獣の刻印 神の教えではない人間の教え偽物の教え | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

偽物、混ぜ物、汚染物が混じった不純物の教えは、人を神の真理から引き剥がし、人を偽の教えで縛り、悪霊との接点を開くものなのです。

そして、ローマ帝国では、宗教と国が一体化して、国の法律として

この偽物の宗教をローマ帝国下に生きた人全員に強制したのです。

国と宗教の一体化は危険なのです。神の教えではないことを、神に

対する違反、罪を人に強制的にやらせることができるからです。

だから、ユダヤ人は、ローマ帝国の勅令に対して断固として抵抗したのです。中世に至るまで、その後も、密かに家庭内で神の教えを

ガードしてユダヤ人は生きていた、これこそ隠れキリシタンです。

 

世界に散ったイエシュア信者であるユダヤ人が、過越の晩餐の儀式の

中に、イエシュアを教える儀式を盛り込んだことが分かる痕跡があります。その人たちは、パリサイ派のイエシュア信者達です。

クリスチャンは、曲がった聖書解説〜パリサイ派、イコール偽善者などと教えられていますが、一部の人たち〜それは今も同じように

ある一部の人たちに対してイエシュアが議論しているのに、それを

取り出して、全員〜パリサイ派〜偽善者と言っている。

このようなズレた思考回路、先入観で、聖書を曲げて読んでいるのです。

日本人と言ったら、全ての日本人が同じであると、全ての人に当てはまらないでしょう。日本人でも、一人一人は違うのです。

皆が同じこと、考えてやっているのではないからです。

クリスチャンと言って、皆が同じ考えで、同じことを生きているのでもない。

1世紀当時は、「口伝律法」という、文字で記されたトラー以外に、

神が口頭でモーセにプラスの教えを伝えていたという伝説〜つまり

神の教えをどのように実践するのかという他の教えを、神がモーセに伝えたというユダヤ人が勝手に言っている教えがあったのです。

それが、先祖の言い伝え、伝統の教え、律法の戒めと、イエシュアや

パウロが言っている教えのことであり、トラー=神の教えのことではありません!クリスチャンは口伝律法と、トラー=神の教えが一緒だと混同して考え、イエシュアが神の教え=トラーに反する主張をしているのだと、完全に勘違いしているのです。

神が神の言葉=聖霊=イエシュアご自身であるものを、捨てたり、

敵対したり、人に捨てるようになど教えません!

それこそが、ウルトラマン、ウルトラの父に反撃するの巻!

イエシュアが父に逆らい、罪を犯して父の言葉を人に捨てさせるよう

教えた!とクリスチャンは主張している、その大矛盾に気がついて

ください。

イエシュアは父が語られたこと=トラー以外に語らない!と言って

いるでしょう。イエシュアは見えない父を代表するお方本体の影であり、

「わたしを見たものは父を見た。」「父とわたしは1つ=エハッドである。」と言われたではないですか!!

それなのに、父と分裂し、父の言葉=トラーに逆らうように、イエシュアが教えに来た?よく考えてください。このような神の言葉を否定する教えは、人間の空想ファンタジーストーリーのシナリオであり、

神の言葉、教えなどではなく、ローマ帝国の大罪〜勅令、獣の刻印=教えなのです!

口伝律法は、ユダヤ人ラビ達が主張した教えですが、モーセの五書以外の神の教え=トラー、そんなものもありません!

しかも、ラビにより、解釈が違うのですから、そんな複数別の教えなどない、文字に書かれたトラー以外に、神から与えられた教えは

ないのです。全部人間の解釈です。

カトリックやプロテスタントの中にも、同じように、神の教えでは

ない、人間の教えの口伝律法があるでしょう。

神の言葉が廃れたとか、今は無用、怒りの神、恵の神に変身、

デイスペンセーション神学も人間が作った教えの口伝律法〜聖書ではない人間の思想を書いた神学です。

それなのに、それら人間の編み出した教えが、神の言葉と同等に扱われ、神の言葉をその思想が曲げていることにも、気がついてもないのです。

伝統で語り継がれる偽物の教えなのに、それが神の言葉だと、聖書に書いてもないことを、様々に信じ込んでいるだけなのです。

 

ローマ帝国下に生きていたユダヤ人の場合、ユダヤ人であると言うだけで、人権奪われ、神のトラーも奪われ、職を奪われ、財産奪われ、選挙権奪われて、異邦人よりずっと酷い迫害をローマ帝国から受け、その後もヨーロッパで、ルターのような反モーセの五書、反ユダヤ

思想を持つ人たちを通して、ユダヤ人は迫害され続けたのです。

 

ルターもモーセの五書を否定した教えをしたのです。

結局、根本的な大問題、ローマ帝国の勅令であった、モーセの五書を

破棄!捨てよ!禁じる!生きるな!という獣の刻印の教え、偽物〜

人間の大罪は、根こそぎ捨てられることなく、プロテスタントとなっても、同じように神の教えを否定する思想の所詮人造宗教の教えに

留まり続けて今に至っているのです。

 

反モーセの五書、イコール、反ユダヤ思想、イコール反イエシュア(ユダ族のメシア)なのです。

知らない間に、イエシュアに敵対することに、人々を先導している、その裏にある本当の正体、先導者サタンは、たくみにクリスチャンを操作し、利用して、人を破壊しようとしているのです。

偽物教えを通して、神の言葉に対して敵対することを実際にずっと

行わせているのです。

人間の伝統の教え〜人間が神の言葉を捨てて作った異教の神々の教えまみれの人造宗教の教えなのです。

私達は誰を何を神として、絶対として崇拝し、礼拝しているのか?

