塗り替えられる記憶 塗り替えられてしまった神の言葉 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

25日日曜日の日没に”ヨム テルア”=ショファー=角笛を鳴らす日を迎えるので、毎日イスラエルとそして世界中で繋がるイエシュア信者である友人達がグループチャットでずっとこの日の準備の話、情報交換をしています。祭りが来るぞ〜と言う喜びと

期待感に皆の気持ちが溢れています。

 

神の秋の祭りが来る、王の到来を告げ知らせる角笛を鳴らす日。

 

人間の創作物ではなく本物が良い!正真正銘の本物!人が創作した教えや記念日ではなくイエシュアや聖書に登場する人々が祝っていた神が私達神の子らのために創造された神のオリジナルの

定めの日=記念日を祝いたい!!!

そしてこの日の祝宴にイエシュアに属する異邦人も全ての人も

招かれている!と言う神の声を聞く人は幸いとあります。

 

詩篇89:15 祭の日の喜びの声を知る民はさいわいです。

主よ、彼らはみ顔の光のなかを歩み、

89:16 ひねもす、み名によって喜び、あなたの義をほめたたえます。

”喜びの声”と訳されるものは、”テルア”皆で世界へ神の実態を

神の到来を告げ知らせる、叫ぶ、ショファーの音を知っている〜婚姻関係、夫婦関係の間の知ると言う意味の知る内側からその

意味を関係の中で知っている人は幸い!

神の声=教えを聞いてそれを生きる人は幸いであると書いてあります。

 

私は14年前まで聖書に書かれている神の創造された記念日、

イエシュアや聖書に登場する人達が祝っていた、シャバット、

新月、祭りなど全く知らない、無関係、それらの記念日の意味を教えられたり実際に祝った事も全く無いまま西洋宗教の教えだけを聞いて、西洋宗教の記念日だけを実践しそれが聖書にある神の教え、仰せであると信じていました。

初めから聖書に書いてある通りを知りたかった!!!といつもいつも思うのです。でも教えてくれる人が周りに誰もいなかった!

そう言う道のりを私は辿ったのです。イスラエルで育った友人達みたいに生まれた時からヘブライ聖書を教えられ、生まれた時から西洋宗教の教えや実践など全く聞かない知らないで、純粋に

イエシュアを信じて、イエシュアがされた通りを生きて祝う

聖書に書いてある通りを知りたかったし生きたかったです。

 

でも時が満ちて異邦人である私が求めていた本物=聖書の通りを知る教えてもらえる機会をとうとう与えられたのです。

生き返ったと言う体験。新しく生まれたのに、宗教の教えに

浸かって喜び死滅する体験もしながら、再び本物の水=イエシュアに戻った!体験です。

人の教えは、神の本当の言葉、純粋なみ言葉教えを知る事を

妨げる、障害物であり妨害でしかありませんでした。

宗教と神の言葉とは似て非なるものだからです。人の創作した宗教の教えは余計な重たいくびき、重荷でしかないのです。

人は宗教=人間の作った教えを生きるのではなく、神が伝える言葉=教え実態を生きる様に神は人に教えています。

神の言葉を捨てよと言う教えは本当に損失でしかないです。

神の教えではない、神が警告する神の言葉を捨てよ!と言う事が

正義であるかのごとく教えているのです。

その様に考えるのは、本当に神の言葉を知らないから!です。

神の言葉は最初から最後までどの場所もどの箇所もどの時代も

同じである事実を知る人はそんな教えなど絶対にする訳がないからです。

聖書に書いてある内容は、聖書に登場するイエシュア信者、使徒パウロ、諸外国に居たユダヤ人と少数の異邦人達は皆神の創造された記念日〜レビ記23章に書かれた神が聖別して定めた記念日を祝っていた事に気が付きました。彼らが生きていたのはモーセの五書であり、モーセの五書を否定した西洋宗教の教えなどではありません。聖書読めば分かるはずなのに、書いてある通りに読まない様に教えられる西洋宗教。聖書に書いてある通りに読まないから何万という聖書ではない教えが次から次へ編み出され続けてしまっているのです。

