再臨を待つ | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

昨日の日没から、ヨムテルアが始まりました。

今日の日没まで続きます!

神の創造された、神の子らを呼び出している記念日は、全て神が聖別された日であり、アポントメントの日、神が定められた

特別に神の子らと共に会って皆で祝う記念の日です。

 

それらの日全ては、レビ記23章に私達が忘れない為に、神の

呼び出し日の暦として、神が伝えて記されているものです。

神の暦〜カレンダーに、この記念日が書かれていて、私達神の子らも、神と同じようにこの日を自分のカレンダー、手帳に印を付けて、特別に神が設けられた記念日に特別に神の招きの記念日に招かれて祝うことを、常に考えながら、日々を生きる、それが神がデザインされた命のサイクルなのです。

 

クリスチャンの世界では2世紀以降、ローマ帝国による支配、

政治的事情で、処刑をもって神の言葉、教え、記念日=モーセの五書=ユダヤ的要素が強い全てを生きることをユダヤ人、異邦人に、禁じたのです。神が禁じたのではありません!

カトリック教父達も、同様にモーセの五書を生きることを、ユダヤ人、異邦人に禁じました。中世も同じです!主にモーセの五書を生きるユダヤ人に、トラー=神の教えや記念日を生きることを禁じた、神に対する直接の罪を、人が犯し続けてきたのです。

ルターも、モーセの五書に憎悪を持ち、そしてユダヤ人に対しても、殲滅思想を持ってしまったのです。神の言葉を理解しない

教師。どうして神の言葉を捨てることが正義なのですか?

イエシュアは神の言葉=トラー=父の言葉を破棄するために地上に来ませんでした!おかしな異邦人思想、契約から遠く離れ、

神の教えを正しく理解しない、知らない代償なのです。

その為、神の教えが人の手により、変えられてしまった結果、

神の教え=言葉=記念日は、追いやらてしまい、神の教え、記念日は、クリスチャンの間では完全に祝われなくなってしまったのです。だから聖書を読んでも、神が創造された、神が呼び出している記念日が何なのかも、注目も行かない状態になりました。

それらを考えることも1度もしない!注目もしないし、頭の中に一度たりとも思い浮かばない、考えたこともないでしょう?目の前に過越や仮庵、シャバットをイエシュアが祝ったことが書かれているのに!

その意味を全く何も考えない。そこに記されている本当の意味も知らないまま聖書を読む。これは私の個人的体験でも分かるので、はっきりそう言えます。神の教えや、神が創造されて代々永遠に再臨後も、神と神の子らと祝われる記念日と、神が言われたその内容は、クリスチャンには、馴染みのないものであるので、もう一度書いてみます。

それらの記念日全て、モアデイムとヘブライ語では名付けられています。「季節」と訳されていますが、定めの日〜神の呼び出した日、その日を知らせる為に、神が天の万象〜月、星、太陽を

造られた!と創造主である神が人に説明しているのです。

昨日は聖書の暦の第七の月の1日だけが、新月になる聖日です。ヨムテルアの聖日だけが、唯一新月で始まるのです。

そして、過越、仮庵は満月の時の15日に始まるのです。

 

そして、定めの日は、シャバット〜週の第7日目、新月〜聖書の暦の1日、春の記念日は、①過越〜これは都上りの祭りで

モエッド=定めの日であり、同時にハグ=都上りの祭りです。

②過越の祭りから始まる「7日間の種無しパンの祭り」

③初穂を捧げる日 そして、④過越のシャバットから7週、

穂を数える日を過ごして迎える「シャヴオート」の祭り。

これも、ハグ=都上りの祭りです。都上り〜エルサレムの神殿に上り、祝う祭りです。

この祭りの出来事は、地上では、まず出エジプトで表されている一連の出来事と重なります。全て福音を教えているものであり、

信じる人全て、どの時代の人にも当てはまる「道のり」です。

①過越〜贖い、救い、②種無しパン〜義とされ罪が削ぎ落とされた=種しパン=花嫁とされ、③初穂、ヨムビクリムは、復活の命=大地から刈り取られた大麦の初穂=イエシュアの贖いの血の

