神の言葉は防御服 要塞 安全な囲い | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

申命記5:15あなたはかつてエジプトの地で奴隷であったが、

あなたの神、主が強い手と、伸ばした腕とをもって、そこからあなたを導き出されたことを覚えなければならない。

それゆえ、あなたの神、主は安息日を守ることを命じられるのである。

<このように記されていて、エジプトに住んでません〜イスラエルでもありません〜という読み方をしたら、聖書=神の言葉、イエシュアはあなたとは何も関係ありませんという事と同じことを信じているのです。聖書に書かれたことは、代表者、歴史の中でイスラエルが体験したことを通して、神は私たち、永遠の中に既に選び出された神の

子ら、一人一人に同じことを教えているのです。

神との関係にある人に、神はシャバットを契約の印として与えているのです。イスラエルとそして異邦人共に同じです。エジプトで神の言葉をモーセを通して受け取り信じて、子羊の血を鴨居に塗った異邦人も初子の死を免れ、共にエジプトを出たのです。シナイ山で異邦人もイスラエルと共に、神の婚姻契約を受け取り、その神の教えに生きます!と神に宣言したのです。神の子らはもれなく、神との関係にある印「シャバット」を与えられているのです。

エデンの園を人類全員が飛び出しました!全ての人が神から切り離されました。だから、そのままでエデンに戻れないのです。義人は一人もいない!エデンから出て、イエシュアを通して神の元に戻らない人は、義人ではないからです。そして、全員が偽の神々の奴隷エジプトから出ました。そして、子羊の血の贖いの代価で、新しくされ聖霊をいただいて、神からの婚姻契約を与えられて、神との関係が

永遠であることを保証されています。

そして、神の子らとなった人は、神が伝える神の国、神の家の大家族の生き方をします!それが、モーセの五書に書いてある神の教えを、

理解しない人には、神の教えは全く通じません!

古い教え!?そうですね。遥か彼方の遠く太古に書かれましたが、

神は時空を超えて、同じことを神の言葉から人に教えているのです。

なぜなら、人は最初から同じだからです。あなたが日々、肉体が進化

変化しているなら別ですが、そうではないでしょう?この体は死ぬから日々朽ちているのです。逆はない。

本当にクリスチャンの世界に浸透してしまった人造の教え、アスパルテームのような害毒の非聖書的思想は、自分でリコールしないとなりません。

聖書に戻り、神が言う通り、神の言葉は永遠で変化しない!

昇天以降、モーセの五書とは別の教え、モーセの五書終了、

個人の意見、好みで神の言葉を捨てて良い、生きなくてもよい!

それは全てエデンの園の蛇の声を、人間が代弁しているだけ!と

覚えておいてください。

エゼキエル 22:8 あなたはわたしの聖なるものを卑しめ、

わたしの安息日を汚した。

<これは、2世紀以降の殆どの異邦人が、神のシャバットを汚しているでしょう。そして、この神の警告は、その人たちの頭脳には

何も響かない教えなのです。神の言葉は廃れたから〜!という

人間の教えを信じて、神の言葉を退けているからです。>

 

22:9 人をののしって血を流そうとする者は、あなたのうちにおり、人々はあなたのうちで、山の上で食事をし、あなたのうちで、

みだらなおこないをし、

<異教の神々の礼拝場で、混ざり物の礼拝で、イスラエルの神を礼拝していたのです。>
22:26 その祭司たちはわがトラーを犯し、聖なる物を汚した。彼らは聖なる物と汚れた物とを区別せず、清くない物と清い物との違いを教えず、わが安息日を無視し、こうしてわたしは彼らの間に汚されている。
レビ記11:45 わたしはあなたがたの神となるため、あなたがたをエジプトの国から導き上った主である。わたしは聖なる者であるから、
あなたがたは聖なる者とならなければならない』」。

