ヘブライ語で”ブリット”契約と訳されていますが、日本語では
意味が正しく反映されている言葉ではありません。
このヘブライ語の言葉自体で、”屠られた子羊の血の贖い”が記されているのが見えます。
ברית ブリット。この語源となる言葉、ブラットברות 〜特選肉
選んだ肉と言う意味の言葉なのです。
בריה=ブリア〜太ったと言う意味です。
屠殺される家畜には特別な穀物が与えられ肥育するため、
肥育した家畜の肉が最適なものとなるのです。
では、肥育した厳選肉と「契約」という言葉はどのように関係するのでしょうか? 聖句に見られるような「契約を結ぶ」というフレーズはヘブライ語聖書に 80 回出てきますが、どの場面でもヘブライ語の כרת ברית (karat b'riyt) カラット ブリットと
言う言葉が使われており、文字通り「切る」という意味です。
契約を切る。
聖書に記された、古代の契約の結び方は、古代中近東で実際に
行われていたものです。イスラエルの神は当時の周りの文化や
国の中にあった条約や契約をそっくりそのまま使って、人に
神の教えを解説しています。そして聖書は古代中近東で実在して使われていた契約形式そのままを利用して聖書を記しているのです。
”ブリット”契約は、契約参加者両当事者によって制定され、群れまたは群れの中で最も優れた肥育動物を取り、それを二つに
「切断」すると言う儀式を伴うものでした。
次に、契約の両当事者は、契約への献身を象徴する二つに切断した動物の部分を両脇に並べて起き、その切り裂かれた動物の間を歩いて通過して、この行為によって、「もし私がこの契約の合意を守らないなら、私たちがこの動物にしたのと同じことをあなたも私にしてください。」と表明、宣言していることになります。 契約を「結ぶ」この方法論は、エレミヤ 34:18-20 に明確に記録されています。
エレミヤ 34:17 それゆえに、主はこう仰せられる、あなたがたがわたしに聞き従わず、おのおのその兄弟とその隣に釈放のことを告げ示さなかったので、見よ、わたしはあなたがたのために
釈放を告げ示して、あなたがたをつるぎと、疫病と、ききんとに渡すと主は言われる。わたしはあなたがたを地のもろもろの国に忌みきらわれるものとする。
34:18 わたしの契約を破り、わたしの前に立てた契約の定めに従わない人々を、わたしは彼らが二つに裂いて、その二つの間を通った子牛のようにする。――
34:19 すなわち二つに分けた子牛の間を通ったユダのつかさたち、エルサレムのつかさたちと宦官と祭司と、この地のすべての民を、
34:20 わたしはその敵の手と、その命を求める者の手に渡す。
その死体は空の鳥と野の獣の食物となる。
この上の箇所、契約=ブリットの性質を解説する時に再度説明を
加えます。今はその箇所だけ引用します。神との関係=契約の中にある生き方に伴う、神とそして人間の側の責任、呪いと祝福と言う意味が何かの説明が必要だからです。
聖書は神と神が創造された人の関係、人が神の中で神の性質を
生きる事が教えられています。
神との関係の中に在ると言う、その根拠、証拠は神の提示した
婚姻契約に基づく!!!と言う永遠の事実があるのです。
神と人との関係は人がどう考え、どう言おうと、神が伝える事実を無視しようと関係ない。神は神が提示した婚姻契約を人が生きると言う前提、土台で、神の家に招き入れているのです。
朽ちる体,隔ての壁が罪により神との間に出来た人が,今この地上で神にアプローチ出来る事実を伝えているのです!!!
これはミシュカンで教えられている事が理解出来ればクリアーに
見える事実の数々=神が人の中に住まう事実が教えられているのです。
上のエレミヤの記述は当時のイスラエルに対して書かれたものですが、イスラエルと言う大きな1つの大家族の中に異邦人が加えられていると言う事実が聖書には書いてあり、教会と言う造語で表される別のグループと言う別の家族は、神の家の中には存在していない!!!と言う永遠の事実を聖書から把握すれば、エデンからエデンへ戻るその間同じ1つの家族の生き方しか聖書には記されていない事実を発見出来ます。
あなたの家も1つの家族でしょう。家の中に両親、おじいちゃん、おばあちゃん、又はおじさん、いとこが一緒に住んでいても、又はアメリカなどでは、養子縁組した子供が何人も居たりするのは普通でそれでも全員が分け隔てなく同じ1つの大家族!!!!
