アヴの月の第9日直前の特別なシャバット | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエスさまの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

7日の1週間のサイクルが巡り、シャバットを迎えました。

シャバットを歓迎し、神との会見を歓迎し、祝福する。

神が定めた特別な時、人ではなく、神が聖別された日が週の第七日目です。聖書に記された分かりやすい、シンプルな事実。

第七日目だけが、特別な名がつけられています。

シャバットとは、止まるという意味であり、その名が神によりつけられた日です。

なぜですか?神が説明しています。神が6日の間で全ての業を完成させたから、第七日目に止まった。だから、人も神がしたように、6日の間に、仕事、業、様々な創作作業をし、第七日目に

止まり、神と人と共にこの日を聖別し喜び祝う。

神が伝えている真実であり、人の創作した日は、神が聖別した日とは異なります。すごくシンプルな透明な永遠の事実を、神は人に伝えています。

 

聖書はこのシャバットの安息のことをずっと話し、このシャバットの安息に戻ることが福音の中心であることが、聖書の最初から書かれているのです。本来の場所=神の中=エデン=喜びの中に

皆が戻り、祝う。こわれた関係を修復する。

神が伝えた教えを、人間が変えてしまったのです。

聖書に書かれていないことは、人間が考えついた教えや、解説です。それは、神から出たものではなく、人間由来、人間創作。

シンプルな事実でしょう?どうして、聖書に書いてないことを

書いてあるが如くに信じて、実践していること、不思議に思わなないとならないのです。不思議でしょう?学校の教科書に七日目と書いてあったら、1日と読み直しますか?聖書の事実ではないことを、宗教の教えでは、伝統だから、真実の如くに当たり前のように教えられているだけなのです。真実に目覚めれば、はっきり目から鱗が落ちて、神の言葉に光があたり、事実だけが見えてきます。

 

神は神が伝えた教えやシャバットや記念日、祭りを変えてなど

いない、永遠に変えない、変わらない。なぜなら、神と神の言葉は変わらないからです。人間が神の教えに対して悪さし、神の領域に入り込んで、神の言葉、教えを勝手に変えて操作している、人間は、神の言葉に付け足し差し引きする、そんなことをしてはならないと神に言われているのです。遺伝子改造と同じ行為をしているのです。

 

この1週間は、どんな1週間でしたでしょうか?

それぞれ、それぞれの場所、時の中で、盛りだくさんのできごと、変化を経験しています。ある人は震災天災人災で、住む家や

職場を奪われ、日常生活を奪われています。

元々人は、神のプランにより生まれてきた、それを人は選べません。いつの時代、どの国に、どの場所に、どの両親に、どの性別で、どんな人に生まれるのか、容姿も素質も全部、1つも選べないまま、生まれ出てきました。

私達人間が生きている、その由来、起源、根拠は、全部神の一方的な計画の下にあるということです。

そして、それは人の側の計画や失敗も全部含めて、神が神の計画通りを推し進めていく、この事実は何も変わらないものです。

私達にできることは、与えられた状況の中で、賢い選択をすること、そして、その変えられない出来事に対して、神の目から捉えることをする選択ができることです。

 

ユダヤ人の世界では、この今の世界に生きているのは、約束の地、次の世界へ行くまでの、「訓練」の現場であると教えます。

それは、本当に聖書に記されたそのままの事実を語っているものです。何を生きるのか?神が伝えた言葉を、実際に生きて、新しい人を実践し、成長する道のり、それが地上の旅路なのです。

 

エデンから出て、神と隔たりができて、神が直接見えなくなった。神との隔たりの穴の中に閉じ込められている。自分を相手を、神の創造通りの人として見れらなくなった。自分の中にある偏見という壁ができて、相手をちゃんと見ることができなくなった。それが人類最初の人間関係の亀裂、破壊、一番親密な関係が歪み、壊れてしまった。本来体験する神の造られた美しいことが、全部歪んだものとして、取り入れてしまうことになった。

神との親密な関係、婚姻相手との親密な関係が、破壊されて

別物になってしまった。

そして人は、神から隠れることを覚えてしまった。本来の性質、イエシュアと同じ性質の人ではない、先祖代々別の自己像を学習し続けてしまって自分に至る、自分の子孫に伝達されてしまってきた。

壊れた自分、壊れた自己像、壊れた関係、そして神との壊れた

隔たりの関係を修復する!それが福音の中心であり、神が設けられた命のサイクル、記念日を生きる人生の訓練のサイクルでも

あるのです。

その全ての中心が、シャバットなのです。エデンに戻る!

