イスラエルのシャバット 世界中で祝われる神のオリジナル創造の記念日  | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

先週の木曜日にイスラエルに到着してから10日経ちました。

大したことはしておらず、友人達が住んでいる町に滞在して、今週は、友人達と毎日過ごし普通に生活しています。こちらの気温は今の所35度〜 体感温度は40度位に感じます。日中外に

出るとジリジリ日が照り、暑さで疲れますので、涼しい時間帯に行動する様にしています。2012年初めてイスラエルに来た夏は7月半ば位だったのである場所は50度位でした。湿気が無いので地域により朝夕はとても涼しく、しかも乾燥しているので

灼熱感が半端なく、多分庭の地面にフライパンを出したら卵焼きが出来る感じです。

 

この様な場所、南部の荒野をイスラエルが40年旅したのです。

水が無いと脱水で死んでしまう場所です。

最低限のものだけ持ち出し、エジプトを出た。エジプトを脱出したのは体だけで、頭脳の中身はエジプトそのもののまま。

その後神の子として1から教えられる訓練をこの荒野で受けたのがイスラエルと少数の異邦人です。

私達イエシュアを通して贖い出された人達も、全く同じ荒野での訓練を受けるのです。荒野=ミッドヴァと言いますが、この言葉はダバル=言葉と言う意味と繋がっています。荒野は10キロ先までも犬の声や車の音が聞こえる場所です。不思議な静けさが

ある場所。神の声を聞く場所に連れ出されて教えられた事をこの

地形の性質を通して教えられているのです。

神の声だけを聞く訓練。その中でも別の声が聞こえてくるのです。本物の羊飼いの声=神の言葉を聞き分ける訓練は、神の言葉=トラーを教え込まれる事が中心なのです。神が教える言葉、

教えの内容を理解しないなら、神の思索、考えは人は理解出来ないのです。だから神が人に理解出来る人間の言葉、ヘブライ語を選び、人に神の教え、考え、人がどの様に生きるのかの詳細を

神の言葉を記して教えているのです。

神の言葉、教えを捨てると言うことは神の思索から遠く離れて

一人歩きする事です。神が教えている内容は1つ2つ取り出した

だけでは理解出来るものではない永遠に繋がり広がる深い内容なのです。神の言葉は丸ごと全部で1つなのです。神の言葉は神ご自身の実態だと聖書には書かれています。神の言葉=命の生み出される場所!として様々な絵画的教え

で伝えられています。契約の箱=命=神の言葉をガードする

ここに神の臨在があると教えられている事でも分かります。

神の言葉に繋がる、イコール命に繋がる事だからです。

よくよくトラーに書かれている内容を学んで行けば、見えて来る

神が何を人に伝えているのか、様々な事を通して教えているから

です。

荒野は命が芽生えない砂漠とは違い、命が眠っている場所です。動物も存在し地中には種=命が眠っています。水が与えられれば命が芽生えて来るのです。荒野は湧き水もある場所です。夏の間はある植物しか生えていませんが、その植物は塩気を含んでいて食べる事が出来ます。春になると荒野が一面花や植物で覆われます。雨が降ると植物が出て来るからです。

 

今日のトラーのパラシャ=朗読箇所、は民数記19:1-22:1 Chukat  חֻקַּת仰せ、命令と題名が付けられている箇所です。

ハフタラ=トラーの箇所に付随する箇所は、士師記11:1-33。

この箇所たくさんの内容が詰まっている箇所です。福音書以降を

読み、書いてある内容を理解するには、モーセの五書に書かれた内容を理解する事は必須です。聖書はモーセの五書に書かれている事を指して全てが記されているからです。

この箇所じっくり読んで考えてみるのです。

簡単にまとめますが、内容が深く濃いので一つ一つの意味を知るには深い学び、考察が必要です。すごい内容が書かれています。

この箇所はイエシュアがされた業、私達に対してどの様な事が

起こったのかを教えている箇所なので、別の記事に解説する必要がありますが、タイトルだけ書きます。

 

神殿の中、移動式の神殿の中でされている儀式全ては、仮の罪の

赦しのためでは無い!と言う聖書の真理、大前提に立ってみないと事実は見えません。主はとても重要な事を教えているからです。仮の捧げ物で罪許される〜と言う意識は、偶像の宮、寺院

神社にお賽銭を持って行く意識と全く同じで、全くずれた思想

です。創造主は、私達が本来の姿に戻る軌道修正と、ズレた意識の軌道修正、私達が神の前に元の姿で神との正しく向き合う関係に戻る全てを教えているのです。

 

