神の言葉に人間が手を加える行為は 設計図 DNAを破壊する事 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

20世紀、1900年以降、アメリカで爆発的に浸透した、

聖書とは異なる思想で聖書解説をした、デイスペンセーション

神学が記された聖書。正しい聖書教育を受けていないレーマンで

元弁護士であった人が書いた聖書と言う名の実は人の思想が書かれた註解書。

人間の思想を聖書のページに聖書と同等の内容であるとし、同等の量で綴ってしまった、聖書と言うタイトルを付けた実は人間思想を人にデイスペンセーション思想を浸透させる目的で作った

註解書、スコッフィールド リファレンス聖書の問題点に付いて書いています。

クリスチャンのサークル、巷で一般的に聞く聖書解釈や教えは、実は聖書=神の言葉が語る真実ではない、人の思想を通して語っているものです。その解説の内容の全部が全部聖書とはずれているのではありませんが、聖書の土台、柱となる重大な聖書に記された事実が、曲げられているのです

聖書の柱、土台を壊す事とは何だと思いますか?

聖書のテーマ、福音の中心、人の生きる全てが書かれている神の教えの完全版が記されている箇所はモーセの五書であり、聖書の全ての箇所はモーセの五書を指して、モーセの五書に記された内容を解説しているのに、その大元である神の永遠普遍の言葉を人間が手を付け、破壊して、その大元の神の教えを今の時代は破棄無効、終了、メシアが生きたからもう生きる必要はない、それぞれが確信を持つ事が今は大事で、それが神の言葉と違っても良いなどと教え続けて100年以上経っているのです。反モーセの五書思想は1900年に始まったものではなく1世紀後半から、

異邦人教師達が反モーセの五書、反ユダヤ思想をもち、様々に聖書に反する教え、解説をして来たのです。だから、神の教えを捨てよ!神の記念日、レビ記23章を異邦人は捨てて、聖書にない

西洋宗教が決めて作った記念日を生きる事に切り替えたのです。その事実を多くのクリスチャンは今も知らないのです。

神が神の教えを変えたと、聖書にない教え=人間の教えを聖書だと信じているからなのです。

 

人が神に成り変わり人間が神の言葉に対して勝手に終了と言っている、判定仕分けしている。こんな風に神の言葉に対して普通に当然の如く教師に教えられているのではないでしょうか?

 

それって聖書ではなく人間の思想であると、全く気が付かないまま、2000年前に古い教えが破棄されて、新しい教え、罪の赦しが初めて全ての人間に与えられて、聖霊が初めて人の内側に住まう事が始まった、新しい聖霊時代が来たと本気で聖書とは異なる人の思想を信じているからでしょう?

福音書〜黙示録には、モーセの五書の短い抜粋が書かれていると

気が付いていないのと思います。福音書以降は聖書の最初の

75%の教えを否定した新しい聖霊時代恵みの時代の違う教えが書かれていると完全に誤解しているでしょう。神の教えイコールモーセの五書!と言う理解が全くないからなのです。1世紀のヘブライ人なら普通に理解している事を現代の人は理解してないのです。

聖書に”聖書はと書かれていたらそれは100%モーセの五書

モーセの五書を解説する預言書、諸書のみを語っていると気が付いて福音書以降を読んでみてください。クリスチャンが想像して

信じている、福音書以降は別の教え、今まで聞いたことないのない新しい教えや別の種類の違う救いや許しなど聖書にはどこにも書いてません。

イエシュアが来られたら、ガソリンの種類が変わった、レギュラーから、値段の高いハイオクそんな風に考えていませんか?

聖霊をガソリンみたいに考えるから、もっと満たされてもっと

聖霊を受けないと〜とやらされたり、考えているでしょう。

上からもっと降ってきて〜と乞い願う。

そうではなくて、神は信じる人の中に住まわれているのです。

自分自身の頭脳思索が神に完全に支配され、神と一致しているかそれが聖霊に満たされていると言うこと。神の意識とズレる=神の言葉からズレるから意識、理解が離れてしまうのです。周波数と同じです。電波=神の言葉から外れているから、ぼやける。

神=言葉=イエシュアと父は1つ。言葉=周波数にぴったり合わせて!父の考え=神の言葉=聖霊とピッタリ一致していた、考えも行動も全て。だから神の言葉からズレる〜聖霊と一致しない。

聖霊=言葉=神=命の源=電源だからです。

 

サタンは巧みです。秘訣を知っている。神との最も親しい関係

安全に守られる方法、エデン=喜びが溢れ出る方法、それは神の言葉の中に搭載されているからそれを知っているからエデンの

最初から神の言葉を攻撃したでしょう。人に神の言葉を疑わせて、否定させた。全く同じ事をさせられているのです。

サタンはイエシュアに対しても神の言葉と思わせて違う事を

言って試みたいでしょう。でもイエシュアは何をしましたか?

