人の作り出した教えを神の教えと教えられ騙される | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

今の時代、約この30〜40年間、いや、もっとその前から起きていたことですが、着々と時代は、軌道修正、そして神の教えを捨てる

背教、無法に向かう人たちと、神のオリジナル、本物の言葉に戻る人と、二つの方向へはっきりと分かれていく時代になりました。

 

聖書〜ヘブライ聖書に書かれたこと、預言者達、イエシュア、使徒達パウロ、そして1世紀の人々、聖書の中の世界に記されている、

神の教え=トラーを生きていた人たちが聞いて実践していた

神の教え=トラー=モーセの五書=婚姻契約の中身が、異邦人クリスチャンの世界に正しく伝わらないまま、今に至っています。

 

それが起きた理由は何度も書いていますが、ローマ帝国が4世紀に

作った人造宗教の教え、神の教えを否定、生きることを禁じるという勅令、教理を元に、帝国と宗教が一体化した勅令、法律で、神の教えと記念日の方を捨て去り、ローマ帝国の勅令に全ての人が強制的に従わされたものが、クリスチャンの世界に伝えられ、浸透したのです。

 

16世紀に宗教改革がありました。どの時代も異邦人の中にも、残りの民を神は保存しています。神の教え、言葉を愛し、神の言う通りに生きる人たちがいたのです。隠れイエシュア信者、イザヤ56にあるように、異邦人でも神のトラーを愛し、神のモアデイムを愛して生きる人は、どの国にも、どの時代にもいたからです。

そして、その人たちは、ルターの宗教改革の時に、聖書に完全に戻ろう!神が創造されたシャバット、祭りを祝うことに戻ろう!と懇願、

主張したのです。

バビロンから帰還したイスラエルに教えた、ネヘミヤ、エズラのようなリーダーは、その宗教改革をやった人たちの中にはいませんでした。ルターも、大元までの軌道修正には無関心。彼は晩年、反ユダヤ反モーセの五書思想。ルターも結局、神の教えを正しく理解しないまま、神の教えに反する叛逆行為をして、人生の終わりに破壊的思想をヒットラーに提供する、罪に陥ってしまったのです。

ルターの提案の全てが、ホロコーストで実際にヒットラーにより行われたことを、クリスチャンは知らないとなりません。

あのような残忍なことをしろ!と、イエシュア信者であり、プロテスタントのヒーローとして祭り上げらた人がしでかしたなど、クリスチャンは全く知らないままだと思います。

一方名もない一般のクリスチャン達、日本人も、ホロコーストの中、多くのユダヤ人を助けました。

だから、ユニバーサル教が作った教え=土台=モーセの五書が終わり!と言う一番肝心要の間違いがそのまま正されないまま、

砂の上に建てた建物のまま、人間の教えの上に、少しだけ上物のあれこれを変えただけで、プロテスタントとなっただけなのです。

プロテスタントもカトリックと今も同じ記念日を祝い、神の創造された記念日を祝わず、カトリックが作った聖餐式を祝い、イエシュアが祝った、再臨された後も祝い続ける過越の祭り、その他もろもろ

シャバット、新月、過越、仮庵の祭り、神が創造された記念日を祝わなくなって今日に至っているのです。

クリスマス、イースター。カトリックと同じ記念日はプロテスタントも同じように祝うでしょう?

イエシュアが祝ったシャバット、新月、過越や仮庵の祭りなど

クリスチャンが祝わない本当の理由は、ローマ帝国の勅令に従った人たちの教えをそのまま継承しているからです。神の仰せなどではない。神の教えを退けて、人間の教えを尊重して生きている。

でも、本当の理由を知らないだけなのです。

人間の教え=宗教の教えからの完全脱出はなく、肝心な大元が撤去

除去されないまま、そのまま偽の教えを土台とする宗教の教えの上に

建物を建て続けているのです。

キリストは、あなたの罪のために死なれました。復活して、キリストの贖いを信じる人は、救われますというその点は、聖書の事実です。

でも、それは2000年前に初めて実現したものではない。

それらは、モーセの五書、預言書、諸書に記されている最初からずっと語られている同じ福音であり、どの時代の残りの民も、イエシュアの贖いの命を得て、新生体験し、聖霊を受けていた。神の教え、特にイスラエルは、実際にミシュカン、神の家、神殿の中で神の言葉を

