エレミヤ31章にある、ユダの家とイスラエルの家に対して、
同じシナイ山の契約が、未来に新しく再更新されます。
それは、イエシュアが再臨された時に行われるものです。
全ての人がトラーを裏も表も知り尽くし生きる時代が来る時です。
イエシュアがエルサレムの神殿から、王の王として世界を統治する
時代の未来預言だからです。
イエシュアが言われた、新しくされる契約も同じ、シナイ山の婚姻
契約です。この契約は永遠から永遠に1つであり、時代の節目節目に
再更新し続けられている、中身が同じ契約であることを、はっきり
聖書が語る真実、事実を理解してください。
では異邦人はどうなるの?と思うでしょう。はっきり書いてあります。最初から、出エジプトした人たちも、イスラエルの中に異邦人も混じり、イスラエルとして数えられていたのです。
神の声に応答し、子羊の血の贖いを鴨居に塗り、神が人生の扉を開け
人、神の言葉に応答したその人の中に入った、同じ福音なのです。
家に入る〜鴨居、敷居をまたぐ、しかも子羊の血できよめられた人の家に神が入るという意味なのです。同じ福音。
分からなくても、神が言われた通りを信じます!と口だけではなく
行動に移した人の家は、死が過越して、神の命がその人の中に入って
きたのです。
イエシュアが言われた通り、扉を叩いて開ける、開けて戸を開いて
神が入ってくださる。同じ福音なのです。
私達個人個人違いますが、全部分かって、信じたのではないでしょう。信じた後に、色々と聖書に書かれていることを読んで、知っていった。同じなのです。
そして、神の教えを、イスラエルと同様に他国人=異邦人も同一の
仰せを生きる!と神が伝えているでしょう。
同じ1つの契約に、全ての人が加えられた、加え続けられているだけのです。なぜなら、神の家族はクリスチャンの世界で教えられる2つの人種、別の分裂の家族ではなく、神の性質通り、一体、エハッド、
1つの大家族しか存在しないからです。
エデンの園から出てずっと同じ1つの神の家族に、全ての人が加えら続けて行くのです。
そして、その大家族は、同じ神=父が伝える同じ家訓=トラーを生きると神が教えているでしょう。
なぜ、ものごとを複雑に人間の思想に変えて、神の言葉を退けているのか?それが、ローマ帝国の教え、勅令、法律なのです。
クリスチャンの中には、聖書ではない思想、教えがインプットされているから、聖書の事実が見えないままになるのです。
古い教え=ユダヤ教=行いで義を獲得=生贄で一時的に仮に許された古い教えは、仮の教え、律法主義になるから、古い教えを捨てよ!
戻るな!とローマ帝国の勅令を神の教えだと勘違いしているのです。
新しい教え=信じるだけで、許される、聖霊が初めて住まうようになった。
こんな聖書とは異なる人の教えを教えられているから、聖書に書かれている永遠の事実が見えないまま、人間が考えた教えを、神の教えだと勘違いしているのです。福音は同じ、救いの方法もエデンの園から同じ!贖い、救い、赦しは瞬時!神の前にずれ認めて、神に告白し、助けを求めたら、神は即座に救い出してくださる。
読めば分かるでしょう。神の前に直接神に対して皆語り、告白し赦しを瞬時に受けて癒されている、慰められている、力付けられている。
同じ人間。同じ神。何も変化していないのです。
イスラエルの神像が、異邦人により大変歪められているのです。
怒りの神?恵の神に変身?何その思想?と思わなくてはなりません。神は永遠から永遠に恵み、憐れみ、赦しに富だ愛の神という言葉を
どうしてクリスチャンは否定して、神ではない、そんな聖書をよく知らない人間ダービー教が作ったデイスペンセーション神学の思想に酔倒しているのか、検証し直してください。人が言うイスラエルの神像は聖書には書かれていないこと、聖書から発見してください。
人を長年放置する怒りの神?だから、神との距離があり、怖いのでしょう。怒りの神〜。ひどいですよね。本当に。勝手に人間が神の品定め、評価をし、ズレた批評をして、人に偽のイスラエルの神像を
吹聴し続けているのです。やめないとならない嘘の教え!
おなじ1つの婚姻契約=神との関係を保証、証明、土台とするものは1つしかありません。それが、節目節目に再更新されていることは
タナックを学べば、記されているので分かります。
でも聖書を書いてある通りに正しく学ばない人には、西洋人が作った教え、デイスペンセーション神学で、別物出現し、異邦人とイスラエルは別の群れなど、聖書とは何も関係のない教えに騙されて行くのです。教育とは本当に大事です。嘘を教えられたら、神の言葉の進化論を教えられたら、その嘘から抜け出すのは大変。頭の中に人間の思想が蔓延っているから、いつもその思想からしか、考えられなくなるからです。
聖書を正しく学んでいない人、人間の思想で聖書を解説する人が
聖書を解説しているから、聖書とはズレた解説だけが流されているのです。神から異邦人に与えられた契約もこの世にはありません。
これを読んで、異邦人に与えられた、新しい契約などと、書いてもないことを、説明し続けているでしょう?
