聖書を人間の思想で解説している聖書とはズレている聖書解説 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

異邦人の世界の聖書教育は、以下のようだと思います。

 

1)神がどんな存在で、神の言葉が何かを正しく理解していない。

だから、人間が平気で神の言葉を塗り替えたり、削除したり、

神が神の教えを終了するという聖書とは真逆な発想をして、そのことに何も違和感がないのです。

 

2)正しい情報に欠如して空想で考えています。

ヘブライの世界、当時人たちの文化や周りにあった問題。

当時の偽物の教え、思想、哲学、グノーシス主義、禁欲主義そして

ユダヤ人が編み出したトラーとは違う、トラーをどう生きるのかという口伝律法〜これらに関して何も知らないまま聖書を読んでいるので

ずれてしまうのです。

イエシュアやパウロが神の言葉=トラー=モーセの五書に反することを一言も言わないという理解がクリスチャンにはありません。

その理由は、何度も書いている通り、ローマ帝国=ユニバーサル教の勅令=モーセの五書、ヘブライ的要素全部禁じる!という勅令を、神の教えだと勘違いしているからです。

聖書のどこにそんなことが、書いてありますか?ないでしょう?

神は神の言葉は永遠普遍!と言われたら、もしそれが仮にたった一度であったとしても、その言葉は永遠に真実であり、人間が消滅、消す

否定、削除して、無かったことにできないものであるという理解が

ないのです。

 

3)ヘブライ語で記されている言葉の意味、語られている意味や

当時の時代に使われたいた慣用句の意味、言葉を知らないまま

プラス翻訳聖書だけを読んでいる。そして、現代の人間が作った宗教の教えや記念日、概念でヘブライ聖書の翻訳を英語や日本語その他で読んでいるから、書いてある内容を誤解してしまうのです。

でも、本当の大元は、ヘブライ聖書で書かれているトラーを、ヘブライ思想で学んでいないこと、正しい聖書教育の欠如が本当の問題なのです。

 

4)パウロという人物を正しく理解していない。

パウロはトラー学者であり、ヘブライ人でありパリサイの中のパリサイの子とパウロが言った宣言は、イコールトラーに100%忠実です!という議会での宣言なのです。

そして、使徒21章に記されているように、パウロはトラーに違反した教え、割礼を禁じたりしていると噂さされ、偽教師の嫌疑をかけられたことが書かれているでしょう。

その嫌疑を払拭するために、他の人たちも含めて費用を払い、神殿で動物のコルバンを捧げ、請願を果たしたと書いてあるでしょう。

そこに記された意味をクリスチャンの世界では全く正しく理解などされていません。その意味は、パウロは公に、100%モーセの五書の忠実に生きている、人にモーセの五書だけを教えているという声明、表明、宣言を神と人の前に果たしたという意味なのです。

 

パウロが使徒であり、そのように口伝律法〜人間の教えには反対して

割礼〜異邦人がユダヤ人になる厳しい改宗儀式をして救われるのではない!という正しいことを伝えていたのであり、それを人々は誤解したのです。なぜなら、先祖の言い伝えとは違うことをパウロは人に

伝えている、イエシュアも同じように咎められたでしょう。

「あなたの弟子は先祖の言い伝え〜口伝律法の手洗いの儀式をしないまま、食事をしている。」と言った時、イエシュアがそれは、

神のトラー、教えではないから、そんなこと意味ない!と目の前に

いたトラー学者達に言った、それと同じことなのです。

みんなが伝統的にやっていることと違うことをしたら、それらが神の教えの真実であるのにも関わらず、それを理解しない人たちからは、異端者と見られる。クリスチャンの世界にもあるでしょう。

 

ユダヤ人以外のイエシュアを信じる異邦人が、イエシュアがされた通

り、教えられた通りの、シャバット、新月、祭りを祝って、日曜、クリスマス、イースターを祝わない。豚やエビやカニなど食べないと

見られたら、必ず咎められるではないですか。

律法に戻るのか〜古い教えに縛れるのか。キリストは古い悪い縛りの

呪いの一時的な教えから解放してくださったに、恵を捨てるのか?