人間の教え?人間の権力、人間が作った宗教の教え、システム、

リーダーを崇拝しているのか?それとも、イスラエルの神、創造主

神が言われた言葉、教えを信じて、生きているのか?この二つに分かれるのです。でも、クリスチャンは人間が作った教え=神の言葉が

廃れた!終了したという人間、ローマ帝国の嘘、聖書に書いてもないことを、神の言葉だと騙されているのです。

 

聖書に書いてある真実は、神の言葉は永遠から永遠に同じ!

変わらないと書いてあるのに、それが神の言葉なのに何も意味ない、響かないでしょう?どうして?人間の教えを信じて、神の言葉を退け、捨てて

蔑ろにしているからです。

しかも、パウロの手紙を誤解して、パウロがトラーを終了、否定した

教えをしていると、解説しているのです。

それは、デイスペンセーション神学〜ローマ教の教え、聖書ではない

教え、人間の教理、思想、神学を神学校の講壇から教師がそう教えているから、聖書ではない思想が、異邦人の中に浸透し、ずっと伝達され続けてしまっているのです。

生ぬるい〜混ざり物の教え、コピー品、まがいもの、偽物、偽造品

こそ、見分けずらい、見抜けない。

本物に似ているけど、偽物。材料、素材、本質が違う、本物になりえない、偽物。

 

主の名〜救い主、ジーザスとかキリストとか、そのような言葉を使っているから、イスラエルの神の純粋、正当な教えだと思ってしまうけれど、人間の作った宗教は、神の教えの中に不純物、人間の教え、

しかも異教の神々の教えやシンボル、儀式、記念日まで取り入れているものなのです。聖書に書いてない異物、偽造、それら全てイエシュアも使徒もパウロも1世紀の人々、聖書に登場する誰一人として

知らない異物、教え、記念日なのです。

それを神は拒絶する!姦淫の罪!とずっと教え、警告しているのに、神の言葉は、神の言葉が廃れたと信じる人には、全く通じていないのです。

日曜=サンデー、ミトラ教〜太陽神〜異教の神々の代表の神の記念日、ローマ帝国皇帝を崇拝する日=日曜日、それを復活の日であると被せただけで、神は、日曜を安息日に変更しますと言ったと信じているでしょう?聖書に書いてもないのに。

使徒21、1コリント16:1-2、ローマ14:5、コロサイ2:16など、安息日が日曜日になった証拠が書いてあるなどという、それらが安息日が日曜日になった証拠だなどと、ズレた聖書解説、嘘を信じるから、神の言葉の真実〜永遠に変わらない!と言っている言葉が耳に頭脳に響かないのです。

全ての問題は、聖書を教える人が、聖書を正しく学んでいない、だから聖書を正しく教えていない、ローマ帝国の勅令〜カトリック教の

教えを継承し、その教えを人に伝えているだけです。

人造宗教の教え、神学には長けているけれど、オリジナルの聖書に

何が書かれているのか、学んでいないのです。

神の言葉が廃れたという嘘の教えを土台として、オリジナル聖書に

書かれたことを、学んでいないからです。

正しく聖書を学び、教えられていない、その代わり人間の作った宗教の教え、ダービーのような人間が作った非聖書的神学〜デイスペンセーション神学などを学び、それが聖書だと勘違いしていることが、

神の教えからずれている問題の根なのです。

 

ユダヤ人でも、聖書とは違うことを教える人はいます。

諸外国に住んで、特にデイスペンセーション神学のような思想を刷り込まれ続けている人は、聖書を正しく解説していません。

ヘブライ聖書を、デイスペンセーション神学で解説するなど、

人間の思想で聖書を解説という時点で、それは聖書ではない、ズレた

思想で神の言葉を曲げている!と、よく分からなくても覚えておいてください。そういう人間の思想こそが、神の言葉を見えなくしている元凶、障害物、つまづきの岩そのものだからです。

大事なことは、オリジナル聖書に書かれたことを、書かれた意味通りにまず知る、学ぶこと!それに尽きるのです。

 

神は、ご自分の創造された第7日目のシャバットは終了したなどと、

一言も言っていなどころか、神の創造されたシャバット、祭り、記念日を、神の民が汚す事に対して、厳重警告しています。永遠に祝われる。

このシャバットこそが、神が創造主であることを、全世界へ宣言しているものであり、神が神の民との関係を保障している証拠、印であり神の子らが、神との特別な会見をする日でもあるのです。

そして、神の記念日の全てはシャバットと繋がり、全ての神の創造されたモアデイムを神の子らは祝うのです。

それらのモアデイムは、イエシュアそのものであり、同時に預言的

祭りでもあるからです。

福音の全てを神の記念日の中に網羅している、神が創造された記念日

だからです。完全版!

