明日の夕方から火曜日の夕方までが2023年のプリムの祝い日です。
プリムとは余り馴染みのない名前、お祭りですが、これは
エステル記に記された出来事を元に祝われる様になったものです。
プリムと言う言葉の意味は”くじ”と言う意味です。エステル記には、ペルシャの宮廷悪者役人反ユダヤ思想のハマンによるユダヤ人全殺害計画が行われようとしていた事が記されています。
古代にもルター、ヒットラーの思想と全く同じ事を考え実行計画していた人が居た事が記されています。同じ思想。
ルターはこのエステル記を読んだことがないのだろうか?と考えました。もしルターがエステル記の中身の意味を知っていたら、もし神の言葉を理解していたら、しかも神の契約の民を殺害する事は神のみ旨だなどではないのに、ユダヤ人が死に絶える事こそが神のみ旨であるなどと他者に教える様な事が大罪=死に匹敵する罪であると、神の言葉を知っていればルターも気が付いた事でしょう。
問題は、この様なリーダー達が神の言葉に無頓着である事なのです。人をどの様な誤りにも導いてしまう事が出来る立場であることの自覚を神の前にすることは重要な事なのです。神の言葉を無視して自分たちの思いや考えで神の言葉や教えとは違う別の思想や教えを編み出し続ける事をしているからです。
半分は神の言葉の真実に気が付きながら、半分は神の言葉に完全盲目状態に陥ったままその暗闇でサタンの思想に基づき考え、人にその闇の思想のプランを伝えてしまう事が出来てしまうと言う事です。
聖霊に導かれているはずなのに?ユダヤ人を全部根絶やしにする事が神のみ旨であるなどと考えられる頭脳、どうしてルターはその様に考えられたのでしょう?聖霊が内側に住んでも、神の言葉を理解しない場合には、神の意図、教えとはズレてしまい=神の教えの圏外に飛び出してしまうのです。神の言葉=聖霊の語りかけは、神の言葉を拒否するその人の頭上を通り過ぎるだけです。
闇の思想に自分を汚染させてしまう事が出来る良い例なのです。
エステル 3:5 ハマンはモルデカイのひざまずかず、また自分に
敬礼しないのを見て怒りに満たされたが、
3:6 ただモルデカイだけを殺すことを潔しとしなかった。彼らがモルデカイの属する民をハマンに知らせたので、ハマンはアハシュエロスの国のうちにいるすべてのユダヤ人、すなわちモルデカイの属する民をことごとく滅ぼそうと図った。
ルターと同様、ハマンのユダヤ人全殺害計画をしましたが、その
ハマンの計画は、ハマン自身の頭上にそのまま降りかかってしまいました。ハマンはモルデガイのために自分が用意した木に、
自分自身がかかり処刑された事がこのエステル記の事件の結末なのです。そしてハマンの10人の子供達も全員同時に処刑されました。
そして、モルデガイも勇敢でしたが、同時にエステルも、もし王の好意を得られなければ同時に自分も処刑されてしまう危険を知りながら、モルデガイに励まされ、王にユダヤ人達を救い出す様に直談判したのです。
エステル4:13 モルデカイは命じてエステルに答えさせて言った「あなたは王宮にいるゆえ、すべてのユダヤ人と異なり、
難を免れるだろうと思ってはならない。
4:14 あなたがもし、このような時に黙っているならば、ほかの所から、助けと救がユダヤ人のために起るでしょう。しかし、
あなたとあなたの父の家とは滅びるでしょう。あなたがこの国に迎えられたのは、このような時のためでなかったとだれが知りましょう」。
7:3 王妃エステルは答えて言った、「王よ、もしわたしが王の目の前に恵みを得、また王がもしよしとされるならば、わたしの求めにしたがってわたしの命をわたしに与え、またわたしの願いにしたがってわたしの民をわたしに与えてください。
7:4 わたしとわたしの民は売られて滅ぼされ、殺され、絶やされようとしています。もしわたしたちが男女の奴隷として売られただけなら、わたしは黙っていたでしょう。わたしたちの難儀は王の損失とは比較にならないからです」。
7:5 アハシュエロス王は王妃エステルに言った、「そんな事をしようと心にたくらんでいる者はだれか。またどこにいるのか」。
7:6 エステルは言った、「そのあだ、その敵はこの悪いハマンです」。そこでハマンは王と王妃の前に恐れおののいた。
7:10 そこで人々はハマンをモルデカイのために備えてあったその木に掛けた。こうして王の怒りは和らいだ。
ハマンの計画を覆したイスラエルの神、神がイスラエルにもたらした勝利を記念する日がプリムとして祝われています。
エステル 9:17 これはアダルの月の十三日であって、その十四日に休んで、その日を酒宴と喜びの日とした。
9:14 王はそうせよと命じたので、スサにおいて詔が出て、ハマンの十人の子は木に掛けられた。
9:22 すなわちこの両日にユダヤ人がその敵に勝って平安を得、またこの月は彼らのために憂いから喜びに変り、悲しみから祝日に変ったので、これらを酒宴と喜びの日として、互に食べ物を贈り、貧しい者に施しをする日とせよとさとした。
