罪に扉を開いてはならない 戸口に近寄る罪を治めよと神が言われた | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエスさまの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

神は様々な事を通して、神の民に聖別を教えています。特に食べる事、生きること、そして神の記念日を通して、聖なる民、祭司の国の人々の生き方を教えている事を聖書から読み取っていますか?レビ記は、神の子らの生き方が書いてあります。

 

1章〜22章は、場所に関しての聖別。

詰まり人の生き方です。神の宮である場所=人の生き方。

そして、23章以降は、神の時=神の記念日に付いての聖別。

神の記念日も、神が聖別した日であり、人間が決めるものでは

ありません。

神の記念日は今は、どの日でも良い、ローマ教が考えた日が

神の聖日だとクリスチャンは考えていて、十戒を唱えながら、

第4番目の神の教え、言葉、記念日=シャバット=第7日目の

聖会を却下していても、その行為が神に対して何を意味しているのか、全く気が付いていないと思います。

 

なぜ?神の言葉や記念日を人間の判断で変えて良いなどと言う、ダービー思想を信じて神の言葉の方を捨てているからです。神の

言葉を却下したら、判断基準が無くなるから。判断=それぞれ自分の確信に立って決めれば良いなどと言うその教えはパウロが

言った意味とはことごとく違います。罪であると白黒つかない物の中で、又神が指定している教え以外の事の中では、自由にその人の判断で考えれば良いのです。ローマ14章は、どの日も〜と言うのは、普通の日、レビ記23章に記された神の聖別した記念日以外の普通の日の事。ある人はある特定の日が大事と考える。それは神の記念日以外のそれぞれが考える日。ダイエットすると決めてる日。朝早く起きて運動しようと決める日。今日は2食しか食べない日、野菜だけ食べる日、休肝日、誕生日、又は親の命日や、結婚記念日、子供の月誕生日、その他諸々、そう言う日の事をパウロが話しているのに、神の記念日〜シャバットが変更!などと、パウロが一ミリも意図していない解説をクリスチャンの世界では語り続けてしまっているのです。そう言う嘘、誤解を

1つ1つ聖書の記述を正しく理解する事から、解いていかなくてはならないのです。

思い出して下さい。聖書記者達、ヘブライ人は誰一人ダービーの

様な、神の言葉が廃れた!などと微塵にも考えてもいない、信じない、実行していない人であること。パウロの使徒21章での、ナジル人の請願の意味を理解して下さい。パウロは世間に向けて、100%”わたしパウロは忠実にトラー=モーセの五書を教え、生きています。割礼を禁じたり、神の聖日を破ったりなどしません!私パウロは、ヘブライのヘブライ、パリサイの中のパリサイの子”と言った意味をはっきりとらえて、パウロ自身が宣言した言葉を本人ではない、他者が勝手に否定しないで下さい

そして、パウロが書簡に書いた内容をことごとく誤解、曲解して

読み続けていると言う事に気が付いて下さい。プラス神の言葉は廃れた、無用と言うダービー思想と言う牛乳瓶の底より分厚い色眼鏡のプリズムを通して、パウロの書簡を正しく読み取っていないからです。神の言葉は廃れたなどと言った異邦人の思想を信じて、神の言葉を退けているのに、それが正義などと全く持って

背教の教えを信じている。

聖書に書かれた神が伝える記念日を別物にして良い、今はなんでもありと言う人間の教えが、世界を崩壊に向けて導き、罪に戸口を開いているのです。

それらの行為を聖書では背教と言っているのです。下矢印

 

エゼキエル20:16これは彼らがその心に偶像を慕って、わがおきてを捨て、わが定めに歩まず、わが安息日を汚したからである

 

未来は全ての人が神の前に出る預言があります。ダービー思想で

地上にはユダヤ人だけ、他の異邦人と残るからクリスチャンには関係ない教えだなどと解説していますが、それは神の言葉を否定する、人間の考え、別の宗教の教えです。

神の言葉のどの箇所も、人間が否定する、却下する事を神が

許していないのに、堂々とそれが正義、新しい自由、聖霊の恵みの時代などと言っているのですが、それは聖書ではなくて、

ダービー思想です。

イザヤ66:23「新月ごとに、安息日ごとに、すべての人はわが前に来て礼拝する」と主は言われる。

古い教えは終わりと信じる人には、自分の都合に沿って神の言葉を捨てたり、受け取ったりするので、神の言葉が他人事の様に

思えて、自分には関係ない教えだと認識するから、今直接神から語られていると言う事実を丸で理解していない、耳に頭脳に届いていない状態なのです。この言葉はイエシュアを通してイスラエルの神=父の元、神の家の大家族イスラエルに加えられた人達にもれなく語られている言葉なのです。

昨年6月日本のある政党を通して、キリスト教の牧師であると言うスローガンを掲げて、全国のクリスチャングループを巡り選挙活動をし、当選した国会議員がいるそうですね。牧師であり、

クリスチャンであると発表しているその方。

でもその方が、LGBTQ法案に賛成と国会で賛成を表明する起立したそうです。そうしなければ、失職するからでしょうか?

