聖書を解説している人が、聖書を理解しないまま人間の教えの聖書解説を語っている | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

聖書の土台=最初の部分=モーセの五書=トラーを正しく理解すれば、デイスペンセーション神学のように、20世紀に初めてダービーという異邦人により作られたズレた思想、その大元の思想はローマ教の教えを土台〜モーセの五書廃止!という教えを土台として作り出された空想話の教理が偽物であると、はっきり聖書から識別できます。

 

神が時代ごとに変化し、神の教えも時代ごとに変化し、神の業も時代ごとに変化すると言う、聖書とは何の関係もない教え、偽のイスラエルの神像と、偽の聖書概念をこの人の思想は主張しているからです。

 

福音書以降の箇所は、使徒が書いた短い解説、書簡なのです。

預言者が書いたトラー、預言書、諸書に対してのほんの短い解説、註解です。使徒の書簡は、預言者が書いた聖書=モーセの五書、預言書、諸書を塗り替える別の教えではありません!

福音書以降には、イエシュアがトラーの全てを教えた記録はない。

イエシュアが語られたほんの少しのトラーの解説しか書いてありません。

それは、聖書のすべては、モーセの五書=神の教えを理解している事を前提に書かれているからです。短い言葉で、イントロを言ったら

その背後にある、何章にもなる神の教え=トラーや預言書の箇所が

頭にすぐ浮かぶ人たち〜失われたイスラエルの羊の元にだけに対して、イエシュアが遣わされたと言った通りだからです。

トラーを知らない異邦人に話しても、何を話しているのか通じないからです。

モーセの五書=神の教えの完全版は最初に全て記されているから、

同じ教えは、福音書以降には、復唱されていない、全て書かれていない。抜粋しか書かれていないものが、福音書以降なのです。

福音書以降には、罪の詳細の全部も、人の生き方の詳細の全部も

記されていません。

イエシュアが来られて、神の教えをイエシュアが破棄し、新しい教え自由に人が生きれる事を教えた!などという、偽物の教えを全部捨てないと神の教えは見えてきません。

常に、人間の編み出した教えに、神の言葉の真実がさえぎられ続けて

行くからです。

クリスチャンが教えられている教えは、カトリック、ローマ帝国皇帝の勅令、神の言葉=トラーを生きる事を禁じる!という思想を土台にしている教えです。聖書ではない教えを、神の教えであると勘違いしているのです。だから今は関係のない古い神の教えと言い続けて、今直接神が警告している言葉が、耳に頭脳に全く響かない状態になっているのです。

神の言葉を捨てる事、命の根源、源泉、神の創造を塗り替える事を

促しているのは、悪霊であることをはっきりと聖書から知ってください。

プロテスタントの中にも、教皇のように、教師や牧師の言う事が絶対と考えている人も大勢います。

20世紀のアメリカ同様、神学校で聖書ではない教え、デイスペンセーション神学、間違いだらけの人造神学を牧師や教師の卵達に対して教え、エラー、不具合だらけの神学に照らし合わせたズレた聖書解説をして、今に至っている事に気がついてない大勢の人がいるのです。

 

聖書ではない、人間の作った思想〜間違った教えを信じる教師により、一般の人は、聖書とはずれた思想神の言葉は廃れた、変化した、

神の性質も変化したと、神が伝える事とは真逆の思想を教えられ、

その教師たちの思想を真実だと思わされ、復唱し言い続けているでしょう。

その教え〜神の教えとズレた教えに対して何も矛盾を感じない。

無感覚。それが正義、義、もっとも新しい最新の神の教えだ〜と、

盲目的に教師たちが語った偽情報を、聖書だと思い込んでいるからです。

 

廃止された教え           永遠に残るもの

1)インクで書かれた教え      1)御霊によって書かれた教え

2)石に書かれたもの        2)心に記された新しい契約

3)旧約聖書            3)新しい契約

4)文字は殺す           4)御霊は命を与え生かす

5)死のミニストリー        5)聖霊の働き

6)栄光の断罪の務め        6)栄光に満ちた義の働き

7)「ベール」は束縛        7)鏡

8)モーセの」五書         8)主

 

これは前の記事に書いたものですが、神の言葉の中で、このように

神の教えの古い、新しい〜存在しない物を、比較している考えです。これがローマ教の教えを土台とするズレた思想です。

聖書を理解する、スタート地点から、別物=人間の編み出した宗教の教理を土台に、神の言葉を曲げて、歪めているから、神が伝えている

エハッド〜永遠普遍の1つで同じである、神の言葉という事が見えない理解できないのです。

神が神の言葉を廃止したら、神ご自身を廃止するという意味であるという事を知ってください。神=言葉=イエシュア=聖霊と書いてあるでしょう

そして、神の教えには、仮の教え、一時的な教えなどありません!

