神の教えている聖別された生き方 きよいもの 清くないもの  | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

レビ記11:46 これは獣と鳥と、水の中に動くすべての生き物と、地に這うすべてのものに関するおきてであって、

11:47 汚れたものと清いもの、食べられる生き物と、食べられない生き物とを区別するものである。

 

人は、創造主であるお方に教えられなければ、何も分からない

ままになります。

区別する、汚れたものと、きよいもの、食べられる生き物と

食べられないものを区別するため!と神が言っているのに、

食べられない動物の区別の仕方を、神が人に教えているのに、

その教えを人が捨てているから、野生のまま、神の前におぞましい悪食、聖別を汚す行為、罪を犯していても、全く無感覚でいられるのです。

使徒15章に記された、イエシュアを信じた異邦人と同じことをしているのです。神の教え=トラーを知らないからです。

しかも、食べることは毎日やることです!聖別を教えることを、神は「食べること」を通しても、教えていることに気がついてください。エデンの園の最初と同じ!

日々する行為、生きること、命を繋ぐ行為。それは神が言われたことを、神が言われた通りにすること!

エデンの園から全く同じ、神の教えなのに、それが読み取れないままなのです。

これはあなたの食べ物ではない!と、唯一知識の木を指して

教えた神の教えを人が退けたのです。

今も、神の教えを退けること=同じことをしているのです。

神が教える教えを、人が退ける。神を尊重、重要視しない態度にに確実につながっています。その代わりに人間主体!自分の考えが中心になっているのです。シャバット、神が神である宣言、

神の言われることを、人が神の言われる通りに生きると言う、

基本中の基本をなし崩しにする生き方、それが聖別を汚す生き方食べること、神のモアデイムをガードすることで教えているのに、その重要な教えを、人が全部捨ててしまいました。

 

レビ記には、人が食べてはいけない動物、食べてはならない

食べ方、血を飲んではならない、死んだ動物を食べてはならないと教えています。

神が創造された人が、どんな動物を食せないのか、はっきり教えられるのは、創造主だけです。

神が全てのものを創造されたのです。だから、神の言われることを、人が無視する行為、イコール愚かな行為であり、特に神に

属する人がそんなことをする、罪そのもの!と理解していないとならないのです。神のデザインとは違うことをする、ズレ=罪=的外れと教えているのです。

人が食する目的で創造されていない動物〜人間の食べ物ではない!シンプルでしょう?何がそんなに難しいのでしょう?

自分に都合が悪い教えだから、廃れた人を縛る律法と思うのです。血がしたたったステーキも人には毒なのです。

血を食する人は、肝炎になるでしょう。

汚れた動物、神が禁じる魚介類を食して、肝炎、ノロウイルスになる。臓器を痛め、健康を害する。

神の教えは全て、神が創造された人の生き方を教えている、

神が全てのもの創造されたからです。そして、それを知らない人が危険にさらされ、神の創造された意図通りには生きれなくなり

安全ではなくなるのです。

しかも、食べるとは命を繋ぐ基本であり、生きるとは、神の口から出る1つ1つの言葉=命のパン=トラーを食べて生きる!

それと繋がっているのです。神が言われたこととは違うことをする、それは物理的でも、霊的でも一体です。

両方、人を破壊する危ない行為、生き方だからです。

疫病は、清くない動物を食したことから、発生し、環境汚染をし

水を、空気を汚染し、それが又人に戻ってくる。

 

クリスチャンが、神の教えを律法、古い廃れた教え!と言っているのは、あれと同じです。

食べたことのない食べ物を、空想で、想像で言い表しているだけ。トラーを知らないまま、どうして神が伝えた麗しい生き方を理解できるのでしょうか?ということです。

知らないから、神の教えに対して、律法と言い、神の教えに対して、敵対心満載の主張をし続けているのです。偽情報を信じ込まされて、騙されていることに、全く気がついてない。

異邦人の世界に浸透した教えは、純粋な神の教えではない、

ローマ帝国コンスタンチヌス教であることを、はっきりと

歴史の史実から、神の言葉から知った方が良いです。

 

イスラエルが神の国、イスラエルから追放されたのは、

神の教え=婚姻契約=トラーを捨てて、別物、混ぜ物の教えを

代わりに生きたからです。トラー=イエシュアだからです。

 

神の教えを捨てる場合、神の教え、警告は人ごとに聞こえるでしょう。分には関係ない教えさ!古くて終了した教えだ!

