マカバイ戦争が起きた時代に、一体イスラエルはどのような時代背景
政治的環境にあったのでしょうか?
全ての問題は、神の子らが神の教えではない、異教の神々、汚れた
生き方に染まらされてしまう、同化、同調すること、させられる事が問題の根であり、聖書には、神は厳重に、私達イスラエルの神に属する神の子らは、人種、時代に関係なく、人間の教えや、異教神の教えに交わり生きることを、姦淫の罪と呼んで、厳重に警告しているのです。
今は、神の教えを捨てる、離れる人は、必ず別物の教え、混ぜ物の教えに染まっていても、それが、神の寛容な愛などと誤解した、思想を持っているのです。
果ては、愛があれば、後はなんでも良いなどという思想。
愛=アハヴァとは、神が定義する愛は、神の契約の愛=トラーに根付いて生きる事である事を、クリスチャンは知らないのです。
今は人の意見や思想で、勝手になんでも生きて良いと、勘違いの誤解をしているからです。
ユダは、紀元前200年迄、シリアの王、アンテオコスⅢ世が、
エジプトの王エピファネスを、パニウムの戦いで倒すまで、
エジプトの一部でした。その後、ユダはシリアの一部になります。
アンテオコⅢ世は、ユダヤ人達に対して、平和的協定を差し出し、
彼らの信仰〜トラーを生きること、エルサレムの神殿で彼らの信仰を
実践すること、イスラエルの神の祭り、記念日を祝うことを寛大に
許可しました。
紀元前175年に、アンテオコス3世の息子、アンテオコス4世は、
トビアスの息子達の要求で、ユダを侵略しました。
エルサレムに於いて、ギリシャ化を進めていたユダヤ人の派閥を率いていた、トビアス家は、紀元前170年頃、大祭司おにあすとその親
エジプト派閥が支配権を奪ったため、シリアに追放されました。
追放されたトビアス家は、アンティオコス4世エピファネスに
エルサレム奪遷を働きかけたのです。
王は、前もってその計画を練っていたので、それに従い、大群を率いてユダヤ人を襲撃し、力ずくで彼らの町を占領し、プトレマイオスを支持する大勢の人々を殺害し、兵士を派遣して容赦無く略奪しました。又、エルサレムの神の神殿を略奪し、3年6ヶ月間、毎日捧げる贖いのコルバンを捧げることを、ユダヤ人に対して禁止しました。
未来預言を正しく理解する人ならば、もう一度このような事が起きる事を、聖書から理解しているのです。
そして、反キリストの特徴、正体は、どんな事が彼らによりされるのか、知っておく必要があります。
紀元前164年、アンティオコスは、イスラエルの神の神殿に
ゼウスの祭壇を建てるように命令しました。イエシュアは再びこの事が起きると言われました。
マタイ24:15 預言者ダニエルによって言われた荒らす憎むべき者が、聖なる場所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、
24:16 そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。
イエシュアがこれを語られた後、何が起きましたか?西暦70年の
ローマ帝国による神殿崩壊です。それ以前に神の教え=トラー=
モーセの五書に記された事を、生きることを同じように禁じられた事です。
アンティオコスは、トラーに記された事を実践し、神のモアデイム=レビ記23章に記された記念日を祝う全ての人を誰でも、殺害したのです。
反神の教え=トラーは、反キリストの性質を、予示、暗示しているものです。
何を禁じましたか。神の教え〜割礼を授け、神が創造された人の
食べものであるきよい動物だけを食べ、シャバットや祭りを祝う事、
これらは、異邦人は絶対しない事であり、アンティオコス王も、
ローマ帝国も同じように死刑を以って、神の教えを生きる事を1世紀に、禁じました。
今シリアでも、ガザでも同様に、どれほど残虐で悍ましい事が人々に対して行われているのか、同じ事がマカバイ戦争の前に起きていましたし、1世紀のローマ帝国でも、バルコクバの乱でも、同じでした。
ここからは、残虐な内容を書くので、読みたくない方は飛ばして下さい。
アンティオコス王は、割礼を授けたばかりのユダヤ人の男の子、
割礼は生まれた8日目に授けられますから、赤ちゃんをその母の首に縛り付け、その赤ちゃんが亡くなり、腐るまでそのような拷問を、赤ちゃんと母親にしました。
ある時は、シリアの兵士が割礼を授けられた赤ちゃんを、崖から突き落とし殺害しました。
このような事が、1世紀にも起きたのです。
だから、神の教え=トラーから、異邦人は逃げたのです。
「はじめの愛」を捨て、忘れた異邦人。
エルサレムの神殿を乗っ取り、ゼウス像を建てて、ユダヤ人が
