レビ記11:46 これは獣と鳥と、水の中に動くすべての生き物と、地に這うすべてのものに関するおきてであって、
11:47 汚れたものと清いもの、食べられる生き物と、食べられない生き物とを区別するものである。
人は、創造主であるお方に教えられなければ、何も分からない
ままになります。
区別する、汚れたものと、きよいもの、食べられる生き物と
食べられないものを区別するため!と神が言っているのに、
食べられない動物の区別の仕方を、神が人に教えているのに、
その教えを人が捨てているから、野生のまま、神の前におぞましい悪食、聖別を汚す行為、罪を犯していても、全く無感覚でいられるのです。
使徒15章に記された、イエシュアを信じた異邦人と同じことをしているのです。神の教え=トラーを知らないからです。
しかも、食べることは毎日やることです!聖別を教えることを、神は「食べること」を通しても、教えていることに気がついてください。エデンの園の最初と同じ!
日々する行為、生きること、命を繋ぐ行為。それは神が言われたことを、神が言われた通りにすること!
エデンの園から全く同じ、神の教えなのに、それが読み取れないままなのです。
これはあなたの食べ物ではない!と、唯一知識の木を指して
教えた神の教えを人が退けたのです。
今も、神の教えを退けること=同じことをしているのです。
神が教える教えを、人が退ける。神を尊重、重要視しない態度にに確実につながっています。その代わりに人間主体!自分の考えが中心になっているのです。シャバット、神が神である宣言、
神の言われることを、人が神の言われる通りに生きると言う、
基本中の基本をなし崩しにする生き方、それが聖別を汚す生き方食べること、神のモアデイムをガードすることで教えているのに、その重要な教えを、人が全部捨ててしまいました。
レビ記には、人が食べてはいけない動物、食べてはならない
食べ方、血を飲んではならない、死んだ動物を食べてはならないと教えています。
神が創造された人が、どんな動物を食せないのか、はっきり教えられるのは、創造主だけです。
神が全てのものを創造されたのです。だから、神の言われることを、人が無視する行為、イコール愚かな行為であり、特に神に
属する人がそんなことをする、罪そのもの!と理解していないとならないのです。神のデザインとは違うことをする、ズレ=罪=的外れと教えているのです。
人が食する目的で創造されていない動物〜人間の食べ物ではない!シンプルでしょう?何がそんなに難しいのでしょう?
自分に都合が悪い教えだから、廃れた人を縛る律法と思うのです。血がしたたったステーキも人には毒なのです。
血を食する人は、肝炎になるでしょう。
汚れた動物、神が禁じる魚介類を食して、肝炎、ノロウイルスになる。臓器を痛め、健康を害する。
神の教えは全て、神が創造された人の生き方を教えている、
神が全てのもの創造されたからです。そして、それを知らない人が危険にさらされ、神の創造された意図通りには生きれなくなり
安全ではなくなるのです。
しかも、食べるとは命を繋ぐ基本であり、生きるとは、神の口から出る1つ1つの言葉=命のパン=トラーを食べて生きる!
それと繋がっているのです。神が言われたこととは違うことをする、それは物理的でも、霊的でも一体です。
両方、人を破壊する危ない行為、生き方だからです。
疫病は、清くない動物を食したことから、発生し、環境汚染をし
水を、空気を汚染し、それが又人に戻ってくる。
クリスチャンが、神の教えを律法、古い廃れた教え!と言っているのは、あれと同じです。
食べたことのない食べ物を、空想で、想像で言い表しているだけ。トラーを知らないまま、どうして神が伝えた麗しい生き方を理解できるのでしょうか?ということです。
知らないから、神の教えに対して、律法と言い、神の教えに対して、敵対心満載の主張をし続けているのです。偽情報を信じ込まされて、騙されていることに、全く気がついてない。
異邦人の世界に浸透した教えは、純粋な神の教えではない、
ローマ帝国コンスタンチヌス教であることを、はっきりと
歴史の史実から、神の言葉から知った方が良いです。
イスラエルが神の国、イスラエルから追放されたのは、
神の教え=婚姻契約=トラーを捨てて、別物、混ぜ物の教えを
代わりに生きたからです。トラー=イエシュアだからです。
神の教えを捨てる場合、神の教え、警告は人ごとに聞こえるでしょう。自分には関係ない教えさ!古くて終了した教えだ!