安息と書かれている本当の意味、イエシュアの中に憩う、戻る

エデンの中にこの地上で皆で戻る。天の現実が現れ出る。

神が設けている修復の時だからです。

 

新しくされた人の現実、実態を信仰により受け取り、神から与えられて、その自己像を生きる再学習の旅が、この世の旅路であり、天に入る前の訓練の日々でもあるそれが、聖書に書いてあるものです。

宗教の教えは、神が伝える教えとは、本質が丸で違うことが聖書には書かれています。宗教の教えは、色も匂いも味も神の伝える本質とは違う、それほど違う別物が聖書には、書かれているのです。

人の教えは、常に「責め」を感じさせるものです。頑張らせます。神の前に、認められるように、あれこれやらなくてはならないと教えます。それは、一見聖書に記されていることであると思ってしまうものですが、でも神が語られていることとは、違う表現をし、違うニュアンスで語るので、神の伝える教えの本質からずれてしまうのです。

 

宗教の教えは頑張らせる教えでもあります。人と比べることをすることをしています。本来の自分ではないことを、生きさせられてしまいます。そして、自分の自己像を完全に忘れ去れます。

あなたは誰?と言われた時に、職業や、能力や、そんなもので

自分が誰か考えるでしょう。クリスチャンの中でも、どれほど

すごい働きをしているか、重要なポジションにあるか、そんなことで人が測られてしまうのです。

そして、「罪人」、救われた罪人と言い続けるその教えは、神が語る声とは、全く違う、宗教の声です。カトリックでは、自分の胸を叩いてどれほど罪人か言い続ける祈りがありますが、不健康です。

ズレを悔いる=本当の自分に戻る生き方に軌道修正をすることは

常に、瞬時に必要ですが、イエシュアと共に死んだ自己像=ズレ

罪人だと宣言続けることは、神がされたことを忘れさせる毒な教えです。

イエシュアが命をかけて私達の罪の代価を払ったこと、全て新しくされた人にされたのに、どうしてイエシュアの業の事実をなし崩しにする教えを続けるのか、それは神から出た声ではなく

サタンの責めの声です。謙虚でもなんでもない。

人を「罪人」という人は、罪人自己像を自分に常に刷り込み、

他者を色眼鏡で見続けて、そしてその罪人自己像で生きて、新しい人を生きる学習がそのためにできないから、成長できないままでいるだけなのです。

私達は、救われた罪人ではない。「聖徒たち」と書いてあるでしょう!!完全なものとされた。でも私達、その本物の自分の現実を生きることをよく未だ学んでないだけ、学びの成長過程にあるだけなのです。偽の自己像を信じ続けて、威圧、萎縮されているから。人を罪人と呼ぶのと、新しくされたけど、よちよち歩きで、こけるというのと、違うのが分かりますか?こけそうになったら、それは私ではない!と、コントロールできるようになる、子供が自転車に上手に乗れるように、練習し続けるのと同じことをし続けるだけです。やがて達人、成人になる。

人間が考えついた掟リストを教えて、提示して、聖書に書いてもないこと、ノルマを人に課して、誰かの目標考えに賛同して生きることをさせますが、神の教えはもっとずっとシンプルです。

 

そして、それらは、する、しない掟リストを、神が人に与えて、やらせるものでもないのです。

そして、できない人、こける人を、神が攻め立てるような意識を

持たされていますが、本当にズレた思想です。

そんなのはイスラエルの神とは全く違う、誰かの空想の神像です。

全世界を創造された神が、人に神の性質に似せて造られた、

聖別された人=神に属する人、神の婚姻契約に加えられた花嫁は

世界の暗闇の中でも、本当の姿を生きること、それを教えているだけです。

神が伝えることに無駄なこと、不必要なこと、また途中で変化する教え、一時的、刹那的、暫定的な教えは1つもありません。様々な臓器、機能が全部1つで、体が正常に動くのと同じ、全部の要素が神の教えの中に詰まっているのです。

