シャバット 神のモアデイムは代々永遠にイエシュアが再臨された後も祝われる聖日 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

神が創造された一週間は、7日間です。

3日でもなければ、4日、5日でもない、7日で一週間が神の創造

された人の生きる「時」の性質、デザインなのです。

 

神の「時」を誰も変えられないのです。それと同様に、神が定めた

神の特別な時=聖別された時=モアデイム〜アポイントメントの日、

神が神の子ら全員を呼び出して、特別な出会い方、喜びの会見、祝宴をする日を創造主である神が人に教えて、伝えているのです。

毎日主が内側に居られて、信じる人も今主の中にいる、天の御座の中に居る現実は変わらない。いつでも神と出会える。

でも、神が設けて下さった特別な会見の日は、特別な出会いが用意され、普段の日とは違う日なのです。その日を、神の子ら皆で祝う時

神が創造された意図通りの祝福を体験する事ができるのです。

 

その神の定められた聖別された日、モアデイムの暦がレビ記23章に

完全版として記されています。

私達の生きるそれぞれの国の文化、生活の中にも独自の暦がありますね。それは、その国に住んでいる、又は日本人は、海外に住んでいても、日本の暦や記念日を意識して、祝って生きています。

お正月は、欧米では、1月1日だけがお休みで、日本のように長い間の大きな祝日ではありません。

アジア圏も同様に、1月1日は盛大に祝わず1日だけの休みです。

その代わり旧正月を、盛大に祝います。日本も明治5年迄は、アジア圏のように旧正月を祝っていました。暦が陰暦。月をめぐる暦です。

聖書の暦と同じです。聖書の暦も、新月、満月、月をめぐる暦です。

 

暦に書かれた通りを、祝うでしょう。神が「時」を造られて、神が

神ご自身が人のために造られた「モアデイム」、神の子らを呼び出す特別な会見聖別された聖日を造られたのです。

これは、2000年前に廃れたと、クリスチャンは人間が言った嘘を

信じて、祝う事をやめたのです。いや、神の記念日を祝う事を、

ローマ帝国と、西洋教父達の勅令により、やめさせられたのです!

同調圧力により、神の言葉、教えと、記念日を捨てた!

それが、黙示録2:4にある、「はじめの愛」を忘れた捨てた。

婚姻契約の生き方、花嫁である印として、与えられたシャバット、

新月、祭りを異邦人が祝う事をやめた本当の理由である事を、覚えておいてください。

神が神の教えを破棄し、記念日はいつでもいいよ〜などと、そんな

いい加減な嘘など、人に伝えてなどいません!聖書にも書いてませんし、西洋宗教文化が編み出した日曜礼拝、クリスマス、イースター、万聖節、四旬節、待降節など、聖書には記されてもいないものです。

 

神は、一度人に伝えた事、永遠に代々に渡り祝うと言われたその記念日を歴史の途中で変えるような、嘘まやかしは言われません。

人間が作った宗教文化の教えが、浸透してしまって、そして聖書を否定する思想を刷り込まれたから、聖書か人の編み出した教え、宗教文化の伝統の慣わしなのかの区別がクリスチャンの知識の中にはないのです。

そして、神の創造された記念日の全ては、イエシュアの業そのもの、福音を網羅する内容が教えられて、実際に生きて、実践し、祝う時、その時その時、神は様々な事を教えてくださり、その日、その時に

特別な会見をしてくださると約束している、それが神の記念日なのです。預言的祭りでもあります。

だから、イエシュアは過越の祭りで、処刑され、それは出エジプトでも表された過越の祭りの時であり、子羊の血の贖い、救い、新しくされ、聖霊が内側に住む神の花嫁とされ、神の婚姻契約=トラー=モーセの五書に記された神の家の聖なる民としての生き方を与えられた

全部、春の祭りで表されています。

処刑〜永遠からある子羊の贖いの血で、死が私達から去り、すぎ越され、初穂〜復活の命、呪われた大地からイエシュアは復活され

新しくされる事実を地上でも教え、そして昇天された。

その後、7週後、婚姻契約〜トラーが花嫁達に与えられた!

