神の教えを生きる事は知恵に満ちた賢い生き方 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

神の言葉、教えに対して様々な誤解が生じて、間違った聖書解説がされ続けているのは、人が作り出した教えのせいです。

律法は廃れた〜。これは、パウロの書簡にある様々な議論の

論点を勘違いして、パウロがモーセの五書の教えを否定したと

考えているからです。

まず聖書を解釈する時に、絶対揺るがしてはならない大前提を

忘れてはならないのです。

聖書が完全手付かずで、元の意味が損なわれないまま調和して

存在している事。聖書は聖書の記述の中で互いに矛盾し合う事が出来ないものであると言う永遠の事実があるのです。

神の言葉が神の言葉に敵対し合う事、矛盾した事が出来ないと

言う大原則を破り聖書を語る事はできない!と言う基本中の基本を捉えないとならないのです。

ここが西洋宗教の神学がずれている点なのです。

 

信じるだけでいいんです!とクリスチャンは言います。

これはエデンの園の最初から同じです!信仰義認。

義とされる、新しく創造される、それは信仰で受け取る以外

方法はないからです。

そして、神の言葉を生きることはクリスチャンは、律法主義と

言います。

神の言葉を勘違いしているからそんな事を言うのです。

これは救い、贖いは神が提供した事アヴラハムが受け取った様に、神が永遠の中に成し遂げて下さった”子羊イエシュアの贖いの血の代価”を受け取り新しくされる事実を信仰により受け取る〜信じるだけで良い!と言っている事をはっきり明確に理解しておかないとならないのです。

そして、イエシュアの贖いの血、復活の命=初穂イエシュアに

連なった人達は、神の口から出る1つ1つの言葉により生きる!

詰まり、神の教えイエシュアが、聖書が語っているのは、モーセの五書以外に無い!と言う事実をはっきり知らないとならないのです。

そして、人は、神が伝える通り、神の言葉に付け足し、差し引きなる行為は出来ない!と言われているのに、今の時代は自由、

聖霊、キリストの律法の時代などと意味不明な事を言いながら、

神の言葉を付け足し、削除する神の言葉に対する違反行為をしていてもまるで気が付かないままなのです。これがクリスチャンの

世界で一般に教えられている事であり、信じられている事です。

神の言葉を生きること〜恵みを無駄にする悪い事と言う意識を刷り込まれ続け、今は神の言葉を捨てて生きれる自由な時代!

なんか変な教えだと分かりませんか?神の言葉を捨てよ?

神がいつそんな事言いましたか?

 

その思考回路は、人が作った教え=古い時代は神が与えた厳しい

掟を生きてかろうじて許され、一時的に義とされていた、なんて言う人が作った教えを神の教えなのだと信じているからです。

そして、神は神の超厳しい人が生きる事が不可能な教えを最初にイスラエルに与え、人が生きれないとイスラエルを通して証明されたから、その神の教えから解放するためにも、メシアを

与えて地上に送って下さったのですと言うのです。これ殆どの

クリスチャンの聖書教師やパスターがそう言うのを聞きます。

どんなに素晴らしい生き方をし、教えをしていても、この様に

神の言葉を否定する変化球を投げ込んでいるのです。

だから、神がそんな厳しい教えから解放してくれたのにも関わらず、未だにそんな有効期限の切れた意味ない古い教えを生きるのは、恵みを無駄にした生き方ですよ〜!と言う。これが異邦人が勝手に創作した教えの定番なのです。一度はそんな教えを聞いたことがあるでしょう?でも神はそんな事一度も言っていません!

しかもこの教え、発言は神に対して酷くないですか?神の言葉は完全であり人を生かす、蜜のように甘く、人は神の言葉=トラーをしっかり握り生きて!と神の口から直接そう教えられているのに、神の言葉に対してとんでもない歪曲した誤解したひどい判定を異邦人は下したのです。

 

これは1世紀後半から始まった、異邦人の反トラー、反ユダヤ

思想が根にあるのです。異邦人は神の言葉=ヘブライ思想やヘブライの世界には馴染みがなく、最初から神の教えに対して反抗的な意識を持った人達が居た事と、もう一つ大きな理由は、ローマ