だから、人間が勝手に神の言葉を切り離すのは、臓器切断をしているのと同じことをしているのです。

神が伝える、神の創造された本来の人の生き方が、何か分からなくなる〜それが神の言葉を捨てる代償なのです。そして、神が

伝えることではなく、人が考えついた教えについて行く、それが

宗教の教えの世界、宗教文化の実践なのです。

 

パソコン、又はソフトウエアのマニュアル見ても分かる通り、

あるいくつかの機能しか分からないなら、それだけしかできないということ、経験しているでしょう。

パワーポイント、エクセル、その他諸々それらの機能を知り尽くして使いこなすのと、2、3の機能しか知らない場合には、たいして活用できない、それと同じことです。

 

ある一般の聖書を知らない人が解説する、イスラエルやユダヤ人

などの解説を聞いたら、とんでもない不真実なことを話していました。でも、その中にはキリスト教が語る思想と全く同じことを

語っているものもありました。

イスラエルの神はドSの神、これをキリスト教では「怒りの神」と解説しているものと同じでした。ユダヤ人はドMなので、自分たちだけ特別だから、神の無理難題も引き受ける、これって聖書とは全く違う思想を語っていました。聖書の解説も出鱈目でした。

イスラエルの神を、人の想像で解説するのは、クリスチャンの

世界でもたくさんあります。

ジーザスはこんな方であると解説する、人の空想もたくさんあるでしょう。新しい教えをして、モーセの五書をイエシュアが否定した?それ聖書に記されたメシアではありません!それぞれが考えるメシア像、ローマ化されたユダヤ人イエシュア。

変化した神、変化した神の教え、ジーザスが来て、今までとは

違う教えをしたと、この一般の解説者も言っていましたが、

キリスト教の思想と全く同じことを言っていました。

 

日本でのニュースがどう報道されているのか分かりませんが、

イスラエルは今いつ爆撃が来るのか分からないので、皆シェルター、防空壕なるものに入る準備をしています。

イスラエルでは女性も軍隊に入るので、友人の子、女の子たちも、今北部の任務に駆り出されています。

どうして、これほどにイスラエルが攻撃、攻め立てられるのか、その理由は簡単です。

ユダヤ人を殲滅するのも、神の言葉を破壊するのも、それは、

イスラエルの神が現実におられて、メシアが戻ってくることが

事実だからです。とにかく、破壊したい。

だから、これほどまでに、サタンが人を使って抵抗してくるのです。

世界が理不尽に、意味不明に、これほどまでにこの中東の小いさな国であるイスラエルを責め立てて、そして迫害、攻撃しているのは、全部イスラエルの神、メシアに対するサタンの悪あがきだからです。そして、それに賛同する人々がいるからです。

最後は、世界中がイスラエルの敵に回ると預言されている通りだからです。日本では、個人的には、ほぼユダヤ人に対する偏見、迫害意識はありません。でも、イスラエルに対する報道を聞いて、イスラエル、イコール悪者と考える多くの日本人がいます。アジア人も同じですが、ヨーロッパ、中東、アメリカは、全く違います。

同時に、どうしてこれほどまでに、イスラエルの神の言葉を歪める思想が異邦人の世界に2000年近く浸透してしまったのか?それは、同じ理由、原因なのです。イスラエルの神の現実を隠したい、なしくずしにしたいからです!それを信じるものの口から

偽情報=神の言葉は廃れたなどと、語らせているのです。

 

イスラエルだけが、世界の中で自己防衛を主張できない、考えたらおかしいことです。そして、世界の報道は全く偽情報ばかりを

流しています。テロリスト ハマスとは、ヘブライ語では、

「暴力、バイオレンス」その通りのことをしています。

 

今日はシャバットであり、この8月12日、テイシュベ アヴの前の特別なシャバットなのです。

アブの月の9日には、様々な悲惨な事件が起きています。

 

続く

 

Shabbat Shalom