エデンの園の最初から人は神が言われたこととは違うことをした | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

創造の最初から、全人類のズレ、的外れの大元、罪と死が人の中に

入り込んだ理由、原因は、サタンが神の言葉を曲げて、人をそそのかして騙し、神の言う通り〜神のデザインとは異なることをするように

促したこと。人が神の言葉ではなく、サタンが神の言葉を曲げて、

歪めた嘘を取り入れたことが書かれています。

 

神の言う通りとは違うことの方が、魅惑的に聞こえる、自由、楽ちん、肉にアピール、納得、しっくり来る、その方が正しく聞こえる。

そんな誘惑は、世界にたくさん周りに満ちているのです。

でも神の伝える真実〜細い声、小川のせせらぎのように、意識を向けて聞かないと聞こえないけれど、注意を払って神の言われた言葉を聞いてよく考えれば、神が何を人に伝えているのか分かります。

神は、永遠に揺るがない証拠として、文字として記された婚姻契約書を、神の花嫁、聖なる民、永遠の中から神が選び出された人達に

モーセを通して、イスラエルという全世界の中での代表民族に与えました。

神の教えは、異邦人が主張するように、歴史の途中で変化しません。

人種により神の教えは、変化しません。

その証拠、事実が、聖書には記されています。

 

そして、シナイ山で婚姻契約が与えられた人達は、子羊の血を神が

伝えた通り、エジプトの家の鴨居に塗った人達です。子羊イエシュアの血の贖いを信じて、神が言われた通りを、イスラエルと異邦人がしたのです。

エジプトでは羊は嫌われる動物であったのに、家の前に子羊をつなぎそして、その子羊を屠り、血を鴨居に塗ったのです。

今年2025年は、4月12日から過越の祭り、7日間の種無しパンの

祭りがやって来ます。

イスラエル、異邦人、子羊の血により贖い出された人は、全て同じ

イスラエルの神〜創造主の元に戻り、イスラエルの神の大家族の1員とされました。

その人達は、2つ分断した家族ではなく、イスラエルの12部族の中に、異邦人はイスラエルとして加えられ、数えられていた事実が

聖書には書かれています。

そして、贖い出された人、聖なる民、神の花嫁となった人達だけに、

神のトラー=婚姻契約が与えられたのです。

これを、正しく理解すると、神の伝える永遠の真実が見えます。

神と個人的な出会いをしていない、新生体験をしていない、神を知らない人に、神の婚姻契約が与えられたのではないのです。

新しくされた、花嫁とされた、聖なる民となったその人達に神の家に住まう家訓、天の国の憲法〜神が創造されたイエシュアの性質通りを、神の大家族が皆生きることを、神が人に教えているのです。