そのゼウスの神々を拝み、そしてゼウスの神の祭壇に豚を捧げず
その豚の血を呑まず、豚肉を食べない人、ゼウスの神に平伏さないならば、皆処刑されたのです。
豚の血を、神のトラーの巻物に、ふりかけ、神殿に豚の血を撒いたのです。異邦人には、感覚的には分からない、このけがらわしい行為に対する、おぞましさは、理解できないと思います。
なぜなら、豚なんて日常今も普通に食しているからです。使徒15章の異邦人イエシュア信者と同じく、異邦人は神の教えは廃れたと信じているので、イエシュアが教えた父の教えを知らないのです。
異邦人ならば、異教の神々にひれ伏す事は抵抗しても、豚肉食べる事は、Okでしょう。とんかつ、豚汁、豚餃子、普通に食べるからです。
では、ネズミを、ゴキブリを食べさせられると考えたら、少しは
そ感覚が理解できるのではないでしょうか。
そして、アンティオコス王は、10万人のユダヤ人を殺害したのです。これと同じ事が、西暦70年の神殿崩壊前後に起きたのです。
最初に犠牲になったのは、90歳の書記官〜トラー学者のエリエゼルで、彼は兵士達に、彼の口を無理やり開けさせられ、豚の肉を
押し込まれ、それを食べるように拷問されたのです。
エリエゼルは、豚肉を口から吐き出し、神が禁じた汚れた動物の代表である豚を食べるような、神の前にそのようなおぞましい行為で
自分の身を汚す事などはできないと、自ら処刑される事を選んだのです。
兵士たちが、エリエゼルを殴り殺している間、彼は叫んだのです。
「わたしは主を信じて、畏れているので、このような苦しみに
耐える事を喜ぶ。」と言ったのです。マカバイ記第二6:3
異邦人なら、食べちゃえば良いじゃん!と考えるのです。
あれと同じ。つべこべ言わず、打っちゃいなよです。
無差別に、異物を汚れを取り入れるような生き方、何も考えていないからです。
アンティオコス王は、ある母親と7人の子供たちが豚肉を食べる事を
拒絶したので、殺害しました。
長男の頭皮を剥ぎ、舌を切り、手足を切り落として、まだ息がある
間に、油の鍋に放り込んだ。(マカバイ記2 7:20)
残りの六人の兄弟を、母親の見ている前で、拷問し手足を切断し、
殺害し、最後の母が殺害されました。母は、それらを通しても、
イスラエルの神に対しての忠誠、信仰は強固でした。
これを読むと、昨年10月のガザでの、テロリストの犯行と全く同じである事が、分かります。
人間のやる事ではない、悪魔に魂を売った人たちは、このような事が
平気で出来てしまうのです。
このような事は、ガザやシリアで今も平気で行われている、
残虐行為なのです。狂った人達は、サタンに魂を売り、もうサタンと一心同体、サタンと同じ思考回路になる。
その大元が、神の教えに逆らうという事である事に、気がついて
下さい。
終わりの時代に、私達も同じような度合いの、迫害を体験するという事を覚えておく必要があるから、敢えてこのような残虐行為を書きました。
それほど、ハヌカの祭りの裏にあった、歴史の出来事〜反キリストが
どんな事をするのかをその、おぞましさがあるのです。
1ヨハネ 2:22 偽り者とは、だれであるか。イエスのキリストであることを否定する者ではないか。父と御子とを否定する者は、反キリストである。
父なる神の教えを生きていた、ユダヤ人を、このように酷いやり方で
殺害したのです。
ユダヤ人の祭司マタテイアスと、五人の息子は、アンティオコス王に対して反乱を起こしたのです。
先ず、マタテイアスは、同胞であるユダヤ人、神のトラーを捨てて
ゼウスの神の前にひれ伏し、その祭壇に豚の犠牲を捧げる事をする
人たちを、殺害しました。そして、その後に、政府の命令を執行する
ギリシャの役人たちを殺害したのです。
マカバイ記1 2、24−25
紀元前166年に、マタテイアスは亡くなりましたが、ユダがその後を引き継ぎ、165年に、エルサレムの神殿はユダヤ人の手に取り戻され、マカバイ戦争は勝利を収めたのです。
そして、異教の神々の偶像と、汚れた動物、豚とその血で汚された
イスラエルの神の祭壇と、神殿を全て清めて、再奉献した祭り、
記念日が、ハヌカの祭りなのです。
ハヌカの祭りは8日間、行われました。それが今に至るまで続いていますが、70年神殿崩壊で、今は神殿がありませんが、どの国にいても、家庭に於いて、ハヌキア、8本の支柱のメノーラに、1、2、3、4と1日ごとに灯す火を増やして、8日間祝う祭りです。
ハヌカも、プリムも、イスラエルの国を神が守った歴史の史実の
記念日、独立記念日のようなものです。
そして、それは、その事件が起きた時に祝われる記念日なのです。
では、ハヌカやプリムの記念日の意味は、クリスマスやイースターと何が違うのでしょうか?