このコンセプトは現代日本人、特に都会に住む人にはピンと来ませんね。余りにも核家族化していて、しかも家族分裂して、それぞれ生活時間が違い、誰が何しているのかも不明、どこに行っていつ帰ってくるのかも不明。お父さんはお仕事で忙しすぎて、子供が寝ている時間に帰り、起きる前に出勤し、週末はゴルフや出張で、子供の成長を全然知らないと言う多くの人もいるからです。
でも神のデザインした家族は1つであり、古代は1つの敷地に
親も子も住む。だからイエシュアが天の父の家に行って場所を用意すると話している意味は、婚姻契約用語で語っているのです。
当時のユダヤ人達=弟子達はイエシュアが何を言っているのか、クリアーに理解してイエシュアの言葉を聞いていたのです。
私達現代人=異邦人は、字面を読むだけで、何を意味しているのか教えられなければ、その中身の真相は空想の世界になるのです。当時のユダヤ人達が理解していた通りに理解する、これに
戻る事が重要なのです。
日本の古典や海外の古典を読む事も同じでしょう?
どうして聖書だけ、古代のものを現代異邦人思想でそれぞれが
空想=人が編み出した思想で読んで分かると思う方が無理なのです。
同じ家の中に、場所を用意する。このブリット=婚姻契約の生き方、神の教えを破棄、破壊する行為が何であるのか本当の意味を知って考えたら見えます。
神との健全な関係、神が提示する神との関わり合いからからズレる!!!隔たりが出来る!と言う事です。
そして、神の契約には、どれも中身の変更がありません。
これをクリスチャンは大々的に誤解しているのです。
変化したと信じているでしょう?神の教えが!!!
それ聖書ではなくて人の思想だと今聖書の事実から気が付かない
とならない重大問題なのです。
聖書に記されている神が人と結んだ契約は何ですか?
ノアの契約印〜虹。ノアは異邦人でした。ユダヤ人が言う様に
異邦人だけに向けた教え=ノアの法則などありません。
人類全員に対する契約です。
二度とこの地上は洪水で破壊されないと言う約束。
契約には契約を結ぶ両者が存在しています。そして神の契約の中身は永遠に変更されないと言う事実を知らないと聖書の事実の
理解がズレます。
異邦人の世界は契約が破棄されたとか、終了したとか、神の人相が怒りから恵みに変身したとか、人種、時代により違うなどと、聖書の事実からズレた事を言い続けていますが、聖書=神の言葉を誤解して捉えているのです。
そして、アヴラハムとの契約〜これが信仰義認を教えられている
根拠なのです。アヴラハムは全世界の民族の父となると神が言われました。その意味を考えないとなりません。イスラエルと異邦人を分ける思想は聖書ではありません。肉のイスラエル=アヴラハムも異邦人でしたが、神はアヴラハム1人を呼び出して、
そしてイスラエルと言う民族〜代表者=契約を受け取り世界の
民族の兄弟姉妹に同じ神の教え=トラー=福音=イエシュア=
信仰義認〜そして神の契約の命に生きる事に戻る事を正しく教えるために、イスラエルを選び出しただけです。
神が一方的に提示した義〜永遠の中に屠られて完了している子羊の血の代価の贖いを信仰により受け取るだけ!
印は割礼です!割礼は聖別を表している、古い自分=イエシュアと共に死んだ人と、新しくされた人には境界線が敷かれている
そして、この割礼は、男子が子孫を継ぐ臓器に付けられる
印であり、8日目に付けられますよね。
自分が知らない間に、親の信仰=神の言葉通りの信仰義認の
約束を臓器に付けられる、これは意味があります。
人間の努力で得る性質ではない=義、聖霊、そして、これは
どんな事があろうと、子孫に受け継がれ与えられ続ける同じ
約束を表しているものです。男性にあり女性にはない、でも同じ
割礼と言う意味を女性に対しても教えられているでしょう。
神の教えの全ては、誰かが代表で他の人全員に意味がある事を
神は伝えているのです。
そしてモーセの契約です。印=シャバットです。
この契約の特徴があります。
義とされた人〜花嫁となった、イスラエルの神の大家族に加えられた人に与えられた!!!!イエシュアを信じる前に与えられたのではない。信仰義人があって、その事実の上に与えられている
ブリットなのです。
この違いが異邦人の世界では見えてない、教えられていないのです。信仰義認と、義=新しくされた人、新生体験をした人は
その後どう生きるか?と言うこの2つのブリットの意味の違いを全く混同している、その違いを理解していないのです。神の家の一員にされた人は、神の家の中に生きる上での責任が伴うと知っていますか?
