ローマ14章 パウロの手紙を完全に読み違えている | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

ローマ14:5 また、ある人は、この日がかの日よりも大事であると考え、ほかの人はどの日も同じだと考える。各自はそれぞれ心の中で、確信を持っておるべきである。

 

この箇所も、クリスチャンの間で、この日はかの日より大事と

考える、イコール、人間が神の創造されたモアデイム、アポイントメントの日、聖会の日、神の記念日を自由に捨てて、人が自由に考えた、決めた日、時も、内容も変えて違う記念日を作って

祝って良いという、曲がった聖書解説がされている代表例の箇所です。

この箇所では、先ず、パウロは、神の創造されたモアデイム

レビ記23章に記された日のことなど、一言一切話してもいないことを、知ってください。

その意味は、パウロはここで、安息日、シャバット、新月、春、秋の祭りのことなど、一切語っていない!という事実からだけ

読むのです。

普通の日の事を、パウロが話しているのです。

 

人間が、神が禁じている行為、神のモアデイムを勝手に変える!

ローマ帝国皇帝は、神を本当には恐れない人だから、神の言葉、トラーと神のモアデイムを勝手に変えたのです。

もしパウロが、人の意見で神のシャバットや、祭りを変えて良い!と教えたとするならば、パウロは人に、神に対して罪を

犯す間違った教え、偽の教えをする、偽教師と認定されます。

 

これはダニエル7:25に警告されている反キリストが行う行為であるとはっきり記されているし、それをギリシャ帝国が

イエシュアが来られる200年前にやったのです。

同じ反キリスト行為を、1世紀以降のローマ帝国皇帝もやった!

神のトラーと、神の記念日を変えた!神の教えを生きること

記念日を祝うことを、ローマ帝国皇帝達も同様に禁じ続けた

歴史の史実を、クリスチャンは全く知らないままなのです。

 

ダニエル7:25 彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時とトラーとを変えようと望む。聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる。

今に至るまで、反キリストの思想を吹聴することを、ずっと

やっているのです。

神の教え=トラーと、神の創造されたモアデイム、記念日の全てを変えた!変えて、本物を生きること、祝うことを禁じた!

 

この14:5の箇所、ギリシャ語の言語、ヘブライ語で読んで

みても分かる通り、普通の日のことを話しています。

日本語では分かりませんが、「定冠詞」のつかない、神の記念日ではない普通の日!とクリアーに記されています!

カレンダーで言えば、赤印がついてない、黒い普通の数字で

記されている日、普通の日です。

詰まり、彼らの間にあった、どの日に断食をするのが良いか

神の教えではないことで、色々議論してみても、それは、全く

無意味だからです。それは人の意見で、やりたい人がやりたい日を、自由に決めれば良いからです。

 

でも神の創造された神のモアデイムは、違います。

神のモアデイムは、神が定めた日、神が指定した日に人がそれを祝う!と、神が教えているのです。

神のモアデイムを通して、同様に聖別を教えているのです。

それを、人間が勝手に決めて良いのだと、平気でそんな冒涜を

信じられる神経、無感覚さは、神の教えを知らない異邦人だからです。

神が神であることを、本当には理解していない、分からない、

神が人間に主権を与え、神の教えを塗り替えて良い!と言って

いるなどと、そんな人間の教えの偽情報を信じているから、

パウロの言う意味など通じないまま偽物の教えにすり替えられて、間違った聖書解説をしているのです。

パウロの手紙に、無理な解釈を施して、破滅を招いている!と

ペテロが警告している言葉、そっくりそのままのことを、

聖書教師がしてしまっているのです。

 

2ペテロ 3:16 彼は、どの手紙にもこれらのことを述べている。その手紙の中には、ところどころ、わかりにくい箇所もあって、無学で心の定まらない者たちは、ほかの聖書についてもしているように、無理な解釈をほどこして、自分の滅亡を招いている。

 

ペテロが言及していること、そっくりそのまま、人造宗教の教えがやってしまっているのです。

教師は、他の人よりずっと重い言及を、神からされます。

人を偽の教えに導く行為、これは重大な罪だからです。

 

ヤコブ3:1 わたしの兄弟たちよ。あなたがたのうち多くの者は、教師にならないがよい。わたしたち教師が、他の人たちよりも、もっときびしいさばきを受けることが、よくわかっているからである。

無学=神の教えの全貌、ヘブライ聖書に記された教えを、

正しく教える教師を持たないまま、西洋人が作った宗教の思想、

デイスペンセーション神学や置換神学だけを教えられ、その思想を通して、それぞれの教団、宗派の教え、信条を通して、聖書を書いてある意味ではなく、西洋宗教の思想で読むこと、それを無学とペテロが言っているのです。

だから、聖書の真理に根付いていない思想、心=頭脳が定まらない、正しい聖書の理解をしていない人が、他の聖書の箇所についても、無理な解釈をしている!滅亡を自分に招いている!