ハヌカやプリムは、レビ記23章の、神が創造されたモアデイムではありません。
同時に、クリスマスやイースターも、神の仰せの記念日ではありません。
そして、クリスマスとイースターの祭りのその裏にあるものは、
異教神の祭りであり、それをカトリック的に意味を付け加えて、
異教神の祭りをパクって、変えて作ったものなのです。
クリスマスや、イースターで飾られる様々なシンボルは、異教神の
シンボルであり、太陽神〜エジプトの神〜ラーの由来であり、
同時に多産を祝う性的な意味のあるシンボルの数々でもあります。
申命記12:30 あなたはみずから慎み、彼らがあなたの前から滅ぼされた後、彼らにならって、わなにかかってはならない。また彼らの神々を尋ね求めて、『これらの国々の民はどのようにその神々に仕えたのか、わたしもそのようにしよう』と言ってはならない。
12:31 あなたの神、主に対しては、そのようにしてはならない。彼らは主の憎まれるもろもろの忌むべき事を、その神々にむかって行い、むすこ、娘をさえ火に焼いて、神々にささげたからである。
多くのクリスチャンたちが、子供の為に、神の純粋な教えをしたいという願望から、クリスマスやイースターの起源や、その意味を調べて行ったら、それらが、異教の神々の祭りが起源であり、そしてそれらの飾りやシンボルが全て異教神のなにがしかのシンボルを表しているものである事を、突き止めて、クリスマスやイースターは神の教えではない、しかも、異教の神々の要素が混じったものである事を、発見しているのです。
今やネット時代であり、必要な正しい情報は、探り出そうと思えば
探せます。得に英語での情報は豊富であり、一般的にキリスト教で
教えられていた事が、実は聖書とは何も関係のない、人間が作った
西洋宗教の人の教えでできた文化、伝統の言い伝えであり、神の教えとは全く関係のない事であるという事を、普通のクリスチャンでも
知って、真実に目覚め始めているのです。
神の教えと、人間の作った宗教の教えや、宗教文化の習わしや
記念日は違います。
得に異邦人の世界では、聖書に書かれたオリジナルの神の言葉や
記念日は、このような歴史の史実、反キリスト〜神の教えを生きて
神の記念日を生きたら、殺害されてきた歴史の史実があるのです。
だから、異邦人の世界では、マカバイ戦争後、イエシュアが来られた
1世紀、ローマ帝国により70年代に同じ事が、起きて、
神の教え、記念日を生きる事を、処刑を持って禁じられたから、
聖書に書かれたオリジナルの教えを生きていないのです。
だから、西洋宗教というのです。
クリスマスの裏にある、異教の神々の祭りは何か、クリスマスで
飾られる様々な飾りやシンボルの意味は何か、その事実に目を向けて
聖書には、キリストの誕生日が12月25日などと、書いてもない事を、どうしてその日がキリストの誕生日などと人に伝えてしまっているのか。真実を語らないとならないのに、作り物の教えを伝えている。聖書に根拠のない事を信じている。皆が、それらの矛盾を不思議に思い、疑問に思い、真相を調べ始めれば良いのです。30%の人たちが、真実に目覚めれば、確実に真実に移る路線が開かれるのです。
サンタクロースが、これは異教の神、オーデンがサンタクロースにされたのでしょう。子供が、サンタさんはいる?来る?と言って、いるよ、来るよと嘘をつくのと同じレベルの内容です。
偏向報道と言いますが、クリスチャンの教えの世界では、聖書ではない教えがされているという事を、聖書を教える牧師、教師が気がついていないのです。
だから聖書を読んで、誰も神の教えなど破って生きていない事実を
読み取っていない。
日曜礼拝や、クリスマスやイースターではなく、聖書に登場する人は全てシャバット、過越、仮庵を祝っていた。イエシュアも1世紀当時の弟子も、ユダヤ人の信者そうではない人も、神の創造された記念日=レビ記23章を祝っていた事が書かれていても、何の疑問も持たないまま、今は人が作って編み出した宗教文化〜人の教えや記念日を生きているのです。
使徒行伝は、神の教えが変化する過渡期であるとか、パレスチナなどという国は歴史上、一度も地上に存在してもいないのに、パレスチナは存在していたと、新約聖書学者M.テニー氏が、ご自身の著書に書いていますが、そのような誤情報が神学校の教科書に書いてあるのです。本当に、聖書をよく知らない人が学者になって、間違った情報を流しているのです。
聖書の最初の箇所、75%を、書いてある意味通りに把握していないなら、人の作った思想=デイスペンセーション神学、聖書学者でもないダービーやスコッフィールドが書いたような、神学や聖書を、神の言葉だと信じ込んでも、無理ないのです。
元に戻る。聖書に戻る。今多くのユダヤ人がメシアに気がついています。同時に、多くの異邦人も、宗教の教えではなく、純粋な神の言葉だけに戻る!宗教の教えは、人が作った教えがたくさん盛り込まれている混ぜ物の教えである事に、聖書から気がついているのです。
終わりの時代が来たからです。
続く