全部福音です。預言的祭りです。そして秋の祭りは、再臨を表し

教えている、そして祭りを祝い準備して待つ事を教えているのです。

神の教えを知って行くと、今まで見えなかった事が、どんどん見えて

真実が繋がり広がって行きます。クリスチャンの世界で教えられている内容は、本当に狭い世界だけのこと、福音のある小さい箇所しか

教えられていません。なぜ?そうです。聖書に書かれたことを、書かれた意味で、満遍なく教える人がほぼいないからです。

それが、1世紀後半、異邦人がユダヤ人と決裂し、ユダヤ人トラー

教師に教えられることを失い、決裂した代償なのです。

だから、今まで聖書はヘブライ語で記されているのに、主にユダヤ人しかそれを知らないし、クリスチャンの世界で、自由自在に書かれている内容を、ヘブライ語から、人の思想神学の教えを通さないで

学ぶ、教えると言うことが、全くなかったのは、それが理由なのです。世間の英語教師が、英語を知らないなんてあり得ないでしょう?

宗教の世界はそれがありになってしまっているのです。

翻訳聖書だけ読み、しかも人が作った宗教の、人の思想、教えを通して、聖書を曲げて解説することしか聞いてこなかったら、神の言葉を終了したと、嘘に騙されて神の言葉を誤解するのは免れない代償なのです。でも、今や情報を得ることができる。もし聖書に書いてある

ことを、正しく教えられさえすれば、誰でも神の伝える永遠の真実を知ることができるのです。

 

私は、2008年迄は、一般にキリスト教で教えられている、人が作った神学から翻訳聖書を語る事以外の聖書解説を聞いた事もありませんでした。ましてや、ヘブライ語聖書なんて、ヘブライ語で何が書かれているのかなど、全く知りませんでした。信じた頃は、アーメンもハレルヤもヘブライ語であるなども知らない、それほど無知でした。

信じた後、10代でしたがすぐアメリカに移住して、それからいわゆる、日本と同じデイスペンセーション神学の本場であるアメリカ、

デイスペンセーション神学から聖書を語る教え、解釈、そのような

教えしか聞かされなかったし、それが聖書だと思っていました。

そして、どの国に住んでも、様々な国のクリスチャンたちの交わりに入っても全く同じでした。

それが、2008年に、願ってもいない、人生の転機が訪れたのです。ヘブライ語聖書に何が書いてあるのか、書いてある意味通りを

解説してもらえる教師達を得て、現在に至るのです。デイスペンセーション神学から聖書を紐解き、解説する、そのようなフィルター=

非聖書的思想の誤解を全部削ぎ落とす、真実発見の旅に入った訳です。

聖書とは異なる人の思想は、神の言葉を正しく理解する上で、多いに邪魔、いや障害物、隔ての壁以外の何ものでもないのです。

ヘブライ語聖書解説と言いながら、デイスペンセーション神学から

聖書を解説するならば、それは聖書とずれた思想を語っていることを

覚えておいた方が良いです。メシアニックグループの中にも、聖書とは異なる様々な思想、教えをしている人たちがいるからです。

でもそれらは、非聖書的思想なのです。そのような神学にユダヤ人でも洗脳されることを、覚えておいてください。根拠は、神の言葉

オリジナル原語で書かれた、本当の意味を把握すれば、見えます。

偽教師の警告がコロサイにありましたが、1世紀当時でさえ、人の

伝統の教えに縛られていた宗教エリートのズレ、又は禁欲主義、聖書とは違う教えを人に教えた偽教師の教えを、パウロが警告しているからです。

外国語を知っている人ならば、分かると思いますが、翻訳と直接との

言語にはギャップがあります。だから、翻訳を通すと、何が伝えられているのか、見えなくなるのです。それは仕方のない事なのです。

だから、原語の言葉の意味の解説が必要なのです。

そして、言葉とは人に何かの印象を与えたり、それにより概念を植え付ける役割をするものです。言葉=実態だからです。

翻訳の世界で語られる聖書は、聖書の真実が見えてこないものです。

律法と、神の言葉を翻訳された異邦人は、しかも、神の言葉を削除、曲げる神学の教えのせいで、、律法=悪い=古い=廃れた=無用、

無効と即座にイメージするでしょう?