 

異邦人クリスチャンの世界では、秋には特別な祭りがないですが、カトリックの創作したハロウインの祭り=万聖節が10月

31日に来る、それを盛大に祝うと言う話題があるだけだと思います。イスラエルの神に属する子らは悪霊祭りなどに参加するべきではないと言うシンプルな事実さえ、人の議論で塗り替えられて個人の自由ですと教えられてしまいます。善悪の判断もつかなくなるほど神の言葉から遠く離れてしまったのです。聖書には

異教の神々の教えと混じったイスラエルの身に何が起きたか警告として記されているのです。別の話題なので今は書きませんが、本当に悪霊の祭りなのです。実際にこの日どのくらいの子供が

生贄にされているのか多くのクリスチャンは知らないので、

キャンデイーやスイーツをゲット出来る子供の楽しい行事の日

くらいに考えているのです。ノアの時代と同じ。

 

イエシュアに属する人がその様な悪霊の祭りを祝うものではないのは当然の事ですが、世界に浸透する祭り、異教の神々の祭りに便乗する西洋宗教の思考回路は、便乗をものともしないのです。

 

イスラエルの神の祭り記念日を祝う!これが神の子らの本来の

生き方なのです。誰が否定しようと神の声に聞く人は神が伝える永遠不変の真理を聖霊により教えられのです。神の言葉と違う事を信じる人には聖霊に神の言葉を言われても通じないのです。

ラザロのたとえ話と同じです。トラーを今信じられないなら何言ってもその人には無駄、何も通じません!とイエシュアが言われた通りだからです。

神の創造された秋の祭りは、これから実際に地上で起きる

預言的祭りであり、イエシュアの再臨〜到来、神の正しい裁き、そしてイエシュアがエルサレムから世界を統治する事を表す預言的祭りなのです。イスラエルの神の創造された定めの日=記念日=祭りは異教の神々の教えやシンボルや慣わしなど一切に混じっていない純粋に100%イエシュアの業を表す預言的祭りです。

そして神は神の子らに神の祭りは”神との関係にある印”の日であり、代々に永遠に祝われる!と教えています。神の言葉を信じるのか信じないのかあなた次第です!と言う事なのです。

 

秋の祭りの最初が、ショファーを鳴らす日、第七の月の1日〜

2022年は9月25日日曜日の日没になります。そしてその後に来る大贖罪日〜ヨム キプル。そして仮庵の祭りの7日を過ごし

8日目を祝う。永遠にイエシュアの中に住まう事を表すもの。

この地上でもイエシュアの中=仮庵に安全に住まうことを当時に

教えているのです。永遠にイエシュアが統治する世界を表す祭りです。

それが聖書の祭りの締めくくり。そして又新しい一年のサイクルが始まるのです。農業もそして次の祭り、春の祭りに向けて

何も無い厳しい冬の時期に入るのです。

神の記念日はイエシュアの業を表すものであり、贖われた人の

歩みを表すものでもあるのです。新しくされた人〜その人は

新しくされた事実を実際に生きて神の性質を取り戻る!再所有する旅路が地上で用意されているのです。過越の祭りで教えられた、パン種〜ハメッツ〜罪が削ぎ落とされても主と共に死んだ

自分の記憶の中にはズレて生きた記憶=偽の自己像偽の価値観

偽の教えがインプットされたままでいるのです。

 

ズレ、歪み、傷、痛み、それらを1年に渡るシャバットから

シャバット、新月から新月、祭りから祭りの間に、神は1つ大きなズレの原因を環境に起きてくる様々な出来事を通して教え続けて下さるのです。それが神の定めの日を歩む醍醐味であると聖書には記されているのです。気が付きましたか?私は聖書の中に

