多くのクリスチャンは、再臨は2回あると考えているでしょう。
それが聖書に書いてあると、疑いもなく信じている。
それはダービーが勝手に言った教えなのに、その教えの出どころは
聖書ではなく、人間が言っているだけという認識を、クリスチャンは、全くしていないと思います。
それは、人間の思想を信奉する教師、牧師にそう教えられ続けるから、皆がそう言い続けるから、本当だという事にされていて、
何が聖書に書かれている事か、何が書かれていないのかも、全く
検証しない、学ばない、確認もしないからです。
伝統で浸透している教え、イコール真実だと錯覚しているのです。
神の教えの進化論と、そして偽物の教え〜聖書ではない教えなのに
聖書だと、疑いもなく信じているのです。これが大問題であるのに
その事について、考えもしない、調べない、又はどうでも良い!
キリストを知っているからOkと考えているのです。
内側にいるイエシュア=聖霊は、異物を拒絶するのです。
そうすると、神との隔たりができるのです。だからなんでも良いなんて、神が言ってもない事を、信じて良い加減な態度でいる事が
どれほど危ないのか、気がついて方が良いのです。
再臨は2回???これ、聖書のどこに書かれていますか?書かれていない、単に人間が勝手に考えて、言っているだけでしょう?
ずっとずっと、異邦人の世界では、聖書ではない教えを神の教えの中に混ぜこんで、神の教えを不純物にし、別物に変身させて、人に偽情報が混じった不純物の福音、神の教えを伝え続けているのです。
イエシュアが来られて、歴史上初めて別の新しい教えが出現し、人々が初めて新しい教えを聞き、以前の教え=モーセの五書が廃れた
又は神の教えは、今は人の自由選択で生きる、生きないと決められる
時代。神の教えは今は異邦人には関係ない教え、キリストが十字架で神の言葉=教え=トラーも一緒に葬って破棄したから、神の教えは修了だ〜と考えている。
これは全てパウロが書いた内容を、意味通りに理解しない逸脱の解説を、教師、学者、牧師がし続けているから、聖書とは違う教えが
クリスチャンの間に浸透してしまったことによるのです。
そして、これら上記した思想は、ローマ帝国の勅令から来ているものである事を、クリスチャンは知らないままなのです。
昨日新しいローマ教皇が選出されて、ライブでその様子を見ていました。
しきりに、聖ペテロ〜初代教皇から繋がって今の教皇選出されたことを伝えていましたが、これこそ、聖書とは関係のないことを、
聖書であるように世界中に発表している間違い、ミステーク情報なのです。嘘を本当と言い続ける、真実が分かれば違和感マックスになります。嘘なのに、真実のごとく語られ続ける全ての偽情報。
ずっと書き続けているように、昇天以降、モーセの五書=シナイ山で与えられた婚姻契約=トラーとは別の教えや宗教を神が出現させたという勘違いを全部一掃すれば、真実が見えます。
宗教の教えなど聖書には、1つも書かれていません。
聖書には、神の言葉=教え、インストクションが記されているのです。神が創造された人間の生き方、神の性質通り=イエシュアの
性質そっくりに造られた人間の生き方の全てが書かれている、
それが聖書です。
ユダヤ教も、カトリックも、プロテスタントという宗教も聖書には
書かれていません。イエシュア〜子羊の血の贖いで神の元に戻るという事実、実態は2000年前に初めて出現したのではありません。
永遠から同じ。エデンの園から同じ!
