デイスペンセーション神学の神の真実を覆う闇 エラーに迫る  | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエスさまの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

デイスペンセーション神学の第一番目の主張、教理は、
教会=異邦人の群れと、イスラエル=集会、群れは別物であり、イスラエルと異邦人は関係のない2つの群れと言うものは、聖書に書かれた1つの群れ=カハール、エクレシアであると書いてある事実とは全く異なる人の作り出した思想なので、Rejected、却下となります。
 
最初からイスラエルの1つの群れに異邦人が加えられている事実がずっと聖書には記されているのです。そして教会と言う造語で表される、新しく出現した異邦人の群れなどは、実は聖書には
書いてなどありません!
イスラエルの集会=群れ=カハール、エクレシアは、群れ=集会、会衆と訳されていて、教会などと言う言葉は、神が呼び出した人の群れと言う意味を反映していない紛らわしい造語。
福音書以降にも、イスラエルとは切り離された、異邦人の新しい教会などと言う群れの事は1つも書かれてません!
その教会と言う大変紛らわしい造語は一旦却下して、教会と書いてあったら、本物、本来の原典言語が伝えるカハール、エクレシア、又は正しい翻訳=群れ、集会、会衆=神の声に呼び出された人々の1つの群れと読み直して考えて行きます。
 
カハールと言う言葉は、”声”=コルと言う言葉が入っています。
קהל=カハール קול=コル=声。神の声に応答して異教の神々の
民族=異教徒の国から呼び出された人々の群れ=それはイスラエルであろうが、異邦人だろうが関係なく、同じ1つの群れなのです。
ノアもアヴラハムも異邦人です。でも、同じ神の言葉を聞いて
イエシュアの贖いの血の代価を受けた人達=ヘブル=超えた人達
全て同じ1つ家族なのです。
シナイ山で婚姻契約が正式に、イスラエルの民に与えられたのは、出エジプト後=贖い出された後なのです。この事実をはっきり捉えて下さい。人は義とされる為に、神の言葉=教え=トラー=モーセの五書=婚姻契約が人に与えられたと言う、異邦人教父やダービーの様な思想は聖書ではない!と言う事実に戻って考えて下さい。神の言葉=教えにはその様な目的はありません!
 
アヴラハムに与えられた契約=無条件譲渡=信仰により義とされる事を先ず受け取った人々に、婚姻契約が与えられたのです。
そして、義とされた人は、以前は奴隷状態=ズレた生き方を学んで来たのです。その人達が、神の花嫁とされて、神の家族となり
そして、神の家の一員として、義とされた人の生き方に招かれたのです。
これこれは、あなたの性質ですから、これを生きるのです。
これこれは、あなたの性質に反する生き方ですから、これを
生きる事はあなたの性質に反し、それらの生き方はあなたを破壊します!と教えているのです。
自分の子供を育てる時の事を考えたら分かるでしょう。
親は子供に、何を教えますか?律法を教えて、子供を縛り付けて、どれ程あんたはダメな奴なのかと分からせ、その教えを生きれないのか教える?そんな意地悪な親は毒親です。
大体神が人の生きられない教えを押し付けたと言う、思想こそが
異教神出身の人の考える事であり、聖書に記された事実とは
全く異なるのに、クリスチャンの世界ではその様に言い続けているのです。それってどんなイスラエルの神を想像しているので
しょうか?
親は、子供が神の性質通り(神を知らない人はそんな事は考えませんが)最善の生き方を自分の知恵で教えるでしょう。
神は親です。親は子供に、人の生き方の意図通りを教えている
単純でしょう?どうして、そうややこしい教理に変身させてしまうのか?
古い時代は、厳しい生きれない律法を神がイスラエルに与えて、どれ程人が罪人なのか教えた?本当に歪んたイスラエルの神像を持った人が考える思想です。
神の教えは、蜜の様に甘い!人の足元、道を照らす光、人を生かす力と書いてあるでしょう?
そしてこの嘘=聖書には2つ別の教えが書かれていると言う
その嘘を捨てないと見えません。嘘=ダービーの様な教師達が
作り出した、聖書=神の言葉が語る事とは違う、嘘の思想、分断する神の言葉、存在していないのに神の言葉を否定、終了、無効とする教え!!!それは聖書が語る神の声=教えではない、出所が別の霊から出たものです。エデンの園の蛇の声。神の教えから引き剥がそうとする力です。
 