エレミヤ 31:31 主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家とに新しい契約を立てる日が来る。
イエシュアが過越の祭りで語られた、新しい契約も、シナイ山で与えられた同じ婚姻契約の再更新を伝えているのです。
クリスチャンは、ヘブライの世界、ヘブライ思想のヘブライ語の聖書
イエシュアが語ることを語った意味通りに、教えられていません。
だから、勘違いした教え、誰かの想像、空想の解説を聞いて、新しく出現した新しい教えだ〜古い教え、トラーは廃れた!という、ローマ帝国の教えが本当であると、聖書に書いてある意味が見えないまま、
信じ込んでいるのです。
調べれば分かりますが、聖書には、モーセの五書を否定する教えや
別の教えなど1つも書かれていません!
大体預言者や使徒が、トラーに反した教えをする、死に匹敵する教えを平気でするという、その思想、発想こそが、聖書とはまるで異なる異教徒異教神、別の宗教の教えそのものであることを、覚えておいてください。
聖書に書かれていると思い込んでいるのは、書いてある意味、特に
パウロの手紙などを、誤解して読んで、間違った聖書解説がされている、それを根拠に神の教えが廃れたという嘘、不真実情報が流されて
18世紀以上も経ってしまっているからなのです。
クリスチャンの世界で教えられているのは、聖書の事実もありますが
肝心な重大な真実がごっそり抜けています。
新しい契約と読んで、それがシナイ山で与えられた婚姻契約とは別の全く違う契約であると、勘違いしているでしょう。
そして、昇天以降、新しい契約が与えられたと、聖書のどこにも書いてない、シナイ山で与えられたトラーとは別の教えなど、聖書の
どこにも書いてもないのに、それがあるという空気椅子を信じているでしょう。不思議に思ってください。事実を直視してください。
異邦人に与えられた契約など存在しません!シナイ山で与えられた
契約、トラー以外に神の家の家訓はありません!!!
神は神の契約、約束を決して破らないと言っているのに、どうして
前の契約を塗り替えた別物が現れると考えるのか、それはヘブル書や
パウロの手紙を読み違え、勘違いしているからです。
全ては聖書を正しく学ばない、ズレた聖書教育が問題なのです。
正しい情報に欠落し、聖書に書いてある意味を勝手に解釈しているから、聖書に書いてある事実が見えず、自己流の聖書解説〜ローマ教が
作った思想を土台に、神の言葉の方を、人間が曲げた聖書解説を
し続けていることが問題なのです。
聖書に記された「契約」とは、シナイ山で与えらた神の婚姻契約で
あり、それ以外にありません!
アヴラハムやノアの契約も同じシナイ山の契約に含まれて、キャンセルされたものではないのです。今も全て有効な契約、神の教えです。
神の教えは、トラー=モーセの五書に記されたもの以外に無い!と
いう永遠の事実に、西洋宗教〜ローマ帝国が作った人造宗教の教えで
塗り替えられ、聖書とは違う教え、教理を、十何世紀にも渡り宗教会議で編み出し続け、それらを全ての人〜ローマ帝国下に住む人に強制的に生きさせたのです。
これは、本当に何度言っても歴史の史実〜人間が神の言葉を変えて
神は神の言葉を変えることを禁じていることを、聖書から正しく理解していない人には、全て頭上を通り過ぎるものなのです。
今迄教師に教えられてきた教えは、頭脳に蔓延り、その考え、思想から抜け出せないのです。それが真実と思い込んでいるからです。
偽科学、偽医学、進化論を信じるのと同じからくりです。
誤解して頂きくないことは、誰かに対しての批判ではないのです。
聖書に書かれていることは何で、聖書に記されていない人間が作った教えが何か。その区別がクリスチャンの間にはない。その理由は、
人間が作った宗教の教えを通して、聖書解説しているから、神の言葉教えの方が曲げられていて、捨て去られ、葬り去られていると
いう事実を知らないとならないのです。いや、本当のことなど
別に知りたくない人、どうでも良い人、調べたくもない人、神の教えなどに興味もない、今のまま人間の教え、嘘でもいいやと思う人は、このブログを読んでも意味がないと思います。
でも、真実を検証し、確かめるということ、神を本当に愛する人は
神が私達に伝えている永遠普遍の本当のことが知りたくありませんか?人間の嘘に騙されていたら、神が提供してくれている本当の親しい関係、神のデザイン通りの関係に壁、隔たりができてしまうのです。自分に与えられた天の祝福奪われているのに、気が付かないで