実体験で教えられて知っていたのです。

永遠の中から完了している贖い、救いの事実は、クリスチャンの間では正しく教えられていません。トラー、預言書、諸書に記された

内容を正しく知り、把握し伝えられていないからです。

そして、キリストが地上に来られるまで、罪の赦しは、生贄で仮に

許されたとか、古代は神の言葉を生きて義とされる時代であったなど

聖書に書かれたこととは違うことを信じているのです。

デイスペンセーション神学が解説する内容は、永遠から語る神の真実聖書とは全く異なる思想、教えが伝えられてしまっているのです。

神の教え、福音は、エデンの最初から同じなのです。

永遠の中に、この世の礎が創造される前から既に完結し、イエシュアは永遠の中に存在し、そして創造の最初に現れ出た、神が人に示された光はイエシュアそのものだからです。人は最初から神の中にすっぽり存在するように造られたのです。

私達も永遠の中=神の中に、この世の礎が創造される前から、既に

選ばれていたと書いてあるでしょう。

西洋思想の時系列上に聖書を読んでいたら、神が語る永遠から存在する救い、贖い、私達が誰なのか?ということが、見えないままになります。

聖書とは違う聖書解説ばかりがされていて、聖書に記された永遠から神が語り続ける同じ教え、同じ福音、同じ救いの方法、そして壮大な

修復プランが、全然見えていない、教えられないままで、人間が作った宗教の語る思想で、聖書が語られてしまっているのです。

 

そして極め付けが、神の教えが廃れたという、神に対する致命的な

大冒涜、真っ向から神に敵対する思想を正義などと思い込まされているのです。

神の言葉は、イエシュアそのものであるのに、イエシュアに敵対する教え、神の教えを捨てよ!神の教えに戻る人は律法主義だ!などと、聖書とは何も関係のない、神に敵対する思想をあたかも義であるという、嘘のカモフラージュで、信じる人の口からそのような冒涜的な

教えが平気でされ続け、それが恵の時代、聖霊時代、神がされた業=神の言葉を神が終了した!ウルトラマン太郎が悪いウルトラの父を

撃退したの巻、聖書とは何も関係のない人間の思想を、大衆が大声で

今も言い続けているのです。

その思想、教えは、ローマ帝国、皇帝、教皇、司祭が作った冒涜的

教理であることに、クリスチャンが目覚めない限り、神を愛しながら、知らない間に神に敵対する、神に対して罪、聖別を汚す生き方をしているのに、全然気が付かないまま、蛇が足元で転げ回り

大笑いして喜んでいることに気がつけないままになるのです。

 

あれと同じです。正義に聞こえる。これがあなたを守ります〜と

言い、本当の目的は、人々を破壊する目的であるのに、正義だから

それがあなたと他者を守るから、バンバンやりましょうと6〜7回?

世界中でそんなことを強要されているのは、日本だけなのです。

食い物にされているというか、本当にバカにされているのです。

というか、上が操り人形だからです。

日本人は特に同調圧力で従順になり、何でも上の言うことに疑問に

思わず従い、素直やる民族なので、今もそれが何か、誰の策略なのかも全く気がついていない人が大勢いるのです。

私の周りにも、元気で若いのに心臓発作で急に亡くなった人々、急速に老化した人、50歳なのに、95歳のようになってしまい、人格も変わった人、歩けない、原因不明の病気、若くていきなり進行するがんになった人、身近にたくさんいます。

一方、そのからくり、闇のプランに気がついた人は、世界中で大反対運動と、訴訟を当時からして、今もしているのです。

真実に対して眠っている人は、大衆に対して意図的に語られるプロパガンダの嘘に気がつけないままになるのです。

もう今の時代、世界は正しい情報は自分で探り出さなくてはなりません。

特に聖書は、永遠の証拠として、文字として契約として神から与えられているのです。

神が神の口から、永遠に変わらない、固く確立される神の言葉と

言っているのに、どうしてクリスチャンがそれを曲げているのか

その原因は、人間が作った教え、人造宗教の教えで、聖書〜神の言葉の方を曲げて読んでいるからです。大元の問題は明らか、シンプルな原因なのに、それに気が付かないままなのです。

プロパガンダ〜西洋宗教を作ったローマ帝国の嘘を、神の言葉、

教えだと信じる、神の教えは廃れた〜というその嘘を、信じている。

それは神の言葉の真実に対して眠った状態で、神の言葉を直視し

聖霊が書いた神の言葉の真実に盲目状態になっているのです。

 

LGBTQに日本の牧師も今、リーダー達がこぞって賛成するのは、

皆この蛇の声、神の言葉に敵対する思想から出ていることを、はっきりと知ってください。いや、これも同調圧力かもしれません。

反対意見言ったら、仲間から追放される、仕事干されるかもしれないという、恐怖があるからかもしれません。

だから、公に教師として教える人の方が、より試されてしまうというのは否めない事実です。神と人の前に真実を語るのか、それとも上手い理屈をつけて、嘘に同調していく、それが愛などと、勝手なことを言い、実行するのか?です。

