神の言葉が、異邦人の世界で、人間の手により徐々に変えられて
行ったのは、使徒達がこの世を去った2世紀以降、それは聖書が閉じられた後の出来事なのです。
クリスチャンは、神が厳しい律法を終わらせたと本気で信じていますが、律法とは、トラー=神の教え、婚姻契約であり、トラー以外の
神の教えなど、この世に存在しないことも、クリスチャンは聖書を
読んでも理解していないのです。
聖書の最初の部分、神の教えの全部が本来の言語、ヘブライ語で書かれている、その中身を、正しく教えられていないからです。
そして、人間が作った宗教の神学思想=聖書ではないことを通して
聖書を読む、解説しているから、聖書とは違う解説を異口同音にしているのです。
ネットを見ると、律法は廃れた〜と、クリスチャンは言っています。
律法の下にいない、恵の下にいる!とパウロの言葉を誤解しているからです。
律法=ノモス=トラーに記された神が伝える解説、罪と死の法則の
下に、イエシュアと共に復活した人は、いない。以前の人は死んだからです。
全然意味が違うでしょう。トラーは恵そのものです。神がトラー=
婚姻契約を与えなければ、子羊の贖いの血の代価で、追うべき罪の
代償は肩代わりされた根拠はないからです。
イエシュアの命を得て、復活の命を得た人たちだけに、トラー=
婚姻契約が与えられているのに、神との関係にある証拠、根拠である婚姻契約は廃れた!と堂々と言っているのは、何を言っているのか、意味を取り違えているからなのです。イエシュアと共に復活した本物の自分は、神の恵みで許され、神のトラー=人間の本来の生き方ができるようにされています!と言っているのです。
しかも、神の教えを捨てよ!破棄せよ!神の教えに戻るな!というのは、あのエデンの園の蛇の声でしょう。聖書に照らし合わせて、言葉の意味を正しく捉えて、律法=ノモスという言葉は、多数別の事柄を指して1つの言葉があてがわれているということを、知って、文脈、内容から正しく読めば、パウロが何を言っているのか、理解できます。
パウロは、100%モーセの五書を支持し、信じて、人にモーセの
五書だけを正しく教えた使徒であることを、知ってください。
クリスチャンの世界で語られている聖書解釈は、ローマ教が作った
人間が勝手に神の言葉の方を曲げて、解説している聖書ではない
解説がふんだんに取り入れられている事を、ぜひ歴史の史実から
聖書の記述、永遠普遍の神の言葉での真実から、突き止めてください。一旦真実が見えた人は、2度と偽物〜嘘の教えには戻れない
真実が見えない事から、偽情報から解放されます。
聖書に対する、間違った思想を植え付けられて、信仰の土台とすることを、最初から教えられ続けているから、真実が見えないのです。
パウロが生きていた時代も、偽の教え、トラーとは異なる人間の哲学思想や、先祖の言い伝え、伝統の教えを神の教えと同一化し、それを
信じて、教えて、生きていた人達がいたから、その事をパウロが警告していたことが書かれています。
2テモテ4:3 人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、
4:4 そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。
<神の厳しい律法などと、神の婚姻契約に対して人間が物申し
一方では、聖書は神からのラブレターと相反する事を言いながら
その矛盾を一切感じず、聖書の最初には、福音書以降とは違う厳しい教えが書かれていると、空想、幻想し、神の言葉の真実が見えていない状態なのです。神の言葉は最初から最後まで同じ、一貫しています。
聖書のどの書も、100%全て、モーセの五書を指して解説、
語っている事を、聖書を正しく学べば、はっきりと、クリアーに見えます。問題は、正しい聖書教育が異邦人の中にされていない。
人間が作った教えを教えられてしまい、人間の思想、教えで、聖書を読み解く、間違った事をしているからなのです。
もし、パウロが人にトラーに反することをせよ!と主張するならば、
その行為は無法〜罪を人に犯すように教えている事になってしまう事、クリスチャンは気がついていなのです。しかも、クリスチャンの発言〜パウロがトラーを否定し、律法に戻るな!と言ったというならば、それはパウロに対する偽証、冤罪をかけている事なのです。>
