2022年3月16日水曜日の日没から17日日没までが
プリムの祭りです。アダルの月の14日から15日。
プリムとは、古代ペルシャ語で”くじ”と言う意味の言葉です。
エステル記にこの祭りの由来となる事件の背景が書かれています。エステル記は、雅歌、哀歌、ルツ記、コヘレトの書の5つ
メギロット=巻物で区分される書の1つです。
586BCに、エルサレムはバビロンに崩壊され、イスラエルは
バビロン捕囚となり国を去りました。
その後539年にペルシャにバビロンは征服され、その後も
多くのイスラエルはその地に留まり生活を続けます。
エズラ、ネヘミヤ書とも重なる事があります。
エステル書の最初に、ペルシャの王アハシュエロス王が首都スサで大臣および侍臣たちのために酒宴を設け、ペルシャとメデアの将軍および貴族がそこに集ったとあります。
その日にちは何と180日間に渡り、自分の権威と栄華と力を
示すために開かれたとあります。そしてその祝宴の日々が終わ
った後の7日間で普通の市民のために、王の宮殿の庭で酒宴を
設けたと書いてあります。
この書が聖書として認められないと考えられていたのは、
この書の中に一度も神、神の名が記されていない事が理由です。
でも、神のプランである様に見えない出来事の裏に、確実に
神が介入して神の民を救い出すと言う事実が書かれています。
エステル記を読む人は、何が起きて、どんな結末になったのかを
知っているでしょう。
イスラエルのバビロン捕囚後のペルシャがバビロンを征服した後もイスラエルはペルシャに留まり続けました。
400BCEの時代にイスラエルは、どうしてペルシャにまだ留まり続けて居るのか?と言う事です。
イスラエルに、本当の家に帰らないとならない。
ペルシャ バビロン 10月 536BCEイスラエルへ帰還せよ! ある人はイスラエルへ帰還したのです。
エズラ、ネヘミヤの記録からも、捕囚の地からイスラエルの国へ帰った人達が居ます。
でも多くの人達はまだメソポタミアに滞在し続けていたのです。
普通の市民は牢屋に閉じ込められていたわけではないのです。
ペルシャでは、イスラエルに居るよりも、もっと自由と富を手に入れる事が出来たのです。
モルデカイは王の城のゲートに居たと言う事は、モルデガイは
王から栄養を受けていたと言う事です。
彼が何を職業としていたのかは書かれていません。
エステルもモルデガイも、捕囚の異教の地に住まう人々の名前
です。ペルシャやバビロンの名前。
エステルの名は異教の女神の名、バビロンの名、イシュター
イースター、エステル。彼女の本当のユダヤ名はハダサ。
常緑樹の名前です。 モルデガイの名も同じく・モルデカイ=
マルドック、バビロンの神の名です。
捕囚の地で他の名前に変えたのです。
聖書の中にも捕囚の地に行った影響で、異教の神々の名前が
月の名前に付いています。ヘブライ語の名前の月と2つの名前が
あるのは異教の地の暦のせいです。
ユダヤ人殺戮は、エステル記、そしてハヌカの事件の背景に
あったギリシャ帝国の迫害への抵抗、70年ADの第二神殿崩壊111万人のユダヤ人が殺害されました。
135年AD バルコクバの乱では580万人のユダヤ人殺戮。
そしてその後は十字軍による殺戮。
ユダヤ人の歴史は迫害の歴史です。
第一十字軍 1096年8月15日 アヴの月24日 4856
最初の月にフランスとドイツ西部で1万人のユダヤ人が殺戮されユダヤ人コミュニテイが破壊される。
ユダヤ人は1306年7月18日、アヴの月9日5050に
追放される。
1492年7月31日 アヴの月10日5066にスペインから
追放される。
16世紀にはルターが晩年に”ユダヤ人と嘘”と言う著書を書き、
ユダヤ人迫害、暴力を理論化し熱心に提唱しました。
17世紀、フメリニツキーの乱でユダヤ人殺戮=ポグロム=破滅
は最高の数に及びました。
1819年、ドイツのビュルツブルクでポグロムが発生後
大規模な反ユダヤ暴動。
1821年−1905年 ロシアのポグロム。
1914年 八月1−2 アヴの月の9−10日5674 ヨーロッパで
ホロコーストに向けての動きが始まる。
1941年8月2日 (アヴの月9日, AM 5701), SS司令官ハインリッヒ ヒムラーがナチから最後の決断を受け渡される。
それにより世界に居る約3分の1のユダヤ人が殺戮される。
1942年7月23日、 Av 9, AM 570 ユダヤ人はポーランドの
ワルシャワのゲトーから、テレビリンカ絶滅収容所へ送られる。
1944年 7月18日 アヴの月の10日 5754に
ブエノスアイレスでAMI爆破で300人のユダヤ人が負傷、
85名が殺される。
2005年ガザからイスラエルが追放。
これだけ見てもイスラエルの歴史は常に殺戮を計画する人々との
隣り合わせです。反モーセの五書=神の言葉に対しての攻撃。
神の言葉=契約の命=トラーを生きる代表者を全殺戮計画。
そして神の国、イスラエル、エルサレムを認めない!
