神が創造された神の子らに与えているシャバット  | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

シャバットを、迎えました。

シャバットの主が、一人一人の中に眩い光、安息として住まって

下さいます。それを妨害する全てのもの、思い煩い、日々の尽きない問題の数々、その他諸々に意識をうわばれている、それらから即座に出て、遮断して、シャバット、エデンに戻ることをします。

そして、次の6日の日々の中でも、シャバットの安息〜主の中〜エデンの中に留まる生き方をする練習です。

シャバットの安息が、創造の最初からずっと記されています。

神の中に住まう事〜エデン=喜び=神の中に存在する事実を、

皆で体験し、思い出し、神と共に祝う日を、神は私達との永遠の契約〜神との婚姻関係に入っている印として与えた!と教えているのです。

目に見える世界と、目に見えない世界、それを地上、天、

物理的、霊的などと表現していますが、目に見えない世界を、

実は聖徒たちは、地上で生きる事を、この旅路で教えられ続けているのです。

見える世界は、分かりやすい、そして、目に見えるものに頼ってしまいます。今息がとられたら、瞬間にそこで終わるのに、何年先も、これこらがあるから、大丈夫、あれがあるから大丈夫、その保証が、持ち物であったり、地位であったり、銀行の口座残高であったり、それらを頼ります。

でも、そんなもの、本当に頼りになりますか?地面も割れる、

大雨や洪水、台風、病気にもなる、事故にもあってしまう。

その他諸々、人の生きる世界では、思いがけない事に襲われるものです。突然の死、大事な人、家族が失われる事もある。

実は頼りにならないものを、頼りとして安心して生きているのです。

今日のトラー箇所に付随する箇所が、列王記2 4:1-37です。

エリシャの弟子である、人が突然亡くなり、二人の息子が残され、しかも負債がある。神が不思議な方法で、油〜この油は、

薬の代用をする、王や預言者を聖別する時に使う特別な油です。それらで、負債を返し、残りで暮らせるほどのものが出て来たと書いてあります。後半は、子供が亡くなり蘇るという事が書いてある箇所です。ちょうど良い時に、神が不思議な方法で助けを

与える事が分かる箇所です。この箇所が、創世記の18:1-22:24、イサクが与えられるという事を告げられ、そしてモリヤ

山でイサクを捧げるという箇所です。

 

不安定な世界の中に生きている。それとは別に、何が変わっても神の存在する領域に生きる、それが、シャバットの安息〜エデンの中の生き方です。

いつも喜んでいなさいとは、その喜びとは、エデン〜目に見えない、でも本当の現実で、この世が知らないシャロームである事が

書かれています。

揺るがない世界。そこから、ズレないで生きる。

肉の目から見る世界と、神の目から見る世界は、見え方が違うものです。

仮庵の祭りが終わり、又次の一年のモアデイムのサイクルになりました。祭りは、春も秋も、収穫祭です。

神がこの物理的に地上に種を蒔いて、そして、最後は刈り取りになります。

秋の祭りは一年の最後で、全ての収穫が刈り取り集められる時です。

それらを通して、神の創造された世界の始まりと、そして終わり

それから、新しい時代に入る事を表しています。

 

神が蒔いた種を、神に敵対するものが抜き取り、成長させないように妨害してきます。

神のデザイン通りに反する事を、全ての点に於いてし続けているのが、サタンと呼ばれるものの働きです。

神の言われる事とは、違う事をする、その全ては、神のデザインに反する事であり、神がデザインされた本来の生き方ではなくなるものなのです。

至極シンプルな事実〜神の言葉、教えを、人が曲げ続けて行くのです。

神が言うこととは違う、それは真実ではない!という、シンプルな事実に、気が付けば良いのです。

 

ネットの時代で、どこにいても、ニュースが見れます。

皆が固唾を飲んで見守った、アメリカ大統領選。

何度も行われた暗殺未遂。今アメリカに住む人は、この4年で

国がめちゃくちゃにされたことで、闇の世界の手口に気がつき

危機を覚えています。

そして今日本でも、兵庫県知事選が行われている、その裏に

あった一連の茶番劇。

悪いことをしていた張本人が嘘、でっちあげを流して、罪のない人に罪を着せメデイアと政府が結託して、嘘を平気で流す。

メデイアが一斉に報道すると、皆がそれを鵜呑みにしてしまう。

権威が結託して、事実を捏造し、必要な情報をひた隠しにする。

こんなことは、ずっと行われて来たのだと言うことは、様々な

事実がもみ消され、特権がある人、権力がある人が、自在に事件を揉み消したりすることなどが、明らかにされて行きます。

闇の世界の氷山の一角の出来事です。

でも、最後は結局、悪を持って身を固く建てられないという通り

になってしまうのです。

歴史を振り返っても、全部それらの勢力は、崩壊し続けて来ました。

嘘は永遠に嘘です!神の言葉が変化したと言う、2世紀以降

ネットの世界はないですが、口頭伝達で、それが伝えられ続けてしまったのです。

今の世界と同じ、偽情報に騙されるな!なのです。

自分の目で、神が伝える永遠普遍の事実を、聖書から確かめないとならないのです。

 

出エジプト20:8 安息日を覚えて、これを聖とせよ。

20:9 六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。

20:10 七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。

20:11 主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた。

 

創世記 2:1 こうして天と地と、その万象とが完成した。

2:2 神は第七日にその作業を終えられた。

すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。

2:3 神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。

 