代価を通して私達は神の前に新しくされた人として、

神のみ前にイエシュアを通して捧げられ、受け取られている。

聖霊が、朽ちる体〜仮庵の中に住まってくださる。

④正式に神の花嫁とされた人が、「婚姻契約」を与えられたことを表しています。これが出エジプトの一連の出来事です。

そしてイエシュアが、地上でされたのは何でしたか?

①過越〜子羊の血の贖い、イエシュアの処刑

②過越の祭りの種無しパン〜マッツア罪のないものとされた

イエシュアが、罪となって私達の罪をその肩に全部負ったから

③復活〜初穂 ヨムビクリムにイエシュアは復活され、呪われた地=大地の中から、天に上ったのです。

④シャヴオート、それから7週間の穂が成長することを数える

7回のシャバットを祝い、迎えた、正式に花嫁として、神から

婚姻契約〜法的な補償、約束、祝福、神の花嫁として神の家に

住まう生き方全てが記されているものを与えられた、それが

「シャヴオート」(ペンテコステ=ギリシャ語)の祭りの意味なのです。全部ピッタリ、イエシュアがされた業と、地上で行われた預言的出来事、そして神が永遠の中から創造された記念日=

聖日=主の日、祭りとピッタリ合っていることに、気が付きますか?

その中心は、7=完了、完全、完結。神の業により新しい人とされていること、完全にされていることを教えているのです。

春は、過越とシャヴオートが、ハギム(複数)都上りの祭りで

ありモアデイム=定めの日=神の聖別された聖会の記念日です。

これらは、全てイエシュアの完了の業、永遠の中で創造の前から

既に完結し完了している業を、地上で実際にメシア、イエシュアが来られて人々に証明された業です。

春の祭りで表されるイエシュアの業=福音の中核は、既に地上で

実現されました。

これらのイエシュアの業は、最初からモーセの五書に記され、

そして預言書、諸書でそれを説明しています。

それらに書かれた神の教え=言葉を理解していた人達=残りの民は、永遠からある同じ購い、救い=聖霊の臨在を受け取っていました。新しくされる=義とされる、贖いの代価=許しを与えられる、そして聖霊が内側に住まうこと!これは、エデンの園から

同じなのです。どの時代もどの人も、神に贖い出された人は、

皆同じ福音の実態を受け取っていた残りの民達の事実が、

タナック=モーセ、預言書、諸書に記されているのです。

2000年前に初めて、贖い、救いが実現したという思想は、

歴史線上に物事を眺める、西洋哲学思想です。ヘブライ思想は

永遠の中に完結されている事実、永遠から全てを見るのです。

円の中心を見るのと同じです。どの箇所からも同じ距離、どの場所からもどの時代でもアクセス可能な贖い、救い、内在の聖霊。

タナック=聖書を正しく読み、書かれている意味通りに把握し、理解していない思考回路から来るものです。

神は永遠から永遠に同じ!救い、贖いの業、方法は永遠から永遠に1つしかなく、どの時代のどの人、人種に対しても同じ!

創造主は、永遠から永遠に変わらない、憐れみ深く、愛と許し、恵に富む神と、神の性質を、教えているでしょう!

