今日の日没にショファーを鳴らす時が始まる | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

2022年の秋の神の創造された定めの日=記念日の始まりは、聖書の暦の第7の月の1日、今日9月25日日没に角笛を鳴らす神の記念日を祝います。

聖書で25日日曜日から26日月曜日を再び”シャバット”=止まる日としてこの日を祝います。来年2023年は9月15日、

金曜日の日没がその日の始まりです。シャバットの日に重なるのです。毎年曜日、日付が変わるのは聖書の暦を土台としているので、グレゴリオ暦では違う日にち、違う曜日になるのです。

でも大体9月半ばから10月にかけて、秋の時期に入る時、

丁度仮庵の祭りの時から春から夏に止まっていた雨が降り出す

のです。季節、そして大地、実りを通して神はたくさんの教えを

教えているのです。

 

祭り、記念日は曜日に関わらずスタート、終了はシャバットとして止まり祝う様に神がデザイン創造されています。

今日2022年9月25日が聖書の暦の第7の月の1日です。

そしてこれから10日後に来る大贖罪日、10月4日火曜日日没から5日水曜日日没も、シャバット=止まる日としてその日を

ガードし祝います。仮庵の祭りは第七の月の15日です。

この時に満月になります。9日日曜日朝5:59AMに満月に

なります。収穫の月と呼ばれます。

秋は1年最後の収穫、全ての収穫が集められる時です。

神の祭りと収穫は常に一体であり、収穫から様々な事を教えて

います。最後の刈り入れ!とあるでしょう。イエシュアが到来したら全て神の子らが集められる事を収穫〜実りで表しているもの

でもあります。

仮庵の祭り10月9日、日曜日日没もシャバットであり、その前の7日、金曜日〜8日土曜日日没も週の中の第七日目のシャバットとして祝い止まり祝うのです。そして仮庵の祭りが終わる日

仮庵の第8日めの16日日曜日日没から次の日の夕暮れも止まり祝う祭りの終了の最後の記念日としてシャバットとして止まり

祝う日です。

この日神の定めの日を世界の中で国全体で認識祝う国はイスラエル以外には無いので、イスラエルだけが神の定めの日、記念日の今日の日没を再びシャバットとして止まりこの日を国全体で祝うのです。

世界中で主にユダヤ人しか聖書に記された神が創造された記念日を祝わないので、”ユダヤ人だけの祭り”であると勘違いしているのです。

ユダヤ人だけのために神が造った祭りではなく、”わたし〜創造主の記念日”と神の口から直接紹介している事が本当の真実なのです。だからイスラエルの神=イエシュアに属する人達は、全員

同じイスラエルの神の大家族として加えられ同じ1つの婚姻契約を生きる、神が創造された神の家族の印である記念日を祝う!

と聖書には書いてあるのです。そして聖書に登場する人達は

1世紀当時も、諸外国に住んでいたユダヤ人そしてそのユダヤ人の会堂でトラーを学び一緒に集まっていた異邦人も全てレビ記

23章、秋で言えば、ヨム テルア、大贖罪日、そして仮庵の祭りを祝っていた記録しか聖書には書かれていません。

 

世界の只中で神が地上で神の国を表す、神の宮に住まう事を

表す唯一無二の国として選び出した場所がイスラエルであり、

神の国の子ら、神の実態を世界へ伝える役割を最初に代表として与えた長子、世界の全民族のかしらとして選ばれたイスラエルを

通して福音が世界へ伝えられた事実があります。

そしてイスラエルの神の大家族の長子がイエシュアです。

イエシュア=天の大祭司、ユダ族に属する王の家系、メレキゼデクに属する大祭司、天の現実を地上でそっくりそのまま表した

お手本です。

イエシュアに属する人=天の祭司の役割である神の祭司、私達

イエシュアに属する人々人種に関わらず神の宮であると言う自覚があるならば、神の祭司、神の宮の定義=聖別はモーセの五書に記された通りである、神が伝える聖別の意味を理解する必要があるのです。

神が定義する聖別は人間個人個人自ら勝手自由気ままに定義するものではないからです。神が創造された聖別=神の目的通りに

ぴったり合ったものが本物の聖別だからです。自分自ら聖別し自ら清めながら神の忌み嫌う行動をしていたと預言書に警告が書かれています。神の前に自分独自の考えの聖別をしているので、神の忌み嫌う行為が何か全く理解せず聖別を破る汚れた行動をしていた事が書かれています。使徒15章にあるイエシュアを信じた異邦人がトラーに書かれた聖別の教えを全く理解していなかったのと同じ状態です。

イザヤ166:7

園に入るために身を清め、自分を聖別し その中にある一つのものに付き従い 豚や忌まわしい獣やねずみの肉を食らう者は ことごとく絶たれる、と主は言われる。

 

聖書にはこれらの罪をヤラベアムの罪とずっと書かれています。

何をしたか?神の教えを変形したリーダー、神の祭り〜仮庵の祭りを変形した事が書かれています。

ユダ=エルサレムの神殿でコバンを捧げず違う場所を神の宮と

して祭りをした事。ベテルとダンに自ら祭壇を築いた事。

地上の神の宮の祭司はレビ族だけがなるものであるのに、

レビ族ではない一般の人を祭司とした事。

仮庵の祭り〜第7の月の15日に祝う祭りを、第8の月の15日に変更して祝っている事。

神の教えを宗教の教えに変形するとは、人の考えを付け加え、神のオリジナルの教え、記念日を変形し似て非なる別物に変更してしまう行為なのです。神の警告が理解出来れば、自分が実践している様々な事は聖書にある警告そのものなのに神からの警告を全く無視〜いや神に言われている言葉、教え、警告が全く見えず

理解せず、人間自ら聖別した様々な事をやっていると気が付けるはずです。

 