ユダヤ人だけやってれば良い教えだ!これら全部、聖書とは異なる偽情報であることを、知らないまま、偽情報に騙されて、

神の教えを捨てていると言う大冒涜を、イエシュアを信じる人がしているのに、全く気がついていません。蛇は巧みです。

人が分かるように騙さない。

本当のように聞こえて、嘘を刷り込み、教えているのです。

エデンの園の手口と同じ。神の言葉を疑わせる、嘘の中に

真実の片鱗を混ぜて、騙すのです。

そして、神を信じる人が、神に敵対する行為を、分からないまま

サタンはやらせ続ける!その嘘が分った人は、神に対する冒涜、神の言葉教えを捨て、神のモアデイムを捨て、代わりに偽物=

コンスタンチヌスの作った紛い物混ぜ物宗教の教えの方を捨てるのです。

神の教えを捨てる人、神の教えは終了、廃れたと信じる場合、

神の言葉は、その人には神が言われている通りには、届かなくなります。

人間の教えに変換して、そして神の言葉を退ける、神と隔たりが

出来る、エデンの内側の外側に飛び出した状態になります。

神の教えとは別のチャンネル登録をして、神の声の下、神の声の中で、神の声をそっくりその通りに聞く!ということから、完全にズレて、雑音混じりの、神の教えを否定した、人間の宗教の教えを、聖書を利用して解説しているものを聞いているのです。

真理の片鱗はあるけれど、土台が偽物=砂=神の教えは廃れた!

というローマ帝国の勅令が信仰の土台!

以下の警告は、異邦人へ全く同じ警告であるのに、全然響かないでしょう。ユダヤ人だけの教えなどと言う、ローマ教の教え=

神の教えを否定した人造宗教=偽情報を信じているから

神の警告、高き所の礼拝、姦淫の罪、666、反キリストの

正体が分からないままになるのです。

サタンとは、神に敵対するものという意味です。

サタンは、神の教え、トラーに敵対する!エデンの園から同じ。

 

エゼキエル22:8 あなたはわたしの聖なるものを卑しめ、

わたしの安息日を汚した。
<これを読んで、安息日=日曜礼拝しているから、神の安息日を
汚してなどいない!と思うでしょう?
神が人をいつ神の聖なるアポイントメントの日に呼び出しているのか、それを人間が勝手に別の日にすり替えている、その行為
こそが、神のシャバットを汚している行為なのです。
日曜日に集まることが、神を汚すことではありません。
1)神が創造されたシャバットを無視、捨てる行為!
2)日曜日を、安息日と人が言い換える、作り替える行為!
これが神の前には、ズレ、罪なのです。
日曜、月曜、何曜日でも、他の目的で人と会える、集まれる
活動できる。でもその日は、神の創造された聖別された日
ではないから、シャバット本来の目的は達成などできません!
神が人を呼び出している日ではない!労働日!活動日!普通の日!その日は、ローマ帝国では、皇帝が決めたローマ帝国皇帝の日、ミトラ神=不屈の太陽神の記念日です。コンスタンチヌスが
勝手に決めた祝日=太陽の日、サンデー =日曜日であり、神が
聖別し、祝福された日ではない、普通の日だからです。
日曜日が、聖日、主の日、神の安息日などと、人が神の宣言をさえぎって偽証してはならない。
永遠不変のわたしの記念日と言われた神を、嘘つき呼ばわりしてはならない!
エゼキエル22:15 わたしはあなたを、もろもろの国民のうちに
散らし、国々の間にまき、そしてあなたから汚れを除く。
 
<汚れとは何ですか?この言葉は、タメーという訳しにくい
言葉です。詰まり、神と顔と顔を合わせて会見する、関係を持つ
状態ではない状態、汚れている、それは神の伝えたことではない
汚れた、ズレた、神の教えから外れた生き方をしているから!
その状態では、神の家の一番親しい関係を育むお茶の間に上がれない状態ということです。だから、そのような状態では、神と
神が本来与えた親密な関係には留まれないのです。
隔たりが出来る。神は汚れを受け入れないからです。
汚れ、神が禁じることをする、汚れた動物を食し、神のシャバットを汚し、神が伝える通りを生きない!それら全て、神の前に
汚れなのです。でも、神の教えを知らない人、捨てている人、
神の教えは自分には関係ない!と信じている人には、全く通じない神の教えなのです。>
 