人間が神の言葉を時代の流れで変えて良いと主張する、ユニバーサル教の教えを、プロテスタントも信じているのです。

神の言葉を正しく理解しない人は、人間の思想、主張に簡単に流され

同調圧力に屈して、神に敵対することを平気で言い、やるようになるのです。

人から除外されることを恐れれば、そのグループに反することは

言えない、神より人間を恐れるからです。

一方聖書に記された意味通りに、神が伝える教えを知る、発見する、

本物に立ち返るという現象が世界中で起きているのです。

それは、神が預言された通り、終わりの時代に、太古から語り継がれた同じ神の教え、同じ福音が再び聞かれる時代になり、それ以降の

世代は神の純粋な教え、トラーを決して忘れない!と預言されている

通りだからです。詩篇78

異邦人の間では、2世紀以降、今迄聞かされたのは、人造宗教の教えだけです。しかも人間の思想で、翻訳聖書を解説するのみです。

オリジナルの聖書、聖書に書かれた本当の意味が聞かされてきませんでした。

イエシュアが教えた、使徒やパウロが教えた、トラーなど正しくその通りには聞かされませんでした。

どの時代も、イスラエルも、神の教え=契約に記された生き方から

ズレて、その結果、破壊され、酷い目にあってきました。

神の教えからズレるとは、神が創造されたデザインからズレるので

破壊をもたらすからダメなのです。

ガソリンで走る車に、水やジュース別物を入れたら、壊れるでしょう。それと同じです。いつまでも続かない。

エデンの園を出て分かるのは、一番最初に起きたのが、兄弟間殺人。

これ以上悲惨な出来事、しかも家族の中で、兄が弟を殺すなど

こんなことは、最大限の破壊であり、親に取ってどんな悲しみなのか分かるでしょう。

そして、腐敗は、同性愛や、近親相姦など、そのまま赤裸々に人が

犯したズレ、神の創造に反した行動が、聖書には、はっきり書かれています。

罪で覆われた世界を、神は水で一掃し流して、創造の最初の再現をした、洪水の後も、ノアの子、ハム〜カナン人と父となる子が、父親を犯したことが記されているのです。

ロトも同じです。ロトの娘がやったことで、近親相姦から生まれた

モアブ人、アモン人が生ました。創世記19:33−36

人間の世界は破壊、神のデザインとはズレたことをし続けたら

必ず破壊に至り滅びるのです。

ソドムとゴモラも硫黄の火で燃やされないとならない、全員が腐敗。

子供から大人まで同性愛、近親相姦、神のデザインにはズレたことをしていた。レビ記18章にある、どういう関係の間で、婚姻などを

してはならないか、はっきり記されています。

ローマ帝国も同性愛で崩壊したのです。

書かれているのに、LGBTQはOK、行動しなければOKなどと言う。

イエシュアが心に抱いただけで、既に罪を犯しているという、パン種〜罪は膨らみ必ず行動になり、周りを破壊します。そのような理解のない人が、教師として人々に聖書とは違うことを教えて、聖書に

反する教えをする。全部の教えが間違いではない。

でも、その信仰、思想の土台が、神の言葉終了ありきという、

砂の土台、人の思想だからズレるのです。

このようなことが、ずっとされてしまっているのです。

レビ記18章の中には獣姦も記されています。そのようなことは、

福音書以降には再び記されていませんが、最初に書いてある神の言葉、モーセの五書が完全版なので福音書以降は同じことは繰り返し

書かれていないのです。

福音書以降に、書かれていないから、神のこれ、あれ、その教えは

終わりなどと、本当に聖書を知らない人が勝手な解説をしていますが

正しい聖書教育、学びをして、聖書解説には、人間の意見、感想などを述べてはならないのです。パウロはある時からサウル(シャウール)ではないから、ユダヤ教からキリスト教へ宗教改宗したからと

解説している人がいましたが、パウロはギリシャ、ローマ、そしてヘブライの世界での市民権があり、ギリシャ語、ヘブライ語、アラム語が話せる。ポロスはギリシャ語読み、シャウールはヘブライ語読みであり、カトリックの宗教名を想像して、そんな解説をしていますが、

単に、語る相手により呼び名の発音が違うだけです。

外国名でも、メアリー、マリア同じでしょう。

ヘブライの名は、ミリアム。改名したのではないのです。

しかも、聖書にはユダヤ教もキリスト教の教えも記されていません。両者、人造の口伝律法が混じっているから、宗教というのです。

空想で、解説していたら、何ともでも別の教えや解説が編み出せる

良い例です。

聖書に何が書いてあるのかだけを、正しく知る、正しく教える。