春のモアデイム〜祭りは、全部で4つです。秋の祭りは3つ。

全部で7!その全ての中心はシャバット=第7日目の聖日であり、過越の祭りは、最初の日は曜日に関わらずシャバットと同じ性質で扱う、祝う、止まり祝う日になるのです。そして7日間の種無しパンの間に、第7日目のシャバットが来たらシャバットを祝い、過越=種無しパンの7日が終わる日には、同様に曜日に

関わらずシャバットとして止まり祝うのです。これが、神が創造された神の呼び出し日=聖日=主の日の祝い方なのです。

春も、秋の祭りも、両方、収穫祭です。収穫をめぐり、神の子らの生き方、成長、そして最後に神が呼び出した人達全てが集められることを、農業〜大地に種を植えて、初穂が大地から出て、

そして作物が成長して行く過程があり、最後は、1年全部の大収穫で表しているものなのです。

神の教えは知恵が深いと、知っていけば行くほど、理解できます。人が理解できる方法で、神は色々な知恵、福音、イエシュアご自身の業を教えているからです。

そして、春の祭りから、秋の祭りまでの夏の間は、小麦が成長する、他の作物が成長する期間です。そして、その期間には、

イスラエルには雨が降りません。

私達の地上の旅路は、イエシュア=生ける水に頼らないと生きていけないことを表しています。荒野をついてきた岩=水、人を

生かす水、肉体的に、そして霊的にも、全てを供給してくださっつた神=イエシュアが共におられた荒野の旅路は、私達の地上での今の人生=約束の地に入る準備、訓練期間をそのまま教えて

表しているものなのです。

だから、私達が直面する問題は、全て書かれています。

荒野を旅した人達が、様々な困難に直面するたびに、神を疑い、呟き、嘆き、最後はモーセを追放しようと、自分の役割ではないことに介入する、全てが書かれています。

それらは、私達と同じ、私達が新しくされた人として生きる訓練

〜神の言葉=声だけを聞いて生きることに失敗する、その警告

でもあるのです。神の声を聞いて、それをそのまま生きて

実践し、神の子の本当の生き方を習得、練習する地上の旅路なのです。新しい人として、神の言葉を生きて、身につけて、成長する過程〜それが地上の旅路、道のりなのです。

だから、信じても直ぐ天に行かないでしょう!

そして、1年の終わり、一年の全ての収穫の終わりが秋です。

秋の祭り、モアデイムの全ては、再臨を表しているものです。

イエシュアを通して、イスラエルの神〜ローマの神ではなく

イスラエルの神の元に戻った人たちは、もれなく、イスラエルの大家族の一員として神に迎えられました。

同じ婚姻契約の生き方を生きる、大家族に加えられました。

その人達は、創造主である神が直接、私達に教えている生き方を

する!こんな単純でシンプルな事実を、クリスチャンの世界では、西洋教父〜初代教師たち以降、今に至るまで、神の言葉=

トラー=モーセの五書は廃れた!という人間の教えを土台に、

神の教え、言葉を追放してきた暗い、本当のみ言葉を聞けない

飢饉の歴史があるのです。

花嫁が花婿に逆らう、神の言葉を否定し、勝手に人間が神の言葉を終了、破棄して神に直に逆らう、イコール、それは神が伝える愛=契約の中に生きる愛ではありません。

世の中には、イエス、ジーザス、キリストという名を唱えて

様々にイスラエルの神の教えではないことを教え、実践している

宗教の教えが蔓延しているのです。マタイ7:21-24が何を意味しているか、じっくり考えないとならないのです。2000年長い間にわたり、それが許されているから、それが神が伝える真実ではないのです。それならば、世界の宗教は財宝と大勢の人を集め繁栄している、それはイスラエルの神が支援しているからですか?そうではないでしょう。終わりの時代に、修復の時代が来ると預言されている、それが今の時代なのです。

神の本当の教え、言葉に戻る!イスラエルも、2000年前に来られた、あのイエシュアがタナックに記されたメシアであると

気が付く!神が預言されていることは、必ず実現します。だから

今、異邦人の世界でも、神の言葉が神が伝えた通り、永遠普遍である!と多くの人たちが、神が語る言葉の真実に気がつき、

目覚めさせられ、人の思想で曲げられてしまった神の言葉、教えは、聖書=神の言葉、教えではない!だから、神の言葉=聖書だけに戻ろう!と戻った多くの人々が、神の教え、神の記念日を

今、今日祝っているのです。ユダヤ人と異邦人!