聖書は、100%モーセの五書=トラーに記された神の教えを解説しているからです。

モーセの五書=トラーが聖書の全ての土台です。

ヨシュア〜マラキは、モーセの五書の解説です。

福音書〜黙示録は、聖書の最初の部分、タナック=モーセ、預言書、

諸書の短い後書き、註解です。新しい教え、新しい契約が福音書以降に記されているという空想、神話は捨てて下さい。

 

先ず、クリスチャンの世界では、神の言葉終わりありき!という

ローマ帝国勅令の先入観で、頭脳が支配された教えを土台に、

聖書の全てを考え、信じている事を知ってください。

それらは神の教えなどではない、人間が勝手に言っている教えです。

神の言葉のどの箇所でも、人間が否定する、それら全ては聖書、神の教えではないと知ってください。

人間が勝手に神に成り変わり、人類トップに立ち支配し、神の代表者、代弁をしていると言っても、それは嘘!聖書などではない。

しかも、神の言葉を否定する教えをする人を、神は任命などしていません。神の言葉に敵対するものを、サタンというのです。

サタン、神の敵対するものの特徴はエデンの園から同じです。

神の教え、トラーと神の時〜福音を網羅する中心である神の創造されたモアデイム〜記念日を変えようとするとあるでしょう。

 

ダニエル7:25 彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時とトラーとを変えようと望む。

聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる。

 

ローマ帝国、皇帝、教皇が神の教えに反する、神の教えを否定する

塗り替えている教えを、クリスチャンが聞いて、パウロの書いた

内容を誤解した解説を聞いて、神のシャバットや祭り、神の教えが

変わったと主張していますが、上のチャートにある思想がどの箇所

から来ているのか、再検証します。

パウロ、ペテロ、イエシュアも1世紀当時のユダヤ人イエシュア信者ユダヤ人は、誰一人として、異邦人のように神の言葉が終わり!

別の教えが出て来た、神のシャバットが日曜日になり、日曜礼拝、

クリスマス、イースターを祝ったという事は、聖書に書いてない

空想話を、教えていない、信じてなどいません。

全部ローマ帝国が、聖書が作られた後、人間の考えで太陽神=異教神の教え、シンボル、記念日、儀式を取り入れて作った宗教の教えを

今のクリスチャンたちは、それが生粋の神の教え、記念日だと

偽物を本物と思わされて、聖書に書いてない事を信じて、聖書に

書いてないローマ帝国が作った人間が作った記念日を、神の教えと

神の本物の記念日を捨て、代わりに人間が作り変えた記念日を祝っているだけです。

クリスチャンの間で見聞きしている教えは、何百層に渡り、聖書とは

違う教えを教えられ続けているので、その一つ一つの嘘、不真実の

化けの皮を剥がして、真実〜神の言葉の真実を発掘しなければ

ならないのです。神の言葉の方を否定する、人間の語る嘘の教えに

騙されてはならない。

消えるもの、永遠に残るものという対比をしている語られている内容に関して、どの聖書箇所を取り出してそのような事を主張しているのか、確認してみます。

 

2コリント3:3 そして、あなたがたは自分自身が、わたしたちから

送られたキリストの手紙であって、墨によらず生ける神の霊によって書かれ、石の板にではなく人の心の板に書かれたものであることを、

はっきりとあらわしている。

 3:6 神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされたのである。それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者である。文字は人を殺し、霊は人を生かす。

 

廃止されたものとして、

1)インク=墨 対比して 1)御霊によって書かれた教え

 

1)石の板に書かれた教え 2)心に記された新しい契約

 

パウロは、ランダムに、意味不明に自分の意見を書いているのではないことを知って下さい。

パウロは何を根拠に話しているのか、はっきり知らないと、意味不明な勝手な読み込みなります。

 

パウロがここで考えて、引用している箇所は何でしょうか?