1列王記12:26 しかしヤラベアムはその心のうちに言った、

「国は今ダビデの家にもどるであろう。

12:27 もしこの民がエルサレムにある主の宮に犠牲をささげるために上るならば、この民の心はユダの王である彼らの主君レハベアムに帰り、わたしを殺して、ユダの王レハベアムに帰るであろう」。

12:28 そこで王は相談して、二つの金の子牛を造り、民に言った、「あなたがたはもはやエルサレムに上るには、およばない。イスラエルよ、あなたがたをエジプトの国から導き上ったあなたがたの神を見よ」。

12:29 そして彼は一つをベテルにすえ、一つをダンに置いた。

12:30 この事は罪となった。民がベテルへ行って一つを礼拝し、ダンへ行って一つを礼拝したからである。

12:31 彼はまた高き所に家を造り、レビの子孫でない一般の民を祭司に任命した。

これが罪であるなら今も同じ行為は神の前に罪そのもの以外の

何ものでもない事実が聖書には記されているのです。神は神の

伝える事実を退け、人間がヤラベアム王の様に勝手な考えで

作り出した様々な人間の宗教礼拝を忌み嫌い退ける!と言って

いるのです。でも神は長い間アクションを起こさないのでなんてことないのだ〜好きな様にすれば良いと思うかもしれませんが、ある日神は神の伝える全てを正しく明らかにするために偽物を

追放する裁きをされ偽物、まがい物、人間の作り物の教え=嘘

不真実、まやかしから人に解放をもたらすのです。

私達神の似姿に造られた人間は神の言葉=DNA=神の真理で出来ているのです。だから嘘で満たされたら不具合が生じるのです。

添加物、合成、遺伝子組み換えと同じ、人間本来のエッセンス〜

要素=成り立ちは神の真理だけを求めるからです。

”あなたがたは真理を知り、真理はあなたを自由にします。”

偽の教えからの解放は人に神の義、神の伝える本来の本質を生きる自由の中へ解放して下さると言っています。

 

12:32 またヤラベアムはユダで行う祭と同じ祭=秋の仮庵の祭り八月の十五日に定め、そして祭壇に上った。彼はベテルでそのように行い、彼が造った子牛に犠牲をささげた。

また自分の造った高き所の祭司をベテルに立てた。

<神が造った記念日を塗り替える行為〜人が神より優れていると言う自己顕示欲、又は金の子牛〜自分の手で編み出した偶像、

思想、哲学で勝手に神を礼拝する背信行為でもあると書かれています。そんなものを神がありがたく受け取りましたと書いてありますか?気が付いたら偽物からは離れる!当然の行為なのです。神が人に伝えた通りに神に近づく、神と関係を持つ、神の記念日祝い、神の栄光を正確に地上に反映し映し出す。>

12:33 こうして彼はベテルに造った祭壇に八月の十五日に上った。これは彼が自分で勝手に考えついた月であった。そして彼はイスラエルの人々のために祭を定め、祭壇に上って香をたいた。

 

勝手に考えついた月神の秋の定めの祭りは第七の月15日

それが仮庵の祭りなのに、ヤラベアム王は自分で勝手に考えた

月=第8の月に祭りを変更。祭壇もエルサレム以外に2つも作り、そしてレビ族ではない人を祭司とした。この罪ローマ帝国がやった事と全く同じ、同質の罪です。神のトラー〜教えを塗り

替え、神の記念日を彼らの異教徒の地場宗教=太陽神の宗教の

教えや礼拝日記念日に作り変え神の教えとすり替えた

本当に怒るべき内容なのに、それらが神の記念日であると異邦人の世界では受け入れてしまい、宗教=人間が作った教えや記念日を祝う事に移行してしまった事実を一体どれだけの人が認識しているのでしょうか?今やクリスチャンではない一般の人達さえ、聖書に書いてない人が創造した記念日の事を知っています。

ならば、聖書を知る人達が何が聖書の事実で何が事実ではないか。誰が勝手に神の記念日を異教の神々の記念日に便乗して創作したものにすり替えたのか、それくらいの基本的知識は知って

おく必要があると思います。そうすれば、神が拒絶否定する異教の神々のもの、神のオリジナルではないものに自分を汚染する

行為から守られる、聖別を汚す事から守られるからです。神は

混ぜ物=異教の神々の宗教、シンボル、儀式や記念日と混じり合うことを断固として最も忌み嫌い拒否している事が聖書の至る所に記されているのです。

神が伝える教えや、神の記念日を祝わないで人間が創作したものを祝う、神の言葉の事実に目が開かれたらそれらが不思議、不遜

神の前に無意味な行為だと理解出来ると思います。>

 

この箇所にある通りに神は人間が定義する聖別は神の前には

全く無意味であり、いや神の前に冒涜、忌み嫌うべき偽の教えであると神がヤラベアム王がしでかした大罪を通して神の民、人々に警告しています。イスラエルの王は神の教え=トラーを生きて、人に真実を伝え、民を導き守る責任があるのに、神の言葉とは違う教え、行為に人を誤り導いたのです。リーダーがその様な行為をする事=重い罪=だからヤラベアム王の罪に匹敵すると

聖書には記され続けているのです。

上に立つ人、リーダーがその様な教えをし違反行為を人の前で

する事は、神が伝える真実を人から剥奪、略奪する行為であり、神の真実を覆い隠す妨害、障害物であるからです。

神の言葉を無用とする場合には神の警告は全て無意味に聞こえるのは無理のない事です。道徳的な教え以外意味ないさ!と言う

人達。神の全ての教え、警告はどの時代もどの民族に対しても

変更などないのです。これらの出来事が書かれている理由は今の私達の人生を生きる上で同じ警告、注意事項であるからです。