と警告しているのです。

ペテロは、100%この場合、トラー、預言書、諸書だけを指して、聖書と言っています。

パウロの書いたものは、「手紙」です。この違いを理解してください。パウロは、トラー、預言書、諸書に関して、それぞれの

場所にいる、諸外国にいるユダヤ人の群れに対して、個人的に

個人のグループに対して当てた手紙です。

彼らの中にあった問題に関して、パウロがトラーからどのように

それらの問題に対処するのか?トラーをどのように適用するのか群れ=カハール、エクレシアから、エルサレム拠点のパリサイ派のトラー学者であるパウロに質問状の手紙が、先ず送られてきたのです。それに回答しているのが、パウロの手紙、書簡と呼ばれるものなのです。

だから、パウロは、預言者が書き記した聖書とは違う解説や

教えなど、する訳などないのです。

それを理解できないのが、西洋宗教を信じる、ユダヤ的なこと

神の教えを捨てよ!と教えられてしまった頭脳なのです。

 

パウロは、100%モーセの五書を話している!という永遠の

事実からだけ、考えてください。聖書には、聖書記者は、誰一人

モーセの五書=トラーを否定、削除、無用、破棄、廃れた!

人間が自由に仕分け、神の教えを変えて良い!というローマ教

西洋教父、トラーは廃れたと教える教師たちが主張するような事を言う人は一人もいません!それらを、偽教師、偽預言者と呼び神が警告しているそのものなのです。

異邦人の世界の巷に19世紀もの間、浸透した誤解を1つ1つ

解いて、そして神の言葉完全で廃れない!と言う、神が伝える

永遠不変の事実からだけ、聖書を読まない場合は、それぞれの

宗派、教派、グループが考える人間の思想で神の教えを歪め、

曲げる、ズレた聖書の読み込みがずっと続いて行くだけです。

 

ローマ 14:6 日を重んじる者は、主のために重んじる。また食べる者も主のために食べる。神に感謝して食べるからである。

食べない者も主のために食べない。そして、神に感謝する。

 

パウロのこの言葉を読み、今は何でも感謝して食べれば、全ての食べ物はきよくなるのだ〜という、神の教えとは真逆なことを

トラーを知らない、クリスチャンは信じて、実行しているのです。

異邦人は、先祖代々、元が異教徒文化の生活をしているでしょう。見た目には、道徳的には、何も悪いことをしているようには、感じられない。なぜそれがいけないの?

でも、異邦人でも、人がゲテモノを食べて、血を飲んでいるのを見たら、感覚的に、悪食!なんか気色悪いと思うでしょう。

でも、ゲテモノ、レビ記11章に記された、神が禁じている

神が清掃目的で創造された動物は、人の食べ物ではありませんから、あなたはそれを食べません!と神に言われても、先祖代々、

普通に食べているから、それが神が言われた通り、汚れて気色悪く、聖別を汚す行為であるとは、全く理解できないのが、異邦人なのです。そして、偽の教え、神の教えは廃れたから、今は自由になんでも食べれる、恵の時代ですと言っていますが、それは

嘘です!完全に神の教えを、人間が曲げている偽情報、

偽教師の教えです!

でも、聖書に記されていることは、全て何も変わらない!