コロサイ 2:8 あなたがたは、むなしいだましごとの哲学で、人の
とりこにされないように、気をつけなさい。それはキリストに従わず、世のもろもろの霊力に従う人間の言伝えに基くものにすぎない。
<人の哲学の虜と書いてあるのに、クリスチャンはこの箇所、古い厳しい律法のことを言っていると、勘違いしていませんか?>
1テモテ 1:7 トラーの教師たることを志していながら、自分の言っていることも主張していることも、わからないでいる。
<パウロはトラー学者ですから、他の教師が、どれほどトラーを
正しく深く理解しないまま、勝手なことを主張しているのか、はっきり見える識別できるのです。今の世界にパウロが来られて、自分が
書いた手紙を、クリスチャン達が、トラー=律法が廃れた、律法から解放されたなどという、パウロが考えつかない、言ってもないことを
言い続けられていたことを知ったなら、このように同じ言葉を
いうでしょう。一体あなた達は何を言っているのですか?と。
あなたたちはトラーを知らないまま、自分が言っている意味も
主張していることも分からないまま人に、聖書とは違うことを教えています!と言うでしょう。>
マラキ書から、イエシュアが来られる迄の400年の間、聖書に
記されていない歴史の空白、沈黙期間があったのです。
その時代の中で起きた、反キリスト、ダニエル7:25、11章に
記された預言は、ギリシャ帝国により、行われました。
神の時と神のトラーを変えようとする、反キリストの行動。
紀元前160年代、神の民、ユダヤ人に神のトラーに違反する罪を
犯させる法律、勅令をギリシャ帝国が布告し、けがれた動物、豚を
食させ、ゼウス神の偶像を神殿に持ち込み、祭壇と神殿の中を豚の肉と血で汚し、そしてゼウス神の像にひれ伏し拝むことをさせたのです。これに抵抗した人は、全て処刑されたのです。
そして、反キリスト、神に敵対する同じ行為を、1世紀のローマ皇帝達により、ユダヤ人と、そして異邦人イエシュア信者達にも、施されてしまったのです。同じく、神の教え=トラーを生きることを禁じて、これを実践する人全てに、重税、投獄、処刑、死刑としたのです。
その後、前の記事で書いたように、異邦人、異教神背景の育ちの
西洋教父達〜神のトラーをよく知らない人たち、そしてトラーとは
異なる人間の思想、哲学を教える哲学者達、神学者により、聖書ではない思想を、異邦人は教えられ続けてしまったのです。
パウロが警告した通りに、偽の教え、トラーとは異なる事を教える
偽教師たち、偽の教えが出現し続けて行くからという警告は、
全くその通りになった行ったのです。
パウロがいた時代で、パウロがこのように直接、トラーを教えて
正しく指導している群れでも、偽の教えに騙されるのですから、
パウロ達のようなユダヤ人のトラー教師から完全に離れた異教徒背景の異邦人達、神の言葉が何かも分からない、絶対であると言う意識も微塵もない。そして、ローマ帝国の政治、法律と人造宗教の教えが一体化して、人に偽物の教えを生きるように強要し、人に神の純粋な言葉、教えを生きる事を禁じて来たのです。
人間の作った勝手な思想、クリスチャンの世界では、昇天以降、神の教えが変更されたと、聖書と真っ向から反する教えを、純粋に信じて、人に伝え続けています。
キリスト教とは、今迄、キリストによる、贖い、救い、赦しが初めて教えられた、新しい教えだ!などと、完全に勘違いしているでしょう。
イエシュアの業は、永遠の中に完了しており、それがモーセの五書
預言書、諸書の至るページに記されているのに、クリスチャンはそれを知らないのです。
1世紀、イエシュアを信じたユダヤ人達、ほぼイエシュア信者は
ユダヤ人が大衆、その人達は、タナックに記された、メシアを
未来に見て知っていたから、イエシュアをタナックを証拠として、
内側に住む聖霊がそれを教えた、それが残りの民、イエシュアを
信じた人達なのです。
ガラテヤやローマのパウロの手紙の内容を全く誤解し、逸脱した、
無理な解釈をもどこした解説、律法に戻るな!などと言っていますが、神の教えに戻るな?イエシュアが言われたこととは、真逆なことを言っているのに、全く気がついていないのです。
