あなたの隣人に、偽証しない!それは、あなたが、イエシュアにより新しく創造された人で、イエシュアの中に今秘蔵されて
イエシュアが与えた契約の命の実態、トラーに記されていることを生きているのならば、それをあなたの肉、ネフィッシュ=
全存在本物のあなたはそれができない、拒否する、それはあなたではないからですと、神が教えています。
でも、もしも、あなたが神の契約の命=神の伝える言葉〜トラーに記された事実に生きていないならば、契約の中に根付いた生き方をしていない状態ならば、あなたの肉、全存在=ネフィッシュ、頭、体、精神、霊全ては、神の言葉、教えのどの箇所でも
平気で破ること、違反することができてしまうのです!と教えているのです。
〜はしない、神に創造されイエシュアにより新しい人となり、
イエシュアの中に生きる人は、契約=神の言葉に根付いて生きる
それが、本当のあなたの生き方です!でも、神の言葉を捨て変えても良いと考えている場合、神の言葉は終了、廃れたと考えるとは、神の言われることを理解せず、蔑ろにしている状態です。
そのような意識で生きているならば、神の教えのどの箇所でも
自分の都合や理屈で破ることができてしまいます。今は神の言葉を退けることが恵の生き方であり、律法主義を否定する生き方だ!という人の思想を信じる人には、神の言葉を捨てて、神の伝える罪を犯すことは簡単、可能です。
罪が罪と分からない、理解できない理由は、神が定義して教える罪の定義は、今は終了〜という人の思想を信じて、神の言葉を退けている罪に全く気がついていない、盲目状態だからです。
神の教えは、人を守る保護ガードなのです。神の言葉の方を捨てて、人が編み出した教えを教えら続けて、神の言葉=鎧兜=
ガードがボロボロのまま生きたら、神の言葉とはズレた性質は、
そのボロボロで破れている、役に立たない鎧兜で、罪を招き入れてしまいます。だから、神の言葉を捨てている生き方が、平気できてしまいます。神の定義する罪の全貌が書かれたトラーを捨てる人には、神の前に罪が罪であるという、知識、理解もなくなっているのです。
神の伝える言葉を捨てることが罪!と言われているのに、理解できないのです。
ずれ=神の言葉の的から外れて生きることが罪、ズレて生きている状態は、本来のあなたではありません!と教えているのです。
何も道徳的、世の中の法に触れることだけが、神の定義する罪ではないのです。神の国には、神独自の教えがあるのです。
神の定義する罪は、神の言葉を理解しない人には、丸でピンとこない、通じない、神の国に生きる人の家訓、文化、生活の全貌を
教えているものだからです。
神が伝える言葉=契約の実態の生き方から外れること、罪に陥る路線に外れる!と神は教えているのです。
あなたは〜しないという全ては、自分に対してもそうですが、神に対して、そして人に対しての違反であり、他者へ損害を与えるものです。隣人の命、財産を奪い、隣人が当然享受すべき、
喜び、楽しみを奪うもの以外のなにものでもありません。
それを、世界中がやっている〜神の言葉を捨てているからです。
偽証したら、どうなりますか?その人の性質とは違うことを偽証すれば、その人の社会的地位、立場や評判をダメにする、破壊することをしてしまいます。
あの人は、嘘つきだ、あの人はいい加減な人だ〜、不誠実な人だ、あの人は冷たい人だ、更にはあの人は脱税した、姦淫した、殺人をした〜盗みをした〜となどと偽証したら、犯罪を犯していない人の人生を、壊すことが、人にはできてしまうのです。
殺人も、姦淫も全て他者に対する違反、バイオレーションです。
人の人生を破壊するものです。だから、〜しない。
偽証をしない。
それだけでなくても、一度信頼を失い、悪い評判が定着してしまうと、人の意識を変えて、嘘を撤廃し拭うのは大変なことです。
社会生活が、元通りにできなくなってしまいます。
だから、人のうわさ話でされる、誰かに対しての嘘の情報を流すこと、そして、今の世界で起きている、嘘の証言=危険なのに
安全と人の策略と、金儲けの為に人を家畜以下に取り扱うことを
されていることに、気がつけない人もいるのです。
偽証、偽情報が流されて、悪を善、善を悪、危険を安全、不要を絶対必要と、人を洗脳、扇動して行く、この嘘にに乗りやすいのは、日本人とまで言われているのです。ある意味、素直、従順と言えるのでしょうけれど、長いものにまかれる、同調圧力に弱い、皆と同じことをしないとならない、プラス嘘に騙されるのは、自分で本当の事を探る、正しい情報を発掘する努力をしていないのです。これは信仰の世界も全く同じなのです。
人がしている、神の言葉に対する偽証も全く同じです!