 

エレミヤ 31:31 主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家と

ユダの家とに新しい契約を立てる日が来る。

 31:32 この契約はわたしが彼らの先祖をその手をとってエジプトの

地から導き出した日に立てたようなものではない。わたしは彼らの

夫であったのだが、彼らはそのわたしの契約を破ったと主は言われる。

31:33 しかし、それらの日の後にわたしがイスラエルの家に立てる

契約はこれである。すなわちわたしは、わたしのトラーを彼らのうちに置き、その心にしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となると主は言われる。

 

ヘブル8:10 わたしが、それらの日の後、イスラエルの家と立てようとする契約はこれである、と主が言われる。すなわち、わたしのトラーを彼らの思いの中に入れ、彼らの心=レブ=頭脳=思索に書きつけよう。こうして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう。

エゼキエル36:26 わたしは新しい心=レブ=頭脳をあなたがたに与え新しい霊をあなたがたの内に授け、あなたがたの肉から、石の心を

除いて、肉の心を与える。

36:27 わたしはまたわが霊をあなたがたのうちに置いて、わが定めに歩ませ、わがおきてを守ってこれを行わせる。

 

先ず、間違いの大元はモーセの五書廃止!という、ローマ帝国の勅令が、神の教えとクリスチャンが勘違いしている事です。

 

1)インク=墨 対比して 1)御霊によって書かれた教え

インク〜墨によって書かれた教えとは、クリスチャンはモーセの五書

トラー=神の教え、古い律法だと勘違いしています。

よく考えてみてください。もし神の教えが廃れたら、クリスチャンが

読んでいる「聖書」インク(墨)で印刷された聖書、今はオンライン

デジタルで出てくる文字〜これも廃れたという事になるでしょう。

ではなぜ、神の廃れた言葉〜インクで書かれた聖書を読むのですか?

新しい契約?福音書以降?

それは、聖書の最後の短い後書き!神の教えの全部など書かれていません!神の教えに古いもの、新しいものはありません!聖書の全ては

モーセの五書を解説しているという永遠の事実を、はっきり捉えて

理解してください。

 

エレミヤ31:31に記されているのは、シナイ山で与えられた

婚姻契約〜トラーとは違う別の新しい教え、契約ではありません。

しかも、これらは異邦人に与えられていない、ユダの家と、イスラエルの家に対して、再更新される同じシナイ山で与えられた婚姻契約のことを指して話しているのです。

イエシュアが過越の祭りの晩餐で言われた、再更新される契約とは

シナイ山で与えられた同じ婚姻契約のことです。

クリスチャンの世界で教えられている教えは、空想〜無いのにあると思っている、トラーとは違う契約=中身が違う=異邦人に与えられた

別の契約=置換神学、そんな人間の教えを聖書であると勘違いした教えを、教師、牧師から語られるから聖書ではないのに、聖書と勘違いしてるのです。

そして、この新しい契約は未来に再更新される同じ契約です。

どういうことが起きますか?

イエシュアが再臨されたら、ユダヤ人もイエシュアがメシアである

ことをはっきりと分かってしまう時が来るのです。

そして、全ての人が、頭脳に割礼がされ、誰も今のように神の教えが廃れた〜などという、「獣の刻印の教え」を言う人はいなくなる時代が来る、その時のことなのです。

誰も主を知ろう!と言わなくても、皆が腹に頭脳にDNAにトラーが

刻まれ、イエシュアの性質通りの人がイエシュアの性質=トラーを生きる!というのがエレミヤ31:31の預言です。

 

シナイ山で契約が与えられた時、出エジプトした人たちの中には、

頭脳に割礼がされないままの状態で、赤ちゃん状態だった人が

大勢いたのです。今も同じです。

だから、その時の人々の頭脳の状態が違う!と言っているのです。

神の教え、契約書が変わったのではなく、神の教えを聞く人の頭脳、理解、状態が違う!と言っているのです。

灯台は、変わらない。人を導く光〜イエシュア=神の言葉は変わらない!変わるべきは、船〜神の言葉を正しく理解して生きることに軌道修正する!それが、船です。船が変わり、灯台はそのまま、永遠に

変わらない光〜イエシュア〜聖霊〜言葉だからです。

 

続く