ユダヤ人だけやってれば良い教えだ!これら全部、聖書とは異なる偽情報であることを、知らないまま、偽情報に騙されて、
神の教えを捨てていると言う大冒涜を、イエシュアを信じる人がしているのに、全く気がついていません。蛇は巧みです。
人が分かるように騙さない。
本当のように聞こえて、嘘を刷り込み、教えているのです。
エデンの園の手口と同じ。神の言葉を疑わせる、嘘の中に
真実の片鱗を混ぜて、騙すのです。
そして、神を信じる人が、神に敵対する行為を、分からないまま
サタンはやらせ続ける!その嘘が分った人は、神に対する冒涜、神の言葉教えを捨て、神のモアデイムを捨て、代わりに偽物=
コンスタンチヌスの作った紛い物混ぜ物宗教の教えの方を捨てるのです。
神の教えを捨てる人、神の教えは終了、廃れたと信じる場合、
神の言葉は、その人には神が言われている通りには、届かなくなります。
人間の教えに変換して、そして神の言葉を退ける、神と隔たりが
出来る、エデンの内側の外側に飛び出した状態になります。
神の教えとは別のチャンネル登録をして、神の声の下、神の声の中で、神の声をそっくりその通りに聞く!ということから、完全にズレて、雑音混じりの、神の教えを否定した、人間の宗教の教えを、聖書を利用して解説しているものを聞いているのです。
真理の片鱗はあるけれど、土台が偽物=砂=神の教えは廃れた!
というローマ帝国の勅令が信仰の土台!
以下の警告は、異邦人へ全く同じ警告であるのに、全然響かないでしょう。ユダヤ人だけの教えなどと言う、ローマ教の教え=
神の教えを否定した人造宗教=偽情報を信じているから
神の警告、高き所の礼拝、姦淫の罪、666、反キリストの
正体が分からないままになるのです。
サタンとは、神に敵対するものという意味です。
サタンは、神の教え、トラーに敵対する!エデンの園から同じ。
エゼキエル22:8 あなたはわたしの聖なるものを卑しめ、
ルカ24:24 それで、わたしたちの仲間が数人、墓に行って見ますと、果して女たちが言ったとおりで、イエスは見当りませんでした」。
24:25 そこでイエスが言われた、「ああ、愚かで心のにぶいため預言者たちが説いたすべての事を信じられない者たちよ。
24:26 キリストは必ず、これらの苦難を受けて、その栄光に入るはずではなかったのか」。
24:27 こう言って、モーセやすべての預言者からはじめて、聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた
聖書全体=モーセの五書、預言書、諸書のみです!!!
そこに、イエシュアの全てが記されている!という永遠の事実だけに基づいて聖書を読む。
アヴラハムは、まだ見ぬイエシュアを知っていた!とあるでしょう。残りの民は、皆タナック=神の教えから、イエシュアを
知っていたのです!聖霊を内側にうけていたのです。
罪許されていたのです!信仰義認は、エデンの園の最初から
同じ!アダムとハヴァに神が教えられている!
ヨハネ8:56 あなたがたの父アブラハムは、わたしのこの日を見ようとして楽しんでいた。そしてそれを見て喜んだ」。
トラーを学ばない場合、正しい聖書教育、理解などされません。
なぜなら、教科書そのものを捨てて、後書きにある、ほんの少しの神の教えの抜粋だけ読んでも、神の教えの全貌は、スカスカに抜けているからです。神の教えの完全版は、トラー=モーセの
五書に全て!記されている、それが完全版です。
マタイ以降は、本の少しのトラーの注解に過ぎないのです。
そして、そこには、トラー=父の教えを塗り替える、否定する
終了する、破棄された教えなど書かれてなどいません!
空想、幻想=教団、教派、ダービー教の思想で、聖書を曲げて
読んでいるから、新しい、トラーを捨てた教えがされている!
という偽情報を、聖書だと信じ込んでいるのです。
エゼキエル36:21 しかしわたしはイスラエルの家が、その行くところの諸国民の中で汚したわが聖なる名を惜しんだ。
イスラエルの神に属する人々が、本体=神=イエシュア=トラー
から離れて、別の影を地上に映し出し、人に歪んだメシア、
イスラエルの神を伝えています。
それを、諸国民の中で汚したわが聖なる名を惜しんだと言っている意味なのです!イスラエルの神ではないものを、クリスチャンが言い続け、やり続ける、神を汚している!ということに
気が付く人が今続出しているのです。なぜ?聖霊が書いた、
神の言葉から、永遠不変の真実を求める人に、神が事実通りを
教えてくださるからです!