第8日目の聖会  生ける水 同じ救いの岩 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

神の創造では1日の時は夕から始まります。

夕あり朝ありとある様に、休む事から1日が始まる。

シャバットで止まる。神の創造された全て、全てが備えられた

状態で神の中に生きる事を最初から教えています。

そして一週間は創造主を知る人知らない人に関わらず7日間です。一週間を4日にして生きようとしたらうまくいかないと言う

事を聞きました。神のデザインに逆らう生き方は不具合があるからです。デザイン通りではない事をしようとすると無理が生じるからです。そして一週間で神が定めた特別の”聖別された日”は

第七日目だけです。この事をよくよく考えてみたら色々な事を発見し続けて行きます。どの日も聖日=シャバット=止まる日と言う異邦人の教えは神の言葉の意味を把握せずに、誰かの解説を取り入れて聖書に書いてある内容を勘違いしているだけです。

 

それでは聖別の意味が消えます。聖別とは普通、普段との”区別”

を表しているものでもある、境界線が敷かれているからです。

どの日もシャバット=聖別された日なら、全部休日になってしまい、普段の日、労働日がなくなります。そして聖別の意味が完全に消えてしまいます。人の社会でも毎日が仕事休みで祝宴なんてあり得ないし、それでは特別な日の意味がなくなります。

毎日が祝宴の訳がありません。

待ち望み、準備する特別な意味合いも消えてしまいます。

神は6日の間人が様々な労働、仕事お金を編み出すビジネス、

創作の作業などをして7日目にはその手の労を止める!と伝えているのです。

 

神が最高の知恵を有している、全世界を造られたお方で、人は

神に造られた事実を知るならば、人を造られた神に人の生き方を

教えられる事が何より最高の知恵であると分かります。

そして人は神に対して教える事など出来ないのです。

神が言われた事と違う事をすることは、そのこと自体が既にズレ=的外れ、神の声の下、声の中に居て聞いていない状態=圏外に

飛び出して神からのシグナルが受け取れない場所に飛び出した

状態になっているのです。

 

神が聖別した週一度の記念日は第七日目であり、神の聖別した日、シャバットや祭りを異邦人が2世紀以降に廃止、変更した

だけで、神が変更したのではないのです。

そして神は人に神の言葉や記念日を変更する事を一切永遠に許可してなどいません。神が神の言葉や記念日を変更した、又は人間が変更する許可を与えていると考えているならば、聖書を完全に読み違えていると言う事が原因で人の教えを神の教えだと勘違いして誤解しているだけです。

 

シャバットは第七日目ですが、シャバットが始まるのは第6日目

金曜日の日没からシャバットが始まり、土曜日の日没でシャバットが終わり、普段の普通の日〜週の第一日、日曜日になるのです。

神の創造された時の暦では、週の第一日目=日曜日が始まるのはこの土曜日の日没からです。

 

今年2023年の仮庵の祭りは9月29日の金曜日日没から始まり、同時にその日は週一度のシャバットであり、祭りが始まる日

は曜日にかかわらずシャバットとして取り扱い祝うので今年はダブルシャバットでスタートしました。そして昨日6日日没が7日間の仮庵の祭りが終わり、金曜日の日没は同時にシャバットで

あり、同時に”第8日目”の単独の祝いの日が始まりました。

 

シェミニ アツレットשְׁמִינִי עֲצֶרֶתと言います。7日間の仮庵の祝宴、子羊の婚礼の宴、イエシュア=仮庵の中に地上で住まいそして、新しい時代イエシュアが統治する時代にイエシュアと共に顔と顔を合わせて住まう事に入る意味の”第8日”目の祝いが今日です。イエシュアと共に地上で過ごし、そのまま新しい時代に入る、第8日目で表されています。

諸外国に居る人達は日曜日、日没まで祝う習慣があります。

 

昨日の晩は大宴会で街中でトラーが与えられ1年を通して神の

ことば=トラーの教えを神から与えられた事、婚姻契約書を

神に感謝し、祝福して踊ったり歌ったりする盛大な行事がありました。”シムハト トラ”שִׂמְחַת תּוֹרָה The Joy of Torah トラーと共に喜ぶ、トラーの喜びと言う意味です。

 

見ると分かりますが、これらの人達の中には異邦人の世界の教えの様に、神の言葉が厳しい律法であるなどと考える人達はいない

のです。神が彼らに与えた契約書をこよなく愛して大事にしている事、誇りに思っている事を見る事が出来ます。

神の言葉は蜜の様に甘い!と神が伝えている通り、神の教えは

受け取る人によって変化するのではなく、蜜の様に甘い、私達

人の生きる上での道を照らす、腹の中を探る”光”=イエシュア

そのものであるのです。トラーを読めば知れば、神がどんなに

良いお方で慈しみ、憐れみ、許しに富み、弱い者の立場に立って

様々な事を教えている事を発見出来ます。雀一羽、小さな動物までも気にかけて教えている神の愛をどうして厳しい律法なんて

言い続けているのか、それは神の言葉の中身を知らないからと言う理由以外にありません。知ったらそんな事言う方が変であると

分かるからです。。

 