 22:26 その祭司たちはわがトラーを犯し、聖なる物を汚した。
彼らは聖なる物と汚れた物とを区別せず、清くない物と清い物の違いを教えず、わが安息日を無視し、こうしてわたしは彼らの間に汚されている。
エゼキエルは、トラー=モーセの五書に記された神の教えを
語っていることに、気がついてください。
預言者が書いた預言書のテーマは全て、神の教え=トラーに戻れ!という警告なのです。
ここでは、汚れたもの、きよいもの、レビ記11章に記された、神がきよい動物と、きよくない動物を区別することを教えたものを、トラーを教えるはずの祭司が教えていない!
レビ記23 章にある、神の聖なる会見、モアデイムのことを
話しているのです。
汚れたものを体に取り込み、神との正常な関係には留まれない。
神のシャバットを汚している!これ、ずっとやっていますよね。
神の教えを知らない人、生きない人には、神の教えは通じません。
異邦人の世界で教えられているのは、神の教えではなく、
ローマ帝国の宗教の教えを、翻訳聖書を利用して解説しているものです。
だから、ここに書かれているように、神の教え、汚れた動物を
平気で食し、神の呼び出しているモアデイムさえも、何か
いつなのか、その意味さえも知らないのです。
人造宗教の教えに、すり替えられたものを、教えられ、実践させられ、神の教え=トラー=イエシュアを捨てよ!と教えて、
その通りに捨てている。
666のヘブライ語の文字の意味するところは、タスル=捨て去る!トラーを捨て去る!とヨハナンが隠語で語っていることを
知った方が良いです。
考えたらゾッとすることを、正義だ!と教えられ、それが本物!
と皆が信じる。
それは、イエシュアが地上に到来する前まで、イエシュア、救い
購い、許し、祝福を人が知らなかったからと勘違いしているからです。
イエシュアが言われたでしょう。弟子達さえ、イエシュアが書かれているタナック=トラー、預言書、諸書に記されたことを
正しく理解しないままだったのを、タナックを通して、教え直した件が記されています。
 

ルカ24:24 それで、わたしたちの仲間が数人、墓に行って見ますと、果して女たちが言ったとおりで、イエスは見当りませんでした」。

 24:25 そこでイエスが言われた、「ああ、愚かで心のにぶいため預言者たちが説いたすべての事を信じられない者たちよ。

24:26 キリストは必ず、これらの苦難を受けて、その栄光に入るはずではなかったのか」。

24:27 こう言って、モーセやすべての預言者からはじめて、聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた

聖書全体=モーセの五書、預言書、諸書のみです!!!

そこに、イエシュアの全てが記されている!という永遠の事実だけに基づいて聖書を読む。

アヴラハムは、まだ見ぬイエシュアを知っていた!とあるでしょう。残りの民は、皆タナック=神の教えから、イエシュアを

知っていたのです!聖霊を内側にうけていたのです。

罪許されていたのです!信仰義認は、エデンの園の最初から

同じ!アダムとハヴァに神が教えられている!

 

ヨハネ8:56 あなたがたの父アブラハムは、わたしのこの日を見ようとして楽しんでいた。そしてそれを見て喜んだ」。
 

トラーを学ばない場合、正しい聖書教育、理解などされません。

なぜなら、教科書そのものを捨てて、後書きにある、ほんの少しの神の教えの抜粋だけ読んでも、神の教えの全貌は、スカスカに抜けているからです。神の教えの完全版は、トラー=モーセの

五書に全て!記されている、それが完全版です。

マタイ以降は、本の少しのトラーの注解に過ぎないのです。

そして、そこには、トラー=父の教えを塗り替える、否定する

終了する、破棄された教えなど書かれてなどいません!

空想、幻想=教団、教派、ダービー教の思想で、聖書を曲げて

読んでいるから、新しい、トラーを捨てた教えがされている!

という偽情報を、聖書だと信じ込んでいるのです。

 

エゼキエル36:21 しかしわたしはイスラエルの家が、その行くところの諸国民の中で汚したわが聖なる名を惜しんだ。

 

イスラエルの神に属する人々が、本体=神=イエシュア=トラー

から離れて、別の影を地上に映し出し、人に歪んだメシア、

イスラエルの神を伝えています。

それを、諸国民の中で汚したわが聖なる名を惜しんだと言っている意味なのです!イスラエルの神ではないものを、クリスチャンが言い続け、やり続ける、神を汚している!ということに

気が付く人が今続出しているのです。なぜ?聖霊が書いた、

神の言葉から、永遠不変の真実を求める人に、神が事実通りを

教えてくださるからです!