太古の人、又はイスラエルは、神の言葉を受け取り生きて義とされると教えるクリスチャンの間の教えは、聖書とは異なります!神に義とされる事実を与えられるのは、神の業により、信仰により受け取るだけです。どの人種に生まれても。贖い、救いの方法1つしかないと最初から書いてあるでしょう?イエシュアを通して以外誰も父の元=イスラエルの神の大家族=群れ=会衆=カハール、エクレシアに戻り、加えられる事は出来ない!と言う永遠の事実を神が話しているからです。最初から。
 
その聖書に記された事実を、太古はイスラエルは、神の教えを生きて義とされ?生贄を捧げ仮に許され?異邦人は、昇天以降、別の教えを生きるのだ?それ聖書の教えなどではありません!
考えたら分かると思いますが、最初から動物の血は罪を消さないとはっきり記されて、エルサレムの神殿に上りコルバンを捧げられる人は、人類の何パーセント?考えれば見えます。
神の家=神殿では、イエシュアの福音を実体験を持って教えられていたのです。体験型教育ツール。
聖書に記された事を勘違いして取り違えて解説しているのは、
ダービーの様な異邦人思想であり、神の言葉ではない。異邦人には別の教えがあると教えられて、ないのにあると言う、裸の王様の衣装を信じているからです。
でもこのイスラエルと異邦人と言う2つの群れが、昇天以降出現したと言う思想から、クリスチャンは聖書を解説され、教えられているのです。
真実ではない前提から、真実な聖書解説は語られる事などありませんし、それは聖書ではないのです。
 
神が伝えているのは、何ですか?最初から1つ。イスラエルの
1つ神に、1つ教え=契約、そして1つの家族に戻る!それが
聖書の一大テーマだからです。エデンから出て、エデンに戻る。
 
使徒 7:38 この人が、シナイ山で、彼に語りかけた御使や先祖たちと共に、荒野における集会=カハール、エクレシア、1つの群れにいて、生ける御言葉=シナイ山で与えられた婚姻契約=トラー=モーセの五書を授かり、それをあなたがたに伝えたのである。
 
はっきり聖書に書いてあるでしょう。1つの群れ=異邦人、ユダヤ人同じ1つの群れに与えられた1つの契約書。モーセの五書=トラーを受けた!と。異邦人にも与えられた。実際に出エジプトしたのはイスラエルだけではなく、神の言葉を信じてイスラエルと同じ様に子羊の血を鴨居に塗り死が通り過ぎた異邦人達も
イスラエルと共にエジプトを脱出したのです。この婚姻契約を
シナイ山で受けた時に異邦人も居たのです。
異邦人もイスラエルの12部族の中に加えられていたと書かれているでしょう?神は最初からずっと1つの群れ、1つの同じ婚姻契約を教えているからです。
モーセの五書以外の神の教え=契約書などないからです。
だから使徒15章のパリサイ派の長老が以下の様に言ったのです。預言書を引用して。下矢印
使徒15:15 預言者たちの言葉も、それと一致している。
すなわち、こう書いてある、<アモス9:11−12>

15:16 『その後、わたしは帰ってきて倒れたダビデの幕屋を

建てかえ、くずれた箇所を修理し、それを立て直そう。

15:17 残っている人々も、わたしの名を唱えているすべての異邦人も、主を尋ね求めるようになるためである。

15:18 世の初めからこれらの事を知らせておられる主が、

こう仰せになった』。

 

使徒7:38で語っているのは、ステパノであり、彼は100%

タナックを指して語り、太古、荒野のイスラエルと異邦人を
群れ=カハール=エクレシア、1つの家族と言っています。
そして、何が異邦人にも与えられたとありますか?
 