神の言葉は、縛り、呪い、古い、悪魔的な律法主義だ〜などというクリスチャンがいますが、全部神に対する偽証をしているのです!これをやめないとなりません!これは、10の言葉の最初、契約の要約の冒頭で厳重警告されている神の教えです!
わたしの顔の上に別の顔を乗せない!あなたのために!と書かれています。つまり、イスラエルの神の実態、実像とは違うこと
それは、異邦人=人間が作り出した教え、思想、神学のこと!
イスラエルの神が、変化する神、変貌する神!神の言葉は歴史の途中で変化した、それが正義だと、本気で信じて神の言葉を生きることを律法主義、悪魔の手先!などと堂々とSNSで言っている大勢のクリスチャンがいますが、神の言葉を否定する、イコール神ご自身を否定して、神との関係を破壊する行為であることを
知らない人が言う主張なのです。
そういう偽の教えのせいで、私含め多くの人が、神の言葉から迷い出てしまったのです。私が聞かされた教えは、西洋宗教の教えであり、神の言葉を否定する教えであり、神の教えが分からないから、神の前に聖別を汚して生きていても、全く気が付かないまま、無知、無感覚でした。
進化論や他の偽科学と同じですが、一旦嘘の種が蒔かれたら、
雑草のように広がり根づよく生え続けて、その偽思想や偽の教えの方を覆すことが、本当に困難になるのです。
だから、いくら聖書に書かれている!と提示して話しても、人の思想に汚染された頭脳には、神の言葉の方を跳ね返す!
二言目には、律法に戻るのか〜キリスト信じたらユダヤ人やめなさい!などと、意味不明なことを言って威嚇するのです。
神に偽証している、違反し続けていることにも、気がつけない。
宗教の教えに染まったら、洗脳されたら、本当の神の言葉
教えを言っても通じない固い固い壁ができてしまいます。
でも、神は残りの民をどの時代にも確実に確保し、神の純粋な教え=トラーを伝え続けてきています。毒麦の中に本物の麦を生えさせ時が来たら、それらの人に、神の伝える真実に目覚めさせることを行なっているのです。だから今世界が変化している!
神の言葉に対する誤解の種が除去され続けているのです!
クリスチャンの世界で教えられている教えは、聖書ではないことただの人間が発想した教えがたくさんあるのに、それらに気がついていません。聖書ではないことを、聖書だと教えられ続けてきているからです。
異邦人教父達が、ローマ帝国と結託して言い出した、反モーセの五書、反ユダヤ思想のおかげで、神の言葉を終了!否定!神の言葉を生きることが罪!などと、神の言葉に反するスローガンを掲げたせいで、今の異邦人の教えが、聖書に書かれている1世紀の人々=モーセの五書とは異なる思想を生きて、イエシュアや弟子
当時の信者たちとは、どう考えても似ても似つかない生き方や
信仰の実践になってしまっていることに気がついてください。
彼らが、1世紀に神の教えを捨てよ!律法に戻るのか〜と言い
シャバットを汚し捨て、日曜礼拝、クリスマス、イースターを
祝ったなどと、聖書のどこに書かれていますか?
豚やきよくない動物を平気で食して、イースターやクリスマスを祝ったりしている、そんなこと聖書のどこに書かれていますか?
神が禁じたものを食べたり、異教の神々の記念日に便乗して作った祭りなど、聖書では誰も祝ってもいませんし、神の聖別を汚す食生活など誰もしていません!!!そんな発想さえ、存在もしていませんでした。使徒15章に記されたイエシュアを信じても
異教徒と同じ生き方をしている人への、配慮の警告について
よくよく考えてみないとなりません。この箇所を、多くの異邦人クリスチャンの教師は正しく読み解説していません!
