デイスペンセーション神学 ダービーの非聖書的神学がクリスチャンの間に浸透して行った経緯 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエスさまの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

私は、聖書の事実を通して、直接神の言葉を通して救い主と出会う体験をした後、丁度その頃、友達に誘われて教会に通う事をしていました。小学生の時、近所の日曜学校に通う以来の出来事

でした。

そこで、聞かされる教えは、100%全て聖書であると考えて

いました。15年前迄はずっと何も疑問に思わないまま、

そう思っていました。

そこで教えている人も、もちろん皆そう信じて教えているのです。

でも、オリジナル聖書、ヘブライ語聖書に書かれている事を

学ぶ機会を15年前から与えられ、その学びをずっとずっと続けて、聖書に書いてある事実の点と点だけを繋げて、神の言葉の

真実の中だけで考え続けて行く事をして行ったのです。

 

そうすると、聖書の記述と、クリスチャン=異邦人の世界で語られる教えが、聖書とは矛盾している事実が聖書に記されている事

に、自ずから気が付いて行ったのです。特に、パウロの書簡の解説など、パウロの意図した事とは全く違う解説のみがクリスチャンの世界ではされてしまっている事を知りました。その他、聖書では無い解説〜人造神学を通して語る解説は、聖書とは異なる

人の思想を解説しているのです。

 

そして、学び開始から4年間、徐々に徐々に、私が聞いて来た教えや説教、聖書クラスやバイブルスタデイで聞いて来た、実は

人が編み出した神学と言う、土台、前提の色眼鏡、プリズムを

通して、聖書に書かれた事実を曲げた解説、注解は、実は神の

言葉ではなく、人の思想であったとはっきり理解出来ました。

 

ではなぜ、そんな教えが1900年もの間浸透し教えられているのか?1世紀後半から起きた、歴史の出来事〜西洋宗教と言うものがなぜ出現したのか?誰が聖書を否定する、神の言葉に反する教えを編み出し続けて行ったのか?

学んで行くと同時にそのカラクリを知って行くに至るのです。

明らかに聖書の記述に対して矛盾だらけの人の発明した教えが、同時にその聖書に対する矛盾を、人の編み出した思想で言い訳けし、ズレを手直しする人の解説がされるているのです。

 

神の言葉は廃れた、変わったと、当然の如くに考えて信じているでしょう?救い主は古い律法の縄目から解放するために来られたと教えられ、そう信じているでしょう?

神はそんな事1度も言ってもないのに。神=言葉=聖霊=トラー=モーセの五書=父の教え=イエシュアと聖書に書いてあるのに気が付かないままなのです。ウルトラマンタロウ、ウルトラの父を撃退する?そんなのある訳ないでしょう。

神がご自分の中でご自分を破壊する教え、聖書ではない教え。

古い時代、新しい時代、古い教え、新しい教え、怒りと恵の

時代、律法=神の言葉と恵と対比させている。この様な思想から、神の永遠不変の1つとして繋がる真理を歪めた教えは、聖書に戻ると嘘である!と人の思想を捨てて、聖書にだけ戻れば気が付けるものなのです。

 

神の言葉はDNAと同じ、どの染色体でも取り去り、又は別物を付け足し、出来ない、してはならない。その様な事をするから、神が何を言われたのか、聖書に、目の前に書いてあっても読み取れなくなる盲目状態になってしまっているのです。

 

19世紀のイギリスにジョン N ダービーと言う弁護士背景の人物が、その後聖書の根幹=神の言葉の永遠不変性を塗り替え思想を編み出し、多くのクリスチャン達の思索に影響を与えてしまいました。

ダービーの教えは一世を風靡し、20世紀のアメリカの神学校、聖書、思想、クリスチャン達に多大な信奉と人気を博す教えとなった思想を編み出したのですが、このダービーの聖書観は一体

何だったのでしょうか?誰の発想に影響されていたのでしょうか?人の創作した聖書に根拠の無い思想。

 

2世紀以降から、現代に至る様々な非聖書的教えの根が無数にありました。その根本は皆同じです。エデンの園の蛇の誘惑と

同じ。神の言葉を揺るがせる思想です。

神の言葉の完全性、永遠性、変化無い事をまるで無視する教え。

神に何かしてもらう事は、非常にウエルカムだけれど、人は神に

言われた事をその通りに生きると言う事に抵抗を感じる、全然

一般的に肉にアピールしない、人気な教えではからです。

完全なる神の似姿のアダムでさえ騙されたのですよ。神の言葉とは違う、混ぜ物の歪んだ教えを蛇から言われて、ころっと騙されたでしょう。神の警告は、最初から同じ!偽の教えに騙されるな!!