それを知って受けた人、聖霊を受けていない人。今と全く同じ事なのです。
ユダヤ教は、1世紀の時代、モーセの五書=トラーとは別の教え
口伝律法、口頭トラー〜人が解釈したモーセの五書の生き方、実践に関しての様々な伝統の教え、先祖の言い伝えを生きていたのです。
ユダヤ人は神の教えを異邦人が主張するように破棄された、修了、
今は無効の教えなどという冒涜は語りません。それは神に対する
死に匹敵する言動、行動であると神の言葉で人に伝えているからです。でも、神の教えの実践に関して、ある部分ズレた解釈をしていた、それをイエシュアが戒めていたでしょう。手洗いの儀式や
シャバットで人を癒すなとか、落穂を拾うなとか。
シャバットこそ、イエシュアがその意味、修復を教えるために
人々を癒した事が記されている、意味があるのです。
シャバットは、元の姿、生き方、エデンの園の生き方に皆が戻り
そこに住まう事を教えているものだからです。
人間の考えで、神の言葉、教えを、これこれ〜のようにやらないといけないというのは、人間の教えであり、神の言葉ではないのです。
そして、カトリックとプロテスタントは、神の言葉を否定した教え
を土台とした、ローマ帝国の勅令〜1世紀から既に存在していた
モーセの五書を生きることを禁じる、神のシャバット、祭りを祝うことを禁じる、ユダヤ的なこと全て禁じるというローマ帝国皇帝の
勅令、法律、処刑、死刑、重税があったから、モーセの五書を教え
生きることが禁じられてきたのです。
その勅令をそのまま、コンスタンチヌスは新興宗教の土台とし、
太陽神〜ミトラ教、その他の異教の神々の教えと融合して4世紀に
作った不純物の教え、人造宗教は、神の純粋な教えではないのです。
4世紀迄、神の教えが隠されていて、聖書が閉じられた後の4世紀に
人間が作った教えの宗教が真実であると考える方が、おかしいのです。それらは、イエス、ジーザス、ジェスと言いながら、結局
純粋な神の教えではない、人間の教え、異教神の教えとの不純物が
混じる融合、混ぜ物、同化、シンクロナイズした人間が作った宗教で
あり、太古から神が教えた、預言者を通して記された聖書、トラー、イエシュアや使徒達が教えていた、神の純粋な教えではないのです。異物、異なる教え、人が作った宗教なのです。
今は何信じてもいい、何を生きても良い、イワシの頭も信心からのような意識と全く同じ事が、人造宗教の根底にあるのです。
イスラエルの神は、神が言った通り、それ以外、極限に拒絶、忌み嫌う!とずっと聖書に書いてあるのに、神の教えを捨てる人には、
神が言われた事など、もう通じなくなっているのです。
都合の良い事だけ拾い出して、空想のイスラエルの神、イエシュア像を信じているのです。
本当に聖別、汚れ、混ぜ物の教えに関して、神は完全断固拒絶している事を、はっきりと、神の言葉から理解すれば、その意味が頭脳に腹に響き理解できます。
この歴史の事実の重大点、真実をはっきり知って理解してください。
1)神の教え、言葉は昇天前後で1つも変化していない!
2)カトリックそこから派生した同じ思想=モーセの五書を破棄というローマ帝国の勅令を土台とする宗教は、聖書が閉じられた後
ローマ帝国、皇帝、司祭たちにより作られた人造宗教であり、純粋な
神の言葉ではない、異教神、異教女神の教えがふんだんに取り込まれて作られた人間の作った宗教であり、神がそのような宗教を認めて
人間に作らせたものではない。
ペテロはユダヤ人であり、100%モーセの五書を信奉、支持し、
人々にイエシュアが教えたモーセの五書=トラー=父の教え=婚姻
契約の中に記された生き方、生粋の福音を伝えた人です。
ペテロが教えて生きたのは、トラーであり、祝ったモアデイム〜
アポイントメントの日は、シャバット、新月、春の第一の月の15日から始まる7日間の祭り〜過越、種無しパン。初穂=復活の命、
そして、そこから7週目に来る春の最後の祭り、婚姻契約を受け取った祭り、小麦の収穫祭であるシャヴオート。
そして、秋の第七の月の1日の角笛を吹く日、10日の大贖罪日、
15日から7日間の仮庵の祭り、そしてイエシュアの永遠の統治に入ることを表す、第8日目の祝い日。
春に4つ、秋に3つ全部で7つの祭りが本物!
神が創造された全ての神の子らが永遠に祝う記念日なのです。
春の祭りは、福音〜子羊の贖い、救い、新しい人を与えられ神の民
神の元に戻った事実を表す祭り。婚姻契約を受け取った祭り、
この祭りの事実、意味が最初のイエシュアの到来で、全て網羅されているのです。
秋の祭りは、イエシュアの再臨、そしてイエシュアの永遠の統治に
入る未来預言の祭りなのです。
ペテロが祝ったのは、ローマ帝国が作った太陽神の日=日曜日の
日曜礼拝、クリスマス、イースター、万聖節ではありません!