事実に目覚める!神は汚れたものを極度に忌み嫌う!という
最大級の嫌悪で伝えていることに気がつけば良いのです。
私達がイスラエルの神に教えられているのは、ローマ化した、
ジーザスではありません。ユダヤ人、ダビデ王に繋がるメシア
イエシュアが聖書に記されている本物のメシア=イスラエルの神です。人は、イスラエルの神を別物の教えに塗り替え、偽証を
続けていることに、全く気が付かない人もいるのです。
その異邦人の教えの偽証のせいで、2000年近く、異邦人信者の世界では、神の言葉の偽証が語り続けられて、多くの人を誤りの教えに導き続けてきました。
イエスキリストは救い主であり、イエスの流された血で許された、新しくされて、聖霊を頂いたという点は聖書に記された事実でも、神の言葉は終了ありきの思想で語る全ては、神の教えとは違う別物=混ぜ物=人の思想の偶像、虚像です。
神の言葉に対する偽証をしていることに、聖書から気が付かないとならないのです。あなたが信じて、発表していることは、聖書の事実の基づいているのか、それとも聖書には書いてない、人の思想を信じて語り生きているのか、聖書から確認すれば良いのです。
イエシュアは、異邦人教祖、教父、教師たちが言うような、変化する神ではありません!イエシュアは怒りの神から、恵の神に
変化したとどこに書いてあるのですか?
そして、神の怒りは人間の考える、人間の怒りとは違うのです!神の怒りがなければ、神の正しい裁きはなく、人は悪から解放されることもないのです!
この世は、偽物で溢れて、悪が支配していますが、悪はやがて
消えます。私達が望んでいることは、神の与える正義ではないのでしょうか?
神の言葉は、神の性質通りに永遠に変化しないと書いてあるのに、神の言葉が伝える真実とは、全く違うことを、クリスチャンたちが言い続けても、その聖書とは違う思想に何も違和感がないのは、人の教えを信じているからです。昇天以降、神の性質が
変化し、怒りから恵みの神になり、律法から聖霊時代=神の言葉を生きることが終了した別の時代になったという、異邦人創作のお話を信じているのに、聖書ではない、嘘のストーリーに気が付かないままなのです。
神に対して、神の言葉の理解が、ズレている。神の言葉に対して敵対心を持たされて、神の言葉は人に密のように甘く、私達を生かすもの、言葉=イエシュアであるという聖書に記された事実を理解していない、異邦人思考だからです。
そして、神に対して、神の言葉に対して、偽証した人の偽証を
聖書であるなどと受け売りし、継承し、このように2000年
近くも偽メシア像=変化する神、変化する神の言葉の偽証が、
異邦人の教えに蔓延しているのです。その偽証を信じて語る異邦人達に対して、ユダヤ人でありトラーが誤りのない神の完全な言葉であることを、神の言葉から知る人たちには、その偽証が通じないのです。だから、ユダヤ人に取って、クリスチャン達が語る反トラー思想は、彼らに対しての大きなつまずきの岩=偽メシア像を語っている偽証に気が付く必要があります。
でも世界は確実に変化しています。神が生きておられるからです。神は神の栄光を人間には渡さない。神に対して偽証続けることを神が止めるからです。悪が蔓延る一方、神の言葉の真実=
イスラエルの神に出会い神が伝える真実を発見して、軌道修正してい生きる人たちが、神により目覚めさせられているのです。
狭き門、静かな声=本物の羊飼いの声は、巷で大きな声で語られていません。
でも、神の言葉だけに戻る時に、神は神の言葉の真実を求める人に、神の言葉=聖霊から、書かれている事実を明らかにしてくださいます。
偽証するなかれ!あなたは、イエシュアにより新しくされた人、イエシュアの中に秘蔵されて生きているあなたは、神に対しても偽証しません!それは、あなたではないから。
でも、神の言葉に違反する=契約の命の中に根付いて生きていない、混ぜ物の教えを生きる場合には、神のどの言葉に対しても、
平気で違反できてしまいます!!!と警告しているのです。
神が伝える絶対的基準を捨てる人に取っては、神の真実は歪んで
しまい、不完全で、偽物=別の夫の教えが、混ざった、偽物、
まがいものを信じてしまうことになるのです。
だから、警告されているのです。嘘は永遠に嘘、添加物は永遠に添加物!純粋な神の言葉ではなく、不純物が混じった腐敗をもたらすものになります。だから、偽証をしない。偽証は、人に対しても、イスラエルの神と神の言葉に対しても、しない!
それはあなたのすること、あなたではないからしない!
偽証する人は、神の伝える通りを生きてないから、人に対して、神に対して違反、偽証ができてしまうのです!という明白、
シンプルな神からの教え、警告が伝えられているのです。