異教の神々のシンボルで飾られるクリスマスの日 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

初期の西洋教父ヒッポリュトス(イエシュアの約 170~235 年後)の著作には、イエシュアの誕生日を 12 月 25 日と記しているのが見られます。しかし、一部の学者は、この日付は改ざんされたと主張しています。なぜなら、彼の著作の中に、春がイエシュアの誕生の適切な

季節であると述べているページがまだ残っているからです。

今日ローマにあるヒッポリュトスの像には、イエシュアの誕生月として 4 月が記されています [ヘブライ暦の月は月に基づいているため、この日付は年ごとに異なります。春、過ぎ越しの祭りの期間であったと言えば十分でしょう]。

ヘブライ暦の始まりは、春のニサン月の最初の日です。この日に全てが始まります。新しい年であり、すべてが新しく始まります。

聖なる日ですが、男性がこの日は、都上りである過越の祭りの前の

新月の日なので、エルサレムにいるようにという命令はないので、

ヨセフ は、ベツレヘムにいる可能性があります。1日から、過越の祭りまで、二週間あります。ベツレヘムから、エルサレムに行くのは、9.6キロなので、男性が過越の祭りで、エルサレムに上るのは、

普通に出来ます。この日に暦が変わり、古い暦はなくなり、新しい暦が始まります。同じように、イエシュアの誕生はイスラエルだけでなく全世界の暦を変え、今では世界は西暦として、「イエシュアの前」と「イエシュアの後」で時間を測っています。B.CとA.D.

 

マタイ2:1 イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、

2:2 「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。

マギの手がかり: 東方から来た天文学者マギは空に「特別な星」を見ました。彼らはイエシュアの誕生時にそれを見て、イエシュアを探し、イエシュアを称えるために国から旅をしました。彼らはイエシュアが生まれた時には、そこにいませんでしたが、約2年後に、イエシュアと彼の両親が、彼らの家に住んでいるのを見つけました。 

マギがエルサレムに到着すると、彼らはヘロデのもとに行き、生まれりべきこの王について尋ねました。このマギ達が持って来た、贈り物は、預言者ダニエルによって託されて来た物であるという説があります。これは、別の話なのでここでは、横に置いておきます。推測、

可能性です。

そうではないだろうかと、考えられる事柄がいくつもあるからです。

 

なぜ彼らは「ユダヤ人の王はどこにいる」と言ったのでしょうか。

彼らはどのようにして、イエシュアについて知ったのでしょうか。 

実際、科学者達は今や、これらの古代の天文学者が木星、土星、金星、レグルス(獅子座で最も明るい星)、水星、火星の一連の合を

見たことを知っています。関係する惑星とそれらの空の位置から、

彼らはユダヤに正義の王が生まれるだろうと推測しました。

彼らが見たのは星ではなく、何千年に一度起こる珍しい天体の現象であり、それが彼らをイスラエルとイエシュアに導きました。 

この現象は春、過ぎ越しの時期に起こりました。過ぎ越しの子羊は

1歳になると犠牲にされました。子羊らは過ぎ越しの日に、あるいは

その頃に、祭司である羊飼いの管理下のベツレヘムで生まれた、

コルバンの子羊なのです。イエシュアは過ぎ越しの日に犠牲にされたので、過ぎ越しの日に、あるいはその頃に生まれたと推測されます。 イエシュアがこの時期に生まれることがなぜ重要なのでしょうか。

繰り返しますが、それはすべてが新しくなり、他のすべてが古くなる日、時だからです。

 

ローマ6:4 6:4 すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。

 

イエスは私たちの人生の「暦」を変えます。メシアが来られると、

以前のものはすべて古くなり、すべてが新しくなります。

そして、メシアの臨在の力は、すべてを新しくすることです。

更新された契約は新しい契約でありますが、契約の中身、内容は、

モーセの五書=シナイ山で与えられたはじめの愛=婚姻契約であり、中身は変更など1つもありません!

神の教え、約束、保証〜契りは決して古くなり、廃れることはありません。これらすべてはベツレヘムで生まれた小羊、イエシュアの

おかげです!