9:23 そこでユダヤ人は彼らがすでに始めたように、またモルデカイが彼らに書き送ったように、行うことを約束した。
9:24 これはアガグびとハンメダタの子ハマン、すなわちすべてのユダヤ人の敵がユダヤ人を滅ぼそうとはかり、プルすなわちくじを投げて彼らを絶やし、滅ぼそうとしたが、
9:25 エステルが王の前にきたとき、王は書を送って命じ、ハマンがユダヤ人に対して企てたその悪い計画をハマンの頭上に臨ませ、彼とその子らを木に掛けさせたからである。
9:26 このゆえに、この両日をプルの名にしたがってプリムと名づけた。そしてこの書のすべての言葉により、またこの事について見たところ、自分たちの会ったところによって、
9:27 ユダヤ人は相定め、年々その書かれているところにしたがい、その定められた時にしたがって、この両日を守り、自分たちと、その子孫およびすべて自分たちにつらなる者はこれを行い続けて廃することなく、
9:28 この両日を、代々、家々、州々、町々において必ず覚えて守るべきものとし、これらのプリムの日がユダヤ人のうちに廃せられることのないようにし、またこの記念がその子孫の中に絶えることのないようにした。
それでこの聖書の暦、アダルの月の13、14日に祝われる記念日をプリムと呼ぶようになりました。
ハヌカ同様、この祝い日は、レビ記23章にある神の創造された
一年をめぐる神のモアデイムとは異なる性質の記念日ですが、
とても意味のある記念日でもあります。
エステル記の最後に記述されている通り、イスラエルに敵対する者が何を企んで、その結果何が起きたのか、そして、神が悪者の
策略から救い出して下さった事を先祖代々祝う様になったのです。
今年は2023年は6日月曜日の日没から7日火曜日の日没までですが、この日に伝統的に次の様な事をして祝います。
イスラエルだから関係ないさ?と思いますか?パウロの言葉通り、同じイスラエルの神の大家族の一員だから、同じ様に祝う事をしたいのです。
エペソ2:12 またその当時は、キリストを知らず、イスラエルの国籍がなく、約束されたいろいろの契約に縁がなく、この世の中で希望もなく神もない者であった。
2:13 ところが、あなたがたは、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近いものとなったのである。
2:19 そこであなたがたは、
もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである。
まず、子供達がいれば仮装行列の様に、エステル記の中の登場人物の装いをします。
1) エステル記を読む。メギラー=巻物と呼ばれます。
エステル記は直接羊皮紙に記された巻物から読み上げます。
2)喜び楽しむ
3)贈り物をお互いに送る
4)困っている人達にも贈り物を送る
時代ごとに様々な祝い方がされて来ましたが、エステル記に記されている内容を読んで、ハマンの名前が出て来たら、みんなで
ブーイングの音を出します。申命記25:17
申命記い 25:17 あなたがエジプトから出てきた時、道でアマレクびとがあなたにしたことを記憶しなければならない。
25:18 すなわち彼らは道であなたに出会い、あなたがうみ疲れている時、うしろについてきていたすべての弱っている者を攻め撃った。このように彼らは神を恐れなかった。
25:19 それで、あなたの神、主が嗣業として賜わる地で、あなたの神、主があなたの周囲のすべての敵を征服して、あなたに安息を与えられる時、あなたはアマレクの名を天の下から消し去らなければならない。この事を忘れてはならない。
ハマンはアマレク人である事を忘れるなかれ!です。
エステル3:1
これらの事の後、アハシュエロス王は
アガグび<アマレクの王のタイトル=アガグ>とハンメダタの子ハマンを重んじ、これを昇進させて、自分と共にいるすべての大臣たちの上にその席を定めさせた。
あなたはアマレクの名を天の下から消し去らなければならない。この事を忘れてはならない。と神が言われたからです。
エステル記を読む時、ハマンの名前が出て来たら声で楽器で
音の出るステイックなどで騒音を奏でます。
そしてエステルやモルデガイの名前は、拍手喝采、Yeah!などの
賞賛の音を奏でます。
この日は皆仮装して、エステル記を読みご馳走を食べて祝う事
をします。食べ物=ポークハムなどの、非コシェル食=フィットしない、不適切な食べ物はどんな時にも、神の祝いの日にも
食さないので、それ以外の食材で料理を作ります。
エステル記の登場人物にちなんで仮装しますが、世界中のユダヤ人コミュニテイでは仮装パーテイのごとくになっています。
オズネイ ハマン〜ハマンの耳と言う、三角の形をしたクッキーが伝統的。

それぞれコシェル食の中で様々なご馳走を作って祝います。

音を出すものはなんでも良いのですが、なければ鍋釜をお玉で
叩くなど想像にお任せしてやります。これみんなでやると本当
楽しいものです。

