シャバット  神の教え創造された記念日は人造宗教の教えや記念日とは違う | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

シャバットの金曜日が近づくと、緩んでほっとします。

一週間は、シャバットを中心にプランします。

神は人を、1〜6日の間に労働し、7日目に止まるように創造されたからです。

そして、金曜日の日没には、シャバットを迎える準備が整い、

シャバットを歓迎し、楽しい宴が始まります。

その時々違いますが、家族だけ、又は友人達が来たりします。

土曜日は毎週イスラエルの群れと、世界中にいる仲間が一緒に

オンラインで集います。

その週のトラー箇所(又はそれに付随する箇所)の解説を聞いて、

その後皆で質疑応答、意見交換などをします。質問とは大事です。

それぞれの人が、それぞれの側面を見ることができて、その質問から神の言葉に基づいた答えを知るという発見があります。近況報告や、

祈り、毎週その年に亡くなられた友人、親戚への記念の祈り、そして最近はずっと戦争で亡くなられた人たち、得に若いIDFの人たちが家族や友人に残した手紙、遺言を読んだりします。これが、本当に内容が深く、死に直面する若者が書いたものですが、成人の領域が記されています。涙なしでは、聞けない内容です。

イスラエルが唯一、正当防衛を世界から非難される国であり、

その理由は明らかです。日本人には分からないことなのですが、海外では実際にユダヤ人だからという理由だけで、個人攻撃され続け、

車を燃やされたり、家が攻撃されたりしているのです。

アメリカの大学内での、反ユダヤ運動はひどいものです。

黒幕がいて先導しているのですが。

イエシュアが再び戻られる時が、毎秒近づいているからであり、

サタンの悪あがきは何にもならないけれど、最後の大抵抗をし続けいるからです。神の子らが、皆集まり、神がいう通りを生きたら、

その中にイスラエルの神に実態が現れてしまうから、サタンは何としても阻止したいのです。

サタンは人を破壊します。だから、この世は汚染されているのです。

闇の世界、破壊。

今迄イスラエルを殲滅しようとした全ては、滅びて、消えました。

神に敵対するものの結末は、既に決まっているのです。

そして、どんなことがあっても、神が全てを神の支配、コントロール下に置いているのです。

2000年前、イエシュアも歌われていたシャバットの歌、3000年前も同じくユダヤ人は同じ歌を歌い、同じシャバットを第7日目に

イエシュアと同じように祝い続けてきました。

このような民族は世界にイスラエル以外にいません。

イスラエルの神の伝えたアイデンティティ、教え、記念日を唯一継承してきた民族です。

シャバットは神が神の子らに与えた契約の「印」です。神との関係に

招き入れた証拠、印、婚姻指輪です。目に見える、外側から見て見える印、だから、イスラエルの神の子らしか、シャバットを祝わないでしょう。ダントツに特異、違う記念日。それらを、ギリシャ帝国も

ローマ帝国も祝う事を禁じたのは、結局裏にある、サタン〜神に敵対するものの策略なのです。

なぜなら、人にイスラエルの神が知られたらやばいから。

 

世界のどの地に散らされても、混血になった民族でも、イスラエルのアイデンティティを守って継承している人たちがいます。

中国の開封、杭州、寧波、揚州、寧夏などに、そのコミュニテイがあります。父親が、ユダヤ人で母が中国人なので、見かけは中国人ですが、トラーを生きています。

シャバットを家族、仲間、友人と体験した事のない人には、これが

どれほど美しい、麗しい、楽しいものであるのか知らないのです。

神が約束されたのは、神が造られたモアデイム〜アポイントメントの日、神が神の子ら全員を呼び出した会見の日に、神が言われた通りを聞いて、ガードし、生きる人たちと、特別な出会いをすると約束されたからです。神は約束された事を破らないからです。