神の教えは人の生きる全てを網羅しているのです。神が禁じていることは、神のデザインに反した生き方だから、人の健康、安全を脅かし、環境破壊や他者を破壊、病気にする病原菌、疫病の原因になるから、きよくない清掃動物を食べるなかれ!と教えているのに、

子供達は親の言うこと、真相を理解しないから、歯を剥き出して

怒るのだと思います。

 

信仰に関係のない人でも、それらの動物〜きよくない動物〜清掃動物の生態を本当に調べてみたら、2度と食べたくないと思うほど、きたいない、生ゴミゴミ箱、掃除機のフイルター、その動物の肉には、

汚物、ウイルスが保管されるような仕組みになっている文字通り

清掃動物なのです。人間の健康、体、環境を破壊し、それが水、空気きを伝ってぐるぐるウイルス、菌が循環してしまうのです。

人間は愚かです。神が創造された世界を神が伝えているのに、それを

聞きたくな〜い!アダムとハヴァの事件で、最初から教えられているでしょう。

こんなことで死に至る?しかも、全人類全部に影響を及ぼす死と罪の

支配が入り込んだのですよ。神の言葉を違反しても良いという

異邦人〜ローマ帝国教の教えは、神の言葉、神の創造を真っ向から

反撃する教えをふんだんに盛り込んでいます。

その大元〜神の言葉を生きることを禁じる!と人間が決めたこと

クリスチャンは絶対に知って、嘘とまことを聖書から見分けることを

しなくては、嘘の教えに騙されたままになるのです。

 

こんな思想〜ローマ帝国=ローマ教の教えであり、神は今も聖なる

民神が聖であるように、あなたのも聖であれとは、食規定をガードすることで教えていることに、全く気がついていない。それは神の教え

廃れたという人間ローマの教えを信じて、神の教え捨てているから。

堂々巡りなのです。

 

日曜日に教会に来ないとか、日曜礼拝しない、クリスマスもイースターも祝わないのか?と言われる。それと同じことなのです。

ではクリスチャンはどうして、イエシュアが教えた、シャバット、

新月、過越、仮庵を祝わないのか?と考えないのですか?

神の教えではなく、神の教えを捨てて、人間が作った宗教の教え、

作り変えられたコピーを信じているからです。しかも異教の神々、

女神の名、祭りを、ローマ帝国が、ユニバーサル教の教えを付け足して作り変えた祭りを祝っているとも、気がついてない、知らないからでしょう。

神の仰せを退けて、先祖の言い伝えを大事にするとイエシュアが警告した意味も通じていないのです。

イエシュアの教えは、100%モーセの五書、それに付随する預言書

諸書からしか語っていないということに、気がついてください。

 

ある人を不快にするから大変言いづらいことですが、結局先祖の言い伝えとは、イコール人間の作った宗教のことです。神の教えではない。

神の教えを蔑ろ、否定する教え、それは人間の言い伝えなのです。

神から出たものではありません。

自分が心底信じていることが、嘘と言われれば、不愉快です。

でも、混ぜ物の教え、人間が作った教え、まして神の教えが廃れたという教えこそが元凶であり、嘘です。

 

マルコ 7:6 イエスは言われた、「イザヤは、あなたがた偽善者について、こう書いているが、それは適切な預言である『この民は、口さきではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。

7:7 人間のいましめを教として教え、無意味にわたしを拝んでいる』。

7:8 あなたがたは、神のいましめをさしおいて、人間の言伝えを固執している」。

7:9 また、言われた、「あなたがたは、自分たちの言伝えを守るために、よくも神のいましめを捨てたものだ。

 

8,9節でイエシュアが言われた通り、人間が4世紀に作った宗教の教え

言い伝えに固執している。それらが偽物とも識別できないまま。

そして、その言い伝え〜宗教の教えの言い伝え、伝統の固執して、

神の教え、トラーを捨てている!全くその通りのことをしているで

しょう。神の教えは廃れた、恵を無駄にするのか〜!神の古い教えに

戻るな!それらは、イエシュアの言葉ではなく、エデンの園の蛇の声

人間ローマ帝国、皇帝の声そのものである事実に目を開いてください。

神の仰せではないことは、しなくてよい!神が伝えた神の教え、

仰せを生きる、それが神を愛する人の実際行動を通しての神に対する

愛、忠誠であると書いてあるのに、人間が作った宗教の教えを信じる人には、神の教え、仰せは通じていないのです。

 