人間の作った教え、宗教に縛られて、窮屈、神との隔たり感じながら生きる。
神の警告は、騙されるな!とあるでしょう。最初の最初から。
神が言われた事とは違うこと、神の言葉に人間の言葉、教えを混ぜてはだめな理由は、神が伝える本当のことが分からなくなるからです。それがアダムとハヴァに起きたでしょう。
簡単なこと!神がこれはあなたが食べるため造られているものではないから、食べないで!と言われたのに、今も神が禁じた同じことをして、神が伝える食べてはならないものを食べ、聖別を汚し神が最も
忌み嫌う行為をしても気が付かず、今は何でも自由〜などと、何も
神が伝える意味を理解しないまま、そんなことを言い続け、やり続けているのです。同じことです。
エデンの園の禁断の実、神が食べるな!というのに、食べても良い!蛇の声を信じて、神の声を退ける愚かな教えを信じているのに、
それが恵の聖霊時代の教えだ!と、自分の体と聖別を破壊しているのに、今も気が付かない。偽の教えを神の教えと信じるからでしょう。
神は、人間に神の言葉、神のモアデイムを塗り替えて別物に変える
権限など与えていません。そのようなことをしてはならない!と
厳重警告しているのに、神の言葉を捨てる人には全く通じなくなっているのです。
神は、シャバットを、ローマ帝国皇帝が変えたように、日曜日に
変更などしていないと、今クリスチャンに言ったら、何言ってるの?
日曜日=主の日、聖日、主日礼拝、聖書と即座にそう思うでしょう。
神の創造された記念日は、古い廃れた律法主義の教えだ!と多くのクリスチャンがそう信じています。いや、それ以前に、神が創造された記念日が、いつで何なのか、全く知らない人の方が大多数でしょう。
事実は、人間は神ではなく、神が創造された世界と、神の創造された時、モアデイムを人間は変えることなどできないのです。
しかも、神は神のモアデイムを人が塗り替える、無視する〜汚されていると言っているではないですか?クリスチャンには全く通じないのは、神の教えは廃れたというローマ帝国の勅令が神の教えだと
勘違いしているからです。
エゼキエル22:8 あなたはわたしの聖なるものを卑しめ、わたしの安息日を汚した。
22:6その祭司たちはわがトラー=神の教えを犯し、聖なる物を汚した。彼らは聖なる物と汚れた物とを区別せず、清くない物と清い物との違いを教えず、わが安息日を無視し、こうしてわたしは彼らの間に汚されている。
民数記15:15会衆たる者は、あなたがたも、あなたがたのうちに寄留している他国人も、同一の定めに従わなければならない。
15:29 イスラエルの人々のうちの、国に生れた者でも、そのうちに寄留している他国人でも、あやまって罪を犯す者には、あなたがたは
同一のトラーを用いなければならない。
レビ記19:30 あなたがたはわたしの安息日を守り、わたしの聖所を敬わなければならない。わたしは主である。
23:3 六日の間は仕事をしなければならない。第七日は全き休みの安息日であり、聖会である。どのような仕事もしてはならない。これはあなたがたのすべてのすまいにおいて守るべき主の安息日である。
変えても変えられないのです。永遠の存在する事実を、人間は消せない。人間は創造主ではないからです。
男がいくら手術で女になろうとしても、見かけが女みたいにみえるだけで、本質、DNAは神に与えられた性質、性別を人間は自分で変えられないのです。人は誰に生まれてくるのか、自分で選べない!
こんなシンプルな事実に抵抗しても、無駄なのですが、別物を学習するというのは、エデンの園から同じです。
自分が誰か分からない。神の似姿そっくりそのままに作られた
大変高貴な存在、神にそっくり。神の考えを直接神から伝えられて
知ることができる、素晴らしい存在に造られたのです。
それを、エデンの園に忍び込んだあの蛇〜地を這う動物が、人間の
言葉を囁き、アダムとハヴァに対して、神の言った言葉を疑わせ
彼らが神の似姿そっくりそのままのすごい存在であることを
疑わせたでしょう。何かが足りないよ〜。これ食べたら、神のように
なれる、神のような理解ができるようになるから、神はあなた方に
これを食べてはダメと言ったんだよ。
これって、神は彼らから何かを隠している、大事なものを与えていないという、嘘、疑いを植え込むこと成功したのです。