人間の作った代替え、偽造、偽物を代わりに祝え!と神は人に言いません。それらは、イスラエルの神に属さない、人間が作った異教の神々の要素の

祭り。異物です。

イスラエルが神のシャバットを汚し、異教の神々の礼拝の場、

高きところで、異教徒たちが行う異教神の礼拝、シンボル、偶像、

儀式、ならわしを通して、イスラエルの神を礼拝する事。それを神は厳重な訓練〜刈り取る結末を負わせている事、その警告が聖書に

ずっと記されているのです。

クリスチャンの間で、神の言葉が捨てられている、神の創造された

神が呼び出した記念日も捨て去られている。それらが神の前にどう映るのか、何を意味するのか。神の本当の呼び出し日はいつなのかも、クリスチャンはイエシュアを信じながら、イエシュアの仰せを知らない!

イエシュアが人に教え、伝え、祝うようにと言っている呼びだ日がいつなのかも、分からない、考えないし、知らないでしょう。

自分には関係のない教えと思いこんでいるのは、モーセの五書=トラーは、イスラエルに与えられた律法〜イエシュアが来られるまでの

仮の教えだと、ローマ帝国の勅令が神の教えであると、完全に勘違いしているからです。

神は、イスラエルと異邦人に対して、同じ契約〜教えを与えている事を最初から教えています!

なぜそう分かるか?神は2つ別の契約書、モーセの五書=トラーに

記された以外の教えなど、聖書のどこにも記していないからです。

 

民数記15:15 会衆たる者は、あなたがたも、あなたがたのうちに寄留している他国人も、同一の定めに従わなければならない。

これは、あなたがたが代々ながく守るべき定めである。他国の人も、主の前には、あなたがたと等しくなければならない。

15:16 すなわち、あなたがたも、あなたがたのうちに寄留している他国人も、同一のトラー、同一のおきてに従わなければならない』」。

 

個人的体験から言えますが、他の人も同じ事を語っていますが、今まで教えられて来た教え〜神の言葉を否定する教え=宗教の教えから

脱却するには、時間がかかります。

カルトが嘘と気が付くのに時間がかかるのと同じ。結局、嘘が本当であると刷り込まれている、その嘘から、真実=神の言葉に戻り、根付き考え、はっきり神の言われている事と、人間の言っている教えが

違うと認識するには、時間がかかるからです。

真実の点と点を繋ぎ直さないとならない、その作業には時間がかかるからです。聖書に根付いて、神の言葉の真実の中だけに留まり

真実を繋げて行く。

常に聖書=神の言葉の真実に立ちながら、正しく聖書を学び、そして

同時に頭脳に蔓延っている人間が作った教え、その脳回路の枝、

思考パターンに絶えずに引っ張られ戻されていく事を、はっきり

知っておかなくてはなりません。

詰まり人は、神の教えだけでなくても、自分の中にある固定概念

信じている思考回路=箱の中だけでしか、考えられないからです。

カトリックユニバーサル教=キリスト教の教え=人間が作った教理の

教えに常に引っ張られる理由は、その思想の中からだけ、聖書を考える事をずっとしているから、神の言葉を正しく理解していないからです。そして、周りが常にそのように、聖書ではない思想を語り、

神の言葉は廃れた、律法は悪!という事を言い続ける、神の記念日ではなく、ローマ教が作った伝統の記念日を実践し続ける、違う教えを聞き続け、見て触れ続けるからです。

イエシュアが来られて新しい契約=新しい教えが出現したというのは聖書にない、人間が作った教えです。

クリスチャンが祝っている、ローマ教が作った記念日は、神の創造された記念日ではない、人間が異教の神々〜太陽神、ミトラ教の教えをまぜて作った宗教の祭り。

そして、多産の女神、イシュタールの祭りを作り替えたもの。

聖書とは異なる、異教の神々の祭りを、カトリック風にしたものを

祝って、それがイエシュアの仰せだと疑いもなく信じている。

それは、18世紀以上も、それら人造の記念日=異教神の祭りを

祝っているからです。全世界がそれを祝うでしょう。

クリスマス、イースター、異教徒も皆祝う。

でも、神の記念日は、イスラエルの神の民しか祝いません!

それらは、神との関係に入っている証拠〜印〜婚姻指輪として

与えられたものであり、神の言葉、教え、仰せを知る人しか

それが神の招いている記念日であると、知らないからです。