イスラエルの神が創造され聖別された神の定めの記念日を生きる | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

昨日25日の日没から26日の日没までが、ヨム テルア

角笛を吹く日と名づけられている神の定めの記念日です。

この日はイスラエルの友人達とそして世界に居る人達と一緒に

朝からズームでですが、この記念日を祝い、最後は皆で一緒に

ショファーを鳴らしました。

 
イエシュア、そして聖書に登場し記されている神の民は、皆全員イスラエルの神が創造された神の定めの日を祝っていたのです。神が神の記念日に対して尊重し敬意を払い喜び祝う人達に対して神の定めの日に特別な出会いをして下さると約束されたからです。
人間の決めた記念日でも特別な記念日には、長い期間を要し、
考え、備し喜びと期待とで胸膨らませ、その日を迎えるために皆気持ちを1つにし準備しながらその日を心待ちにするでしょう。
それなら尚更神が創造された記念日を迎え祝える祝福と喜びは
実際に準備し祝う人は神が与える祝福を経験体験するのです。

 

詩篇 89:15 祭の日の喜びの声を知る民はさいわいです。

主よ、彼らはみ顔の光のなかを歩み、

 

ショファーの音=神の声、神の訪れを告げ知らせる意味を理解し知り、神の祭りの日を祝う人達は幸いである!と神が人に伝えているのです。

自分空想のイスラエルの神像、自分空想のイスラエルの神の教えや記念日ではなく、神が伝える正真正銘本物生粋の神の定めの日を祝う!イスラエルの神は西洋宗教が教える様な神の発言した言葉や教えを途中で変えたり、時代ごと人種ごとに別種類の教えなど教えない!永遠不変の真理、真実を伝える神です。

これら神の造られた記念日を祝う民は天の神の栄光実態を地上で鏡に映し出す映像のごとく、周りの、世界の人々へ神の語る

純粋な福音を伝える事をするのです。

 

イスラエルでは今この時祝日で国全体で祝日として止まり、

皆で祝っているので、祭りの日の雰囲気を環境、肌で感じます。

日本人が正月に正月が来るぞ、来たな〜と感じるのは、周り皆が

正月に向けて準備し始め、その事をずっと話題にし語り、そして

その特別な祝日を迎え祝うからですね。諸外国に居るとイスラエルの神の記念日は、その国の休みや週末の休みとは必ず重ならないです。実際に昨日の日没は日曜日ですから休みでしたが、今日月曜日はイスラエル以外の国では労働日、普通の活動日であり、

休日ではないです。

そして何より今日のこの日が”神の定めの記念日”であるなどと

言う認識、知識も全く無い環境です。周りの誰一人としてヨム

テルア=神の記念日を話題になどしていないと思います。イエシュアを信じる異邦人クリスチャンとて神の定めの記念日はいつであるのか何であるのかも知らないし、教えられないし、会話の中にも上らないし、話題にもならない、当然祝わないのです。

なぜそうなのか?2世紀以降異邦人信者達は、ローマ帝国の勅令と重税処刑を免れるために、神の教え=モーセの五書を生きない路線に走り、その様に教える西洋教父達の教えに付いて行き、

パウロの様なユダヤ人、トラーを教え生きる人達と完全決別し

聖書に記されている神の本当の記念日を祝わなくなった、それが

異邦人が違う教え、違う記念日を祝う様になり今に至る本当の

理由なのです。その真実に気が付くには神の言葉の真実に反応

出来る相当明確な覚醒気づき、聖書の学びを経る時が必要なのです。聖書に神が伝える教え、神が伝える神の定めの記念日の事が書いてあっても、それらが何か考えるチャンスさえ今も与えられない環境にいるからです。教えられる内容が、反モーセの五書=人の編み出した神学=神の言葉終わり!と言う教えが根本土台に根深く占拠し座り、その思想からしか聖書の解説を聞く事がないからです。

 

でも世界で起きている事はこの様な感じです。自分の興味のないチャンネルを見ないのと同じ事です。でもそのチャンネルにアクセスすると情報は満載、そして世界中に異邦人でも、1世紀の

信者と同様に神の教え=トラーを生きて、神の記念日をユダヤ人と共に祝う事をしている異邦人達がいる!と言う事を発見します。その世界を覗かない、知らないから、何事も起きていないかのごとくに思え、その事実が見えないだけなのです。

 

諸外国に住んでいる、そして救い主を信じていても救い主が教え

生きていた大事な神の定めの記念日を知らない、祝わないのは

この様な理由からです。昇天以降は教えが新しくなり古い以前の教えを生きたり、祭りは祝わない様に神が教えたなどと考えていたら、完全にイエシュア=イスラエルの神を誤解し、自分空想のイスラエルの神像を信じているだけになってしまうのです。神が招いている記念日の全て、それがいつ行われるものなのか、聖書にはっきり記されています。福音書以降に書かれている彼らが

祝った記念日は、レビ記23章に書かれている記念日なのです。それ以外は人間創作の宗教の祭り、それぞれの国の記念日、それぞれ個人が大事にする個人に取り意味がある記念日、誕生日や

その他の記念日であり、それらは福音を網羅する神が神の民全員が祝う様に神が教えている神が創造した神の定めの記念日ではないのです。それこそパウロが言う様に、それぞれが考えるそれぞれの大事な日は自分で決めて祝えば良い〜人の記念日です。