その様な事が記されている事実に全然気が付きませんでした。

神の記念日の意味、イエシュアの業、そして新しくされた人の

歩みがその中に書かれている事を全く分からないままでした。

ショファーを鳴らす日から大贖罪日までの間、神の子らは個人

個人だけではなく、神の民全体で軌道修正=悔い改めをします。

悔い改めと言う言葉をクリスチャンの世界では使いますが、神の教え=トラーからどれほどかけ離れてずれた生き方をしていたのか1年を振り返り反省、軌道修正をする日々を過ごすのです。

個人だけではなく、夫婦、家族、コミュニテイ、国全体が同じ

意識で神の教えに戻ろう!と言う事をする日々を過ごす事です。これ本気で皆でやったらすごいインパクト影響力があるのです。

そして大事な事はこの時にした軌道修正を引き続き次の新しい年

の中で継続し続け、注意を払いながら”新しい人”として生きる!と言う事をする事なのです。

 

その時限りの付け焼き刃は何も意味が無いのです。本当に意味が

無い。喉元過ぎれば熱さを忘れると言うのと全く同じです。

神は一年を巡り、贖われた人=神の義の中を歩み続ける訓練、

練習をし続ける事を要求しているのです。それがシャバットからシャバット、新月から新月、神の祭りから祭りへ生きる中で

神が自分の中に潜んでいる気が付かない”パン種”に気が付かせて

下さるのです。それが神の声を聞くと言う行為なのです。

 

ヘブライ語聖書には、”もしあなたが神の声の下で声の中で神の声を聞くなら”と書いてあります。詰まり神の言う事=周波数に

ぴったり合わせる。それには神の定めの日に神が言う通りに生きて神の教え〜トラーに書かれた事を知る!

神が特別な日に何を教えているのか神の声の下に来る行為、

それが神の記念日を生きる醍醐味であり、神がその様に一人一人に特注のレッスンプランを用意しているのです。

 

神の言葉=教えに常に注意を払って生きていると、日々の中で

起きる様々な事件や出来事は自分の中に潜むパン種がどの様に

身の回りに起きる事件や出来事を通して、人の行動に自分がどう反応しているのかよ〜く教えられる内容でもあります。どうして自分はこの様な反応、感情が湧くのだろう?どうして誰かの言葉行動に必要以上に過剰過敏に反応して傷つくのだろう?それは

それぞれに培って来た経験や体験により反応は違うものなのです。

それらを通して実は自分の中に潜む=ズレ、歪み、傷、痛みを

教えられてそれに向き合う事、どうしてその様に考え感じるのか?の本当の理由を教えられるのです。そして癒しのプロセスを

通る。これをずっと繰り返し、新しくされた人として成長する

それが地上の旅路なのです。

 

だから聖霊を受けたら一瞬に全部変化するなどと教えられ信じる場合は、失望してしまうのです。自分の中にある聖霊はパワーが無いとか。あなたと私の中に居られる神=イエシュアは別物なのでしょうか?レベル別?種類別の神?その思考完全に変でしょう。聖霊に濃度や種類の違いなどあるなど本気で信じているのですか?神は同じ神、エハッドの神聖霊=イエシュアは1つであり同じなのです。別のレベル、別のパワーの聖霊?それは異邦人の教えであり聖書が伝える事実ではないのです。

人が聖霊〜神に完全に支配されている状態かそうで無いかの違い

だけなのです。支配される〜神の言葉に完全に聞き入りそれを

信じてい生きる状態、神とぴったり同じ考え=神の目から神が

見ている通りを見る事を学習し続ける人には聖霊に満たされると言う聖書に書かれている意味がはっきり体験的に理解出来ます。

満たされる〜バプテゾー=浸る!と言う意味です。

神の思索にぴったり浸る事!イエシュアと父が同じであると

イエシュアが言われたのは、父の考え=イエシュアの考え同じ!

行動も同じ!ぴったり同じ完全に一体で完全に神の意図の支配下にあったからです。

 

 

 

続く