神が1−6日で、世界の全てを創造されて、7日目に止まり、その日だけを、シャバットと名付け、週の7日間のその日だけを

神は祝福し、聖別されたと書かれています。

そして、その日は、全ての創造物、イスラエルも異邦人もどんな

職業の人にも、止まる日であると、神が教えています。

もちろん異邦人の世界は、イスラエルの神の教えを知りませんから、そのように生きていないだけです。

 

神の創造の事実、止まらた理由は変わらないのです。

もし、人が第一日目がシャバットである、いつでもシャバットであるという、そのようなことを言い続けるのなら、兵庫県知事に対する偽証と全く同じことを、神に対してしているのです。

聖書とは違う事を主張するならば、あなたの神は、聖書に書いてある神ではない、神の言葉をその人は信じていない!自分の思想を混ぜた、宗教の語る、イスラエルの神とは違う神を語っているということにまず、目覚めないとならないのです。

人の嘘に1900年近くも洗脳されたら、兵庫県知事に対する

嘘もこんな短い間に皆が騙されて、洗脳され、でっちあげの嘘を

簡単に信じてしまうことが起きるのです。

それほど、上から一方的に流される情報は、人を洗脳する力があります。

でも真実は、いつも存在します。神の伝える言葉が、永遠の真実であり、人間はそれを覆すことなどできない、そのようなことを

すれば、それは神の前に、それはとても重い罪であるという事

神の言葉を否定する人には、神の基準=罪の定義を理解していないという、基本的な学習不足、知識に欠けて、人の思想を通して

聖書を都合よく、解釈しているだけなのです。

 

嘘を信じて満足しない。嘘を信じて生きたら、ズレます。

嘘は永遠に嘘だからです。神が伝えている真実が、その人には

永遠に届かなくなります。神との隔たりを作ります。

結局、神の言うことなど、重く受け取り、神が言われる通りに

聞かず、取り扱わず、神が言われる事ではない別のことをして、自己満足の神への近づき方、神が伝えた通りではない事をしてしまうのです。

神は、神の創造された時、モアデイム、教えを永遠普遍!完全であると、人に伝えているのです。

それを、人間が、勝手に、自分の都合の良いように、神の伝えている永遠の真実を、塗り替えているのです。

これ、兵庫県知事に対する、嘘と全く同じです。

 

シャバットの安息は、皆で同じ時にエデンに戻る。

 

詩篇133:8見よ、兄弟が共に座っている。

なんという恵み、なんという喜び。

 

座ると訳されている言葉は、共に住むという意味の言葉です。

イスラエルの神は1つであり、私達イエシュアを通してイスラエルの神の元に戻った人たちも、イスラエルであり、1つの大家族なのです。同じ1つの神の家族、天の共同相続人となったとあります。同じオリーブの木、自然の木=イスラエルに、野生の木の枝=異邦人は、接木されたと説明されています。

同じ1人の羊飼い、イエシュアの同じ1つの羊の囲いに加えられたのです。

2つの家族は、別々の生き方をする、異邦人は自由に神の教えを選んで良い。どの日でも今は安息日であり、どの日を安息日としても良い。今は清くない動物でも何を食べても良いと言いますが、そんな教えは、聖書ではありません!

 

イエシュアは神が創造された世界を、破壊するために来たのでは

ありません。神の始めた世界、蒔いた種を横から来て破壊するのは、サタンです。神のデザインとは違う事を語り、人に生きさせる事を、エデンの園の最初からしているのです。

神がデザインした通りに修復するために、来られたとイエシュアは言われました。

こんなシンプルな事実が伝わらなくなるのは、全部最初から

同じです。騙し〜嘘です。

 

聖書〜神の言葉を曲げる事自体が、異様自体である!という事に

気が付けないのは、蛇の嘘を真実だと思い込んでいるから。

「神は本当にそう言ったの?」同じ騙しです。

 

神は、人に教えています。シャバットをガードして、この日を

神が聖別した通りに、聖別して生きる。

そこで、神は特別な出会いをして下さると約束したからです。

神が呼び出した聖別した日は、第一日目ではありません。

第7日目と書いてあるのです。どうしてそれを人が曲げていても、気が付かないのか、本当に不思議です。それは、人間が神の言葉を変える権威を与えられたなどと、考えているからです。

 

神が、第1日の止まり、第2〜第7日目に世界を創造されたというならば、それは聖書に書いてある、創造主ではありません。

 

嘘が浸透すると、中々撤回、訂正することが困難になります。

でも、その中で、根付いた固い嘘に気がつき、真実は何かと追求する人には、神が聖霊により書かれた神の言葉から、真実を教えて、真実に目を開く事を、して下さいます。

 

嘘でも何でも良いですか?人は神の言葉により生きる=神の伝える真実、真理により生きるように造られているのです。

偽物を聞いて、信じて生きるようには、造られていないのです。

それは、神が創造された人の生き方ではないからです。

 

私達は、偽情報の中に囲まれて生きています。

得に、神の言葉、教えに関しては、聖書の事実だけに戻る!

人の勝手な解釈や、解説を通して、神の言葉の方を曲げてはならないのです。

 

真実は、必ず明らかにされて行くのです。神は必ず、神の真実を求め続ける人に、ご自身の永遠の真実を、神の言葉を通して知らせるからです。本物の羊飼いの声を聞き分ける。偽の教えをかき分けて、神の本物の言葉、教えを聖書から掴む事です。

 

Shabbat Shalom