詩篇 118章 ”この日”=過越の祭りの日は”主”が造られたと歌っている | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエスさまの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

詩篇120–134 は、都上りの歌です。

都上りの祭り=神の3大祭り 都=エルサレムの神の家に上って祝う祭りです。

1つ場所=神の家。1つ家族が全世界から集まり、1つ神の中に

引き寄せられている事実を皆で祝う。

天の現実、天の神の家の姿を地上で表されたものが神の家。

そして一人一人が神に宮なのです。

春の過越、それに続くシャブオート(ギリシャ語でペンテコステ)そして秋の仮庵の祭り都上りの3大祭りでエルサレムに各地から上る時に歌いながらエルサレムに向かった時にこの詩篇を歌ったのです。

 

ユダヤ人の賛美歌の本は、詩篇なのです。

そしてクリスチャンの間でこの日は主が造られた”と歌われて

いる賛美は、実は過越の祭り”の日を指して歌っているのです。

それは詩篇118章にあります。

聖書の中に”主の日” ”この日”などと感謝、賛美しているものは

神の定めの日、記念日、祭、レビ記23章に記されている祭の

事なのです。ランダムな不特定の普通の日を指して書かれているのではないのです。

 

ユダヤ人の友人が救われてイエシュアに出会った後、家族でいつもの年の様に過越を祝った時に、セーダー晩餐の儀式の中で読む詩篇の箇所を読んだそうですが、その時に詩篇118章この日=過越の祭りの日イエシュアの事を歌っている事に始めて気が付いて感動が止まらず涙が溢れ出るのを止められなかったと言いました。

ユダヤ人はイエシュアを分からないまま神の祭りを祝いますが、

でもイエシュアに出会ったらその祭の中心、フォーカスは実は

イエシュアであった事に気がつくのです。

 

ユダヤ人なら分かる。イエシュアに出会えば分かる。

そう福音は1つ。同じ1つの福音。別々の福音は無い。

神の言葉の全てはイエシュアを指している。

そして神の記念日の全てはイエシュアのされた業を表しその事実を皆で喜び祝うために主がこの記念日を造られたのです。

天からの直送、天に直結し属する本物を取り戻そう!失って

しまった本物!イエシュアが与えて下さった本物を祝おう!と

今世界中が戻る事をしています。

 

同じ1つの家族に別々の記念日を、神は造られてなどいないのです。それが聖書の事実なのです。

神が創造された”わたしの記念日”と神が紹介されたそのオリジナルを永遠に祝うように神がデザインされたものを神の子らは

人種に関わらず1つ家族として祝うように神が教えているのです。

 

イエシュアが再び来られたら全世界はシャロームで神の記念日を

祝うために国の首相がエルサレムに上ると預言されている通り

今この場所でこの時この日に神の造られた記念日、イエシュアの

記念日を心から感謝して、神の家族が1つとなり喜び祝いたいと思いませんか?

 

詩篇118

 

 

1恵み深い主に感謝せよ。慈しみはとこしえに。

2イスラエルは言え。慈しみはとこしえに。

3アロンの家は言え。慈しみはとこしえに。

4主を畏れる人は言え。慈しみはとこしえに。

5苦難のはざまから主を呼び求めると主は答えてわたしを解き放たれた。

6主はわたしの味方、わたしは誰を恐れよう。

人間がわたしに何をなしえよう。

 

7主はわたしの味方、助けとなって

わたしを憎む者らを支配させてくださる。

 

8人間に頼らず、主を避けどころとしよう。

 

9君侯に頼らず、主を避けどころとしよう。

 

10国々はこぞってわたしを包囲するが

主の御名によってわたしは必ず彼らを滅ぼす。

 

11彼らは幾重にも包囲するが

主の御名によってわたしは必ず彼らを滅ぼす。

 

12蜂のようにわたしを包囲するが

茨が燃えるように彼らは燃え尽きる。

主の御名によってわたしは必ず彼らを滅ぼす。

 

13激しく攻められて倒れそうになったわたしを

主は助けてくださった。

 

14主はわたしの砦、わたしの歌。

主はわたしの救いとなってくださった。

 

15御救いを喜び歌う声が主に従う人の天幕に響く。

主の右の手は御力を示す。

 

16主の右の手は高く上がり

主の右の手は御力を示す。

 

17死ぬことなく、生き長らえて

主の御業を語り伝えよう。

 

18主はわたしを厳しく懲らしめられたが

死に渡すことはなさらなかった。

 

19正義の城門を開け

わたしは入って主に感謝しよう。

 

20これは主の城門

主に従う人々はここを入る。

 

21わたしはあなたに感謝をささげる

あなたは答え、救いを与えてくださった。

 

22家を建てる者の退けた石が

隅の親石となった。

 

23これは主の御業

わたしたちの目には驚くべきこと。

 

24今日こそ主の御業の日=<過越の祭りの日>

今日を喜び祝い、喜び躍ろう。

<過越の子羊となって地上で天の中に永遠から既に備えられて

存在している贖い、救いの姿を地上のエルレムでも祭りの時に見せて証明して下さった日。>

 

25どうか主よ、わたしたちに救いを。

どうか主よ、わたしたちに栄えを。

 

26祝福あれ、主の御名によって来る人に。

わたしたちは主の家からあなたたちを祝福する。

 

27主こそ神、わたしたちに光をお与えになる方。

祭壇の角のところまで

祭りのいけにえを綱でひいて行け。

 

28あなたはわたしの神、あなたに感謝をささげる。

わたしの神よ、あなたをあがめる。

 

29恵み深い主に感謝せよ。

慈しみはとこしえに。

 

世界の四隅各地から1つ場所、神の家に1つ家族として集まり

神を中心に喜び楽しみ主の記念日を祝う。

1つ神の中に引き寄せられる。