帝国による迫害=モーセの五書に記された異邦人には馴染みないヘブライ=神の国、神の教えの独特な生き方を禁じられたからです。だから、割礼や食べ物、シャバットや記念日その他諸々全て

異邦人の世界にはない独特で顕著なユダヤ的な事をしている人には、餓死死刑と言う投獄、5000ドル相当の金で支払う税金などを課して、ユダヤ人だけではなく異邦人イエシュア信者も同様に投獄し処刑したのです。

だから、異邦人は踏み絵をしたのです。異邦人には今と同じ、

そこまで神の教えを死守しようなんて意識は始めからないからです。そしてやがて、異邦人は、完全にユダヤ人信者達、ヘブライ聖書を教えるパウロの様なユダヤ人教師から完全決裂して、自分達が編み出した西洋宗教の独自の教えに流れて行って今に至るのです。

事実だけを考えれば、神が神の言葉を変えたのではなく、異邦人の世界で作り上げた、神の言葉を否定した宗教の教えの世界が

出来上がってしまったのです。もちろん、メシアは処刑され、

贖いの血で私達は救われます!その部分は聖書の真実を語っているのですが、救われた後、その後の神の国に属する人=救われた人はどう生きるのかの部分は大幅に神の言葉を端折って捨ててしまったのです。黙示録で警告されているのはまさにそれです。

黙示録2:4 しかし、あなたに対して責むべきことがある。

あなたは初めの愛=モーセの五書=婚姻契約=トラーから離れてしまった。

その通りですよね。異邦人のグループは、トラーを否定し、

終了、律法、無用、ユダヤ人だけ生きれば良いなどと言って

神の教えを生きる事から離れてしまったのです。

 

イエシュアはユダヤ人なのです。イエシュア=モーセの五書=

トラーとヨハネが福音書の冒頭で言っている意味がまるで通じてないからです。

だから、聖書の最初の部分の75%なんて本当に学ばないのです。数カ所取り出して語られ事はあっても、その中身、満遍なく、ヘブライ語に書かれている意味通りに手ほどきされ、解説され学ぶと言う事はない。1世紀と同じ、ユダヤ人教師から離れて、トラーを学ぶ事がなくなったのが異邦人の世界の教えだからです。

でもそれが大問題なのです。何故なら、神の伝えている教えを

書いてある意味通りに教えられ学べば、人が作り出した、

神の言葉の進化論など信じる、その思考回路の方が聖書に照らし合わせて、ずれていて変だと分かるからです。

 

ヘブライ語で記された神の言葉は本当に麗しく奥が深く永遠を

かけて知る様に神が与えているものです。何故なら、神は永遠を

かけて、人が神を知る様に創造されている。人間は神では無いから神を完全に知る事は出来ないし、永遠の時が必要なのです。

 

その神を知る手がかりを端折り、捨てて、削除、無用と教える

その教えは、聖霊=神=イエシュアから出たものではないのです。

西洋宗教の教えの中で、聖書とは違う事がたくさんあります。

特にクリスチャンは神の言葉は終了したと信じているので、

今はなんでも自由と言います。神の教えの中で異邦人に馴染みがない、抵抗感じる教えは、食に関して、割礼や、又は神の記念日など色々あると思います。

神の教えの中で、何が律法であり終了と考えていますか?

例え人がそう考えても、神は人に一時的暫定的な教えなど教えていません。神は人を安全に守り生きられる様に衣食住生きる全ての領域に関して事細かに教えているのです。神が創造主であるからです。神から教えられなければ人は分からないからです。

私達異邦人が抵抗感じる教えは、全部自分の異教の文化の中に無いものに対してです。でも割礼はアメリカでは、男の子が生まれたら病院で施させるものなので、アメリカ人にはそれほど異物な慣わしではないものなのです。日本では異物の行いですよね。

アメリカでは一般的には、儀式的な意味を理解して割礼を施しているのではないのです。だから病院でやるのです。ユダヤ人は

割礼を施す事が出来るラビなどを呼び、儀式的に”アヴラハム”に

与えられた割礼をしますが、感動的なものなのです。

 