神に反した背信行為を、日本全国の人々の前、国会で見せた

イスラエルの神に対しての、背信、背教!そのイスラエルの神に対する背信行為は、この世の末の背教、罪に戸口を開く事をして良いのだと言う事を、その行動を通して全日本人全体の前でして見せてしまったのです。

イスラエルの神、イエシュアを救い主として信じる人、特に、

牧師であると言うその立場の重みに対して、決して神の前にしてはならないことをしたと言う自覚があるのでしょうか?

その政党で職を確保し続けるなら、神の教えに反する事もしなくてはならないと言うなら、様々な言い訳があるのでしょうが、

神の前にはその様な言い訳は通じません。牧師が自ら神の言葉に反する罪に対して容認し、罪に扉を開き、周りの人をも、罪に対して無感覚にさせる破壊行為に導いているからです。

そうか〜今はなんでも良いんだね〜。この時代に生まれて良かった〜。昔は厳しい教え!今はなんでもあり!恵みの時代だから、自分で納得する生き方をすれば良いさ。今はなんでも食べて良いから、お寿司も好きなネタを食べれるよ〜と言ってたパスターがいましたが、クリスチャンならみんなそう言うでしょう。普通。

どうして、中世のユダヤ人達が強制的にカトリックに改宗させられる事をどれ程抵抗していたのか、クリスチャンには理解出来ない、プラス、ユダヤ人がどうしてクリスチャンの語るメシアが

聖書=タナック=モーセの五書、預言書、諸書に書かれたメシアではないと思うのか、理解出来ないと思います。

神の前に、冒涜、汚れた、忌まわしい、忌み嫌われる行為を今はすることが可能になった。古い律法からメシアが解放してくれたからなどと言うパウロの書簡をことごとく誤解した教えをしているからです。それらの教えが、神の言葉とは全く相反する偽りの教えだから、聖書に照らし合わせて、クリスチャンの世界で語られる、メシアが偽物と思うのは無理もない事なのです。辞書に照らし合わせて、マッチしない教え=神の言葉は破棄された!嘘だからです。その教えの方が。聖書を知る彼らには、それが嘘だとはっきり認識出来る。だから、ユダヤ人の多くは、偽教祖が記されている福音書以降など、読まない!のです。でも彼らが、福音書以降を読み、神の言葉に耳を傾けたら、それらは、モーセの五書、預言書、諸書とピッタリマッチした事しか書かれていませんから、タナックのメシアが記されていると理解出来るでしょう。聖別を汚し、同性婚を奨励し、神のデザインをことごとく破壊する〜神の教えは無効破棄された〜などと言う教えが、永遠に変わらない基準=神の言葉=テキスト=聖書に照らし合わせたら全部嘘だと証明出来るからです。

神の言葉を否定し、同性婚、同性愛、レビ記18章に書かれた婚姻の詳細、姦淫とは何か、神の言葉は今は古いと言う教えを信じる人にはな〜んにも響かなくなって、人間の判断、確信を優先せよ!と言うのです。プロテスタントのパスターが、動画で言っていました。同性愛を容認する事が正義と。でもその解説どんなに上手く解説しても、神が聖書で語る定義、愛の定義と真っ向から反する、単なる人の言い訳、教えなのです。

神が伝える罪を祝福〜この様な罪に対して扉を少しでも開けると言う事は、もうその扉は閉じるどころか、ますます大きく開いて行くのです。そしてその他の罪にこれから益々加担させられていく事でしょう。なぜなら、サタンがプランしている計画は、これらクリスチャン達も含めて人を使って背信行為を世界へ浸透させようとしているからです。

政府の未来計画を読んだ事ありますか?神のデザインに反する事プラン。その意味を知っている人も大勢いますが、多くのクリスチャン、教師、牧師はその事に気が付いていないのです。

 

そして、その方を応援していた、他の牧師や、有名キリスト教伝道師も、中途半端な言い訳をし、LGBTQが罪であると、はっきり言わないのです。生ぬるい〜から吐き出される。

黙示録3:16 このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。

なぜですか?それも保身でしょうか?神に対する罪を罪とはっきり言わない教師ほど、愛はない、人を危険、誤りに導く事が分かってないのです。でもその行為は神の前に完全に罪、背信行為です。だから、誰でも教師になってはならない!と言われたのです。どうしてこんな事が起きると思いますか?悪を善と言い、

善を悪と言う。はっきり罪は罪と言わない〜生ぬるい〜混ぜ物の教えを人に教えているからです。

混ぜ物〜神の言葉に人の思想を入れて、神の言葉を却下する事を教えていても、気が付いてないからです。教師と名乗る人、

イスラエルの神、イエシュアの御名の実態を生きる事、神の言葉を世界へ正しく教えなくてはならないのに、どうして聖書とは

異なるダービーの思想=神の言葉は廃れたと言い続け、今は神の言葉を却下して、人が確信して判断して決めれば良いと教えそして明らかに罪であると普通の人でも分かる事を許容するのか?

