高き所 異教の神々と混ぜ合わせ交わり礼拝する場所 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

”高き所”と聖書に記されている場所は、神殿や寺院の様な複雑な建築物ではなく、地方や田舎にある聖域でした。

高台や丘の様な場所にあり、1 本の樹木などでマークされる場所でした。

 

地方、田舎では季節ごとの供物や生贄として使われ、おそらくは崇拝されている先祖の一族や部族の思い出に関連する儀式にも使われた場所です。もちろん、それらは異教の神々の礼拝場でもあります。

イスラエルとユダの王達の記録を読むと、高き所を取り除かなかったと記されています。ダビデもソロモンも同じです。

そして唯一ヒゼキヤ王だけが、高き所の礼拝場を一掃する事を

しました。

 

高き所とは異教の神々の礼拝場であり、そこでイスラエルも便乗して混ぜ物をして礼拝していたのです。

そしてイスラエルもモレク神に子供を生贄として捧げていたのです。

 

2列王記16:2 アハズは王となった時二十歳で、エルサレムで16年の間、世を治めたが、その神、主の目にかなう事を先祖ダビデのようには行わなかった。

16:3 彼はイスラエルの王たちの道に歩み、また主がイスラエルの人々の前から追い払われた異邦人の憎むべきおこないにしたがって、自分の子を火に焼いてささげ物とした。

16:4 かつ彼は高き所、また丘の上、すべての青木の下で犠牲をささげ、香をたいた。

 

偶像礼拝の根とは、自分の一番大事なものを犠牲にして神に捧げると言う思考回路です。これは宗教の教えでしっかり教えられているものです。イスラエルの神は100%人に全てを与えて、神の与えたものの中から、神の意図通りを生きる祝福、恵みを与えているのがイスラエルの神です。

 

異教の神々の教えは、自分の大事なものを捧げる、犠牲にすると言う事を要求します。そして異教の神々に仕える人達は神々との関係など無く、神々に必死にアピールし赦しを乞い、呪いを免れ、自分の願いを叶える、御利益だけを頂きたいと言うものです。逆に考えれば、人が神をコントロール、支配する思考回路です。自分が何かをして神を動かすと言うことが目的です。

だから、異教の神々に仕える態度意識はどの宗教でも同じです。無病息災商売繁昌子孫繁栄。これら何も悪い事ではないですが、これだけを求めて生きる事は神が造られた人間の生き方ではないからです。

神との関係の中で生きる事、これが人の生きるデザインだからです。

 

子孫繁栄と言うコンセプトは異教の神々の教えの中で重要な事です。異教の神々の神殿にはイスラエルでも当時異教の神々の神殿娼婦が居たのです。彼らと交わる事で子孫繁栄を約束されると言うおぞましい儀式があったのです。子孫があれば、財を生み出し

続けることに繋がるからです。

 

イスラエルに行くと至る所に遺跡がありますが、古代のカナン人そして、イスラエルが住んでいた住居コミュニテイの中にもその痕跡が見られます。

異教の神々は人間、人の子の生贄を要求したのです。

 

イエシュアがマタイ16:18で、弟子達を連れてバニアスに

立ち寄り、ペテロのイエシュアに対する正しい証言に対して、”この岩=ペテロが証言したイエシュアご自身の上”に、エクレシア=カハール=神に呼び出された人々の群れを建て続けると言う宣言をした場所も、異教の神々の神殿の場所でした。この場所では子供の生贄が捧げられて居たのです。おぞましい儀式ですが、それが異教の神々が要求するもの〜命=子供の生贄儀式でした。

 

 

バニアス

 

1列王記 22:51 アハブの子アハジヤはユダの王ヨシャパテの第十七年にサマリヤでイスラエルの王となり、二年イスラエルを治めた。

 22:52 彼は主の目の前に悪を行い、その父の道と、その母の道、およびかのイスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤラベアムの道に歩み、

 22:53 バアルに仕えて、それを拝み、イスラエルの神、主を怒らせた。すべて彼の父がしたとおりであった

2列王記13:2 彼は主の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤラベアムの罪を行いつづけて、それを離れなかった。

 

実際の遺跡 生贄にされた子供

 

古代イスラエルには混ぜ物の礼拝の痕跡がたくさんあります。

 

 

左と右 高さが違う柱がありますが、イスラエルのカナン人の街の遺跡の中にはバアルとアシュラバアル神夫、アシュラ妻があります。(テル アラド)

上の画像は、奥にある二つの石、左がイスラエルの神、右がアシェラです。

手前の左の柱の上で大麻の香、右はフランキンセスの香を焚いた

のです。

 

これはイスラエルのコミュニテイの中にも見られるのです。

イスラエルが異教の神々との混ぜ物をして礼拝していた証拠が

遺跡として残されています。

イスラエルの神と、アシュラ女神妻と抱き合わせで石の柱を作っていたのです。バアル神を、イスラエルの神に置き換えたのです。

アシュラ、イシュタル、イースター呼び名は色々と違いますが、異教の神々、女神です。それらの異教の神々の異物やシンボルがイスラエルの神の教えに入り込んでいるのです。

これが聖書で禁じられている高き所の礼拝=異教の神々の場所

要素、シンボル、偶像礼拝思考、神の前に色々してアピールし

赦しを乞い、結果お恵みを頂くという異教徒思想と交わり礼拝する事です。

だから、聖書では、異教の神々に仕える様に”わたしに近づくな!”とイスラエルの神が警告しているのは、そう言う思考回路

でイスラエルの神に関わるなと言う事を言っているのです。

関係を求めて神と繋がる世界でなく、御利益ギブアンドテークの

異教神信仰思考回路を神は忌み嫌うと言われたのです。

ズレているからです。夫婦で妻が夫に金だけ目当てで、相手の機嫌を損なわない、又は相手の怒りを買わない様に怯えながら色々する、自分の目的達成のために相手に尽くすならそれは正常な愛の関係では無い事でも理解出来るでしょう。

相手との関係なんて要らないから、自分の要求願望を満たせと言う、それが偶像礼拝の根であることが聖書に記されています。

 

スサで発見された高き所の模型

 

 

 

カナン人の礼拝場 高き所

 

 

 

生贄を捧げる祭壇

 

 

テルメギド 高き所

自分の大事な物を神に捧げないと神に喜ばれない、神への忠誠心を表していないなどと考える思考回路は異教の神々に仕え、拝む思考回路と同じです。

神は大事な子供や家族を犠牲にせよ!などと言う教えはしていません。夫婦、家族、親族、コミュニテイの仲間をガードして

生きよ!とトラーでは教えているのです。

 

金の子牛を通してイスラエルの神を拝む。体は出エジプトしても

頭脳に割礼の無い人は、自分の馴染んでいる方法でイスラエルの神を礼拝するのです。自分の手で編み出し努力して作ったものを

通して、人間の考えを通して神に近づこうとする思考回路です。