そして、神の花嫁となった証拠、印として、神は神の記念日の全て

そしてその代表、中心である、「シャバット」を与えたと神が人に伝えているのです。

出エジプトを実際に物理的にはしていないという場合、贖い出された

事実を神が出エジプトを通して教えていることを、正しく理解しないとなりません。

全ての人は、エデンの園を飛び出た結果、罪、ズレ、死の結末を負うことになりました。でも、神は神の元に戻る手段を永遠の中に既に

完結、用意して人に与えたのです。

それが、子羊の血の贖いの代価により、神の元に戻ることです。

出エジプト、奴隷、偽の神々の奴隷として生きていたことを、教えているものです。神が与える本当の命、人の生き方ではなく、

偽物の教え、人の作った人生目標を生きる奴隷になること、

そこから、イエシュアに贖い出された人は、脱出された、それが神と

出会い、水を通り、約束の地に導かれる荒野で過ごす人生の道のりなのです。

荒野〜ミッドバ〜神の声だけを聞く訓練を与えられた場所、神とだけ向き合い過ごすことを教えられたのです。

そして、神が全ての必要を備え、救いの岩、水が湧き出た岩、

イエシュアが共について来たことを教えているのです。

実際に神の臨在が住まう、ミシュカン〜移動式神殿、そして、火と

雲の柱で神の臨在、供給、守りを目で見える形で12部族と、異邦人に与えたのです。

そしてイスラエルと異邦人と分けた教えではなく、イスラエルと共に住む異邦人へも、同じ神のトラー=教えを与えた事を、神は最初から

ずっと教えているのです。

モーセの五書の最初からメシアは教えられていて、神の言葉のどの箇所も、イエシュアが伝えられ、教えられているのです。

そして聖書=モーセの五書、預言書、諸書に記されたメシアをどの

時代の残りの民も同じように知り、内側に聖霊をいただき、新しくされた人を得て生きてことが、タナックには書いてあるのです

イエシュアが地上に来られたことは、神の言葉、約束が事実であり

それは、永遠の中に屠られた子羊の血の贖いが真実であることを、

地上で人々に実態をもって証明するために来られました。

聖書に書かれた事だけで、神が言われたことが地上で人の前で実現

されなければ、人はそれが本当であることを、信じないからでしょう。

神の語った言葉を、神がその通りに地上で人々の前で実現することで、神が言われたことが全て真実であることを、証明するためでもあります。

神が神の言葉を変えたのではなく、人間が勝手に神の言葉と記念日を

変えた事実があるのです。

ダニエル7:25で、預言されている通り、神に反するものが、神の

トラーと神の記念日を変えるとある通りのことがずっと起きているのです。

神は今はなんでも良いと言っています!とクリスチャンは言いますが、それこそが、人間の主張であり、神の言葉を曲げる行為そのものなのです。イスラエルの神は、人間が神の言葉を勝手に変えることを

許しているような、いい加減な神ではありません。

クリスチャンの世界で語られるイスラエルの神像は、聖書の事実に基づかない、人間の手で塗り替えられたローマ帝国、ローマ化けした、神の言葉とは異なる人間の空想、思想で塗りかえられた変身する別物の神です。

ローマ14章では、パウロは人の意見〜神の教えではなく、人間の

世界にあるその人が大事にしている色々な決まり事、断食日、偶像に汚された肉(もちろんきよい動物)を食べるのが嫌だと思う、信仰の浅い人が野菜だけを食べるなど、それらの自分で決めたルールをやっていることに関して話している箇所を、クリスチャンの教えでは、

神の記念日を、人間がそれぞれの意見で変えて良い、食規定も変わった、だから今はいつでも礼拝日〜安息日、なんでも食べて良いのだなどと言っているのです。

安息日は、永遠に第7日目であり、その証拠は聖書に書いてあるのです。未来にイエシュアが戻られたらシャバットはもちろん第7日目に祝われる事が預言されているのです。その事実を曲げた人の教えが浸透し、異邦人がそれに乗り、宗教の教え、記念日が長い年月継承、実践され、今に至っているだけで、神が聖別していない日は永遠に普通に日であり、その日に神は人を呼び出していないし、日曜日は神が聖別された神が呼び出して聖別した記念日などではないのです。

普通の日です。人間が言っているだけ、実践しているだけで、

イスラエルの神とは何も関係のないものなのです。

その証拠は、聖書に書いてあります。

イエシュアが教え、祝ったのはシャバット〜第7日目であり、

そして、レビ記23章に記された神の聖別された祭りです。

どうして、シャバットの日が分かるのか?それは、天の万象は神の

モアデイムを司るために創造されたとある通りだからです。

天の万象〜光、月、星、太陽は、神の記念日を人に教える役割をしているからです。だから、暦が成り立つのです。

荒野の旅から、約束の地に入った時、シャバットの前の日、金曜日の昼間に2日分のマナが天から降りましたが、それが止みました。

それは、約束の地の穀物を食べることができるようになったからです。

残りの民は、ずっとエデンの園を出てから、神が聖別された7日目の

シャバットをガードして今に至るのです。

神の民以外、神の記念日を祝いません。それは、イスラエルの神が神が聖別された人だけに与えたものだから、異教徒は祝わないのです。

 