神がそう言われたらそうだ!と、まず認めることから

始めると、神が教えられている意味が深く深く見え続けて行きます。

汚れた動物を人が食べない、人間の食べ物ではないということが、感覚的に、文化的、実践的に染み付いているから、分からないだけなのです。

そして、神の教えを、神の教えとも考えていない、神の教えは

廃れた!と聖書を誤解して解説する教師の偽の教えを信じて、

間違った聖書解説だけを聞かされる続けているから神の言葉が

書いてあっても、これは古い教えだ!と書いてあることを、

別の思想に変換する読み込みをし続けているのが、異邦人クリスチャンの人造宗教の教えを生きる実践の世界なのです。

神は、古い厳しい律法を、私たちのために十字架破棄され、

恵により全て許可されたのに、それ=古い生き方やめて良いよ!と言う申し出を退けるなど、神のめぐみを無駄にしている事だ!などと、聖書に書かれていない大嘘、偽情報、人間の教えを信じて、それこそが、神の前に罪であるのに、罪を大手を振って堂々と生きている、聖別を日々汚して居る、罪=ズレ、神の教えとは別の道に導かれて、それを生きているのです。

Oh My Gーdと言いたい。嘘でしょう嘘!

神が禁じたことをする事、イコール罪です。人がそれをどう

受け取ろうと、感じようと、考えようと、神が罪!と言われたらそれは罪であり、神に造られた人のやることではありません!

罪の定義は、神の教え、トラーに違反する、神の教えを乗り越えて、違反する行為を、罪と神が教えているのに、その罪の定義こそを捨てていれば、何が罪かも分からない、無法、無知、

無学状態になっているのです。

 

レビ記11:43 あなたがたはすべて這うものによって、あなたがたの身を忌むべきものとしてはならない。また、これをもって身を汚し、あるいはこれによって汚されてはならない。

レビ記11章の最初からずっと神が創造された動物、きよい動物=人間が食せる動物、神の祭壇の上にコルバンとして捧げることのできる動物の全てを教え、そして、人が食するためではない

動物、それらは陸海空の清掃動物であり、絶対に食してはならない!と教え続けている動物です。そしてそれらを教えた最後に

神が言われこと、神の口から、創造主である神が、私たちの主であるから、同じように神が伝える聖、コデシュ、神の創造された通りの性質を生きなくてはならない!それがあなただから。

この44節、クリスチャンもよく引用していますが、何の文脈

内容から語っているのか、ごっそりその教えが抜けているのでしょう。神が伝えた食規定どおりを生きること、聖別された通り

聖なるものとなれ!と言われているのに、神の教えを丸無視して

聖別された状態に留まれないと言う理解がないのです。

 

ユダヤ人が言う通り、クリスチャンはトラーを知らないし、

生きてもない。神の教えを言われた通りに生きてない!

その代わりに、ローマ帝国皇帝が作った人造宗教の教えを実践し生きている!その通りです。

 

11:44 わたしはあなたがたの神、主であるから、あなたがたは

おのれを聖別し、聖なる者とならなければならない。わたしは

聖なる者である。地にはう這うものによって、あなたがたの身を汚してはならない。

 

誰が何と解説しようと、きよくない動物を食する、イコール

自分の身、聖霊が宿る体を、汚し、内側に住うイエシュアとマッチしない汚れたことをやり続けている!と、神の教えから気が付く人は、安全に健康に、そして聖別を汚す行為、罪から守られるのです。

11:45 わたしはあなたがたの神となるため、あなたがたをエジプトの国から導き上った主である。わたしは聖なる者であるから、あなたがたは聖なる者とならなければならない』」。

 

エジプトから導き出されていません!ユダヤ人ではありません!

とそんな読み方をする場合、その人は、イエシュアと一切

関係ありません!とイエシュアが言われた通りのことになるのです。

なぜなら、誰一人、人はもれなく、エジプトの中に居たのです。

エデンの園から飛び出して、神と繋がれない場所=エジプトの

奴隷だったことを、イスラエルが通った歴史の史実で、神が教えているのです。

そして、イスラエルの神は、神が提示した婚姻契約=トラーを

通して、トラーを根拠、土台、証拠、基盤として、人と関係を

結んでいることを、クリスチャンは正しく教えられていないのです。

律法が廃れた!と言う宣言と、実践は、嫁いだ夫の家の家訓を

無視し、以前と同じ=肉のまま、自分勝手な生き方をする

野生と同じ!それは、神の家に属する花嫁の生き方も知らないし、生きても居ない。隣の旦那=ローマ帝国皇帝コンスタンチヌス由来の人造宗教の教え、異教の神々の教え、記念日を生きて

自分の夫の言うことを丸無視した生き方をしているのに、それ

に気がつけないのは、人間の編み出した思想、宗教の教えで神が

伝える真実な言葉、永遠不変の言葉、教えが目の前に書いてあっても見えない、盲目状態だからです。