いつか時が来てユダヤ人がタナックに記されたメシアは2000年前に来られたイエシュアである事に気が付き、同時に異邦人も

同じトラー=神の教え、婚姻契約書が与えられていて神の言葉は

どこも変化進化していない事、イスラエルの神の中、同じ神の

教え、契約の生き方に皆が戻り1つに引き寄せられる日が来る

と聖書には書いてあります。

 

誰でもイエシュア(ユダヤ人)、子羊の血で贖われた人はイスラエルの神の中に取り戻され同じイスラエルの神の大家族、

イスラエルに接ぎ木され、加えられたと書いてあります。

イスラエルと書いてあるから異邦人には関係のない教えだなどと

考えているなら、その場合、異邦人はイエシュア=ユダヤ人とは

関係無い!と言っているのと同じです。イスラエルとは代表=

契約を受け取った大家族の長男としての代表として選ばれているのです。弟や妹が契約を受け取ったのではないのです。

だから長男は世界に向けて大家族の代表として地の塩、世の光として正しく神の教えを伝える責任があるのです。だからイスラエルがズレたらその刈り取る訓練や代償が厳しいのです。

社会でも責任者には重たい処分があるでしょう。

長男がコケたら、弟妹を誤りに導いてしまうからです。

イエシュアは父の教え=トラーを正しく生きる事が何かを実際に手本を見せられるために地上に来られたのです。それが神が創造された本物のオリジナルのアダム=人間の生き方だからです。

 

異邦人も同じイスラエルの羊の囲いに入れられるとあります。

神の家族は1つしか無いからです。異邦人=教会、イスラエル=

群、集会?教会、群とは、本来のヘブライ語の意味は同じ1つの

カハール、ケヒラ、エクレシア(ギリシャ語)であり、教会と言う別の新しいグループ=異邦人などと言う言葉は聖書には無い言葉、概念であり、異邦人の神学思想による造語です。

便宜上浸透した言葉=教会と言う言葉を使っているので、事実を

伝え把握する妨害になっているとても紛らわしい言葉=チャーチ=教会(日本語)ですが、最初から1つの群=神の民=残りの民=聖徒、神に呼び出された人々の群れなのです。

神の子らはチャーチの人々ではない、神に呼び出された人々の群れ=カハール、ケヒラ、エクレシアなのです。大事な概念、事実は、イエシュアが来られる前と後では別物のグループが出現したと言う意味ではない、エデンを出てから同じ1つの家族の継続、違うのは家族のメンバーが増える、将来は皆が頭脳に割礼を受けて神が見る通りを見て生きる人達で形成される大家族になる!と言う意味が聖書に記されている意味です。

 

エゼキエル37:15 主の言葉がわたしに臨んだ、

37:16 「人の子よ、あなたは一本の木を取り、その上に『ユダおよびその友であるイスラエルの子孫のために』と書き、また一本の木を取って、その上に『ヨセフおよびその友であるイスラエルの全家のために』と書け。これはエフライムの木である。

37:17 あなたはこれらを合わせて、一つの木となせ。これらはあなたの手で一つになる。

37:18 あなたの民の人々があなたに向かって、『これはなんのことであるか、われわれに示してくれないか』と言う時は、

37:19 これに言え、主なる神はこう言われる、見よ、わたしはエフライムの手にあるヨセフと、その友であるイスラエルの部族の木を取り、これをユダの木に合わせて、一つの木となす。これらはわたしの手で一つとなる。

エゼキエル37:21 あなたは彼らに言え。主なる神は、こう言われる、見よ、わたしはイスラエルの人々を、その行った国々から取り出し、四方から彼らを集めて、その地にみちびき、

37:22 その地で彼らを一つの民となしてイスラエルの山々におらせ、ひとりの王が彼ら全体の王となり、彼らは重ねて二つの国民とならず、再び二つの国に分れない。

37:23 彼らはまた、その偶像と、その憎むべきことどもと、もろもろのとがとをもって、身を汚すことはない。わたしは彼らを、その犯したすべての背信から救い出して、これを清める。そして彼らはわが民となり、わたしは彼らの神となる。

 

 

第8日目が来る7日目の日没に盛大な行事がイスラエル、又は
世界中で行われます。

 

 

異邦人の世界でも祝っている。