イエシュアが教えられた、弟子やパウロが教え、祝っていたシャバット、過越の祭り、新月、初穂、シャヴオート、そして、秋はショファーを吹く日、大贖罪日、そして仮庵の7日間、8日目の祝いを、

聖書に記された神が創造された生粋本物の記念日。

それらを、異邦人はイエシュアを信じていても、知らない、祝わない

古い律法に戻る気か〜と本気で、拒否、拒絶しています。

その不思議な現象は、シンプルに解説できます。

異邦人の世界で行われていることは、聖書〜神の教えや記念日ではなく、人間がローマ帝国皇帝が4世紀以降作った宗教の教え、儀式、

伝統、文化、記念日を実践して、神の教えを実践していない、

シンプルな理由なのです。

神は人に、神の教えや記念日ではなく、人間が作った宗教の教えを

生きよ!などと、教えません。

それは、本物ではない、人間の作り物であり、イスラエルの神のものではないからです。

そして、それはイエシュアが来られたら、人の作った宗教の教えや

実践、記念日の全部は終わるのです。人から出たものは、イスラエルの神に属さないから、廃れるのです。

なぜなら、それが預言されているからです。未来、イエシュアが来られたら全ての人の頭脳に割礼され、神のトラーが記されて、誰も主を知ろうと言う必要ない、そして全ての人が神のモアデイム、シャバット祭りを祝うようになると、未来預言されているからです。

神の言葉を否定する人には、神の語る真実は通じなくなります。

神の教えではなく、人間の教え〜神の言葉を人間が勝手に仕分けて

良いという、神に対する、違反が違反、罪が罪とも分からなくなっているからです。

出エジプト 20:8 安息日を覚えて、これを聖とせよ。

20:9 六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。

 20:10 七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、

家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。

20:11 主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを

造って、七日目に休まれたからである。

それで主は安息日を祝福して聖とされた。

申命記5:12安息日を守ってこれを聖とし、あなたの神、主があなたに命じられたようにせよ。

 七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしては

ならない。あなたも、あなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、牛、ろば、もろもろの家畜も、あなたの門のうちにおる他国の人も同じである。こうしてあなたのしもべ、はしためを、あなたと同じように

休ませなければならない。

 

エゼキエル20:12 わたしはまた彼らに安息日を与えて、わたしと彼らとの間のしるしとした。これは主なるわたしが彼らを聖別したことを、彼らに知らせるためである。

20:24これは彼らがわがおきてを行わず、わが定めを捨て、わが安息日を汚し、彼らの目にその先祖の偶像を慕ったからである。

<今は異邦人には関係のない教えと、神の言葉ではなく、人間の思想を信奉し、教え続けているから、神が言われる意味が理解できなくなっているのです。>

22:28あなたはわたしの聖なるものを卑しめ、わたしの安息日を汚した。これは彼らがその心に偶像を慕って、わがおきてを捨て、わが定めに歩まず、わが安息日を汚したからである。

20:20わが安息日を聖別せよ。これはわたしとあなたがたとの間のしるしとなって、主なるわたしがあなたがたの神であることを、あなたがたに知らせるためである。

ユダヤ人の安息日ではなく、神の安息日〜わが安息日と書いてあります。天地が滅びていないのなら、今も神の言葉=トラーは廃れない!滅びない。天地が滅びる方が、神の言葉が滅びるより容易い!とイエシュアも言われたでしょう。強調です。神の言葉は永遠に硬く立ち、変わらないとイエシュアが言われた通り、神の言葉は変わっていません。>

22:26 その祭司たちはわがトラーを犯し、聖なる物を汚した。彼らは聖なる物と汚れた物とを区別せず、清くない物と清い物との違いを

教えず、わが安息日を無視し、こうしてわたしは彼らの間に汚されている。

23:38さらに彼らは、わたしに対してこのようにした。すなわち、

彼らは同じ日にわたしの聖所を汚し、わたしの安息日を犯した。

44:24争いのある時は、さばきのために立ち、わがおきてにしたがってさばき、また、わたしのもろもろの祭の時は、彼らはわがトラーと定めを守り、わが安息日を、聖別しなければならない。

