過越の流れ 8 アフィコメンの意味とは? | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエスさまの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

アフィコメン=3つに重ねた真ん中のマッツアを半分に折り、

子供達に大人が部屋のどこかに分からないように隠して、それを子供達に見つけさせます。

それは儀式の一番最後の事なのです。それには意味があります。

布に包まれた3つのマッツア。真ん中のマッツアが砕かれて

そして半分を隠しました。

イエシュア、私たちのために屠られた子羊です。マッツア=とは

不必要なものが全て濾された、取り除かれたと言う意味です。

私たちのために過越の子羊となり私たちを覆われたイエシュア。

イエシュアは最後の晩餐のこの儀式の中で、”あなたたちのために砕かれるわたしの体”とマッツアを取り弟子たちに言い聞かせました。

地上で天の中、永遠の中から用意されている買い戻された本物の

自分の現実、永遠から同じイエシュアの業で完了している

その事実を地上で見せてくださったのです。

 

今しばらくの間隠されているけれど、再び終わりの時に現れる。

隠されていたもの=イエシュアが地上で皆の前で表される。

そして、今度は神が統治する世界がやってくる!

これが本物の希望です。

それがこのアフィコメンを隠すゲームの中で再現されいてるのです。過越の晩餐の最初で隠されたアフィコメンが、晩餐の最後に再びテーブルに戻されるのです。

 

イエシュアが地上に来られそして昇天され再び地上に戻られる日が来る!この晩餐の儀式の中の子供達へのゲームの中でこれが

再現されているのです。

 

イエシュアを信じないユダヤ人達の間でも伝統的に今の過越の祭のセダーの晩餐の中でこれをします。そして彼らはその本当の

意味を知らないのです。でもイエシュアを知る人達は、この真ん中の砕かれたマッツアが何を意味しているのかを知っています。

そしてこれらはイエシュアの時代にはなかった儀式なのです。

 

ユダヤ人によりイエシュアの福音の事実を次世代の子供達へ

伝える方法を編み出さしたものなのです。これが過越の祭りの中のゲームとして取り入れられ福音のエッセンスが語り継がれて

再現されているのです。

1世紀当時は全て殆どがユダヤ人イエシュア信者です。

その後もユダヤ人イエシュア信者によりこの儀式が過越の晩餐で

取り入れられずっと今日に至るまでその慣わしが継承され続け

世界中で同じ事が過越の祭の晩餐で行われ、過越の祭りが祝われているのです。

 

ユダヤ人も意味を知らないまま、使っているこの言葉、
”アフィコメン”。アフィコメンから得た=マッツア=

アフィコメンとは何でしょうか?

イエシュアを知らないユダヤ人達は、アフィコメントは”デザート”と言う意味であると説明します。

それは儀式の最後に隠されていたマッツアがテーブルに戻されて

食べるから、デザートであると考えているわけです。

でも本当は違うのです。

ギリシャ語では、Aerost Tense。
ギリシャ語では動詞、過去一度だけ行われた行動に対して使う

言葉なのです。

”アフィコメン=I came=私は来た”と言う意味。
しばらく考えてみてください。
真ん中で砕かれたマッツア、隠され、復活したのです。
”私、イエシュア=救いは来た”と言われた。

ここで 祝福を祈るのです。
全宇宙の王の王,主の主である神、救い主イエシュア に
祝福あれ!

夕食の食事の後、これがあなた方の為に砕かれる、私の体、
全部を食べて、私を思い出しなさい。私の完了の業を思い出しなさい!