神は神の言われた小さな事でも、真摯に受けとめ生きる人に、特別な祝福〜神との親しい麗しい、人の手では得られないそれを与えて

下さいます。祝福というと、即座に、金銭、物理的な事を空想しますが、それもその一部ですが、そうではない、人はこの世の次元のもので満たされるように造られてない高貴な存在。なぜなら、神の似姿

性質、イエシュアと同じように造られているから、この世のものではない次元の違う天的なものでなければ、満たされないように造られて

いるからです。私達神に造られた人が、本当に必要なのは、神ご自身

その臨在、シャローム、安息の中に憩い生きること、神と顔と顔を

合わせて生きる、その関係の真髄だけです。

 

異邦人は、神の伝える言葉、教え、記念日を変えてしまいました。

クリスチャンは、メシアが来られた後は、モーセの五書=神の教えとは違う、新しい教えが、イエシュアやパウロから伝えられたと本気で信じているのです。そう教師たちに、1世紀後半から今に至るまで

そう教えらているからです。そして、大衆がその宗教文化の伝統を

継承しているから、それが正当、聖書だと思い込んでいるのです。

でも、それは聖書の教えなどではなく、異邦人が作った宗教文化の

教えなのです。

聖書を読めば、現在教えられている、モーセの五書終わり!今はなんでも良い!LGBTQ、タゥーもOk。なんでも食べて良い、いつでも

シャバット、そんな教えなど聖書には書いてありません!

それらは、神の前に罪、禁じられていることなのに、それらがOkと

牧師や教師が人に教えている、そこまで神の言葉から遠く離れた思想にすり替えられてしまった〜それが人造宗教の教えなのです。

 

新しい教えは、モーセの五書=古い教えに固執するな!古い教えは

一時的なもので、それを生きる事に執着する人は、律法主義だ!

これら全て、神の言葉に真っ向から敵対している教えなのですが、

そんな空想を信じているのは、初代西洋教父達が編み出した、

モーセの五書を否定する教え=反モーセの五書、反ユダヤ思想を

異邦人はずっと継承して今に至るからです。

そして、福音書以降は、モーセの五書とは違う教えだと、本気で信じているのは、聖書を正しく教えられておらず、理解していない事が

この問題の原因なのです。

神の言葉が終了した!という思想を土台に作った西洋人創作の宗教、それが異邦人が作った西洋宗教です。聖書は西洋ではなく、ヘブライです。メシアはユダ族、ユダヤ人です。

神の言葉、教えを、どんなところでも人間が変える、神の教えの中に、人間の思想を付け加える、それが神の言葉を違反する人造宗教であり、元々そんなものは、人間は作ってはならないものだったのです。

不思議ではないですか?聖書は完全なる神の言葉と言いながら、

同時に、同じ口からなぜなら、人の作った思想、神の言葉を曲げる、変える、捨てる、削除する、否定する思想を主張しているのですか?

 

人間の教えを付け足したものは、神の純粋な言葉、教えを妨害する

邪魔、障害物でしかないのです。

人の思想、教えの種は、その根本から、根こそぎ除去する必要があります。種を残せば、必ず根が生え、芽が出てきて、人の思想に覆われた、神の言葉を妨害する宗教の教えが頭脳に蔓延り、人を神の言葉からそらせ、神から引き離す事をし続けるからです。

 

悔い改めとは、元の戻ることです。本物=神の言葉に戻る!神の言葉は、聖霊であり、聖霊で書かれた神の言葉を、神は1つも否定しませんし、変更もしていません。それが聖書に書かれているのに、読み取れないのは、すごい目隠し、盲点があるのです。目の前に書いてあっても書いてある通りに読み取れない。ぜひ不思議に思って下さい。