11:46 これは獣と鳥と、水の中に動くすべての生き物と、地に這うすべてのものに関するおきてであって、

11:47 汚れたものと清いもの、食べられる生き物と、食べられない生き物とを区別するものである。

<この箇所は、上のエゼキエル22:26にある、祭司たち〜神の教えを教える人が、きよいものときよくないものの区別を教えず、
神の安息日を汚し、汚れた動物を食べている、その事に対する警告なのです。>
クリスチャンはこう考えているでしょう。厳しい教えは生きられないから、イエシュアが来られてそれらの厳しい律法=神の教えを、
イエシュアが破棄したのだ〜!だから、古い教えは終了!
では一体、イエシュアがもしトラーを捨てよ!と教えたら、何を生きるのですか。イエシュアがそんなこと言ったら、イエシュアは神ではない、その時点で偽預言者と認定されます!何で、イエシュアは大事な短い地上での生涯、同じ人として生きた日々を、トラーだけを教えたのに、昇天以降は、それはもう意味ない!ちゃんちゃん!終わり!などとバカげた教えをすると言うのですか?
あほちゃいまんねん、パーデンネンより酷いです。
クリスチャンの頭の中には、十字架に神の言葉をつけて、神の言葉も
葬ったという馬鹿げた空想の人間の思想があるから、そんなこと考えられるのです。
聖霊により導かれるまま生きるというならば、それは、聖霊=イエシュア=言葉ですから、神の言葉を通して、神は人に教えるのに、本当に意味不明辻褄の合わない堂々巡りのずれた議論になるのです。ロジックに合わない。
では何で、クリスチャンは聖書を今も読むのですか?葬られた教えなのに。たとえそれが、福音書以降だけでも、それは、モーセの五書の教えの抜粋であると事実に全く気がついていないのです。聖書の中には、トラーとは違う教え、トラーを否定した教えは、1つも書かれていません!トラーとは違う教えも1つも記されてなどいません!
もし、トラーとは違う教えが書かれていたら、それは聖書ではありません!
そんな事実も、聖書を教える教師が理解していないのです。聖書を教える人が聖書を知らないまま、聖書ではない教えを教えてしまっている弊害があるのです。
なぜ?1世紀後半から、パウロのようなヘブライのトラー教師と
ユダヤ人信者の群れと完全決別して、異邦人だけの群れになって、
聖書とは違う独自の思想の新興宗教を4世紀に作って、その思想、教え、儀式、記念日を実践してきたから、神の言葉が通じなくなっているのです。筋の合わない、意味不明、非論理的な思想です。
この思想は、聖書ではない、それが分からない場合には、神の言葉はその意味通りにストレートにその人の頭脳には届かないままなのです。上記の神の言葉を読んでも、自分に無関係としか考えないでしょう?それは、人の思想で、神の言葉が遮られて真実を知ることを邪魔されているからです。
進化論信者に、神が創造された事実を話しても通じないのと同じ
状態になっているからです。
人間は、きよくない動物を食べるように造られていません!
人間の臓器にもダメージを与える動物、ウイルス、菌の宝庫である
動物です。そして、動物の血は人にA型肝炎に羅漢させるのです。
生き血や貝などを食べて肝炎になるのです。
神が禁じた食べ物は、人間の食べる代物でもありません。
神が創造主なのに、人間は神の言葉を無視しているのです。
聖別を汚す行為、罪を犯していても、気が付かないのです。
調べたら、聖書を知らない人も、そんなもの食べるの躊躇するほど、ウイルスと菌をその身に保存する宝庫の汚い動物なのです。それなのに、そんなものを神が人に食べよ!というのは、イエシュアを愛する愛ではない。自分を愛さない、他者をも顧みない行動なのです。
環境も汚染し、聖別も汚し、罪を犯して、異教徒と同じ生き方を
引きずり続けるのです。使徒15章の異邦人は、今のクリスチャンとは違い、神の言葉を受け入れてその後悔い改めたのです。
もしイエシュアが神の言葉を破るように教えるならば、人を危険に晒す事を教える嘘つきです。マタイ5章を読んでも、そんなこと書いておらず、イエシュアは神の言葉を破棄しない、人にトラーのどんな
小さな教えを破るように教えるものは、意味なし存在になる!
天の国で一番遠くにおいやられる!と言っている意味が、クリスチャンには全く通じない。鉄より硬い頭脳になっているのです。
神は人の健康も体も守るために、創造の事実を教えているのに、
人間は自分に都合よく聞こえる教えが良いのです。好きなようにしたい、好きなもの食べたい。
しかも、そんなものを食べる〜聖別を汚す行為である!とはっきり
聖書の至る所で教えています。

