エゼキエル 神が伝える神のシャバット 第7日目の永遠の重み 重要性 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

エゼキエル20:12 わたしはまた彼らに安息日与えて、わたしと彼らとの間のしるしとした。これは主なるわたしが彼らを聖別したことを、彼らに知らせるためである。

 

20:16これは彼らがその心に偶像を慕って、わがおきてを捨て、安息日を汚したからである。

<わがおきて=モーセの五書=婚姻契約=神の教え。これ捨ててませんか?人ごとに聞こえますよね。だってイスラエルだけ、

古代の人だけ神の教えを生きれば良いなんて言う、人が作った教えが神の教えなんて言う嘘を本当と信じているから。>

 

20:20 わが安息日を聖別せよ。これはわたしとあなたがたとの間のしるしとなって、主なるわたしがあなたがたの神であることを、あなたがたに知らせるためである。

 

20:24これは彼らがわがおきてを行わず、わが定めを捨て、わが安息日を汚し、彼らの目にその先祖の偶像を慕ったからである。

<わがおきて、わがさだめ=モーセの五書。はじめの愛を捨てた!

黙示録 2:4 しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛=婚姻契約=モーセの五書から離れてしまった。

2:5 そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起し、悔い改めて初めのわざを行いなさい。もし、そうしないで悔い改めなければ、わたしはあなたのところにきて、あなたの燭台をその場所から取りのけよう。

 

どこから落ちたのか?はじめの愛=モーセの五書に敵対する教えを言い出した西洋人達の教えを1世紀後半から聞いたから、

それを正してはじめのわざ=荒野で熱心に求めた神の教え=モーセの五書=トラー=婚姻契約の生き方に戻れ!>

黙示録22:18 この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。 22:19 また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる。

<神の言葉に付け足し、差し引きする事の警告が耳に響かない

頭脳に届かない危険に気が付いて!クリスチャン達が罪に大きく

扉を開いているからです。>

 

神の言葉に賞味期限、有効期限などありません!それは人が作った教えであり、神の教えに真っ向から敵対するその教えの出所元はエデンの園のあの、神に反逆するものの仕業なのです。

蛇は巧みです。クリスチャン達を利用して、神の言葉、教えに

反する教えを語らせていると言うひどい仕打ちに気が付かないと

ならないのです。

 

エゼキエル22:8あなたはわたしの聖なるものを卑しめ、わたしの安息日を汚した。

22:26その祭司たちはわがトラー=教えを犯し、聖なる物を汚した。彼らは聖なる物と汚れた物とを区別せず、清くない物と清い物との違いを教えず、わが安息日を無視し、こうしてわたしは彼らの間に汚されている。

 

異邦人教師は、きよいもの、汚れたものの区別=境界線を今は無いものして教えています。人の健康と聖別を汚す行為であるのに

丸で気が付かないのは、神の知恵を捨てているからです。

 

 ここにある、聖なるものと汚れたもの〜この代表はレビ記11章のきよい動物ときよくない動物=汚れた動物の区別をせず、

教えない祭司=教師たち、神の聖日=レビ記23章の聖別された

日の意味を教えない教師たち、そしてレビ記18章にある神が

デザインした婚姻の聖別を教えず、罪を祝福する教師、LGBTQに率先して賛同し、他者を誤り=罪にいざなう危険を冒しているのです。主の名を使って、人を悪へ導く事を神は厳しく禁じられています。刈り取る結末を何も考えていない。そして、それらの人は神のシャバットを無視し、そのことで神は彼らから汚されているとあります。 

 

Ⅱテモテ4:1~5

みことば=神の教え=トラーを宣べ伝えなさい。時が良くても

悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。というのは、人々が健全な

教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。しかし、あなたは、どのようなばあいにも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。 」

 

<実際に起きました。2世紀以降、異邦人に取って、異教徒的な

習わしにそった、教えや記念日、そして神の言葉の大部分今は

生きる必要がなくなりました〜、又はそれぞれが確信を持つ事を生きれば良いと言う嘘の教えが浸透し続けました。>

 

Ⅰコリント1:18

十字架のことば=イエシュアの教え=父の言葉=トラー=モーセの五書は、滅びに至る人々には、愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。

 

神の言葉は、肉にはアピールのしないものなのです。人は手っ

取り早い、奇跡、ご利益、不思議、現象、印、人間預言を求めて

それらの現象に心惹かれるものです。神は神の教えに根付いて

落ち着いて安全に、地道に普通の生活を実り豊かに生きる事を

教えているのに、世間は逆を追い求め、不思議現象=神から出たものでは無い霊に惹かれて行くものなのです。

 

 

神の教えは今は無効とする人間の教えに聞き入る場合には、

神の言葉は他人事、重大な神の教えは全て頭上を通り過ぎ自分の中に届かず、神のデザインに反した生き方をしてていても まるで気がつけないまま行きます。

 

エゼキエル23:38さらに彼らは、わたしに対してこのようにした。すなわち、彼らは同じ日にわたしの聖所を汚し、わたしの安息日を犯した。未来預言下矢印未来は全ての人で神の記念日を祝う様になると

  預言されているのです。それがエレミヤ31章頭脳に割礼がされた人に実践される、生きる、再更新された同じ契約=モーセ=婚姻契約が実現される日が来るのです。

 

44:24争いのある時は、さばきのために立ち、わがおきてにしたがってさばき、また、わたしのもろもろの祭の時は、彼らはわが律法と定めを守り、わが安息日を、聖別しなければならない。

 

46:3国の民は安息日と、ついたち=新月とに、その門の入口で主の前に礼拝をせよ。

 

 

ゼカリヤ14:16 エルサレムに攻めて来たもろもろの国びとの残った者は、皆年々上って来て、王なる万軍の主を拝み、仮庵の祭を守るようになる。

14:17 地の諸族のうち、王なる万軍の主を拝むために、エルサレムに上らない者の上には、雨が降らない。

 

14:18 エジプトの人々が、もし上ってこない時には、主が仮庵の祭を守るために、上ってこないすべての国びとを撃たれるその災が、彼らの上に臨む。

 

14:19 これが、エジプトびとの受ける罰、およびすべて仮庵の祭を守るために上ってこない国びとの受ける罰である。

 

14:20 その日には、馬の鈴の上に「主に聖なる者」と、しるすのである。また主の宮のなべは、祭壇の前の鉢のように、

聖なる万軍の主に対して聖なる物となり、すべて犠牲をささげる者は来てこれを取り、その中で犠牲の肉を煮ることができる。

その日には、万軍の主の宮に、もはや商人はいない。

<神の宮には、偽物の教え、宗教の教え、人の思想=神の言葉が廃れた、変化したという偽物の教えをを売りつける人はいなくなる。>