それは、人の思想という目隠しがあるから、歪曲、プリズムがあるからです。

神は最初の最初から、イエシュアを伝えています。

福音は永遠の中から、同じ、救い=イエシュアは永遠から同じで

永遠の中から用意されて、この物理的世界が造られました。

そして、シャバットは最初から記されています。

第7日目が、神が全てを完了して、止まった日であり、この日を記念して全ての神の子らは神と共にこの日を祝う、代々、永遠に!と

神が人に伝えています。どうして神の言葉を無視し続けているのでしょう?それは、人の教えが神の言葉をその通りに聞くことを妨害しているからです。人間が編み出した記念日の方が、神の創造された

記念日より優れていると、人間が驕り高ぶっているからです。

 

創世記2:1 こうして天と地と、その万象とが完成した。

2:2 神は第七日にその作業を終えられた。

すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。

2:3 神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。

 

イエシュア=救いは、最初から記されています。7日目に神が止まった

休まれたのは、人が生きるのに全部必要なものが、完了、揃ったからです。もちろん、イエシュア=救いもその中にあります!

最初からあります!光よあれ!光は、肉眼で見える光ではなかったでしょう。最初から、イエシュアが教えられているのです。

 

創世記 3:21 主なる神は人とその妻とのために皮の着物を造って、

彼らに着せられた。

エデンで既に、神が動物を屠って、その皮の着物を着せた。

これは、イエシュアで彼らを覆っていることを、教えている、同じ

福音です。義の衣とパウロが言ったら、これを考えているのです。

 

 9:13 すなわち、わたしは雲の中に、にじを置く。

これがわたしと地との間の契約のしるしとなる。

ノアの契約の印を、LGBTQが勝手に盗んで、使用しています。

契約には、必ず天と地の証人、そして、「印」が伴います。

 

出エジプト19:3 さて、モーセが神のもとに登ると、主は山から彼を呼んで言われた、「このように、ヤコブの家に言い、イスラエルの人々に告げなさい、

19:4 『あなたがたは、わたしがエジプトびとにした事と、あなたがたを鷲の翼に載せてわたしの所にこさせたことを見た。

19:5 それで、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となるであろう。全地はわたしの所有だからである。

19:6 あなたがたはわたしに対して祭司の国となり、また聖なる民となるであろう』。これがあなたのイスラエルの人々に語るべき言葉である」。

19:7 それでモーセは行って民の長老たちを呼び、主が命じられたこれらの言葉を、すべてその前に述べたので、

19:8 民はみな共に答えて言った、「われわれは主が言われたことを、みな行います」。モーセは民の言葉を主に告げた。

 

シナイ山の麓でこれを聞いていた人は、イスラエルだけではありません!異邦人も共に出エジプトしたのです。同じように神の声を聞いて、同じように神が伝える教え=トラー=婚姻契約を生きます!と

言ったのです。聖書に書いてある意味を、正しく読み取り、神は

イスラエルだけを造ったのではない。イスラエル=アヴラハムを通して、全世界の国民を神のもとに戻ることを、教え、そして祝福するために、代表としてイスラエルを選び出したのです。

だから、イスラエルだけが、国全体で神の言葉を生きて世界へ教える

福音を伝える責任を負わせたのです。

福音はユダヤ人から伝えられたのです!この事実は、今も変わりません。

イザヤ2:3多くの民は来て言う、「さあ、われわれは主の山に登り、ヤコブの神の家へ行こう。彼はその道をわれわれに教えられる、われわれはその道に歩もう」と。トラーはシオンから出、主の言葉はエルサレムから出るからである。

 

31:16 ゆえに、イスラエルの人々は安息日を覚え、永遠の契約として、代々安息日を守らなければならない。

31:17 これは永遠にわたしとイスラエルの人々との間のしるしである。それは主が六日のあいだに天地を造り、七日目に休み、かつ、

いこわれたからである』」。

 

永遠に祝う、神の記念日、シャバットとあります。クリスチャンは

イエシュアが来られるまで、来られた後は西洋人が作り替えた記念日日曜礼拝が今はそれが正統派の安息日だ!と思っているでしょう。

イエシュアが教えて生きた教えや、記念日をクリスチャンは祝いません!イエシュアを信じながら、イエシュアが教えた教えや記念日を

どうして生きないのか?不思議に思った方が良いです。

でも、神は真実を伝えています。いつでもなんでも良いなら、最初

からそのように神は人に伝えます。神はシャバットは命に匹敵する!