神はペテロを、ローマ帝国が作った宗教の初代教皇として、任命もしていません!当然です。その宗教は偽物、人造宗教であり、神の教えとは全く関係のない、コピー品だから。似ているようで本質が違う。
そのような祭りは、聖書が閉じられた後、ローマ帝国が作った祭りであり、神の教え、仰せ、聖書ではない事実をはっきり聖書から突き止めてください。
ペテロはモーセの五書を生きた人です。ローマ帝国が、ミトラ教〜
太陽神の教え、その他諸々別物の神々の宗教の教えを取り入れ混ぜて作った融合宗教を、ペテロが信奉したなどという、神話、偽情報を
捨ててください。
ペテロが、人間〜ローマ帝国が4世紀に作った宗教の教皇であるはずがないことを、はっきり聖書の事実に基づいて知ってください。
嘘だらけ。
本当の事を知ったら、嘘を言い続ける事に対して、ものすごい違和感があるでしょう。
進化論が嘘!と、神の創造の事実を知った人は、人間が猿から進化したとは、2度と言えなくなるのと同じ事なのです。
嘘と分からないから、人間が作った教えなのに、神の教え、仰せだと
完全に騙されているから、その嘘を言い続けても違和感ゼロなのです。
嘘なのに、全世界に向けて、聖ペテロ〜初代教皇につながる新しい
教皇、267代目の教皇だと言っています。Oh, My G-dです。
多くのイエシュアを信じる人が、この現人神を讃え、賛美し、歓喜しているでしょう。
人造宗教は人間、ローマ帝国が勝手に作った宗教ですが、
その人造宗教に、ペテロをこの偽物の教えの中に取り込んではならないのです。偽証するなかれ!嘘言うな!です。
イエシュアが宣言した「この岩の上」とは、イエシュアご自身〜
大きな岩〜ペトラ!ペテロ=小さい岩が、宣言した「あなたが救い主です。」という真実=聖霊により明かされた事実〜イエシュアの上にカハール、エクレシア=1つの群れ=イスラエルの神の大家族を建て続けるとイエシュアが言われているのに、この岩=ペテロの上に、
別物の群れ=教会=異邦人が主体の、モーセの五書とは違う新しい教えを生きる教会を建てる!という、イエシュアの言葉と真逆な、
ズレた解説をし続けているのです。
クリスチャンの間で語られるスローガン、律法に戻るのか〜!
恵を無駄にするのか〜!その他諸々、それらのスローガンの根拠とされている聖書箇所は、100%全て間違った読み込み、聖書に書かれている事を正しく理解していない人たち、その原因は人間が編み出した思想、モーセの五書が廃れたとか、デイスペンセーション神学〜
時代ごとに神の言葉が変化するという偽物の教えに照らし合わせて
神の言葉を曲げている事が原因です。
これらの箇所に関しては何度も書いていますが、スローガンは全て
聖書を正しく理解しない解説であり、神の言葉、パウロの手紙の内容を完全に誤解している事によります。
そして、ローマ帝国の勅令が神の教えだと信じているからです。
モーセの五書を生きるのを禁じる!ユダヤ的なこと全部禁じる!
こんな解説があります。
廃止された教え 永遠に残るもの
1)インクで書かれた教え 1)御霊によって書かれた教え
2)石に書かれたもの 2)心に記された新しい契約
3)旧約聖書 3)新しい契約
4)文字は殺す 4)御霊は命を与え生かす
5)死のミニストリー 5)聖霊の働き
6)栄光の断罪の務め 6)栄光に満ちた義の働き
7)「ベール」は束縛 7)鏡
8)モーセの」五書 8)主
このような対比をして解説していますが、全て「神の言葉」の中で
神の言葉同士を敵対して解説しているものです。
この根拠となる聖書箇所は、又別の時に書きますが、あたかも神の言葉自体が悪いという意識を刷り込んでいるのです。
そして、上の解説は、聖書を正しく理解していない人が解説しているのであり、パウロはこんなズレた聖書解説などしません!
文脈読んでも分かるはずです。
ローマ6章は、新しくされた人、イエシュア=聖霊を内側に得た人は
恵を無駄にして罪=神が伝えるズレた生き方をし続ける事などしない。罪を犯してより恵を得ようというズレた思考回路の人に、諭しているのです。
ローマ6:11 このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリスト・イエスにあって神に生きている者であることを、
認むべきである。
6:14 なぜなら、あなたがたは律法=罪と死の法則の下にあるのではなく、恵みの下にあるので、罪に支配されることはないからである。
6:15 それでは、どうなのか。律法=罪と死の法則の下にではなく、
恵みの下にある
からといって、わたしたちは罪を犯すべきであろうか。断じてそうではない。
パウロが語っている内容、文脈からも、何を言っているのか理解できるでしょう。ここで書かれている律法=ノモスとは、神の教え=トラーに記されている「罪と死の法則」、新しくされた人は、そのような
束縛の中に閉じ込められたままではない!新しくされているから、
その法則に縛られないで、それを打ち破り、イエシュアの性質=恵により与えられた性質通りを生きれる!と言っているのです。
しかも、11節では、罪に対して死んだものとあるでしょう。
新しくされイエシュアの性質を頂いた人が、どうしてイエシュアの
性質=トラーに記された教えを捨てて、別物を生きよ!とパウロが
教えるとでも勘違いしているのですか?それは、偽物の教え〜聖書を正しく理解しない人たち=人間の思想、人造宗教、デイスペンセーション神学のような思想を通して神の言葉を曲げて教える人の解説だけを、聞き続けているから、パウロが伝える永遠の真実〜神の教えが
見えてこないのです。
続く