宗教とは神の言葉に人間が自分達の思想を混ぜて作ったもの  | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

クリスチャンの教えの世界では、聖書は完全なる神の言葉ですと

多くの人が宣言しますが、実際には、その宣言通りには、神の言葉を取り扱ってなどいません。

西洋宗教の教え、思想は、神の言葉が完全ではない、変化する神の

言葉として教え、神の言葉をそのように取り扱っているのです。

 

モーセの五書が廃れた、終了したという人の意見で、今は神の言葉を人間の判断で仕分けて良い、異邦人には無関係の教えというその思想は、神の言葉、教えではなく、エルサレムの神殿がギリシャ帝国に

乗っ取られて汚された結果起きたマカバイ戦争があった時代、紀元前166年~142年のギリシャ帝国そして1世紀の神殿崩壊前後に出されたローマ帝国の勅令なのです。

 

人間が禁じた神の教え=トラー、モーセの五書、婚姻契約、父の教えその勅令が、人造宗教の土台になってしまったのです。

モーセの五書をバン!禁じる!破棄!トラーに記された事を教える事生きること、実践すること、シャバットや祭りを祝うことを禁じるという勅令を出して、トラーを生きる人、ユダヤ人も異邦人も全て処刑した、ギリシャ帝国と、ローマ帝国の仕業なのです。

反キリストとは、イスラエルの神に敵対する、神の言葉に敵対し、

神の民を殲滅するものという意味なのです。

その異教徒、異邦人思想に則った、ローマ帝国のローマ皇帝コンスタンチヌスが、自分のローマ帝国をヨーロッパ中に拡大するため、

庶民の支持、賛同、そして結束を得るために、ローマ化した異教徒的要素を混ぜた宗教を作ったものが、ローマ教、ユニバーサル教なのです。イスラエルの神は宗教など作っていません。

 

一方ユダヤ教とは、モーセの五書=トラーの教え以外に、自分たちが

編み出した教え、口伝律法、様々な規定、ルールを考え出して、

人を厳しく縛る教えを作った、それらは神の教えではありません。

神は口頭で、モーセに文字で記したトラー以外の、トラーは与えていないからです。

それらをユダヤ人達が作った動機は純粋でした。人々が神の教え〜

契約〜トラーに違反して、捕囚の民となってしまったから、神の教えに反する事が2度とないように、神の教えに様々な実践、解釈を施して、人が神の教えに違反しない為に作った教えなのですが、それらの解釈が、神の教えの本質から逸脱した教えもたくさん作ってしまったのです。

口伝律法のことを、先祖の言い伝え、伝統の教え、人の編み出した

戒めの律法と、福音書以降に記されたものがそれなのです。

クリスチャンは、神の教え=婚姻契約=トラーと、この人造の口伝

律法を混同して、区別して福音書以降を読んでいません。

何も知識がないまま、すらすら字面だけ読んだら、イエシュアまでもが、神の教え=トラーに反する新しい教えをしていると、空想してしまうのです。神は神の言葉に敵対、削除、ご自分自身である言葉を

否定などなさいません。

神の教え=トラー、文字で記された契約書と、人間が口頭で伝授した

トラーの解釈とは別物、だから、ユダヤ教というのです。

でも、ユダヤ教は、クリスチャンのように、神の言葉〜トラーを、

破棄、削除、否定、変形などしません。

神の教えにプラス、人の思想=口伝律法が、神の教え以外に混じった教えをしているから宗教なのです。

そして、神はユダヤ教=口伝律法やキリスト教、デイスペンセーション神学、人造宗教神学、モーセの五書は破棄された、終了という教えなど人に教えていません。

神は純粋な神の言葉、教えを、人に文字で記したトラー、聖書を与えているだけなのです。ご自分の創造された人、神の性質=イエシュアの性質に造られた人は、何を生きて、何を生きないのか!という、