イエシュアを愛する人は、イエシュアが教えたトラー=父の教え、
仰せを生きると、イエシュアも言っているでしょう。
神を愛しながら、神の教えを憎み生きない。神の言葉に敵対することを言い続けている、ズレた異常な変な状態なのです。
西洋教父達、ローマ帝国皇帝、教皇達が勝手に神の言葉を変えて、
別の教えを作り出した、それらの人造宗教思想を、聖書、神の教え
だと完全に勘違いしているからです。
神の教えと、神のモアデイム〜記念日を変えたのは、ローマ帝国
ローマカトリックです。人間がやった事であり、神は神のトラーと
神の時=モアデイムを変える事を、人間に許可などしていません。
今はいつでも、何を生きても良いなどと、いい加減な嘘を言う神は
イスラエルの神ではありません。子供らを危険に晒せる嘘つき、ふた心、分裂症の神。
そして、ローマ帝国は、太陽神信仰、異教〜ペーガン、異教神の教え習わし、儀式、伝統、シンボルと交わり合い、それらをふんだんに
自分たちの教理、実践、儀式に取り入れて、新しい宗教〜ローマ教、ユニバーサル教を作って行った事を、クリスチャンは知らないとならないのです。
神は人間に神の教えを変える権利、権限など与えていません。
ローマ・カトリックでは、人間が神になって、聖なる父と人に呼ばせ
神に伏して拝むが如く人に拝ませ、そして、人間が神に成り変わり、神の教えと、神の記念日を変えたのです。
そして自分たちが編み出した様々な新しい教え、それも異教神の教え死者の崇拝、偶像を崇拝、偶像を作り出す、死者への祈り、
異教神の祭り、太陽神の日=太陽の日=サンデー、日曜日、
クリスマス、イースター、ハロウイン、バレンタイン。
それらを、カトリック的に変えた、いやパクった、作り替えた、
そのように事をずっとし続けて来たのです。
それは、異教神信仰の異教徒達に馴染みやすいように、変えようという考えですが、神はそのような行為を断固として禁じているのです。
人間の発想、考えで、神の言葉、記念日の意味、日を変えることを
禁じています。
だから、神の言葉、教えを理解しない異邦人は、神が何を禁じているのかの、理解がまるで無い!自分の発想を神が喜ぶ、正義だなどと
勘違いし続けて、神の言葉を否定し、自分たちの編み出した金の
子牛で勝手に礼拝、人にアプローチしているのです。
神はそのようなものをことごとく、全て拒絶していることに、聖書に記された記述から気がつけないのでしょうか?
4世紀、日曜日の休日は、ローマ帝国の休日として太陽神〜土着宗教の日を休日と正式に制定し、後から、カトリックが、キリストの復活という意味をつけただけなのです。そして、日曜日が聖なる日である神が呼び出した安息日などと、神は1度も人に伝えていません。
復活の日時と、シャバットは関係ありません。イエシュアは多分
土曜日中に復活されたでしょう。でもいつ復活されようと、それは
シャバットとは何も関係ないのです。
神が伝えた日曜日の定義は、労働の初日、普段の日、聖別されていない他の5日間と同じ、数字で呼ばれる第一日目です。
ローマ帝国が、神が言ってもいない事を、神に成り変わり勝手に
神の創造された時〜シャバットを定義し直しただけです。
シャバットは神と神の子らとの間の印、神との関係に入った印
婚姻指輪として表向きに見える印として与えられたものが、異教の神々の教えが混入され、別物にすり替えられてしまったのです。
神の創造の事実、神が第7日目に止まられた事実、人にも同じようにしてと伝えた事実を、誰も変えられません。
太陽神信仰、クリスチャンの信仰も、異教神の教えに同調、同化、
異教の神々の教え=異物の教えが入り込んでしまったのです。
ローマ帝国を統治するために、既存の異教神、太陽神の信仰、習わし
儀式、記念日、シンボルと交わる事が、簡単な方法だったのです。
ローマ皇帝コンスタンチヌスが、新興宗教、ローマ教を作った理由は
政治的理由、ローマ帝国の統治、安泰に幅広い支持を受けてローマ
帝国を拡大、維持するためのものでした。
イエシュアを信じる異邦人が、聖書=神の言葉ではなく、人間の
作った教え、ローマ帝国の伝統、太陽神の教えに交わってしまい
聖書に記された神のオリジナルの教えから、移行、移動してしまったのです。
続く