パウロはシャバット 新月 過越 仮庵を生涯祝っていた | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

クリスチャンが、日曜礼拝が書いてあると書いてある意味を100%誤解して解説している代表例を何度も書きました。

注目してください。ここに「除酵祭」とあるのは、種無しパンの7日間の祭り。その最初が、「過越の祭り」の晩餐をする日、2日間に

渡り、晩餐をする人もいる、その祭りの7日のことです。

祭りを祝うという意味は、レビ記23章に記された全ての記念日を

祝っている証拠です。そして、使徒の他の箇所に、パウロがシャバット=第七日目ごとにシナゴグでトラーを教えた記録だけが記されて

います

新訳聖書学者であるM.テニー氏が、使徒行伝は、神の教えが

変化する過渡期の記録などと、神の言葉に反した思想を書籍に書いていますが、このような書、思想が神学校で教えられてしまっている

おかげで、そのような教えを聞いた牧師や聖書教師の卵達が、同じ

ように人間の編み出した宗教の思想を一般の人に伝え続けてきているのです。

アメリカでは20世紀に、デイスペンセーション神学が爆発的に浸透しました。そしてそのような人造思想が神学校で教えられたのです。

でも、それは聖書ではない、ローマ教が編み出した思想であり、人間が出どころの教え、神の言葉を否定し、塗り替えた思想を土台としている、聖書とは何も関係のない、異物です。

 

使徒20:6 わたしたちは、除酵祭が終ったのちに、ピリピから出帆し、五日かかってトロアスに到着して、彼らと落ち合い、そこに七日間滞在した。

20:7 週の初めの日にわたしたちがパンをさくために集まった時、

パウロは翌日出発することにしていたので、しきりに人々と語り合い、夜中まで語りつづけた。

 

過越〜種無しパン=除酵祭の7日間、シャバットからシャバットを

祝う事が終わって、次の日に次の目的地に旅立つ前の晩に送別会をしている場面です。

7節にある、「日」という言葉は、ギリシャ語原点にはない言葉が挿入されています。

これは、種無しパンから初穂、シャバットを迎えた時から、7週間の週〜穂を数える、オメルの7週間が始まるのです。

その7週の次の日が、シャヴオート(ペンテコステ ギリシャ語 50)の祭りであり、シナイ山で婚姻契約を受け取った日の祝い日です。

同時に、その日は、小麦の収穫祭、最良の小麦の中に、今度はパン種を入れて、2つのパンを捧げるのです。

過越では、パン種〜ハメッツが除くものが食されたのは、罪が

削ぎ落とされていることを表して教えているものなのです。

そして、婚姻契約を受け取るシャヴオートの祭りでは、今度は

イエシュアの性質が入れられている新しい人として神の前に捧げられることを、教えているのです。

2つのパン。イスラエルと異邦人です。2つの石の板、神の婚姻契約に忠実に生きる残りの民を表しているものです。

 

出エジプトから、このシナイ山に辿り着いたのが7週後。

その後40年の旅路は、地上での旅路〜仮庵、イエシュアの中に住まい、同時にこの朽ちる体の仮庵でもイエシュアが内側に住まうこと

人生の旅路〜神の言葉だけを聞いて生きる学習訓練の人生の旅路を

表しているものなのです。

 

秋の祭りは、再臨とイエシュアがエルサレムから世界を王の王として

統治する世界が到来する、エレミヤ31章にある、全ての人が神の

トラーを裏も表も知り尽くし生きる時が来る、その預言の祭りなのです。

第七の月の1日、新月は、ショーファーを吹く日。王の到来、戴冠式です。

その10日後は、大贖罪日です。

そして15日は、仮庵の7日間です。そして、第8日目がある。

永遠にイエシュアが統治する世界に移行することを表している日なのです。

約束の地に入ると、固定神殿になるのです。それが朽ない体が与えられることを表しているものでもあるのです。

約束の地を目指して生きる、これは全てのイエシュア信者の人生の

旅路を表して、教えているものです。

神の言葉を聞いて、目には見えない天の現実の中に今いることを、

考え、知りながら神の中で、神の時を生きる。

 

荒野は、乾いているように見えて、その中には命が眠っているのです。多くの種が眠り、そして水、雨が与えられると命が芽吹きます。

荒野の中に、湧き水〜アオシスもある。そして、なにより、雲と火の

柱=〜神の実態、水を湧き出させた岩=イエシュアを表す目で見える

実態がずっと40年の間あったのです。

しかも、ミシュカン〜移動式神殿には、神の臨在が神の言葉=石の板の中、箱の中にあったのです。

神が人の内側に住まうことを、最初から実態を通しても教えているのです。福音は最初から同じなのです。

 

使徒20:6−7のこの箇所、このオメルを数える7週のその週の最初という意味でしょう。

クリスチャンの間は、イエシュアが教えた神が創造された記念日、

その暦、日程、祝い方、意味が全く教えられないまま今に至っているのです。

代わり人間、ローマ帝国宗教が作り替えたものが、聖書だと信じているのです。

パウロが、過越、種無しパン、新月、仮庵を祝うという意味は、

その祭りの中心である、シャバットを忠実に第七日目に祝っているという証拠であるのに、それがこの箇所から全く読み取れないどころか、この箇所が日曜礼拝の証拠などと、とんでもなく逸脱飛躍した