私達、イエシュアを通して父の元に戻った人達は、神の前に、どんな嘘偽りを言う事も禁じられています。

とういか、私達の性質は、神の似姿=イエシュアの性質どおりだから、偽りを言う事は、それはあなたのすることではない、あなたの

性質に反しています!と、神に教えられています。

だから、イエシュアの地上での誕生は事実であっても、その日が

12月25日であるという、嘘を他者へ言う事は神により許されていません。

その日が、神が定めた記念日だというのも、真実ではない。

そして、神の創造された記念日、モアデイム〜アポイントメントの日を、今は神が終了し、それぞれが考える大事な日に、好きなように

神を礼拝する、それも大嘘です。

神の呼び出していない、日曜日、クリスマス、イースターは

聖日、主の日、主の記念日ではありません。そんなこと、聖書に

書いてもないのに、そういうことにされてしまったのは、

人が作った宗教、人が作った教えである、その違いを、区別、識別し

聖書に書かれた事実を認識しないとならないのです。

半分嘘、半分本当〜混ぜ物の教えであり、偽情報を発信するのは

イエシュアに属する人のやる事ではありません。

しかも、イエシュアの誕生の祭りの裏にある本物の主役は、

異教の神々、女神の祭りであり、そのような異教の神々のものとの

ミックス、混合は、神が耐えられないものであると言い、人に警告し、そのずれ=罪を教えているでしょう。

神に対する嘘、偽証は、本当にやめないとならない。

 

申命記12:8 そこでは、われわれがきょうここでしているように、

めいめいで正しいと思うようにふるまってはならない。

12:30 あなたはみずから慎み、彼らがあなたの前から滅ぼされた後、彼らにならって、わなにかかってはならない。また彼らの神々を尋ね求めて、『これらの国々の民はどのようにその神々に仕えたのか、

わたしもそのようにしよう』と言ってはならない。

12:31 あなたの神、主に対しては、そのようにしてはならない。

彼らは主の憎まれるもろもろの忌むべき事を、その神々にむかって

行い、むすこ、娘をさえ火に焼いて、神々にささげたからである。

12:32 あなたがたはわたしが命じるこのすべての事を守って行わなければならない。これにつけ加えてはならない。

また減らしてはならない。

 

自分たちの手で金の子牛を作り、それを神との仲介者と仕立て上げ、神の祭りを祝った、イスラエルと異邦人と同じ。

ヤラべアムの罪と書かれている、神の仮庵の祭りを、7月ではなく8月に変更し、レビ族ではない人を祭司とし、エルサレムにしか存在できない、神の神殿の祭壇を、ダンとベテルに祭壇を築き、自分勝手に

聖別した罪を犯していたという警告が書いてあります。

昇天以降は、神の創造された永遠に祝うと教えられている記念日が、全部クリスチャンは捨て去り、聖書に書いていない日曜礼拝、

クリスマス、イースターになったのは、これと同じことをしていると気が付かないとならないのです。

人間の作り物で、神の本物、オリジナルを捨て、汚しているという

意識はゼロだと思います。これが、神が喜ぶ礼拝だ!と思っているでしょう。聖書に書かれている意味を全く正しく理解していなかった、誤解した読み込みの解説、人の教えを信じていた時には、私もそう

信じていました。

神の言葉に付け足し、差し引きするな!と厳重注意されているのに

神の言葉は廃れた、無用、今は要らないとクリスチャンは言い続けている、この矛盾に気がつきますか?

イエシュアは何と言われましたか?

 

マタイ5:17 わたしがトラー(神の教え=モーセの五書)や預言者

(預言書に記されたトラーの解説)を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。

破棄=神の意図とは違う解釈、生き方ではなく、成就=神の意図通りのフル、もれなくその通りを教えて生きて人々に本当の人間の生き方を示す為、神の真意通りに人々が生きることを堅く確立させるため

に来た!と言っているのです。

聖書のどこに、神の言葉を、神ご自身自らが、破棄して、終わらせる為に来たなどと、言った、やったのか?イエシュアが、そんなこと

言っている、やっているなどと、聖書に書いてありますか?

本当に、その神の言葉を塗り替えている人間の教え、イエシュアの

言われた事と真逆な偽解説の方を、完全に削除してください。

天地は今滅びていますか?あなたの上に今、空があり足元には地が

あり、今、今日、太陽が上ってこの日を迎えているならば、神の言葉教え、トラーの一点、一画〜これはヘブライ語で記された文字の飾り文字に至るまでという、それさえも、すたることなく、全うされるというイエシュアの強調であると覚えておいてください。

神の言葉は今も同じ、有効!とイエシュアが言われた神の言葉の方を

どうして退けて、人間の教えを支持し主張しているのか?それは、

聖書に記された神の言葉を正しく教えられていない、理解していないことが、原因、人間の教えに騙され、洗脳されているからです。

 

詰まり、神の言葉は永遠に神が言われた通りに、堅く建て上げられる

と、人にイエシュアが、トラー=神の言葉、教えの解説をしているのです。その言葉の方を信じないとならないのです。蛇の声に騙されてはならない!という、厳重な警告が最初の最初にあるでしょう。

 

 5:18 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、トラーの一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。