しかし、律法などという言葉で、神の教え、言葉を表すヘブライ語なんて書かれてもいません!その誤解はギリシャ語翻訳にあるからです。ヘブライ語のトラー=神の教え、インストラクションを、ギリシャ語では、「ノモス」と訳してしまい、それは、当時の人ならば、

使い分けが出来て意味を把握できたものだろうけれど、

ノモスとは、たくさんの別の意味に適用される言葉なのです。

だから、神の言葉をそのギリシャ語翻訳の又翻訳をし、日本語ならば、律法、英語ではlawなどと不適切な訳をあてがわれて、しかも、

古い律法〜人を窮屈に縛る厳しい教えなどと、神の言葉を曲げる、

偏見の人の思想を刷り込まれれば、神の言葉に対して、誤解が誤解を生み出し、自分の頭脳の中に、律法=古い=悪い=廃れた、不要、

新しい教え=良い=キリストの教えなどと、聖書に書かれていない

空想をずっと編み出し続けて、その間違い、嘘が異邦人に伝達、浸透してしまったのです。

神の呼び出した記念日も、変わっていません!聖書を読んでも、

分かるのに、書かれている事実を目隠しされて、安息日=日曜日

7を1と読み違えているのです。

そんな事、聖書のどこにも書いてません!

神が永遠と言ったら、永遠、代々祝う!再臨後もレビ記23章の

記念日を祝うと言う未来預言を、クリスチャンは理解していないのです。

時刻表を見て、何曜日の何時にどこ行きの電車が来ると言うのを

読み違えますか?そんな事しないでしょう。書いてある意味通りではない時刻、7時とあって1時だと考えますか?

でも、クリスチャンの世界では、聖書には書いていない、人間が

作った西洋宗教の教えの記念日が聖書=神の仰せだと、疑いもなく

信じ込んで、実践し、19世紀の間も、聖書に書いてない教え、

記念日が大衆により行われているから、それが神の真実と思い込んでいるだけなのです。

日曜礼拝は、神の教えや仰せ、安息日ではありません。聖書に書いてもありません。クリスマスもイースターも人が作った記念日であり

聖書に記されていない、神の仰せでもありません!

以下に書いた、ローマ14章も今は何曜日でもシャバット=安息日などと、そんな嘘の教えをパウロはしていない内容を書きました。

下矢印
ローマ14:5-6 神のシャバットや記念日が変更された話など書かれていない

人間が作った宗教を信じて実践している、司祭や、牧師、教師は、

聖書に真摯に向き合い、その記述に書かれている内容を、再検討など

する事はないと思います。

もしも、聖書に書いてある通りを正しく学び、発見することをしたならば、神が伝える永遠の真実に気がつき、伝統の教え、日曜礼拝、クリスマス、イースターは、ただの人の教えであった事に気が付くはずです。

神が伝える永遠の真実に、聖書から気がついたら、絶対に軌道修正をせざるを得ない状態になるからです。

それは、人は自分が知っている真実に反する、言動、行動をすると

自分の中で不協和、不安が起こる、つまり嘘をついて生きている状態に耐えられなくなるから、自分の信条を変えるか、行動を変えるかの

どちらかの選択を迫られるからです。

私は、自分の性質=自分の名が表す通り、嘘、まやかし、不真実は

絶対に拒否です。嘘でもいいや、偽物でも良いよなんて考えられないからです。愛が大事さなんて、そんな意味不明なこと言えなくなるからです。愛とは、神の言われることを真摯に受け取り生きる、それが神が伝える神を愛すると言う定義だからです。

普通ならそうではないでしょうか?