シンプルな事実を、人に伝えているだけです。

そして、キリスト教も、宗教です。人間の教えが混ざったものです。

その元は、カトリックです。同じ思想、実践、記念日を信仰の土台としています。

その宗教の土台は、ユダヤ教と違うのは、モーセの五書破棄、終了

新しい教えが出現したという、ギリシャ帝国と、ローマ帝国の

勅令を土台とした、神の言葉を否定した思想が、土台になってしまった、人間が編み出した人造宗教なのです。

大衆、庶民の宗教、土着宗教、太陽神信仰の宗教の要素、記念日

シンボル、偶像、儀式を混ぜて4世紀に、人間が作った宗教です。

だから、聖書に書いてある教え、イエシュアが教えたトラーを

捨てた、はじめの愛を忘れた!そして、イエシュアが教えて祝われた

シャバットや祭りを祝わないで、ローマ帝国が作った人造の宗教が

作った人造の記念日、日曜礼拝サンデー、クリスマス、イースターを代わりに祝います。それらは、聖書に記された神の教えではない、

聖書には書いていないものなのです。

4世紀以前にも、1世紀後半から、西洋人〜パウロたちのように

トラーを知らないまま育った西洋教父たちも、同様に反モーセの五書を唱えました。

ローマ帝国の支配下の国々、地域に住んでいた人々は、モーセの五書を生きたらシャバットや祭りを祝ったら、割礼を授けたら、重税、

処刑されたからです。

だから、異邦人はローマ帝国の勅令に従順になり、刑を免れて、

神のトラーを捨てたのです。

ユダヤ人は神殿崩壊時、110万処刑され、9000人がローマ帝国の奴隷となり、それ以外の人は、世界へ散り、そしてユダヤ人の群れと決裂したのです。

一方、ローマ帝国の支配下の国々、地域には住んでいない異邦人も、5世紀あたりまでは、1世紀のユダヤ人と同じように、トラーを生きて、シャバットや祭りを実践していた事実があるのです。

16世紀の宗教改革後も神の教えをしる人達が、カトリックが変えてしまったシャバットを元の日に戻そう!と運動したのですが、結局

受け入れられないまま、今に至るのです。

反モーセの五書思想は、反ユダヤ思想と直結しています。

ルターも、反モーセの五書思想であり、ものすごく酷い、

反ユダヤ思想を晩年持っていました。ルターの書いた書、どのように

イスラエルを殲滅するのか、撃退するのか、その全てを、ヒットラーが実際に実行してしまったのが、ホロコーストなのです。

「ユダヤ人と嘘」というルターが書いた書には、恐ろしいことが書いてあります。ユダヤ人〜イエシュアの同胞、兄弟姉妹を、ハマスの

ように残酷な方法で、殲滅するやり方をルターが書いた。

サタンに晩年頭脳を乗っ取られてしまったのでしょう。

神の言葉を捨てるとは、このように無惨にも罪に導かれる末路が

あるのです。だから、危険なのです。このようなことは、

クリスチャンの世界では、全く教えられておらず、ルターは英雄としてだけ讃えられています。

歴史の事実〜神が神の言葉を変更したのではなく、人間〜宗教の上に立つ人々、権威、西洋人達、異邦人司祭たちが会議により、モーセの五書を廃止する取り決めをした!可決したという、歴史の事実を

ぜひ知ってください。

考えたら恐ろしい事なのです。なぜなら、神の言葉を破棄、禁じると人間がやる事は、神の権威に真っ向から敵対する行為であり、367年

異邦人だけで行われたラオデキヤ会議で決められた「シャバットに

労働せよ!」とは、神が警告した、シャバットを汚すなかれ!という死に匹敵する罪そのものであり、これも神に直敵対する教えを、人に勅令として押し付けたからです。人間はずっと、神の知恵を捨てて、神の伝える罪が何かも分からないまま、おろかしくも自分たちの宗教バベルの塔を建設し続けているのです。

その中には、もちろん神の言葉の真実も含まれて伝えられています。

主よ主よと言うように、メシアが来られて、処刑され、復活され

子羊の贖いの血で人が贖われ、救われ、罪許された。

それは聖書の事実ですが、それ以外、神の教えは今は生きなくて良い

人間の意見で自由に仕分けて選択して良い!これらは神の教えなどではありません。イエシュアも警告した無法〜トラー無しを教える、

天の中で一番無価値な存在となる人々が唱える聖書ではない、違う

教えなのです。混ぜ物の教えが一番曲者なのです。

熱いか、冷たいかどちらかにして。生ぬるい〜混ぜ物〜吐き出そう!

とヨハネが言っているのが、その警告です。黙示録3:15-16

シャバットを日曜日に変更したのも、シャバットを祝うことを禁じたのも、全て異邦人、西洋人なのです。人間!神ではありません。

 

ダニエル7:25に預言されたように、反メシアは、神のトラーと

神の記念日を変えようとするとあります。

それがずっと行われて来たのです。これからも行われます。

長い年月、多くの大衆に信奉された教え、イコールそれが聖書、

神の教え、真実、正しいものになるのではありません。

どんなに大規模な宗教組織が主張し、大衆に支持され信奉される教えや儀式、記念日でも、それが人由来、人造であり、聖書、イスラエルの神の教え、仰せ、記念日=聖別された呼び出し日でなければ、

それらは永遠に主の日、聖日ではありません。

イスラエルの神に属するものではないからです。

国や個人、団体、会社や地域社会の記念日は、それこそ自由にいつでも祝えば良いのです。でも人は神が創造された神が定めて、仰せに

なっている神の記念日、聖日を人間が汚すこと、変更することを、

神が人にそうすることなど断固として許されていません!