神の言葉を蔑ろにする教えをする人に対しての、厳重警告です。

これ無意味に言っているのではない、イエシュアが言われた通りの事が起きると、信じないとなりません。

 

5:19 それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。

 

神の教え〜トラーを、廃れた、無用と人に、神の教えのどの1つでも

破る=罪を犯すことをし、人に神の言葉を破り、無用と教える人、

そのような偽物の教えをする人は、天の国で神に取り、一番無価値、羽や埃のように意味ない存在になります!と、警告しているのです。

そうでしょう。なぜなら、それは嘘であり、神の教えではないから

無価値〜意味無しになるのです。そして、教師は、普通の人より

重い結末を負うことになると、神が警告していることを、覚えておかないとなりません。それは、人を神の教えではなく、違う教えに

誤った生き方、思想に導いてしまうことができるからです。

イエシュアが、トラー=神の教えを聞かない人に、何を説得しても

無駄!無理!と、ラザロのたとえ話でされたでしょう。

今、神の言葉を信じない、神の言葉が無効になったと本気で信じるなら、その人に、永遠普遍の神の教えをいくら言っても通じません!

無理!と言ったのです。

 

ルカ16:31 アブラハムは言った、『もし彼らがモーセと預言者とに

耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、

彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう』」。

 

これ現実にやっているでしょう。神の言葉が廃れた、終了、無用と

人の教えなのに、神の言葉であると本気で信じている人に、神の真実である言葉、教えの何を言っても、通じない、律法に戻るのか〜と

牙をむかれるだけです。神の言葉、イコール古い、悪い、律法、

神の言葉を生きる〜律法主義だ〜偽情報をインプットされ、その思想に洗脳されているからです。

神の言葉に敵対すのは、敵対するもの〜あの蛇の声なのに、気がついていないのです。

一番嫌なことは何ですか?イエシュアを愛して純粋に生きていると

思っているのに、知らない間に、神の忌み嫌うことをさせられ、神の前に罪を生きて、聖別を汚し、神に対して冒涜、反抗的なことを言わされるても、気が付かないまま、敵の作戦に加担させられることではないですか?理解してやっているなら、まだ納得できますが、一番

自分がしたくないことを、知らないままさせられてしまっている事、神に対して、自分に対して、他者に対して、破壊の行為をさせられてしまうこと、知らないままに、させられることではないのでしょうか。

メシアの誕生日は12月25日と書かれてありません。その日が

誕生日ではない証拠ばかりがあります。そして、それは人間が決めた

作った宗教の記念日で、世界中が宗教に関係なく祝う日です。

一般の人、異教徒が、その日がメシアがテーマで祝うのではないのは、その日の祭りの裏にあるのは、異教神、異教女神、異教徒の冬至の時期の長い祭りが、最初に存在しているからです。

だから、サンタクロースなのでしょう。

そうです。異教神が主役の冬の盛大な祭りの季節だからです。

 

クリスマスツリーや、ひいらぎ、クリスマスリースやその他諸々

クリスマスのシンボルや色は、聖書から来ているものだと思っていますか?それらは、みんな卑猥な性的な意味がある、又は異教神の宗教のシンボルなのです。

知らないまま、それらを取り入れて、異教徒がやっていた、らんちきパーテイ、クロスドレス〜男装、女装、そして、動物の被り物をして

奴隷も雇人も、無礼講で、狂ったパーテイをやる、そんな祭りが

裏にあるのです。

そこから、それらのシンボルが取り入れられ、メシアにこじつけて

それらを、飾ったり、祝ったりするようになったのです。

異教の祭りは、太陽神〜これが聖書に書かれた異教神の大元、

エジプトのラーです。そして、宗教には、必ず、多産を祈願し、

それにまつわる、シンボル、おぞましい儀式〜それが使徒15章に

書かれていた、異邦人イエシュア信者が、多産の儀式を、異教神の

神殿で、異教神の神殿娼婦と不品行に交わりやっていたことを、

やめて!と指摘された内容なのです。

 

そんなことをしなくても、異教神のシンボルを取り入れ、それらを

用いて、神が伝えていないメシアの誕生日、しかも、誕生日ではない日に祝う。これが宗教の教えの伝統で継承されているのです。

「先祖の伝統の言い伝え、戒めの律法」と、パウロが言ったキリスト教版です。

先祖の言い伝え、人の教え=聖書、神の教えではない、人間が作った教えに固執して、神の言葉、記念日の方を捨てていると、はじめの愛〜神が提示した生き方から離れた!イェシュアも警告忠告した、

それです。

 

では、クリスマスの由来、異教神のシンボルを取り入れて、

クリスマスの飾りをし、祝っている、それがどこから来たのか

見ていきたと思います。