イスラエル建国75周年独立記念日 ヨム ハアツマウト | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエスさまの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

昨日の晩から今日26日の晩までが、イスラエルの75周年記念日の祝日です。聖書の暦イヤルの月の5日、今年は4月25日

日没から−26日の日没です。

この日はイスラエル各地の上空に戦闘機が飛び祝い、打ち上げ花火、そして個人では皆で集まりバーベキューをしたり盛大に

祝われます。

 

ヨム ハジカロン、兵士達を記念する日と、ヨムハアツマウトの

この 2 日間を結び付けることの記念日は、イスラエルの独立のために命を犠牲にした兵士達の記念日で、その日と直結し繋がる独立記念日を祝うのです。

 

この2つの記念日の公式な切り替えは、日没の数分後に行われ、エルサレムのヘルツル山の軍事墓地で国旗が半旗からポールの

頂上に掲げられる式典が行われます。 通常、イスラエル国防軍の

さまざまな支部や部隊を代表する兵士たちが旗を掲げてパレードする中、イスラエルの大統領が祝辞を述べます。 

ここ数十年で、この小規模な式典は、1950 年代と 60 年代の

メイン イベントであった、はるかに大規模な昼間のパレードに

取って代わりました。 夜のパレードに続いて、たいまつ点灯の

セレモニーが行われ、生活のあらゆる分野における国の功績を

象徴的に示します。

下矢印

 

独立記念宣言

 

イスラエル建国は1948年ですが、1946 年末から 1947 年

初頭にかけて、ベドウィンの 10 代の若者は、現在西岸として

知られている死海の北西岸に位置するクムランの古代集落の近くでヤギと羊の世話をしていました。

若い羊飼いの 1 人が岩を崖の側面の開口部に投げ込み、砕ける音を聞いて驚いたのです。 彼と彼の仲間は後に洞窟に入り、大きな粘土の瓶のコレクションを見つけました。

そのうちの7つには革とパピルスの巻物が入っていました。

 

骨董品のディーラーがキャッシュを購入し、最終的にはテキストが2,000年以上前のものであると推定したさまざまな学者の手に渡りました。発見の知らせが広まった後、ベドウィンのトレジャー ハンターと考古学者は、近くの10 の洞窟からさらに数万の

巻物の断片を発掘しました。 

それらを合わせて 800 から 900 の写本を構成しています。

 

イスラエルが独立する前年の1947 年 12 月、この地域に戦争の雲が立ち込める中、ヘブライ大学の考古学教授であるエリエゼル リパ スケニクは、ベツレヘムのディーラーから 7 本の巻物のうち 3 本を購入することに成功しました。 それらには、聖書のイザヤ書の部分的な写本と、感謝祭の巻物と呼ばれる 2 つの巻物と、闇の子らに対する光の子たちの戦争が含まれていました。

 

イスラエルの神が発した言葉=約束は永遠に堅く立つとある通り

神の言葉は途中で消えたり、破棄されたり、無効になったりなどしません。

イスラエルが国として独立する前に、クムランで死海文書が発見され、それらをイスラエルが手に入れた事は神からの約束のお墨付きを表す出来事であったのです。

 

神が約束された通り、イスラエルの国が復興し、世界に散っていたイスラエルが次々にこの国に戻り現在に至るのです。

世界に散った多くのユダヤ人は、その中で救い主イエシュアに

出会った多くの人達がいます。その人達がイスラエルに帰還し、

そしてこの数年の中で1世紀より多いユダヤ人がイエシュアに

出会う事が起きています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クムランの洞窟

 

 

発見された巻物は、過去の文書との違いがない正確に書き記されたものでした。

 

 

 

 

エルサレムのイスラエル博物館