人間が、人間が作った宗教の記念日を、聖日、主の日と勝手に名付けて言っているだけで、それらはイスラエルの神=イエシュアとは何も関係ないと、言われているからです。

神が聖別して呼び出している日などには、永遠になりません。

考えたら分かるでしょう!?どうして、神が創造されたものを、

イエシュアを信じるという人々が捨てて、たかが人間が作った宗教の人造記念日に固執し、尊重するのか。それは、それらの由来が人間であり、神の記念日の方を汚して、捨てて、別物、代替えをしているのだということが、理解できていないからです。

宗教文化の伝統、それが大衆の伝統として継承しているから、それが

神の教えだと、勘違いしているだけなのです。

全ては神の言葉を捨てているから!それが原因なのです。

だから、神の教えと、罪の基準さえ分からなくなっているのです。

神が伝える真実と、人間の創作したものとの区別が必要です。

きよいもの、きよくないものの、区別を教える人が、聖別の意味を知らない、教えられていないのです。

明日は、プリムの記念日ですが、これはレビ記23章に記された

神の聖別された日ではありません。

でも、エステル記にこの日を、イスラエルの神がイスラエルの民を

殲滅しようとしたハマンの手からイスラエルを救い出して、

そして、ハマン自身がモルデガイを処刑するために用意した木に

架けられた事を、神の救いの業を思い出す日として、代々祝うように

なった事がエステル記9:31に記されています。

もしあの時、イスラエルの民が殲滅されていたら、救い主はこの世界に誕生しなかったことになります。

この日は、アダルの月の13日、今の暦では2月〜3月に当たる

月です。毎年、アダルの月の13日にプリムを祝っているのです。

ハヌカも同じですが、歴史の中でイスラエルに起きた事、殲滅から救い出された日〜プリム、エルサレムの神殿をギリシャ帝国から取り戻して再奉献した8日の記念日は、その出来事が起きた日時とぴったり

あった日を、祝っています。そして、それらの記念日の裏には、

異教の神々の祭りは存在しない、純粋にイスラエルの歴史で神がなされた事をその事件が起きた日、救い出された日に祝っているのです。

 

プリムの祝い方を以前書いた記事を載せました。

プリム 3月13日 2025

木曜日の日没から、金曜日の日没なので、金曜日の日没はシャバットが始まるので、イスラエルでは、2日間記念日、祝いの日になります。

神の教えを誤解する要因は、人間が作った反モーセの五書思想、

神の言葉が終了したという教えを土台にした宗教の思想と、

そしてパウロの手紙を読み違えていることが大きな要因です。

しかも、翻訳聖書は、不適切な訳があります。

神の教えが廃れたと信じる人が翻訳しているので、聖書に書いても

ない文章や言葉、聖書に無い造語まで挿入されてしまっているのです。それらは、特に福音書〜黙示録です。

モーセの五書、預言書、諸書は、100%ヘブライ語で記されていて

その文字数も言葉も全て同じだから、人間が手をつけられません。

 

福音書以降は、使徒が書いた書簡であり、ギリシャ語で記されていますが、マタイはヘブライ語で記されたものが、発見されています。

それらを、翻訳する時に、翻訳者が勝手な解釈を施したりして、

原典にない文章、言葉を入れて、人に聖書にある意味とは違う

ニュアンス、意味合いを伝えてしまうものになっている箇所があります。それらは、全てモーセの五書が廃れたという根拠にされている

箇所でもあるのです。

 

パウロの手紙も、パウロがモーセの五書が廃れたという教えをしていると、クリスチャンは完全に勘違いしていますが、パウロはそんなこと言うわけありません。パウロは神から送られた使徒だからです。

シャリアフは、神の言う言葉に反することなど1つも言えません!

神の伝えた言葉の意味通りを、人に伝える、教える人、それが使徒の

定義だからです。

人でさえ、自分の意図通りをやってくれない人を、雇わないでしょう!自分が言ったのに、それと違うことを、使者が他者へ伝えて、

自分が託した仕事を意図通りにやらない人など、絶対に雇いません!

 

 

続く