次の都上りの祭り 神の定めの祭り シャヴオートに向けての7週間 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエスさまの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

中東を通り、無事帰路に着きました。1日ゆっくり過ごし、街中を散策しましたが、イスラエルと同じ気候、ハマスの拠点がある場所で過ごしました。

日本では大きく取り上げられていないと思うのですが、アメリカの大学(複数)での、反ユダヤ運動が今とても激しく、その根拠も意味不明の反ユダヤ運動。そして、ガザとエジプト国境、ラファでのハマスとの戦いなど、世界はイスラエルを中心に攻撃していることがよく分かります。

 

考えてみたら、問題の根は実にクリアーでシンプルです。これは人と人、国と国の戦いではなく、”サタンとイスラエルの神の戦い”なのです。そして、結末はもう決まっています。

サタンの完全なる敗北です。永遠にサタンは消え去る運命なのです。そしてサタンに加担する人々も居なくなる。どちらに転んでも、サタンには終わりが待っているだけなのです。最後の悪あがき。裏に居る力は、闇、悪でも、それは固く立つ事はないと預言されているからです。イスラエルの神が勝利し、全ての悪を排除する日がやがて来る、正義が世界を覆う日がいつか来る、この

希望は廃らないのです。

 

これから、6月11日、火曜日に日没にはシャヴオートの祭りが

やって来ます。シャヴオートの祭りは、ペンテコステとしてクリスチャンにも知られていますが、神の祭りは単独に1つ取り出して祝うものではないのです。全部丸ごとで完全なる神の記念日、

神が人を呼び出して共に祝うように、永遠に代々祝われる”わたしの記念日”と言っているのに、その神の言葉を異邦人はかき消してしまったのです。歴史の中で、人の編み出した宗教の教えで本物と偽物を勝手にすり替えてしまったのです。

 

今まで忙しい毎日でしたが、その合間に、アメリカのクリスチャンのパスター達が、聖書と、現実に信じて実行している事が聖書とは異なる事実に気が付き、目覚め、何を信じているの?と、

聖書に立ちかえる人々が多く起こされている動画を見ました。

 

神の言葉に真実に立ち返れば、人の作った教えは、聖書には書かれていないものであり、神の言葉は永遠に固く立つと神が言われた言葉が真実だからです。

聖書の最初の最初、エデンの園から、神から人への警告は変わっていません。偽情報、偽の教えに騙されるな!

それらは、神の言葉を塗り替え、曲げて良いとする教え全てに対しての警告なのです。シンプルです。アダムとハヴァがどうして蛇に騙されたのか、どうして全人類に死が入り込んだのか?その原因が、聖書には、私たちの為に、はっきりと記されています。

 

蛇が神の言葉を薄め、曲げ、歪め、変えて、その蛇の嘘に人が

惑わされ、神の言葉を疑い、神は本当はそんな意味で言ったのではないのかも〜!とまんまと騙された!その警告を多くの人が

忘れて、人の作った教えに流れてしまったのです。

 

神の言葉を変えて、薄めて作った宗教は人間が作ったものです。神の言葉は純粋に神の言葉であり永遠に廃れず、変わらないものです。そして、イエシュアが地上に来られても、福音はエデンの園から同じ!救いの方法も同じ!何も変わってなどいないのに、新しい教えや、新しい救いの方法が出現したと勘違いしているだけなのです。

 

どの時代の人も神は同じように取り扱い、同じように購いだし、

同じように救い出しました。2000年以降、人々がイエシュアの血、子羊の贖いの血により、新しく生まれ変わり、聖霊を受ける事は、エデンの園の最初から同じなのです!それを聖書がはっきり人に伝えているのに、読み手の側で気が付かない人がいるだけなのです。どの時代のどの人も救いの方法は1つしかない!

イエシュアを通してしかない!福音も1つしかない事実をはっきり聖書から理解していますか?