過ぎ越しの祝いを、イエシュアが終わらせたのではないのです。
過ぎ越しの祭りを毎年祝うたびに、永遠の中で既にイエシュアが支払われた贖いの代価=完了の業を思い出して、この過越の祭の中でマッツアを食べ、4つの杯の意味を思い出ししなさいと言われたのはイエシュアです。
聖書の中の主の仰せは永遠に変わらないのです。

そして、再び来られたらその時にこの過越の祝いをする事も

イエシュアは話されました。その時が来るまで地上に置いて

神の子らとこの”ぶどう酒”を飲むことはないとイエシュアが言われたでしょう。

 

マタイ 26:27 また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた、「みな、この杯から飲め。

26:28 これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。

26:29 あなたがたに言っておく。わたしの父の国であなたがたと共に、新しく飲むその日までは、わたしは今後決して、ぶどうの実から造ったものを飲むことをしない」。

 

ルカ22:15 イエスは彼らに言われた、「わたしは苦しみを受ける前に、あなたがたとこの過越の食事をしようと、切に望んでいた。

22:16 あなたがたに言って置くが、神の国で過越が成就する時までは、わたしは二度と、この過越の食事をすることはない」。

 

やがてイエシュアが戻られたら神の記念日の全てを皆で祝う時が来る事がちゃんと預言書に書かれているのです。

その時までイエシュアは過越の晩餐を地上の神の国の首都エルサレムにてしない、でも再び来られたらその時は再び皆で過越、

シャブオート、仮庵をエルサレムで祝うと言うことが聖書にちゃんと預言されて記されているのです。

ゼカリヤ14:16−21 仮庵は1年の全ての祭りの最後の祭りです。祭りは1年の祭りを全て祝って仮庵で終わるのです。

全ての祭りを網羅して語られているのがぜカリヤ14章なのです。


ルカ22:19 またパンを取り、感謝してこれをさき、
弟子たちに与えて言われた、「これは、あなたがたのために
与えるわたしのからだである。わたしを記念するため、
このように行いなさい」。

22:20 食事ののち、杯も同じ様にして言われた、
「この杯は、あなたがたのために流すわたしの血で
立てられる新しい=(再更新された内容は100%全て同じ婚姻契約)契約である。

イエシュアを信じる全ての人達、イスラエルの契約に加えられ

同じイスラエルの神の家族の一員とされているのです。

1つ家族は神の創造された記念日を祝い、それぞれが勝手に作り出した記念日を祝う様なバラバラな行動はしないのです。
共に永遠にこの祭りを祝いなさい。
出エジプトを思い出すだけではないのです。

個人個人の出エジプト、奴隷状態からの脱出劇を思い出す。
それをすることで私=イエシュアを思い出すでしょう。
私イエシュアが、あなたを購い出した者であるこれ=過越の祭りの晩餐を祝うたびに思い出しなさい。皆で思い出して!とイエシュアが遺言として言われたのです。

イエシュアが言われた事を、重要な意味があると受け取るべきものなのです。
一年に一度、ペサハ=過ぎ越しの祭りをしても、イエシュアが中心でない限り、過ぎ越しの祭りは、過ぎ越しの祭りではないのです。
アフィコメン=砕かれたマッツアを食べて、私”イエシュア”を

思い出しなさい。意味が分からないままする儀式は無意味です。
でも、一つ一つ意味が分かりする時に主は大事な事を教え続けて下さいます。
主の言葉を軽く見て軽く取り扱う場合は、見えない世界があると言う事なのです。
聖書に書かれている事は、イスラエルを代表して、長子を通して、全人類へ同じ契約教えを主は与えて下さっているのです。
テーブル代表のお父さん方がこの後、真中のマッツアを出して、
皆さんに配ってください。
この時になって真ん中のマッツアを出して、私達のために砕かれたイエシュアを皆で今一度思い出すのです。
そして、祈ってください。

 

 

続く

 

 

普段シャバットに使うハラーのパンにかけるカバーはこんな

感じです。

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そしてペサフで使うカバーはこの様に王冠の刺繍が付いています。

ペサフとヘブライ語で書かれています。

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そしてこのカバーの中は3つに分かれています。

3つのマッツアを入れます。

真ん中に砕かれたマッツアを入れるのです。

イエシュアを表す砕かれたマッツア。過越の子羊。

私達のために砕かれたイエシュア=救いを表すものです。

 

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