動物の血は罪を消さない!とはっきり神の口から語られています。では何のためにコバン=捧げ物を通して教えているのか?と言う大事な点、本当の中身に付いて知らないとならないのです。

神が求めているものは、高価な捧げ物ではなく、”砕かれた心”と

ある通り、様々なコバン=捧げ物を通して、私達のズレがどれほど自分を他者を破壊する、関係を台無しにする、神の似姿の性質である自分の生き方を歪めるものであるのか私達がはっきり知るため、教えられるため、イエシュアがされた業を地上で、コバンを通して神の家の中で教えるため、イエシュアのされた業の意味を私達がはっきり自覚するためであり、これこれの捧げ物持ってきたら許してあげますよ〜などと言う性質、そんな事とは無関係の内容が神の言葉でモーセの五書に記され私達に教えられているのです。捧げ物持ってきたら許してやるさ!これこそが偶像礼拝

異教の神々に対してされている内容、意識でもあるのです。

コバンの意味の捉え方、聖書、神の言葉を理解する大前提が最初から完全にズレているのです。

イスラエルの神と異教の神々とは全く違う性質、違う内容を

人々に教えているのです。

民数記19章〜

1モーセが赤い子牛に関しての教えを伝えた。

赤い牛の灰が死体と接触した事を浄める。

2 40年の荒野での旅路。

荒野のジンと言う場所にたどり着く。ミリアムが亡くなる。

3 人々が乾きで水を求めて喘ぐ。

モーセは岩に命じる様に神に伝えられるが、モーセはイスラエルの反抗に対する怒りから岩を叩く。

このことにより、モーセもアロンも約束の地に入る事が出来ない

と神から伝えられる。

4 アロンがハハル山で亡くなる。息子のエラザルが大祭司になる。

5イスラエルの宿営に毒蛇が出て、イスラエルを攻撃する。

なおもイスラエルは不満からモーセとイスラエルの神に対して文句を言い続ける。

神が真鍮の蛇を杖の上にさして、それを見上げる人達は癒された。

6神が荒野で奇跡的に水を与えたことに対して、人々は奇跡の井戸を讃えて歌う。

7 モーセはイスラエルを彼らの地を通す事を妨げた、

エモリ人の王、シチョンとオグに対して戦うため民を率い、

彼らの地、ヨルダンの東側を勝ち取った。

 

この後、22章では、モアブの王バラクに雇われた偽預言者

バラムがイスラエルを呪う様に命じられるのですが、偽預言者でさえ、神の永遠に定められた祝福を覆す事は出来ない事が書いてある場所です。誰が何をしても神が決めた事を変えられない。

モーセの五書を毎週、1年かけて数章ずつ学ぶのですが、モーセの五書の中には深い深い神の教えが満載、詰まっている事に気が付きます。そして、モーセの五書以降は全てモーセの五書を解説する内容なのです。そして聖書のどの箇所もモーセの五書とは異なる教えなど1つも書かれてなどいません。

 

世界で起きている出来事は止める事、変える事は私達には出来ませんが、何が起きていても神のプランは妨げられる事がない事、

神が神の民を守られると約束されている事から目を逸らさないと言う事が大事であると言う事です。サタンでさえ、神の許可なしに私達に触れる事など出来ない、そして神ははっきりと境界線を

敷かれているからです。

 

しかも明日の事、いや今から1秒先の事、これから先の事を知っている人は誰一人いません。知っていると思っていても本当は

分からない、知らないと言うのが本当の所です。予測出来ない事の方が多い事を教えられました。そして自分が知らない間に主が確実に常に助けを備えて下さっている事実を今週体験しました。絶妙なタイミング、そして予想もしない出来事を通して、様々に守られ、安全な場所に移動する事が出来ました。

危険な事から主が導き出して安全な場所へ連れ出し守られる。

荒野での40年のイスラエルの旅は、神の声=言葉=教えを聞いて、奴隷の意識、脳回路を全部取り替える、割礼のある頭脳=

神の言葉=種が根付く、良い地〜神の言葉を理解する頭脳に切り替える!と言う作業が必要だったのです。

大きな出来事もそうですが、日常の中で知らない間に先回りして助けを用意して下さる事は誰でも体験する事です。

 

見える所ではなく、見えない所、アバを頼みとして生きる事、

そして義人は、信仰により生きるとは、見えない所=神のプラン

創造主を信頼して常に生きると言う事に付きます。当然の事なのですが、神の言葉に対して注意散漫であると、蛇の囁きを耳元でたやすく聞いてそれを信じてしまうのです。

だから常に神の言葉、教え=トラーを寝ても覚めても思いめぐらせよと神の口から直接人々へ語られているのです。

 