申命記に記された父の教えから、サタンを撃墜したではないですか?は神の子らである人々がどうして、イエシュアがされた教えモーセの五書を捨てよ!などと教えているのでしょう?

 

神は最初から人に内側に住まわれている事がモーセの五書に記され、福音がその中に記されています。その中身を原典から正しく学び、知ると言う教育がごっそり抜けているので、ヘブライ語の中に記された神の永遠普遍の言葉に気が付けないだけなのです。

翻訳読んでも分かるでしょう?どうしてアダムとハワ、彼らの子供、アベルとカイン、ノアやアヴラハム諸々の人は神と親しく直接語り、神と直接会い、色々教えられている事が書いてあるのに、気が付かないのでしょうか?彼らの方がよっぽどイエシュア=子羊の血の贖いを神の言葉から、コルバンを実際に捧げて体験して神の記念日で祭りで福音を私達などより深く深く理解していたのです。

1世紀に生きた、イエシュア、使徒、パウロや異邦人信者ユダヤ人達とは全く異なる、西洋宗教の教えから聖書を考え、教えられ、実践していると聖書から気がつかないとならないのです。

 

聖書には何何宗教の教えなど1つも書かれていません!宗教とは

イズム〜神の言葉に人の思想を入れて混ぜて人間が作ったものです。聖書には純粋な神の言葉、教えが書かれています。

それを人が取り出して別物に変形させているのです。

 

イエシュアは宗教を教えたのではなく、何を教えたと書かれていますか?父の教え、言葉=モーセの五書=婚姻契約=トラーに

記された神の似姿に創造された人間の本来の生き方を生きて実践して教えた事が福音書に書いてあるでしょう。

父の言われた事、父の権威以外何も語らない!とイエシュアが

言われたのに、そのイエシュアを信じる人が、父の言葉を塗りかて、イエシュアが言われた事と真逆の挑戦をしているのです。

イエシュアを愛する人は父の言葉=神に仰せを愛してその仰せを生きる!と言っているのに、その意味が全く通じてないのです。

神の言葉を捨て、終了!と言う人間の声に聞き入っているから

神の警告は、聖書の最初の75%に全部書かれているから、それを捨てる人には全部頭上を通り過ぎる他人事の教えにしか響かない。自分に直接神が語っている教え、警告だとも気が付かない。

 

ヘブル1:1 神は、むかしは、預言者たちにより、いろいろな時に、いろいろな方法で、先祖たちに語られたが、

1:2 この終りの時には、御子によって、わたしたちに語られたのである。神は御子を万物の相続者と定め、また、御子によって、もろもろの世界を造られた。

 

神はどの時代にも同じ神の教え=トラーを神は直接神の口から

口頭で人々に伝えて来ました。それが預言者であり、太古は預言者を通して語られた同じメシア、福音が終わりの時代に実際に肉体を取ってイエシュアが地上に来られたと書いてある通りです。

その人々、預言者が文字として記される前に神の教えを口頭で

人々に伝えたのです。ノアの洪水の後も、世界の四隅み口頭で

福音が伝えられたのです。世界の古代の文献、言い伝えの中に

ノアの洪水、その他語られています。中国の漢字にもトラー=

モーセの五書が表されて搭載されています。神は様々な方法を

通して、人に最初から福音を伝えているからです。

 

太古の人はまだ見ぬイエシュア=メシアを様々な方法で教えられた。何が考えられますか?神の臨在が住む神のミシュカン〜神の家、移動式神殿、神殿。目に見えない天の神の家、そっくりそのまま反映する地上の影=レプリカである神殿。その中でイエシュアの贖い、救いの業の全て、神との親しい会見、祝い、人の生き方、修復の仕方全部教えられていたのです。