 

分かりますか?ヨハネ3章でイエシュアがニコデモに質問した意味は何ですか?ニコデモは、トラー(聖書)教えていた聖書学者なのです。

それなのに、トラー=モーセの五書に記された、永遠の中に完結し存在しているイエシュアの贖いの業、子羊の血により新しく生まれ変わるという体験がないまま、知らないまま、聖書を教えていた事をイエシュアが指摘したでしょう。

 

どう言う意味ですか?ある人は、モーセの五書に記されたイエシュアの贖いの血により、新しく生まれ変わり聖霊を受ける事を

どの時代の人も知って受け取っていた事実がはっきり記されている事を、モーセの五書から読み取って理解していない人がいたのです。

今も同じです。救い、聖霊が内側に住まうことは、2000年前イエシュアが昇天した後初めて実現したなどと考えているような

場合には、最初から、永遠から同じ救い、贖いの事実が聖書に記されているのに気が付かないまま、新しい宗教や教えが2000年前に出現したと考えてしまっているのです。

 

神が伝える事実と、人が考える内容は異なる事が多いです。

イスラエルの神は、永遠の中に既に全てを完結している、贖いの業=イエシュアの贖いの血により、どの時代の人も同じ救い、

贖い、聖霊が内側に住まう事をエデンの園からずっと教えていること、それがモーセの五書に記されているのです。

だから、荒野で、イスラエルで移動式神殿=ミシュカンを通してその事実を体験的に人々に教えたのです。ミシュカンを通して神の臨在を肌で、五感で体験したそれらの人達はイスラエルと少数の異邦人だけですが、その人達は、次世代へ、モーセの五書に記された事実=イエシュアの事実を人々へ伝える役割を与えられたのです。

福音は変化しません。神も神の言葉も変化しません!

エデンの園、永遠の中から同じです。

永遠の中、この世の礎が造られる前から、屠られた子羊とあり、そして私達も同様に、この世の礎が造られる以前から、神により

選ばれていた!と書いてあるでしょう。その意味を考えたら、

理解不能、でも永遠の中に私達は神の中に存在し、既に選び出されていた事を神から教えられているのです。それを信仰により

受け取り、生きるという事なのです。

 

偽情報が出回る、それが上から出回る事を、この数年で多くの人がはっきり経験し認識し始めています。

ある人は、全然気が付かないまま、流される情報を鵜呑みにして

嘘を本当だと信じています。

だから、しっかり、聖書に書いてない事は、人が作った教えであり、それは神の教えではなく、聖書ではないと認識すれば良いのです。

アメリカのパスターが、動画を見ていて、どうして西洋宗教が

発生し、どうして、1世紀イエシュアが、弟子たちが、人々が

生きていた神の教え=トラーを捨てたのか、その経緯、詰まり

キリスト教歴史の中で起きた事を今の今まで一度も聞いたこともなかった!初めて聞いた!とコメントしていました。聖書を教えている牧師でさえ知らないのですから、普通の人など知るわけないのです。

アメリカの神学校では、その様な事実を殆ど教えないからです。

救い主が来られて、新しい教えが出現し、新しいグループ、教会というグループが初めて出現したと勘違いしているからです。

 

神の大家族はエデンの園から1つです。継続して、1つの家族に

全ての人達が加え続けられて行く、その継続、連続以外に無いのに、昇天以降異邦人の新しいグループが出て来たとか、又は契約を受け取る民は、異邦人になったとか、新しい契約〜内容がモーセの五書を終わらせた別の教えだと言う教え、置換神学と呼ばれる教えを人が作ったりしたのです。

しかも、空気椅子と同じく、神が書き直した、別の契約書など

この世には存在などしません!新約聖書と呼ばれる箇所に書かれたものは、シナイ山で与えられたものとは別の契約書でも、モーセの五書=最初の聖書の75%とは別の新しい教え、モーセの五書を塗り替えた別の教えなどではないのに、多くのクリスチャンはそう信じているのです。これが嘘だと気がつかないと始まらない。

本当にサタンは巧みに人を騙します。偽の教え、偽の創造、偽科学、様々な嘘を編み出して、人を洗脳し続けて来ましたが、人々は真実に目覚めるように神は呼び出しいるのです。

 