歴史の途中で非聖書的教えを語る数々の教師、学者、牧師が存在しています。これは、西洋宗教歴史を学ぶとはっきり誰が聖書とは違う教え、何を言い出したのか、分かります。全部繋がり、

誰かの考えた聖書とはズレた発想、思想が周りの、次の誰かに

影響、発想を与えて連鎖して繋がる事が分かります。

これは、大学の授業のクラスとしたら、2学期に渡る程の膨大な量の内容なので、簡単に今は記せません。

19世紀にダービーが出てくる前にも、アメリカで第二覚醒時代があり、霊的なものを求めるリバイバルがありました。

リバイバルがあっても、正しい道=神の教えに乗り、導かれて

生きる事に根付き成長しないなら、それは単なる派手なムーブメントに過ぎないまま終わります。高揚感だけでは、本来の人間の生き方=神の言葉に根付いて実り豊かに生きる事には繋がらないものです。マタイ13:18−22に警告されています。

み言葉とは、モーセの五書=トラーをイエシュアが話しているのに気が付いて読み直してください。

その逆で、神の言葉から人の意識を反らせたダービーの様な思想が、今の時代の様に、人を神の性質に反する生き方に導いて行ってしまったのです。人は神の言うことなんて本当は聞きたくない。肉の思いにアピールする通りに勝手に生きたいからです。

 

聖書とは異なる教え=終末論、再臨待望を強調する教えがあり、実際に数々の偽の再臨の日を預言する人々が居ました。全部聖書から逸脱した教えを唱えた人達です。人の意識を、主に在り

今をしっかり神の言葉に根付いて生きるより、どうせ再臨が今

あるのなら、これこれあれこれやるのはもう無駄、無用と言う、人を生きる本質から引き剥がす教えに導くものです。

 

このデイスペンセーション神学は元から、聖書からズレた人間が考え付いた思想ですから、ずっと手直しされ続けているのです。

 

ダービーはこんな事を人に教えたのです。

古い聖書箇所=旧約聖書は必要ない、要らない、終了。

新しい箇所も、特に福音書はクリスチャンには関係ない、必要ない、ユダヤ人だけ。山上の垂訓もクリスチャンに語られているものではない。パウロの書簡1、2で事足りる。この思想、2世紀の異端者、マルキオンが言った言葉と全く同じです。

 

ダービーは、聖書は読む必要ない=神の教えなど知る必要などないと言ったのです。どうしてだと思いますか?ダービーの思想は、聖書に書かれていないものであり、だから聖書に根拠が無いから、それを見せないためです。

聖書には記されていないが、神が隠している計画があったのだとし、そんな事聖書には書いてない、聖書の最初にも、もちろん

福音書以降にも、ダービーが言う様な別の群れ、実は異邦人クリスチャンの群れ=カハール、エクレシアの事なんて記されてません。それをダービーの思想を持つ人が、教会と言う言葉で訳してるから、新グループ、新しい契約新しい教えが出た!と勘違いさせられているのです。

 

聖書に記されていないから、ダービーはクリスチャンには、

聖書に書かれている事は、ほぼ無関係と言ったのですよ。

詰まり、デイスペンセーション神学は彼の発想であり、聖書の中に彼の思想を支持し証明する記述の前提が無い、だから、聖書に

根拠無しだから、クリスチャンには聖書は無効、無用と言ったのです。大変危険な思想なのです。この神学は聖書では無いから、手直しされ続けていますが、マルキオン=ダービーの思想は

しっかり根付いているのです。

後から、ダービーの思想がどの様な経緯でアメリカを中心に

世の中に浸透して行ったのかを書きます。

 

この思想の柱は、神がそれぞれの時代に(7つの時代)、

それぞれ違う課題とアプローチ、別の取り扱いや教えをし、

それぞれの時代に全ての人が全て失敗する。

最後の時代に、メシアを与えて違う救出方法を与えた!と言う。

これ聖書=タナックを正しく知らない人が語る思想で、空想です。福音、神の救いの方法=イエシュアはエデンの園、アダムから1つしか存在していないからです。

神は古代は、怒りの神、恵なく、けち臭く、古代の人には、贖い救いを提供しなかったと言うのは、タナック=モーセの五書、預言書、諸書に記されている内容とは全く相反する、人の発想です。