でも神の子らが全員で代々永遠に祝い続ける記念日は神が人に

はっきりと伝えているのです。

 

            冬<祭りが無い>

 

  ヨム テルア            過越の祭り

秋 大贖罪日     シャバット    種無しパン  春

  仮庵の祭り             初穂を捧げる

                   <初穂を数える7週>

                    シャヴオート                     

 

            夏<祭りが無い>

 

神の記念日=聖別された日の中心はシャバット=週の第七日目

なのです。

春の祭りは4つあります。過越の祭り、その日から7日間続く

種無しパンの祭り=翻訳では除酵祭と訳されていますが、

マッツア=種無しパンを食べる7日を過ごす。

そして3つ目は”初穂”を祝う日。これはイエシュアの復活の命

新しくされた命が与えられた事を祝う日なのです。

そして初穂を祝う日から7週間、7回のシャバットを過ごすのです。贖われた人が復活の命=イエシュアの実態を身に受けた。

それが初穂の収穫を捧げることで表されているのです。

そしてその初穂に繋がる人達が、新しくされた人として成長する

自覚と実践を7週間で学ぶのです。

そして7週後に、シャヴオートの祭りが来ます。これが神さ創造された生粋正真正銘の神の定めの記念日!なのです。

これは永遠に変わりません。そしてこれら春の祭りは全て地上で

も表され成就されました。

過越、子羊の血での贖い、奴隷から贖い出され新しい命=復活の

命を与えられイスラエルの神の民とされた!その人達はイスラエルの神が伝える生き方=トラーに書かれた生き方をする。

同じ婚姻契約を生きる事に引き寄せられ、1つ家族として一体として一致して、神の教えを生きる国民とされたのです。

 

図で見ると分かりやすいですね。

春の祭りの中でイエシュアが実際に何をされましたか?

エジプトからの過越~子羊の血の贖い、エルサレムで処刑された

事実と同じです。

種無しパン=新しくされた人=罪~ハメッツが削ぎ落とされた

マッツア=種無しパン=要らないもの=罪が削ぎ落とされた

初穂=イエシュアの復活の事実を祝う。

穂を数える7週=新しい命=復活の命を頂いた人が、以前の罪に

死んで生きていた自分は死んだ事を認識し、新しくされた人の

実態を生きる、日々の成長を考え生きる。

シャヴオート=神の花嫁とされた人達は神の婚姻契約に生きる

事に招かれ、そして神の教えを生きる決意を表明し祝う。

 

神の記念日は全てイエシュアの業、福音の要素を網羅する預言的

祭りだと理解出来るでしょうか。

 

春の祭りから夏まで都上りの祭りはありません。イスラエルでは春から夏は雨が一滴も降りません。秋の仮庵の祭りの時に初めて

大雨が降り始めるのです。大地を叩き割り次の年の作物を植える準備大地を整える雨です。春に降る雨は先の雨と言われますが、

チョロチョロの雨です。

 

夏と冬には神の祭りが一切無い時期です。秋の祭りはヨム テルアを皮切りに始まります。聖書の第七の月の1日。この日は新月の日になるのです。ショファーを鳴らし神の到来を告げ知らせるのです。
第七の月の前に第六の月があります。この月には、悔い改めを
する準備が既に始まっています。
ヨム テルアから10日間、10の言葉に照らし合わせて、
いかに自分の思索、歩みがずれていたのか省みて、神の意図通り神の教えに戻る!神の伝える生き方に修復する!と言う事を
個人で家族で町ぐるみで国全体でする様に神に伝えられている
のです。
そして10日目がヨム キプル大贖罪日です。
そしてその後第七の月の15日に仮庵の祭りが始まります。
仮庵に7日間住まうのです。ヨムキプルが終わったらすぐ仮庵を
建て始めます。第8日目も祝います。
 
これら秋の祭りは何を表していますか?
ヨムテルア 神の国が近づいた!王の到来を告げる、神のトラー
生き方に軌道修正する意識を人々の中に目覚めさせる目覚まし
コールなのです。
大贖罪日〜神の前に一人一人が生き方を振り返り軌道修正する事
をするのです。これを最後の審判となぞらえています。
そして、過越で屠られた子羊の血の贖いが有効である事が証明される日でもあるのです。
ユダヤ人でイエシュアを知らない人も神の祭りの真相の全貌が
見えていないのです。
そして、仮庵に住まう。イエシュアの統治、エルサレムの神の家
で世界を統治する王の王として君臨される。
地上の仮庵、地上にありながら天の現実=イエシュアの中に住まい守られている事を表しています。
そして8日目の祝いは、イエシュアの新しい統治を表すものです。
 
神の教えを生きない、祭りを祝わないと言うことはどう言うこと
なのかと言うと、目の前のご馳走をチラ見しただけで。
成分や材料は説明しても、実際にそれらがどんなものであるのか
食べないので体験的には分からない、全く理解出来ない、知らないと言うことです。
いやそのご馳走が目の前に置かれている、神の祭りの意味、内容
実際に祝わないと言うことは、神に招かれた祭りがいつなのか
全然知らない、聖書に書いてあるのにそれらの記事が頭の中を
素通りして注意も払わないし、気がつかない、考えないと言う事
なのです。
 
 
続く