そして同じモーセの契約が再更新されました!
過越の祭りの晩餐の儀式でされた、イエシュアの儀式、
種無しパンと三杯目のワインで表されている、再更新された
モーセの契約=婚姻契約!!!
多くのクリスチャンはこの意味を正確に把握し理解していないと思います。過越の祭りを祝わない、それが何か知らない、そしてイエシュアがされた過越の祭りの晩餐の一連の儀式を意味を知らないからです。モーセの五書とは違う別物の契約〜新しい契約
とイエシュアは言ってなどいません。そんなものは存在しないからです。
イエシュアは、エレミヤ31章にある、同じモーセの契約〜
頭脳に割礼がされた人が参加する、再更新されたモーセの契約の
事を指しているのです。マタイ26:26-28 ルカ22:17-20
1コリント11:23-26
イスラエルだけの教え!などと言う考えをしている場合に、
聖書=神の教えている真実の意図はぼやけて見えません。
古代中近東の条約と同じ形態がどの様に申命記と同じであるのか、その中身のアウトラインを書いてみます。
これは宗主国条約と言い、帝国の王の下に入る他の国の人々=
属国になる人々に対して結ばれた条約です。
1 前置き 序文申命記1:1-4
この箇所は、その帝国の王に付いて何も下知識のない属国の臣下
人々であれば、この箇所は長く書かれます。
申命記は、イスラエルは既にイスラエルの神を知っているので
短くなっているのです。
2 歴史的背景の解説 申命記 1:5ー3章
3 契約の中に入り生きる責任 4:1-26:19
この申命記の箇所をクリスチャンの世界では”厳しい律法”
廃れた、するしない掟リストが書いてあるなどと多大に誤解して解説している箇所なのです。
神に贖われた人は好き勝手に生きて良い、又は神の言葉ではなく今の時代は自分の確信する事を生きるなどと教えられていますが、それは神の教えとは真逆の人が勝手に思い付いて言い出した思想であり、神の言葉ではないのです。
4 呪いと祝福 申命記 27:1-30:20
祝福〜神の言葉を生きて契約の命の姿を生きる地の塩、世の光と
して生きる場合に、神の与える祝福を丸ごと喜び、楽しめます。
雨が降り、作物が実り、敵が侵入せず、平和が保たれ安全に住まう事ができます。
呪い=この言葉は、翻訳では意味が反映されない言葉です。
私達が呪いと言う場合、ひどい言葉を相手に言ったり、悪霊に
呪いを祈りその人に悪い事が起きるなどと考えますが、その呪いとは違います。民数記24にあるビラムの呪いは、悪霊の呪いですから、その様な意味がありますが、呪いと祝福申命記に書かれている言葉とは違う意味です。
呪い〜契約の中に存在している上での問題、困難が起きます!
そう言う事です。イスラエルは長い年月その様な目にあって来ました。それは契約の命を生きる事を怠り忘れると言うその結末でもあるのです。
でも神はイスラエルを見放さない、最後には修復があるのです。
5 証人 申命記30章 契約が結ばれる時、契約に参加する両者が
存在し、そしてそれを目撃する証人が存在します。
聖書に天と地を証人にとあります。この意味は天〜神と御使
地の証人〜これは、地上にいる民族と言う事が言えると思います。これは又解説します。
6 契約の継続 31章 契約は永遠に継続されると神が約束されました。
7 契約の再更新 31 契約は、節目で更新され続ける性質なのです。この申命記も、約束の地に入る前に、再更新されたものなのです。その契約の中身は全く同じです。
続く
粘土タブレットに記された古代の条約