特に、古い教え〜無用と言う思想は、古代に取られた神の教えや

方法は今は変わったからだと言い、そして、聖書には無い、聖書には書いてない、イスラエルと、異邦人への別々のアプローチ、別の教えが存在すると主張しているのです。残念ながら、教会=異邦人単独グループの事など聖書のどこにも記されていない、

預言されてもいない、異邦人むけの別の新しい契約も無い!!!イエシュアもそんな事言ってもないし、教えてもいない、それは聖書から解説出来ます。時代ごとに、人種別に、異なる救いや、神の変化する教えなど聖書には記されていません。

 

しかも、聖書に書いていない、秘密裏にキリストが再臨して、

クリスチャンだけを空中軽挙する〜レフトビハインドが起こり、

飛行機を操縦していたパイロットが空中軽挙され、その飛行機が

大変なことになる〜、車の運転手も消えて〜と言う映画のシーンがありましたが、全部空想を元に描かれている、単なるお話を

元に作られた映画です。聖書では無い創作ストーリー。

しかも、キリストが3度目の再臨をする?と言う、空想話まで

あるのです。全部聖書に書かれていない事、根拠が無い人の空想、想像を元に編み出した神学です。

 

ここで、ダービーの経歴、どんな背景の人物なのか書きます。

 

<ジョン ネルソン ダービー1801−1882年ウエスト

ミンスターに生まれる。ダブリンのトリニテイ大学で学ぶ。

正式な聖書の教育は受けた事が無い。

1825年、24歳の時にアイルランドのイギリス聖公会で職員

=キュレーターとして働く。7年間、自分の感覚で様々な発見をして行く。聖公会の教師として、ローマカトリックであった農民に伝道し、彼ら100人程カトリックから聖公会に改宗させる。

1827年 アイルランド、ダブリンの 聖公会に入るならば、

同時にイギリスの王に忠誠を誓う様にと司祭から言われ、その事にダービーは多大に反発を感じ、聖公会教師を辞任し、イギリス聖公会をやめる。

乗馬で大怪我をし、聖書を人生で初めて真面目に読む。

その当時、ダービーの頭の中では、2種類の考えを持ちながら

聖書を読んでいる。

イギリスの王に忠誠を誓うと言われた事にも、大変な不快感を

覚え、同時に組織化されたキリスト教の群れに対しても同じ感覚を持っていた。

19世紀当時、アメリカでの第二大覚醒時代があり、リバイバル、終末論など、聖書をその様な2つの自分の関心を元に探る。組織化に対する疑問と、終末論などを頭の中で考えて聖書を読んでいた。

その結果、1:ダービーは、専門職の司祭などは必要なく、給料を貰って働く司祭を置く必要な無いと言う結論に到達。

2:聖霊に導かれ、一般の人が誰でも聖書を語り教える事が出来ると考えた。

同じ思想を持つ6人の仲間と共に、プリマス ブレザレン(兄弟)と言うグループを作る。

1831年に、アメリカのパワースコートと言う裕福な婦人が、様々な説教者を呼び、カンファランスを開いていた。

ダービーはその中で、イギリス、スコットランドで当時有名で

あったエドワード アーヴィンの説教を聞く。

イギリスのチャールズ、フィニーに匹敵したのが、このスコットランドのEアービンであった。

 

強調する教えは、異言、体験、預言、ペンテコステ集会の様な

ものが多く開かれていた。

エドワード アーヴィンの集会で、マーガレット マクドナルドと言う10代後半の若い女性が、その集会でトランス状態=通常では無い意識状態になり、2時間その恍惚状態のまま、この様に言った。

”この世の終わりはもう近づいて、そして異邦人の群れ=教会は

この艱難の前に天に引き上げられるのだ。”と言った。

アーヴィンはこの少女の言った事に物凄く感銘を受け、自分の

説教に取り入れる様になった。

このアーヴィンの説教を、ダービーが聞き、同じ様にその少女が

言った思想に大変感銘を受けて自分の中に取り入れた。

 

続く