その様な行為を聖書では愛とは言いません。人を悪に導く事人を死に追いやること、それを正さない事は、愛などではありません。神が定義する愛は、モーセの五書に完全版として記されています。その中には罪の定義がはっきり全項目記されています。

神の言葉を捨てる人には、神の前に何が罪であるのか、こうして

はっきりと区別がつかなくなってしまっているのです。

そして今やプロテスタントの牧師自身がLTBTQであると発表しながら、そのまま牧師をしていると言うとんでもない背信行為をしている人もいます。その群れに属する人は、そのリーダーの罪汚れに染まり、そのリーダーを正さない事は、同時に罪であると

分からないのでしょうか?狼の中に羊を放り込む行為です。

必ず弊害、破壊が浸透し続けます。

そして、逆に、LGBTQが聖書に反している罪だと言うだけで、

牧師達で形成しているグループ、仲間から追放されるそうです。

何か狂っていると分かりませんか?世も末。神の言葉を人間が選んで良いと言う、神が言ってもない思想を取り入れる人達には何の釈明の余地がないのです。

神の言葉が廃れた〜モーセの五書は関係ないと言う意味は、

神が伝える罪の定義が消えました!と言っている事に気がつかないまま、そんな嘘=人の思想を語っているのです。

ちゃんと聖書だけに戻り、書いてある通りを学び直さないとならないのです。

これから、神の言葉にしっかり立たない場合には、どんどんどんどん背教は加速化し続け、クリスチャンの世界にも同調圧力で

罪を容認して行く事になってしまうのです。

世の中は気が付けば、LGBTQ反対、男性が女風呂の入ること反対!と言う人が、世の中から追放、迫害されてしまう事が起きてきます。善を悪、悪を善と言う声の方が大きくなる。

以前は、LGBTQなど、恥ずかしい行為、道ならぬ、後ろ指刺される、闇だと一般の社会は、そう考えていた。刺青は、反社の

世界の人で、日本人はこの様な行為を皆拒絶していた社会

でした。

レビ記19:28 死人のために身を傷つけてはならない。
また身に入墨をしてはならない。わたしは主である。
 

これから社会の圧力により、神の言葉を語る事をこうして禁じられて行く事になるのです。危険な世の中でしょう。そんなの。

神は人の安全を守るために色々と教えているのに。男がどんなに頑張っても子供は産めない。女がどんなに体を変えても、男になんかなれません!事実なれないでしょう。体に人間が製造した

臓器つけて何になるのでしょうか。見かけを変えても、中身は

同じDNA。命を生み出す体にはなれない。おかしいでしょう。

全部学習〜偽物を学び、そして同性に惹かれる人は、同性から強姦された体験を多くの人がしています。、人は自分ではない事を学んでしまい、その様な変形した命を生み出さない生き方をしてしまうのです。

この様な闇にハマった人達、いや同性愛ではなくても、様々な

罪にハマって抜けられない人がいるのです。その人達は、助けが

必要ですが、罪から抜け出す助けを求める意識のない人に関わったり、まして、仲間に加える事など危険行為です。

しっかりした専門家が対処するなら良いけれど、群れの中に入れたら危険。

罪を罪と自覚し、癒やされる助けは必要ですが、罪を軌道修正しないまま、群れの中に狼を放り込む危険に気が付かないとならないのです。親ならば、ズレた思想や、同性愛、その他罪を犯す人を子どもの友達として近づけません。

私のアメリカでの教師である群れのリーダーは、自分達の群れに

別の州から、引っ越して加わりたいと言う人がいて、その人の背景を調べたら、犯罪、小児性愛歴があり、お断りしたと言いました。賢い判断です。神の教えに聞く知恵あるリーダーが群れには必須です。罪を容認するリーダーは神の知恵、教えに欠き、

群れの羊が破壊されしてしまいます。

病気の金魚を、健康な金魚達の水槽に入れたら、皆が病気で破壊されるのです。そんな事をしてはダメ。

今は、海外では、普通の職場でも、犯罪歴の証明を出す事を

要求してきます。

 

続く