あなたは、神の言葉を、完全であり、永遠普遍であり、誤りの

ないものであると、本当に本当に信じていますか?

角笛の音=祭りに鳴らされるショーファの音を知る民は幸い!と詩篇89に書かれています。それは永遠普遍の神の言葉なのです。それを信じるならば、その音の意味を知る人は幸いなのです。

その逆は、神が伝える教え、記念日、ショーファーの音を知らない人は、幸いではない!となるのでしょう?

今日もイスラエルの神、創造主であるお方は、創造主ご自身が

創造された記念日に「あなた」を呼び出しているのです!

まずその永遠の事実を、聖書からぜひ知ってください。人の教えではなく、宗教の教えではなく、伝統で語られて実践されている人間が作って人が人を呼び出している記念日ではなく、神が本当にあなたを呼び出して祝うように待っていて下さる日がいつであるのか、聖書から知ってください。

イエシュアが地上に戻られたら、最初に祝う祭りは、仮庵の祭りであると、預言されています。ゼカリヤ14。クリスチャンは

異邦人〜ヘブライ聖書も知らない、聖書教師でもないアンプロフェッショナル、イギリス人ダービーの思想=デイスペンセーション神学から聖書を曲げて読む思想を20世紀以降教えられ続けてしまったのです。広範囲の人に、この人の思想が受け入れらたのは、肉の思想、異邦人思想に受け入れられる思想だからです!

その思想の土台は、2世紀の西洋教父達の教えですが、再臨が

あったら、クリスチャンは全員天に行って地上は関係ない、神の教えや記念日など関係ない!と教えられ、そうと信じているでしょう?ユダヤ人=地上、クリスチャン=天にいるから、神の教えや記念日は祝わない?神の言葉は無効になるという思想。

エレミヤ31章は、頭脳に割礼のされた人たち全員が、神のトラー=婚姻契約の生き方に戻り生きる!と預言しているのです!

イエシュアの新しく再更新された同じ婚姻契約の内容も同じ!

同じ神の言葉、神のデザインされた人間の生き方〜イエシュアの

生き方そのものを、皆が生きる時代が来る!

神の言葉が破棄されたと勘違いしている、人が作った教えは聖書ではありません。

ヘブライ聖書を知らない人の思想は、(知っていても変な思想を持つユダヤ人も大勢いますが)

いつも天と地が分裂したように聖書を読んでいますが、目に見えない天は、地と1つになるのです。やがて1つになるのです。

ユダヤ人と異邦人と分裂した2つの家族思想は、聖書ではなく

ダービー思想、西洋宗教思想です。本家ユダヤではなく、異邦人

分家に、聖書とは違う教えを教師により作られて浸透してしまったから、元の聖書に何が書かれているのか知らない、分からない異邦人が、聖書を勝手に解釈した教えを編み出し続けてしまった代償を受けているのですが、これを修復する時代に入ったのです。神の言葉だけに戻る!元に書かれた言葉の意味を知る!

異端の教えに注意!と言うならば、神の言葉とは違う、神の言葉を否定する逸脱した教えこそが、異端〜神の言葉の真実から外れた、人の教えであることに気が付く必要があるのです。

殆どの異邦人は、西洋人教師に、聖書ではない、人の思想を混ぜた宗教の教えを教えられてしまったのです。その教えを唱えて、長年大衆が唱え続けていても、それらが、聖書に基づかない人の思想、聖書の真実ではなければ、聖書=神の言葉ではない!というシンプルで永遠の事実があるのです。

進化論はどんなに長年、どんなに多くの人に受け入れ、その嘘を皆が信じても、神の創造の事実とデザインが変化するのではない

それと同じことなのです。シンプルで永遠普遍の真実は、人間の

発想、思想、意見で塗り替えられるものではないのです!

 

続く