同じ1つの群れ=カハール、エクレシアに加えられた異邦人にも、同じトラー=婚姻契約を異邦人にも与えられたとはっきり
記されています。証拠として。神の永遠の婚姻契約保証を異邦人にも同じ契約を与えている。
その事はトラー、預言書、諸書にずっと同じ事実が記されています。
イスラエルと共に子羊の血で贖い出され、エジプトを出て荒野で
40年旅した群れ=集会=カハール、エクレシアは同じ神の言葉を生きました。今も同じです。
シナイ山で与えられた同じ契約が異邦人にも与えられている事実がはっきりと聖書に書かれています。神の婚姻契約に生きる事へ神から直接の招きを、個人個人が無視するかしないかはそれは、全く別の話なのです。イスラエルの神により同じ契約を与えられていると理解する人達は、神の言う通りを喜び受け取る〜それが神を愛して生きると言う、聖書の定義なのです。
そして、異邦人用に別の契約書など与えられていない、そんなものは存在などしていない。西洋教父や、ダービーの思想の中の
空想に存在しているだけです!聖書ではない!
 
神を愛する人は、神の言葉を捨てて、自分のフィーリングに合う
教えを選んで生きる、それは人の創作した教えであり、聖書では
ありません。聖霊=言葉。聖霊に導かれて、頭脳=DNAに刻まれたトラー=神の教えを生きると書いてあるのです。
 
好き勝手な教えを神が人の頭脳や腹に記したなんて書いてません。神の教え=トラー=モーセの五書以外無いと言う事、それを
75%端折る教えも、神の教えではありません。
 
福音書〜黙示録は100%モーセの五書、預言書、諸書に
同意した内容しか記されていません。だから、聖書の最初が
終了とか、勝手に神の言葉を人間が判定、仕分けて好きな様に
生きる時代と人の教えを信じる場合には、神に言われている言葉が当然の如く正しく理解出来なくなっているのです。
神は人に何と伝えていますか?
 
1ペテロ2:9 しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。
 
ペテロは、タナック=モーセの五書、預言書、諸書のどの箇所を根拠に9節を書いていますか?
パウロやイエシュアや使徒達は、自分達の教えを闇雲に、思い付きやインスピレーションで話しているのではなく、タナックに記された事に基づいて解説している!と言う事実に先ず気が付いて下さい。

出エジプト19:5 それで、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となるであろう。全地はわたしの所有だからである。

19:6 あなたがたはわたしに対して祭司の国となり、また聖なる民となるであろう』。これがあなたのイスラエルの人々に語るべき言葉である」。

この言葉をシナイ山の麓で聞いてた人達は、イスラエルと、

そして少数の異邦人の混合の共同体=群れ=カハール=エクレシアなのです。アダムから存在する同じ1つの群れに与えられた
同じ1つの同じ婚姻契約書、人間の生き方です。イスラエルの神の1つの共同体の教え、生き方。神の国の国家憲法でもあるのです。
それが使徒7:38にある、同じ契約書です。福音書以降には、タナックとは異なる別の契約や教えの事など誰一人として語ってなどいない永遠の事実を把握しないとならないのです。
 
出エジプト12:49 このトラー=婚姻契約=モーセの五書は国に生れたものにも、あなたがたのうちに寄留している外国人にも同一である」。
タナック=モーセ、預言書、諸書の中から、1つの群れ!と言う事が教えられているのです。イスラエルと異邦人を分断する教えは聖書とは関係ない、聖書の記述に反する異物の教えなのです。
教会と言う造語は本当邪魔です。誤解を招く、そしてダービー
思想と言うプリズムを通してイスラエルの神の群れに対して、
その造語を使うなら、カハールと言うヘブライ語に対応する、
イスラエル=教会とどうして最初から同じ翻訳用語を書かないのでしょう?1つの家族しか聖書には書かれていません。イスラエルと異邦人を分断させる2つのグループは、ダービーの思想であり、聖書ではない、ダービーの脳内創作話なのです。
 
続く