 

申命記14:3 忌むべき物は、どんなものでも食べてはならない。

豚は汚れた動物の代表として、聖書には書かれています。
そんなものは、神の祭壇にも、神の宮である人の中にも取り入れてはダメ、御法度なものであり、神が最も忌み嫌う!と言っていることを、何も感じず、恵の時代〜なんでも食べれる〜などという、愚かなことを人にも教え、自分にもそうする。それって何?宗教の教えであり神の言葉を無視する宗教〜キリスト教と、メシアを知らないユダヤ人、メシアを知らない異邦人にもそう思われているのです。
 

イザヤ65:4墓場にすわり、ひそかな所にやどり、豚の肉を食らい、

憎むべき物の、あつものをその器に盛って、

66:3牛をほふる者は、また人を殺す者、小羊を犠牲とする者は、また犬をくびり殺す者、供え物をささげる者は、また豚の血をささげる者、乳香を記念としてささげる者は、また偶像をほめる者である。これはおのが道を選び、その心は憎むべきものを楽しむ。

66:17 「みずからを聖別し、みずからを清めて園に行き、その中にあるものに従い、豚の肉、憎むべき物およびねずみを食う者はみな共に絶えうせる」と主は言われる。

イエシュアを信じながら、汚れた行為をする、使徒15章の異邦人と同じ生き方を今もしているのです。この言葉はイエシュア=神が語っているのに神の言葉が廃れたという人の耳、頭脳には何も意味がない、響いていません。
神のシャバットを知らないまま、汚しても、何も感じないのです。
神の教えを、神の教えだとも、気が付かない、知らないからです。
シャバットをいつの日でも良いという嘘を信じているから、神の言葉が通じないのです。
キリスト教の教師、牧師が、モーセの五書から自由に解放されたので、今は十戒、神の教えは生きなくて良いんですよ〜!そんな非聖書的嘘ばかり教えられたら、一体何を生きよと教えるのか?自分に納得のいく、都合の良い教えを抜粋して生きる。神の教えを無視していいです!
だから、LGBTQに賛成などと、言えるのです。神の言葉を捨てる人は
神の言葉をどこまでも逸脱する事ができます。日本の牧師も神の言葉の方を疑えなどという冒涜を人に教えているのです!びっくりです。
聖書ではなくて、人間の作った宗教の教えを信じる、それはどのような方向にも逸脱できるのです。トラーを知る祭司でさえ、ソロモンでさえずれた、その原因は何ですか?エデンの園の事件と同じ。
「人間が神の言葉を退けた!半分嘘、半分本当の混ぜ物の教えを取り入れた!」これが、人造宗教なのです。神の言葉を否定するなど、
危険な教えなのです。でも2000年近く、これほど迄多くの異邦人に信奉、継承、伝承されてしまったから、それが揺るがないものになっていますが、それは神の言葉、教えなどではないのです!
LGBTQ賛同、教皇が同性婚祝福という終わりの時代に、自分を守れるのは、神の永遠普遍の言葉だけ!それに戻れ!それが預言者の神から警告なのです。
本当に偽の教えが浸透して、世界は混乱しているのです。
一方、神は神の子らを神の永遠普遍の真実の教えに目覚めさせ、
呼び戻している。そしてユダヤ人もタナックに記されたメシアに
気がついている!終わりの時代、神の言葉に根付いて生きる人は
安全に守られるのです。
神の言葉は、神の前に認められる為に、義とされる生きるためのものではなく、神が神の子らに与えた防御服、安全な要塞、囲いなのです。それを破壊する行為は、愚かです。神の知恵を捨てるのは、本当に愚かです。
神のトラー、知恵に生きる事は、賢い生き方であり、時が来たら実が
なる!生ける水〜神の言葉=イエシュアに浸って生きる事、
それを神が教えているのです。
クリスチャンは、神の言葉が廃れたと信じて、福音書以降には、別の新しい教えが書いてあるという、書いても無い空想を信じているので、神の言葉が届かないままになっているのです。
神は変わらない、神は神の言われた事を変えない、イエシュアは昨日も今日も永遠に同じ!と言いながら、どうして、真逆の矛盾、神は
歴史の途中人格を変える、神の教えを変えた!などという嘘を信じるのか、そんな事を信じられるのは、先祖代々、神の言葉が何かを知らない、分からない、理解していない異邦人〜ギリシャ人だからです。
 