こんな感じです。チャンネルとあるでしょう。

昔はテレビは手動でチャンネルを回したでしょう、カチカチと。

隣のチャンネルでは、人間が作った宗教の教え、皆が聞き入る教えが流されている。

でも、すぐ近い隣のチャンネルには、神の純粋な言葉、教えが

教えられている。世界では同じことが起きているのです。

人間の教えが混じった宗教の教えの解説と、聖書に記された通りの神の教えを神がずっと伝え続けて、それをそのまま伝える残りの民は

どの時代にも存在しているのです。

神が記した神の教え、トラーそのままを、イエシュアが教えた通り

パウロが教えた通り、残りの民は純粋な神の言葉を塩で保存し、

そして、神の意図通りに人に伝える責任があるのです。

それは異邦人も同じです。なぜなら、イエシュアを通して、イスラエルの神に繋がれ、新しくされ、イエシュアの命を受けて、同じ婚姻契約に加えられ、イスラエルの神の大家族、その苗字はイスラエルという家族の一員にされたからでです。

異邦人も同じ神、同じ家訓=婚姻契約に生きることに加えられたのです。

神の教えは2つありません。神との関係がある証拠は、この婚姻契約以外にないのです。

神のトラー=婚姻契約を否定する行為は、神が与えて、提示した

婚姻契約に記された生き方を拒絶する、夫に対しての無礼行為です。

イエシュア、神を愛する人は、神の仰せ=トラーを愛して、神が

伝える通りを生きる!とイエシュアも教えている、神を愛すると

言いながら、神ご自身である神の教えに敵対することを言い続け、

神の教えを退け、神が警告している姦淫の罪、異教の神々、女神の

教えに混じり、異教の神々の祭りに便乗した祭りを神の祭りと勘違いして祝い、神が永遠に祝うように教えている、神が創造された記念日を律法と言い、捨てて、無視して祝わない。

何か変だと分かりませんか?聖書にだけ照らし合わせてください。

事実が分かれば、暗闇に光が灯り、はっきり見えます。

神の教えと、人が作った教えは別物であること。

神はなんでも良いなどという神ではないのです。最初から厳重に

人間が神の教えに手をつけてはならないこと、神の記念日を汚しては

ならないこと、厳重注意をずっとしているでしょう。

人間の教えが浸透した、鈍い耳、頭脳には何も響かないとあります。

デジタルの世界、いやメールアドレスやサイトのアドレスでも分かる

ように、一点、一画、1つの文字数字が違っただけで、そのサイトに

辿り着けない、電話した相手に電話できないでしょう。

それと同じです。神の言葉を塗り替えたら、神の意図した生き方とは

別物が教えられしまうのです。本物ではない、偽物を学習して、

別物を生きてしまう。

 

ヘブル5:11 このことについては、言いたいことがたくさんあるが、

あなたがたの耳が鈍くなっているので、それを説き明かすことはむずかしい。

5:12 あなたがたは、久しい以前からすでに教師となっているはずなのに、もう一度神の言の初歩を、人から手ほどきしてもらわねばならない始末であるあなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要としている。

5:13 すべて乳を飲んでいる者は、幼な子なのだから、義の言葉を味わうことができない。

5:14 しかし、堅い食物は、善悪を見わける感覚を実際に働かせて訓練された成人のとるべきものである。

 

終わりの時代、偽物の教え〜人間ローマ帝国が作った宗教の教えは聖書ではないと気が付く多くの異邦人がいます。学者もいます。

幸いなことに、現代においては、サンダース、ライト、ダンという

学者たち、神の言葉を正しく伝える人たちがいて、パウ​​ロを1世紀の

ヘブライの文化、当時の人たちの生きていた、神の教え=トラーが

教えられ、生きた環境の中でパウロが何を当時の人々に諭しているのか、パウロの手紙に書かれた通りのその真実を明らかにしようと努め上記のパラダイム〜一般的にキリスト教の界隈で流されている教えの誤りを全て暴露してくれているのです。

多くの人が、今迄見聞きした教えが、純粋な神の言葉、教えではなく、ローマ帝国が作った異教の神々の教え、シンボル、儀式、思想

記念日が混じった人造宗教であることに気がつき始めていますが、

神の教えが廃れたという教えが、これもローマ帝国の勅令であるという事実迄には、辿り着かないまま、結局古い教えの、これ、それ、あれは今は関係ないと解説している人もいます。

でも、大元まで戻ってください。神が神の言葉を否定、終了などしていない、人間ローマ帝国、皇帝、教皇が神の教えに反した事を主張して人に勅令、法律として、神の教えを否定すること、そしてローマが

作った新しい宗教の教え〜神の言葉を捨て、彼らの考える教え、

記念日に作り変えたものを強制的に行わせた!という、歴史の事実を

はっきりと知ってください。

続く