と教えているのに、人の教えが神の言葉を聞くことを、完全に妨害しています。日曜日は、異邦人が神の言葉を退けて、勝手に決めて作った記念日であり、その日に、神は神の子らの誰一人として呼びだしていません!日曜日は、主日、聖日、安息日などではありません!

偽のタイトルをつけて、日曜日〜聖日、主日と呼んではならないのです。聖書に照らし合わせたら、それが正しい答えです。

人の作った教えを、神の教えというのは、ずれ過ぎて、神にとり

異物であり、真実ではないからです。偽証はやめないとならない。

 

神を信じていない人に言われました。「クリスチャンて、聖書に書いてないことなのに、よく本気でそんな嘘信じられるね?

クリスマスは12月25日なんて聖書には書いてないでしょう。

しかもロシア人のジーザスは1月7日が誕生日でクリスマス?

ジーザスは二人いるの?2度生まれたの?

どうして神が途中から教え変えるの?神は言葉を変えないと言ったのに、どうして変わるの?神は嘘つきなわけ?安息日は日曜日じゃないでしょう?聖書にそうかいてないのに、よくそんなこと信じて

やってるね。」

今や、クリスチャンではない人も、聖書に書かれて事実を知っている時代なのです。間違いを指摘されてしまいます。でもその時には、

聖書に書いてある通りに、正しく答えるチャンスを得るのです。

だから、言いました。「聖書に書かれていない事、又は書いてある

事を変えたのは、人間〜西洋人であり、それはあなたの言う通り、

聖書の教えではないですよ。でも、宗教が作った文化の教えを、伝統で2000年近くも大衆が信じてやっているから、それが本当、聖書だと、クリスチャンは思っているだけなのです。進化論と同じ。

あなたも猿から自分が進化したと思っているでしょう?それと同じ。

信仰の進化論。変化する神、変化する神の言葉、仮説、嘘だけど皆が信じてやってたら、それが本当と思っているだけ。聖書を正しく読んでいないから。

西洋人が、イエスが教えていた教えを、変えてしまったから、

聖書には書かれてもいない、別物の教えが出現したのです。」

 

交わりはいつの日でも大事ですし、楽しい、励ましを受けます。

でも、安息日は第7日目であり、日曜日、安息日という、嘘を言うのはやめた方が良いです。その場合、西洋人が4世紀に作った西洋宗教の教えが聖書=モーセの五書に記された神の記念日を全部やめて、別の記念日に、新しく作り替えました。それは聖書には書かれていませんが、西洋宗教の会議で、それが聖日=人間が決めました。神は、神の教えも記念日も変えていませんし、人間がいつでも自由に安息日にして良いなどとも許可していません!伝統で、その記念日をその宗教を信じる人は、今もそれが記念日として祝っているだけです、と本当のことを言った方が良いです。

神と神が言われた言葉に対して、偽証することは禁じられているからです。イエシュアを信じる人は、聖書に反すること、神が言ってもないことを、あたかも神が言ったように、人に伝えてはならないからです。

子供達にも、嘘はついてはなりませんと教えているのに、神を信じる人がどうして嘘を言い続けるのか?罪はやめないとならないのです。

人間が、勝手に聖書、神の言葉を曲げていることに対して、違和感

感じるのが、正常な状態なのです。嘘は嘘、不真実はどこまで行っても永遠に真実には、ならないからです。

嘘はやめよう!聖書が神の言葉、完全なる神の言葉だと言うならば、

信じている通りに、神の言葉を取り扱い、神の言われる通りを生きる

これが、本当にイエシュアを愛する人の生き方であると、神が言われたからです。

 

続く