<神のトラーを教えるレビ族の祭司たちが、神の聖なるもの〜シャバットを汚し、神の教えを汚し、聖別の区別もできず〜きよくないものときよいもの違いも教えず〜これは、聖別=神の記念日、神の伝えるきよい動物と、清掃動物の違いが分からない、人間の宗教の教えを
教えていること、そのものに対する警告なのです。>

未来預言です。下矢印

46:1 主なる神は、こう言われる、内庭にある東向きの門は、働きを

する六日の間は閉じ、安息日にはこれを開き、またついたちにはこれを開け。

46:3 国の民は安息日と、ついたち(新月)とに、その門の入口で主の前に礼拝をせよ。

46:4君たる者が、安息日に主にささげる燔祭は、六頭の無傷の小羊と、一頭の無傷の雄羊とである。

46:12 また君たる者が、心からの供え物として、燔祭または酬恩祭を主にささげる時は、彼のために東に面した門を開け。彼は安息日に行うように、その燔祭と酬恩祭を供え、そして退出する。その退出の後、門は閉ざされる。

ぜカリヤ14:16 エルサレムに攻めて来たもろもろの国びとの残った者は、皆年々上って来て、王なる万軍の主を拝み、仮庵の祭を守るようになる。

<仮庵の祭りを祝うという意味は、仮庵の祭りは1年の最後を締めくくる祭りなのです。その意味は、レビ記23章、シャバットを中心に全ての記念日、祭りを祝うという意味なのです。そして、祭りを祝う
イコール、祭りは最初の日を曜日に関わらずシャバットとして祝い、シャバットで閉じる。過越、仮庵は7日間の祭りなので、その中に
ある第7日目のシャバットも祝うという意味なのです。>
 
14:17 地の諸族のうち、王なる万軍の主を拝むために、エルサレムに上らない者の上には、雨が降らない。
14:18 エジプトの人々が、もし上ってこない時には、主が仮庵の祭を守るために、上ってこないすべての国びとを撃たれるその災が、彼らの上に臨む。
14:19 これが、エジプトびとの受ける罰、およびすべて仮庵の祭を守るために上ってこない国びとの受ける罰である。
世界中が、神のトラーを生きる日が来る未来預言です。今は神の
教えや記念日を捨てる時代で、イエシュアが来られたら、神のトラーに戻り、生きて、神の創造された記念日を祝うことに戻る?クリスチャンの世界で語られられている教えは、大事な部分が、聖書が土台、根拠ではなく、人間が作った宗教の教えや思想に変えられてしまっているのです。そのことに世界中にいる多くのクリスチャンが気がついて、軌道修正〜悔い改めてをしている終わりの時代になったのです。
真実に気がついたら、嘘には2度と戻れない。神の教えや仰せ、記念日を捨てて、人間の作った先祖の言い伝え、伝統の教えに固執する
意味が何なのか、神の言葉に照らし合わせて、理解できるからです。
 
どの日に集まり、何の目的でも自由ですが、神の聖別された日ではない日は、永遠に主日、聖日、シャバットではないのです。
神の定めた日を捨てる〜民の間に汚されているという神の警告、
今は関係ない神の教え、警告、罪の定義〜永遠に神の真実に辿りつかないまま、人間の教えにすり替えられたものが、本物と騙されたままになってしまうのです。
嘘と本当を見分ける根拠は、神の言葉だけなのに、その神の言葉を
変えたら、何が本当か分からなくなる、それが1700年以上も起きているのです。
神が聖別された日を、神がされた通り尊重して生きる、神の民は
神が与えた特別な印、祝福を与えられているのです。
 
Shabbat Shalom