進化論が嘘!と分かれば、その嘘には2度と戻れないし、人にも嘘は伝えられない。人間は神に造られたのではなく、猿から進化したなどと、聖書に書いてある違う嘘を平気で言えますか?て事です。

だから、聖書に書いてある、神が伝える永遠普遍の神の性質と神の

言葉が、神が伝える通りが真実と、はっきり分かった人たちは、2度と人間が作った宗教の伝統の教え=聖書ではない嘘には、戻れなくなることが起きているのです。それは、神が伝える事ではない、嘘、

神が創造された人の生きる生き方ではない!と分かってしまったからです。

聖書に書いてない嘘でも、やれるのは、それが神の教えではないと

気が付かないままでいるから、何も違和感が感じられないのです。

単純な理由、でも嘘の根、騙しの根は深いのです。

 

イエシュアを愛する、本当に純粋に愛していると思いますが、

それならば、イエシュアを愛する人は、神の言葉を生きる!と言う

意味を再検証すれば良いのです。神が言われることを無視して、

代わりに、神の仰せでも真実でもない、人の教えを生きる損失を

知ったら分かります。

それが、人の伝統の教えに固執し、神の言葉を捨てている!とイエシュアが言われたことだからです。

人間が作った神の教えを変えた宗教の文化が編み出した主の日と勝手に呼んでいる日は、聖書に書いてない、神の伝える神の呼出している日、アポイントメントの日と、人間の宗教文化の伝統の記念日との

違いを、聖書から再確認すれば良いのです。

聖書に記されている神の教え、記念日=永遠に真実、生きて、祝われるもの、人間の宗教の教え=聖書ではない、神の教え、仰せではない

神の呼び出している日ではない、人の教えは廃れるとある通り、

イエシュアが来られたら、日曜礼拝もクリスマス、イースターも

誰一人として祝わなくなる日が来るのです!神の宮に人間の教えを売る商人はいなくなるとあります。

そして、神は神の言う通りを信じて生きる人を、大いに祝福してくださいます。それは、神との特別な祝福、シャローム、エデン、喜び

本来の性質を生きる変貌に招き入れてくださるからです。

人は、この世の富の中から、満足や幸いを得ることなできません。

神が与えたてくださる、聖徒たちが知っていた、得ていて、天の極上の、人が求めてやまない本来のエデン〜喜び、神との親しい関係の

極意、それ以外に何がある?_それ以外全てのものを損と思うようになったとパウロも言ったそれです。

獄中の中で、エデン〜天の御座を体験していた、ライオンの檻で、

燃える炉の中で、イエシュアが共におられた、そのエデン、安全

シャローム、安息、それを神が与えてくださる、それをどれほどの人が知っているのか?と書いてあります。

 

神が意図した通りを生きる時、神はこの世のものではない、神が与える祝福、シャローム、平安、深い納得、神と固く直結している満足を

与えてくださいます。

蛇はエデンに忍び込み、人を騙しました。それをずっとその時から、

今に至るまで続けているのは、神の子らがどれほど素晴らしく、どれほど祝福されてしまうのか妬ましいから、それを発見させたくないから妨害しているのです。そして、最後の悪あがきです。

騙しは、蛇から来ています。神は嘘をつかないからです。

一度永遠普遍と言って、途中から今は終わり、終了しました!と言う神は、聖書に書かれたイスラエルの神ではありません!

 

覚えておいてください。神はシャバットは永遠普遍であり、永遠に

祝われる私の記念日と言われ、神の子ら全員を神が呼び出している日です。クリスチャンがやっている記念日は、人間が作った西洋宗教が作り出した記念日=聖書に書いてない、神が呼び出していない、神の仰せでもない日です。交わりは大事ですが、それは普通の日。

安息日ではないのです。でもその日に集まっても、交わりは良いものですし、聖書を読む、学ぶのは良いことです。

神の教えと、人間の教えの違いを覚えておく。神が呼び出した日を、逃すのは、祝福を逃し地上で神の子として、影=イエシュアの実態を生きることを奪われている!ということを、覚えておいてください。

 

神、イエシュアを愛する人は、神の言葉、仰せを実際に生きる人である!とはっきり神は教えています。それが神を愛すること、生きることはイエシュア=トラーに書かれたイエシュアの実態を生きることだからです。シャバットは婚姻指輪として、神の選び出した花嫁に与えた印であると、神は人に教えていることを、発見すれば、神が言われた通りを生きたい!と願うはずです。

 

Shabbat Shalom