申命記6:4 イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主で

ある。

<唯一=エハッド=1つ以上で全く1つの神、その神以外に神は

いないなら、なぜ同じ神から別の教えや契約が時代ごとに出て

教えが変えられ、人種により神は人を別々に取り扱うなどと言う

思想が出てくるのだろう?と考えないとならないのです。

神が伝える教えと人間が解説するイスラエルの神の教え、言葉は

異なるものが多い、それを宗教の教えと呼ぶのです。>

 

 6:5 あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。

 6:6 きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの

心=レブ=頭脳に留め、

 6:7 努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない。

 6:8 またあなたはこれをあなたの手につけてしるしとし、

あなたの目の間に置いて覚えとし、

 6:9 またあなたの家の入口の柱と、あなたの門とに書きしるさ

なければならない。

 

イエシュアはモーセの五書に書かれた父の教えのみを教えたと言う事に気が付いていますか?パウロも100%モーセの五書しか

教えていません。そして考えれば良いのです。異邦人クリスチャンの世界で語られる教えは、反モーセの五書、変化した神の教え人種、時代により違う神の教えと聖書ではない教えをなぜ教えられているのか?ローマ教、ローマ帝国の教えを伝統で受け継ぎ

教え続けているから!!と言う事実に気が付けば良いのです。

聖書ではない人が作った教え、混ぜ物の教え=宗教の教えが

語られてしまっているからです。ある部分は聖書ある部分は完全に人の思想=混ぜ物の教え、純粋な神の言葉ではない教え、

それらが1900年近くも浸透し流通している、それが本当の

事実です。

神の言葉も神の創造物の性質=DNAも永遠に変わらないのです。

 

イスラエルと言うと自分は日本人だから関係無いと他人事に聞こえますが、イエシュアはユダヤ人です。イエシュアを信じる事ほどユダヤ人的、ユダヤと同化することは無いのです。神はユダヤ人と言う民族、イスラエルと言う国を選び出して、1つの国=大家族に全ての国民が加えられると教えているのです。世界の民族の代表=父=アヴラハムに連なる人=イスラエルの神の子らであると書かれているのです。私達どの民族でも誰でもイエシュアを通して父と繋がれた人達は同じ神の契約=トラーの生き方に加えられた、同じイスラエルの神の国の共同相続人、イスラエルで

あると聖書に書かれている事を、パウロはエペソ2章で解説しています。神の国には分裂分派は無いと伝えているのにどうして

クリスチャンの世界では分裂した神の言葉、神の2つ別の家族を人に伝え続けているのでしょう?それは本物の福音、聖書の教えではない、本物の修復ではありません。

神が伝える事実を、信じられなくてもその通りに受け取り生き

始めると、その内、新しい人として歩むと言う脳回路が、

以前の自分=主と共に死んで葬られた自分の意識、思考回路が

主と共に復活した事実=新しい命にされた自分として生きる事

を所有して行く、脳回路、思考回路が神の目から見る通りに

切り替えられて行く、それが頭脳に刻まれた割礼と説明しているのです。神の国に差別や区別や別の家訓を生きるなど無いのです。神が呼び出している週一度の記念日は第七日目。

異邦人の世界では遠い昔、2〜4世紀に神のオリジナルの教えを捨てて、ローマ教が作った教え、記念日に鞍替えしたので、神のオリジナルの教えや記念日を祝う事にな〜んにも馴染みがない、経験がない、学習がないそれが本当の実態なのです。

イスラエルの神の子らはシャバットを祝う祝福に招かれています!それを信じて実行するかしないかは、個人個人の選択なのです。真実に目覚め、気が付くのか、人の教えに付いて行くのか

人が創作した教えではなく、神が語る言葉の中にだけ答えがあるのです。

 

Shabbat Shalom

 

トラーの巻物が入っています。3つくらいあったと思います。

 

シャバットの晩餐の準備。

 

 

 

3種類のサラダとダック ハーラーのパン、そしてデザートは

私達が持って行ったクッキー、アイスクリーム。5時に集まり様々な事を話していたら10時半になりました。

シャバットでは午後3時以降車も道路に殆ど走っておらず、

静かで、シャバットの準備を街中でしている様子が伝わります。

夜はどの家庭でもシャバットを祝い、庭からは人の声、そして

子供たちも外で遊んでいる声が聞こえて来ます。

シャバットが来た事をイスラエルでは体感します。