環境破壊と言いますが、エデンの園で神が禁じられた食べ物を

食べた時に死が入り込みました。そして、神の禁じられた食べ物〜きよくない動物を人が食したり、獣と人間が性的に交わると、どう言う事が起きのか詳細は記されていませんが、”するなかれ!”と神が言った言葉の中に、絶対にしてはならない!と言う事実が伝えられているのです。同じでしょう。アダムとハワの

誘惑と。でも人は神の言葉が終了だと信じたら、神が禁じている生き方をしても、全く気が付けないままになるのですよ。

本当に気が付けない。神がどうしてそんな事を言うのかの理解にも至らなくなるのです。

何故なら、今は自由だから神がOKと言っていると誤解しているから、神に言われている意味、真理に気が付けない。

神の言葉が耳に頭脳に響かない状態になるのです。

 

分からなくても、神にするなと言われたらするな!なのです。

まずそこから始める。そして実践して生きていく上で神が色々とその事を通して教えて下さるのです。これは永遠に変化しません。

神のリマインダーは目で見てすぐに”あなたは誰か”聖別された

神の子であり、それに相応しく生きなさい!と言う事が

信号機を見る様に簡単に目に飛び込み分かる様にデザインされているのです。神は本当に賢いお方です。

人が食にするに相応しくない動物、海、空の生物を調べて行くと

色々分かる事があります。

まず、人が食してはならない動物は、全て陸海空の”清掃目的”の

ために創造されたゴミ処理動物です。だからなんでもかんでも

食べる。無差別に食べる。

死骸、糞、ゴミ、ありとあらゆる汚いものを取り入れて溜め込む。この様な動物を食する場合に、どんな事が起きるのか?

それは、元々の環境に無いウイルス、人と動物の間を行き交う病原菌が環境に出現してしまうのです。だから、イエスラエルが

神の教え=トラー=婚姻契約=モーセの五書に記されたレビ記

11章にある食生活をしないで、異教の神々の教え、食習慣、

生活習慣に交わる高き所の礼拝に交わって身も心も汚した行為をしていたら何がイスラエルを襲いましたか。

”疫病”で倒されてしまった。

その元はその様な汚れたものを体に取り入れた結果、ウイルス、疫病が蔓延したからです。

聖書には、どの様にその疫病が発生するのかのメカニズムは

科学的解説されていませんが、神が禁じた事をやる〜破壊、

死を招く。破壊を招く。エデンの園の知識の木から食べたら=死が入り込んだ!とあることと全く同じなのです。

単純過ぎて違反しても感じない。神の教えはそれほど単純、

そう言う事なのです。単純だから軽視するのか?です。

 

先ず反芻する動物で牛は皆知っている動物ですが、反芻と言う事で、気がつく教えがあります。五感を通して環境から自分の内側に入ってくる情報、画像、様々な事を、吟味=よく噛んで、反芻して、自分に相応しく無いものは外側に出す。内側に溜め込まない、それは自分に反する害毒であり、破壊的な事だから除外すると言う事を教えています。

貝の性質も内側にありとあらゆるゴミを吸い上げ、菌、毒、ウイルスを内側に取り込み固く口を閉ざして毒を溜め込みます。

この性質からも、人は害毒を内側に溜め込む様に造られて

いないと言う事を教えているのです。豚も消化器官が未熟であり

よって毒が体にたくさんあり、寄生虫や、ウイルス、菌が満載の汚い清掃動物です。

これはあなたの食べ物ではない、この様に毒を内側に溜め込む事は神の似姿であるあなたの生き方ではないと、肉体も霊も両面同じ教えを神が教えているのです。本当に神は賢いお方だと分かります。

ノロウイルスなど聞きますよね。貝毒と言いますが、こう言うものを食するから、ウイルス、菌に体が汚染されてやられてしまうのです。そしてそのウイルスを環境に撒き散らし、他の人々をも

汚染してしまう。

エビやロブスターは海のゴキブリと呼ばれていて”ゴキブリ”と

同じ種類の動物であり、味も同じだそうです。ゴキブリなんて

食べ物じゃないし、食べたくない。同じ種類の動物も食べたくない。それらは神の前に身を汚すものとあります。他に食べられるものがたくさんあるのに、神が禁じた身を聖別を汚すものを敢えて食べるとは、賢い生き方のなのかどうなのか、神の言葉からよく考えて噛んで吟味せよ!て事です。

 

続く