の大家族、神の家の家訓を生きる!と神が教えている、永遠の

事実を知ってください。

私たちは、ローマ帝国、西洋人が作った教えを生きるように

神に教えられてなどいません!それをするな!混ぜるな!

姦淫の罪をするな!生ぬるい=神の教えに、偽物の教えを混ぜるなら、吐き出そう!と警告されているでしょう。

 

出エジプト6:2 神はモーセに言われた、「わたしは主である。

6:3 わたしはアブラハム、イサク、ヤコブには全能の神として

現れたが、主という名では、自分を彼らに知らせなかった。

6:4 わたしはまたカナンの地、すなわち彼らが寄留したその

寄留の地を、彼らに与えるという契約を彼らと立てた。

6:5 わたしはまた、エジプトびとが奴隷としているイスラエルの人々のうめきを聞いて、わたしの契約を思い出した。

6:6 それゆえ、イスラエルの人々に言いなさい、『わたしは主である。わたしはあなたがたをエジプトびとの労役の下から導き出し、奴隷の務から救い、また伸べた腕と大いなるさばきをもって、あなたがたをあがなうであろう。

6:7 わたしはあなたがたを取ってわたしの民とし、わたしはあなたがたの神となる。わたしがエジプトびとの労役の下からあなたがたを導き出すあなたがたの神、主であることを、あなたがたは知るであろう。

 

この箇所、過越の祭りの時に、皆でこの事実を振り返るのです。

イエシュアが、最後の晩餐でされた、マッツア=種無しパンと

食後の杯、4つの杯の3番目の杯、購いの杯と呼ばれるもの、

神がされた業を皆で回想し、考えることをする儀式をイエシュアがしていたと知ってください。

本当のことを知る、神の祭りを知ると、イエシュアが何をされたのか、はっきり知ることができます。

過越の祭りの晩餐で、ここを読み、イエシュアが食後にする

購いの杯と、マッツア=種無しパンを取って、弟子達に、シナイ山で与えた同じ婚姻契約、エレミヤ31:31にある同じ契約

を弟子達の前で、この過越の晩餐の儀式の中で、再更新されたのです。

神の祭りの意味を知り、実際に祝う人は、イエシュアがされた

意味が深く見えて来ます。

この7節に、「取る」という言葉があります。

これは、妻を娶るという言葉と同じヘブライ語なのです。

神は、人との関係を、神が与えて提示したこの婚姻契約を土台に

結んでいる!という永遠の事実を知ってください。

それを、クリスチャンが無視しているだけで、それは存在し

神との親しい関係に留まる秘訣は、神が言われた通りを生きる

以外にない!ということを、教えられていないのです。

別の旦那の教え=ローマ帝国教は、熱心に聞き入れても、

神の言葉、教え、記念日を、律法だ!捨てよ!悪い!古い!と

言っていることが、どんなに神の教えからズレた思考回路なのか、神の教えを正しく知る人には、クリアーに見えて来ます。

人間の教えが、神の教えを遮り、人に神が伝える永遠の真実を

知る妨害をし続けていることを、知ってください。エデンの園の蛇の騙しと全く同じ性質の妨害です。

 

出エジプト19:4 『あなたがたは、わたしがエジプトびとにした事と、あなたがたを鷲の翼に載せてわたしの所にこさせたことを

見た。

19:5 それで、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となるであろう。

全地はわたしの所有だからである。

 

もし〜という条件付きであることを、知ってください。

神の教え、神が伝える人の生き方を、神が言われる通りに知りたい!生きる!もし、神の言われることに、その人が聞いて生きることを選ぶならばという条件付きです。

神を愛する人は、神が言われることを100%受け取り、

それを喜び、生きる!これが本来の生き方なのです。

その場合、その人は、「わたしの宝」となるとあります。

この宝とは、セグラという言葉であり、王が戦利品で獲得した物の中、全ての宝で最も高価なものであり、王が常に肌身離さず

懐の中に入れて、最も大事にしている宝なのです。

この言葉が表すことは、神の仰せ、神の性質に造られた人の

性質通り、トラーに記された通りを喜び、生きることをする人

その人は、イエシュアの姿そのものをそっくり反映して生きる

だから、神がデザインした関係、一番親しい関係、神の一番

親しい場所、神の家のお茶の間、祭壇の前で、顔と顔を合わせて

なんでも会話できるその近さの関係になる!と教えているのです。

逆は、どうですか?神の言われることを無視して、それぞれが

決める、考える、好き勝手なことを自由に生きるなら、神の最も大事な宝ではなくなる。

これ、イエシュアも言われた通りと同じです。マタイ5で、神のトラーをないがしろにし、生きないで、人にも神の言葉を捨てるように教える人は、神の国で最も小さい=価値ないもの、宝ではなくなり、蚊帳の外、神と遠く距離、隔たりのある羽よりも軽い意味ない存在になる!と言ったのがそれです。

 

マタイ5:19 それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も

小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これ=神のトラー
教えをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。
これらとは、トラー=父の教え=モーセの五書に記された婚姻契約を生きる教えのことです。
当然、イエシュアはトラーを考えて、話している、セグラでは
ない、宝ではない、最も無価値な存在になります!と言っているのです。
人間関係でも分かりませんか?誰かの言われたことを無視する
軽くあしらい、まともに受けない、そして相手に頼まれたことを、やらない。
それが、上司であれ、夫婦間であれ、相手の言うことを、
ちゃんと聞きもせず、相手の言われたことを捨てて蔑ろにする、
その態度、行為、相手に対して、尊敬も、尊重もなければ、
馬鹿にした態度でしょう。
そこからは、深い信頼関係も、親密な関係も生まれません!
そういうことを、知らない間に神に対してさせられているのです。神の教えを捨てること、神の教えが廃れたという大嘘、
偽情報、神を嘘つき呼ばわりすること、それらは、人の教えで
あり、神の教えではないと気がつければ、そんなことは2度としませんし、言えなくなります。
それらは神の前に、神に対する大冒涜、罪だからです。