ユダヤ人は何も悪いことなどしていないのに、イノセントなのに、ハーマンの策略で全員殺されそうになるのです。
では異邦人はこれに何の関係があるのでしょう?て事です。
エペソの中にもその答えが書いてあります。
異邦人、契約の命に遠く離れていた人達。神の教え=トラーも
知らない、イスラエルの神の記念日も今まで祝った事もない
参加したこともないほどと遠い場所に居た人達。
でも同じ家族とされた人は、今は同じ契約、同じイスラエルの
相続、祝福を受け継ぐ人になったと書かれています。
この様な記述を異邦人は全く誤解して別の意味に解釈するか、
書かれている事実を見逃しているので、イスラエルと異邦人とは全く別の2つの家族が存在しているなどと言う人の教えを神の教えだと信じて、神の説明する神の家族の本当の意味を知らない
まま、実践しないまま1900年近くが過ぎているのです。
自由があるはずの世界で生きていたけれど、それらの自由を
簡単に失う可能性がある事をこの2年の出来事で体験的に思い
知りました。誰かの一声で命令でそれに従わせられてしまう。
自由が剥奪されてしまった。言動の自由、選択の自由、行動範囲の自由。でもこれら全て神が許可されて何かの理由で起きている事は間違いないのです。その全貌が今は見えないだけ。
ペルシャで生きている間は自由はない。異教の神々に仕える王の下で生きることでは自由が無いけれど、神の教えを生きると言うことの中だけに本当の答えが自由があるのです。
どんな状況でも誰にも奪えない実態、自由がある。神の中に存在し、神も人の内側に存在し、誰も本当は神の許可なしに自分の
人生を破壊する事は出来ない。
神の実態=教えを生きる事を誰からも妨害されない。
エステル記の結末は、エステルの勇気、もし王の前で王が
気に入らない事を言ったなら、彼女は殺されたかもしれない、
そのリスクを冒して、ユダヤ人の民の代表として、この時のために王妃として選ばれた事を自覚して、直談判したのです。
エステルは王に命乞いをします。同胞を殺さないでくださいと。そしてユダヤ人殺戮を企てたハマン自身が自身がモルデガイを
かけるために作った木に掛けられて惨めな死を遂げるのです。
人を殺戮しようと企てる力、破壊しようとする人達のその行く
末は全て同じです。そしてユダヤ人を殺戮しようとしていた敵は全て逆に殺害されてしまう結末になったのです。
この後この出来事のおかげで、ユダヤ人はペルシャ帝国の中に
多くの人が悔い改めた事実があります。ハヌカの事件でも同じ。
ユダヤ人がイスラエルの神に忠実に生きる時、他の人達を
神の言葉〜契約に引きつける事をするものであるのです。
エペソにある様に同じ神の家族に加えられた人は、
イスラエルの神のトラー=教え、インストラクションとイスラエルの足跡、歴史は同等に異邦人のトラーでもあり、同じ勝利を
祝う、プリムの祝いも、私たち異邦人のものでもあるのです。
相続するユダヤ人の歴史の記録の全部は、同時に異邦人のもの
でもあるのです。ユダヤ人の喜び、悩み、悲しみも、同じ家族に加えられた一員として同様であるのです。
プリムの祝い方
エステルや王やハマン、モルデガイ 又は普通の市民、それぞれ
仮装して、エステル記を読みます。
色々な小さなおもちゃの楽器なども持って、ハマンの名前が
読み上げられたら”ブー”と叫びます。
エステルとモルデガイの名前が呼ばれたら”イエイ”
日本語に直して好きな様に叫びましょう。
そして、ハマンの帽子を意味するクッキーなどを焼きます。
昨日焼いたら形が崩れたので、”歪んだハマンの頭脳”と名付け
ました。笑
諸外国は休日ではない今日、これから春休みに入る子供達の
いるご家庭では、春休み中にこのプリムの祝いをエステル記を
読んでやる事が出来ると思います。大人だけでやっても面白いし、エステル記から多くを学ぶ事が出来ます。
ハロウイーンは神の教えを何も反映しない、異教徒の祭りを土台にして作ったカトリックの万聖祭ですが、プリムの祭りは、
この時期にちょうどあった歴史の史実であり、今の困難な時代にぴったりのメッセージそのものがエステル記に書かれています。子供達に神の教えを伝える絶好のチャンスでもあります。
500年前から仮装し始めたのは、子供たちに楽しくこの歴史の
出来事を教える方法で考えられたものだそうです。
近年になってから、この様に盛大に仮装して祝われ、
エステル記にある様に、食べ物を送り合う事もします。
YoutubeでHow to celebrate Purimと入れると色々出てきます。