出エジプト20:11主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた。
申命記5:12 安息日を守ってこれを聖とし、あなたの神、主があなたに命じられたようにせよ。

5:14 七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたも、あなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、牛、ろば、もろもろの家畜も、あなたの門のうちにおる他国の人も同じである。こうしてあなたのしもべ、はしためを、あなたと同じように休ませなければならない。

 

イザヤ56:4 主はこう言われる、「わが安息日を守り、わが喜ぶことを選んで、わが契約を堅く守る宦官には

56:5 わが家のうちで、わが垣のうちで、むすこにも娘にもまさる記念のしるしと名を与え、絶えることのない、とこしえの名を与える。

56:6 また主に連なり、主に仕え、主の名を愛し、そのしもべとなり、すべて安息日を守って、これを汚さず、わが契約を堅く守る異邦人は――

56:7 わたしはこれをわが聖なる山にこさせ、わが祈の家のうちで楽しませる、彼らの燔祭と犠牲とは、わが祭壇の上に受けいれられる。わが家はすべての民の祈の家ととなえられるからである」。

56:8 イスラエルの追いやられた者を集められる主なる神はこう言われる、「わたしはさらに人を集めて、すでに集められた者に加えよう」と。

59:13もし安息日にあなたの足をとどめ、わが聖日にあなたの楽しみをなさず、安息日を喜びの日と呼び、主の聖日を尊ぶべき日ととなえ、これを尊んで、おのが道を行わず、おのが楽しみを求めず、むなしい言葉を語らないならば

エレミヤ17:24主は言われる、もしあなたがたがわたしに聞き従い、安息日に荷をたずさえてこの町の門にはいらず、安息日を聖別して、なんのわざをもしないならば、
17:27しかし、もしあなたがたがわたしに聞き従わないで、安息日を聖別して守ることをせず、安息日に荷をたずさえてエルサレムの門にはいるならば、わたしは火をその門の中に燃やして、エルサレムのもろもろの宮殿を焼き滅ぼす。その火は消えることがない』」。
 

エゼキエル20:12わたしはまた彼らに安息日を与えて、わたしと彼らとの間のしるしとした。これは主なるわたしが彼らを聖別したことを、彼らに知らせるためである。

20:13しかしイスラエルの家は荒野でわたしにそむき、わたしの定めに歩まず、人がそれを行うことによって、生きることのできるわたしのおきてを捨て、大いにわたしの安息日を汚した。そこでわたしは荒野で、わたしの憤りを彼らの上に注ぎ、これを滅ぼそうと思ったが、

20:16これは彼らがその心に偶像を慕って、わがおきてを捨て、わが定めに歩まず、わが安息日を汚したからである。

20:20わが安息日を聖別せよ。これはわたしとあなたがたとの間のしるしとなって、主なるわたしがあなたがたの神であることを、あなたがたに知らせるためである。

20:21しかしその子どもたちはわたしにそむき、わが定めに歩まず、人がこれを行うことによって、生きることのできるわたしのおきてを守り行わず、わが安息日を汚した。そこでわたしはわが憤りを彼らの上に注ぎ、荒野で彼らに対し、わが怒りを漏らそうと思った。

23:38さらに彼らは、わたしに対してこのようにした。すなわち、彼らは同じ日にわたしの聖所を汚し、わたしの安息日を犯した。

 

44:24 争いのある時は、さばきのために立ち、わがおきてにしたがってさばき、また、わたしのもろもろの祭の時は、彼らはわがトラーと定めを守り、わが安息日を、聖別しなければならない

未来下矢印

46:3 国の民は安息日と、ついたちとに、その門の入口で主の前に礼拝をせよ。

46:4君たる者が、安息日に主にささげる燔祭は、六頭の無傷の小羊と、一頭の無傷の雄羊とである。

46:12 また君たる者が、心からの供え物として、燔祭または酬恩祭を主にささげる時は、彼のために東に面した門を開け。彼は安息日に行うように、その燔祭と酬恩祭を供え、そして退出する。その退出の後、門は閉ざされる。