嘘は嘘に過ぎず、永遠に嘘であり、神の言葉を否定する教えは永遠に真実などにはならない!という危険に気が付かないと危ないのです。

サタンは嘘つきです。その嘘に騙されてはならないのです。

 

詳しい事が聖書からよく分からなくても、この一点だけを知っていれば、見えてきます。聖書=神の言葉のどの箇所をも否定する、破棄された、終了、又は人の判断で神の言葉の方を変えて良いとする教えは、すべてサタンから出たものであり、神が断固として禁じている行為である!!!と聖書からはっきりと気が付いたら良いのです。

イエシュアも同じく警告しているのに、その箇所さえも神の教えが廃れたと、とんでもなく勘違いして解釈されているのです。

翻訳聖書だけを読み、そして、ズレた聖書解釈で施される解説だけを聞いて、神の言葉が変化したと教えられ続けていること!

これこそ、神が警告している事であり、私達を危険に晒せ、

サタンに加担するプランに知らない間にのせられてしまうことを

させられているのです。

 

マタイ5:17 わたしがトラーや預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。

廃するためではなく、成就するためにきたのである。

5:18 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、トラーの一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。

5:19 それだから、これら=モーセの五書の最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。

 

私達イスラエルの神の子らは、人が考え出した空想のイエシュア像、聖書にないイエシュア像、神の言葉を破棄し、終わらせた!

という教えの偽イエシュアではなく、イエシュアは父の言葉=

トラーを教えて生きて、人々に神の言葉通りを生きることを正しく教えにきた!それが本物の救い主であり、イエシュアであるのです。

空想のイエシュア〜人が考える救い主とは〜とは違う、聖書にある本物のイエシュアを知らないとならないのです。

 

イエシュアを愛する人がどうして、イエシュアの教えや言葉を

捨て去るように他者に教え続けているのでしょう?

不思議でしょう?神は、神の言葉は、イエシュアは永遠に変わらない!と神が言っているのに。

神の言葉の真理に基づき考える人は、必ず聖霊が書いた言葉を

聖霊よりそれらが永遠の真実である事を気がつかせてもらえます。聖霊を否定する罪の意味を考えたらよいのです。

聖霊=言葉=イエシュア=神!全部同一と書かれているからです。

どうして、聖霊=神の言葉を否定する、終了、破棄する事が神の正義などというまやかしを本気で信じているのか?!という単純、シンプル、クリアーな事実を聖書の中から発見すればよいのです。

今回、中継地点に住む家族と滞在している間に、カトリック教会に行ってみたら、偶像満載、祈りの中にマリアを讃える祈りがあり、思わず口をつぐんでしまいました。

皆純粋な兄弟姉妹なのに、どうして偶像であるもの、人間を称えまつる事が神の前に真実だと騙されているのか?それは伝統で

教えられた人が編み出した教えを真実だ、神に選ばれた人が言うから真実だと、まやかしを信じるから、そう信じ込むだけなのです。

一旦、嘘に目覚めたら、聖書にだけ戻り、神の言葉を否定する教えも同様、イスラエルの神=聖霊から出たものであるわけないと

気がつけるのです。

この世は最初から、情報戦争です。嘘に騙されて、人はまやかしを生きさせられてしまうことがはっきり書かれています。

 

シャブオートに向けて、今は初穂=イエシュアの命に連なった人が新しい人として成長する日日、7週間を考えて、次の祭りの準備をして生きる日々なのです。

シャブオートは聖霊降臨祭などと言う名前の祭りではなく、モーセの五書=婚姻契約に生きる事、神のものとなった人達へ与えられた本物の生き方を永遠の証拠として、文字として与えられた事を祝う祭りです。

聖霊=言葉である証拠は、モーセに与えられた石の板、神の言葉が刻まれた板は、聖霊が宿り、契約の箱の中には言葉=聖霊が宿り、それを人が手で触れたら死ぬほど、神の臨在が宿っていた事を最初から教えられているのです。

だから神の言葉を捨て去る様に教える教えが、イスラエルの神ではなく、サタン、敵の策略であることは聖書を知る人ならはっきり理解し、認識しなくてはならない事実なのです。

 

続く