動物のコルバンを通して、イエシュアの贖い、救いを実際体験を

通して教えられていたのです。信仰義認はエデンの園から同じ。

そして、イスラエルと言う国が世界の真ん中にある理由があるのです。イスラエルはアフリカ、アジア、ヨーロッパと繋がり商人がここを通って商売をしたのです。人々がイスラエルの生き方を見て、神を求める、考え始める、その目的があると書いてあります。

申命記 4:6 あなたがたは、これを守って行わなければならない。これは、もろもろの民にあなたがたの知恵、また知識を示す事である。彼らは、このもろもろの定めを聞いて、『この大いなる国民は、まことに知恵あり、知識ある民である』と言うであろう。

4:7 われわれの神、主は、われわれが呼び求める時、つねにわれわれに近くおられる。いずれの大いなる国民に、このように近くおる神があるであろうか。

4:8 また、いずれの大いなる国民に、きょう、わたしがあなたがたの前に立てるこのすべてのトラーのような正しい定めと、おきてとがあるであろうか。

4:9 ただあなたはみずから慎み、またあなた自身をよく守りなさい。そして目に見たことを忘れず、生きながらえている間、それらの事をあなたの心から離してはならない。またそれらのことを、あなたの子孫に知らせなければならない。

 

それがモーセの五書に記されています。神が生きながらている間神の言葉から外れて生きてはならない!と言っているのに、人間は神の言葉と真逆の事を語っているのです。

 

神の言葉、その意味を本当に理解する人達どの時代も、

イエシュア”世の罪を取り除く神の子羊と言った大祭司ヨハナンが理解している通り、同じ救い、贖い、許し、義とされる事精霊を内側に受けていた事、アヴラハムの様に過去から未来にイエシュアの事実を永遠の中から見て信仰により受け取り聖霊により導かれて人生の旅路を歩んだ人々の事が聖書には記されているのです。

1世紀のヘブライ人が神の言葉を理解していた通りに聖書を読み

理解しないとならないのです。現代の遠く時間が離れた、しかもトラーを知らない異教神の文化に代々生きている異邦人なら尚更神の言葉が、人の思想で別物に変形されていても気が付かないままになるのです。

 

2000年前に突然神が現れ、又は神が人相を、性格を変え、

怒りの神が恵みの神に変身、別の方法の神の贖い、救いの業を始めたと異教徒思想で歴史線上に聖書を考えるから、見えなくなるのです。そんな事聖書に書いてないのです。

永遠から同じ!エデンの園から同じ!同じ神の言葉、同じ福音

同じ救い=イエシュア、同じ1つのイスラエルの神の大家族。

この聖書を歪める思想の土台を軌道修正するだけで、福音書以降に解説されている神の言葉が変化したと解説されてしまっている箇所を突き止めて、それが神の言葉が変化した教えなど書かれていない〜翻訳不具合=人の解説が聖書を曲げている箇所だ!と突き止めて元の言語に戻り正しくパウロやルカや聖書記者達が書いている意味を把握する事が出来る様になります。

 

このダービー思想や、スコッフィールド聖書は、多くのクリスチャンの間でも、非聖書的人間思想の註解であると認識されています。この聖書を否定する神学は最初から不具合だらけなので、

ずっと手直しされています。その思想が不完全である証拠は、

聖書とはズレているから手直ししなくてはならず、聖書とは異なる事が明らかなものなです。神の言葉は完全であるので、手直し

修正、破棄、終了、変更しなくて良いのです。神の言葉が悪いのではなく、肉のズレた人達、新しく生まれて神の教えを生きない

人間がずれている!と言う真実に切り替えて下さい。

巷で語られるのは、”神の言葉が悪い!=古い、厳しい、人が

生きられない縛りの律法と言い続けてるでしょう!いい加減その嘘!父に対する侮辱を、イエシュアは愛する人達は気が付た人からやめましょう!35%以上の人が真実に気がつき、それが増えていけば、全体に影響を与え、意識変化が始まるのです。

神の言葉=完全で永遠で私達を守るものに対して、なんと言う

酷い教えを人が言い続けているのか。やめないとならない。

どうして、神の言葉に敵対心を持つのか?それは人の思想が

呪いの廃れた古い律法などと神の言葉に神が伝える真逆の思想の

レッテルを貼って、ダービー思想を通して聖書を曲げて考え続けているから。人の思想が邪魔なのです!神の言葉の真実を覆い隠しているのです。

これが10の言葉の冒頭にある、”わたしの顔を別の顔で覆い隠してはならない!あなたのために!”と言う重大警告なのです!

 

 

 

続く