この裏にあるのは、あのエデンの園の存在があるのは明らかです。最初からターゲットは同じ。神のトラー、神のトラーを生きる人達、そして神の国の破壊です。神の言葉をかき消して、約束の地エデンの地に人が住めないように、そして神の言葉を生きる民を消滅させればイスラエルの神の実態が消えると言うプラン。
でもこのプランの最後の結末はもう決まっているのです。
”悪しき者の道は滅びる” 蛇の頭は砕かれる。
イエシュアがハヌカを祝って居た記録が聖書のたった1箇所に
出てきます。ヨハネ10:22
そして過越、仮庵を祝っている記録も書かれています。
仮庵 ヨハネ7:37
プリムを祝っていた事も書いてあります。ヨハネ5:1
過越 ヨハネ6:4 ルカ2:41−42
出エジプト=過越、エジプトではイスラエルを奴隷=苦役なる
労働に就かせる事をしましたが、ユダヤ人殺戮はしていません。
目的はユダヤ人を奴隷にする事です。偽の主人、偽の神に仕えさせていたのです。一方イスラエルはヨセフの死後、イスラエルに帰る選択も出来たのですが、居るべきでは無い場所=約束の地では無い場所=エジプトに留まり続けたのです。
ヨセフ〜モーセまでユダヤ人は異教の地に留まってイスラエルに戻らない。そこはユダヤ人が滞在する場所ではないのに、
留まり続けたのです。
エジプトには当時最高峰の発展、洗練、豊かさがありました。
でもそこはイスラエル、神の名を背負う人が住む場所ではない。
プリムの背景も同じです。エズラ、ネヘミヤに書いてある様に
ある人々は帰還したけれど、多くはペルシャに留まり続けたの
です。
罪=奴隷、イスラエルがエジプトにいる事は罪でしょうか?
自分の国ではない、ルーツではない、この国で神の契約の命の
実態を生きるのではなくて、相続の地に行かなくてはならない。
同時にエステル記の中に書かれているユダヤ人もペルシャ=自分の地ではない場所に生きていたのです。
諸外国に生きていると痛感する事があります。ある意味、
捕囚の地です。イスラエルの神に直接仕えられない壁がある。
間に異教の神々に仕える権威が常に挟まっている。
上司が異教徒であったり、その国自体が異教の神々を拝む国に
住んでいます。宗教的な人ではなくても、その国の記念日や
行事は全てその裏には異教の神々への祈願が抱き合わせとして
存在しています。考えてみたら全てそうです。
日本の盆暮れ正月、冠婚葬祭、生まれた時からの異教神文化に
基づく様々な儀式も行事も全部知られざる神々への祈り、儀式が
背後にはあります。全部なにがしかの神々への祈願です。
無病息災、商売繁盛etc を神々に祈っている儀式があるのです。
又は半分異教神の要素が混じった記念日もあるのです。
そんな文化の中に生きていたら、自分は神が伝える混ぜ物の教えの偶像礼拝に関わらず、直に人を不愉快にさせない、憤慨させない、誤解されない様にするか、常に葛藤があるのです。
イスラエルは約束の地、地上の神の国で100%神の性質を
反映させて世界へ伝える地の塩、世の光としての役割を
与えられたのです。その任務を全うする人達は、あるべき場所
イスラエルに帰り、神のトラーを生きる事をしなくてはならないと言う役割が与えられているのです。
ハマンはユダヤ人を消滅、殺戮する作戦を企てていました。
エステルは聖書の書の中にどうして含まれるているのでしょう?
なぜ、この書を信頼する事が出来るのでしょうか?ユダヤ人ではない人には関係ない教えでしょうか?プリムなど一体異邦人に
なんの関係があるのかと言う問いが出て来るのです。
エステル記、聖書からどんなガイダンス、教えを受けるのでしょうか?自分は何に、どこに、どんな教えに生きることに属するのか?が常に問われる事だと思います。
自分はどんなライフスタイルに属して生きるのか?神に何を問われているのか?混ざり物の教えの中で神の似姿の性質、聖別を
汚して生きるのか。イスラエルは契約の命を受け継ぐ代表の民であり、だから祝福と呪い、命と死、祝福の命を受け継ぐために
召されたと申命記に書いてある通り、自分に与えられた命は、
神の教えかそれとも違うことを生きるのか?どちらかを選択する事を神から常に求められているのです。
祝福、呪いとは、契約の中にある印として困難があると言う事
なのです。神の性質を汚して、ずれて生きたら困難が訪れる。
それは、ずれている危険な状態をはっきり知らせる、気がつかせるための訓練だからです。イスラエルの神に属する人として
どんな責任があるのか?自分の生活の中でどんな責任があるのか?周りの状況、環境は変えられない。では何を生きる中で
自分の生き方を改善、前進、発展、成長させられる事が出来るのか?
契約の中にある生き方で神の契約を生きる忠実を、生きる中で表現することが真実であり、効果的であるということなのです。
続く