無理な解釈を施しているのです。

神の祭り、過越、仮庵は7日間で、その初日と、最後の日、そして

その7日間に来るシャバット=第七日目を全て祝うというのが、

神がデザインした祭りの祝い方なのです。

神の記念日は、全てシャバットが中心、シャバットで教えられる

神の中、安息、神の提供したもの、教えに根付いて生きることを

教えているのです。それ以外の生き方は、神が創造された人間の

生き方とは異なるからです。

神を知らない人でも、一週間は7日間で、金曜日午後になると

止まるモードになるのです。気がついていなくても。

神が時と全てのものを創造されたから、神の創造〜性質通りに

人は生きるからです。だから、朝起きて、夜眠るでしょう。

神のデザインに逆らうと、不具合が来るから分かるのです。

神は、人が第七日目に、神が止まられたように、神と共に止まり

祝う日をもうけているのに人間が変えたのです。

時とトラーを変える、神に逆らう態度、思想、行動です。

 

このような間違いの聖書解説を全て正して、本来の意味に戻して

正しい聖書教育をし直さないとならないのです。西洋宗教の思想に

照らし合わせた聖書解説は、聖書の記述とずれています。

その大元のパン種は、神の言葉が廃れた、破棄された、自分の意見で仕分けて良い、異邦人には今関係ないという、ローマ帝国が作った

宗教の教理、勅令と完全決別して、神の言葉だけに戻る、砂の土台は

人間の教えが混入して歪んでいるので、岩の上〜イエシュアの言葉の上に信仰の土台を移さなくてはならないのです。

もし、これが、週の初めの日だとしても、それは聖書の暦では、

土曜の日没のことです。

シャバットを閉じる、パウロを送る会をしている。当時諸外国では

土曜日も働く人がいたから、今同様にシャバットを閉じるהַבְדָּלָה

ハヴダラ〜分ける、離す、という意味の儀式で閉じる事をするのです。その時に人が集まってパンをさいて、晩餐もするのです。

そのようなヘブライの世界の情報が欠けて、現代のキリスト教の

礼拝をしているなどと、空想しているのです。

 

しかも、これ夜なのです。もしクリスチャンの言う、日曜日なら、

聖書の暦では、この時は既に、月曜が始まった後の時なのです。

聖書の記述と、クリスチャンの世界で解説される聖書解釈、解説に

ズレがあることが分かるでしょうか?

聖書に登場する人は、誰もローマ教が4世紀に作って決めた日曜礼拝など知りません。誰一人、日曜がシャバット=安息日などとも考える人もいません。誰一人、神が神の記念日の全てを、昇天以降変えたと

神が言ってもない事を、信じて実践している人もいません。

 

聖書の事実だけに戻って、人間が歴史の途中で作った教えと、聖書=神の言葉の区別、識別を正しくし直す必要があります。

そして、神は神の言葉、記念日を変える事を禁じているのです。

神の言葉や記念日を変えて良いなどと言っているのは、神の言葉に

反する意識、思想を持っている人だけです。

 

これは、神の祭りでエルサレムに上れない場合、代表に託して神への

捧げ物をするのです。

 

週の初めは、安息日ではないから、個人の家に資金を取り分けておくとあるのですが、この箇所をクリスチャンの解説では日曜礼拝の

席上献金の証拠が書かれていると言います。

聖書に登場する人は、誰一人日曜礼拝など知りませんし、実践もしないし、日曜日は神の暦では労働日であり、シャバットでもない、集まりもないのです。

聖書の記述、事実に対する正しい理解に修正しない限り、ローマ教が

作った教え、儀式、記念日、慣習に照らし合わせて考えるから、聖書に書かれた内容を完全に読み違えしてしまうのです。

 

1コリント16:1 聖徒たちへの献金については、わたしはガラテヤの

エクレシア=カハール=群れに命じておいたが、あなたがたもそのとおりにしなさい。

16:2 一週の初めの日ごとに、あなたがたはそれぞれ、いくらでも収入に応じて手もとにたくわえておき、わたしが着いた時になって初めて集めることのないようにしなさい。

16:3 わたしが到着したら、あなたがたが選んだ人々に手紙をつけ、あなたがたの贈り物を持たせて、エルサレムに送り出すことにしよう。

 

<個人の家でそれぞれが取り分ける、祭りに捧げるお金です。

代表者が祭りで神殿にそれらをコルバンなどに変えて捧げる。

シャバットでは、金勘定、ビジネス、商売、集金はしないと神の

仰せがあるから、シャバットではない週の最初の日=日曜日、普段の日、労働日に金銭を取り分けてとあるのです。シャバット、安息日が日曜日に変更になったと主張したのは、ローマ帝国の勅令であり、

神の教えなどではないという、永遠の事実に目を開いてください。

 

申命記16:15 主が選ばれる場所で七日の間、あなたの神、主のために祭を行わなければならない。あなたの神、主はすべての産物と、手のすべてのわざとにおいて、あなたを祝福されるから、あなたは大いに喜び楽しまなければならない。

16:16 あなたのうちの男子は皆あなたの神、主が選ばれる場所で、年に三度、すなわち種入れぬパンの祭と、七週の祭と、仮庵の祭に、主の前に出なければならない。

ただし、から手で主の前に出てはならない。

 

出エジプト 34:22 あなたは七週の祭=シャヴオート、すなわち小麦

刈りの初穂の祭を行わなければならない。

また年の終りに取り入れの祭を=仮庵の祭りの収穫祭を行わなければならない。

 34:23 年に三度、男子はみな主なる神、イスラエルの神の前に出なければならない。

 

箴言3:9 あなたの財産と、すべての産物の初なり=初穂をもって主をあがめよ。

3:10 そうすれば、あなたの倉は満ちて余り、あなたの酒ぶねは新しい酒であふれる。

 

詩篇 96:8 そのみ名にふさわしい栄光を主に帰せよ。供え物を携えてその大庭にきたれ。

 
このような上記の箇所は、全て神の祭り、シャバット、過越、仮庵の祝いのことを話しているのです。
 

続く