古代から中世の印刷技術が生まれるまで、多くの人は口頭により
様々な情報を聞き、口頭で伝達していました。
少数の人が文献を読む事が出来たのです。
中世まで文献、書物は100%全て手書きの時代なのです。
中世ヨーロッパでは文盲の人でも、絵画を見てメッセージを
伝達されました。
でも絵画を通して伝達されたメッセージが、聖書とは異なる要素
が混じっていたら、聖書とは別のメッセージが伝達されてしまうのです。
西洋宗教画を見るユダヤ人は、キリスト教と言う教えには、
父、子、そして女の女神までいると考えるそうです。
太陽神の輪っかが頭に乗っている、イスラエルの神の教えとは、別の宗教と考えます。
頭に上にある”輪っか”=へーローは太陽神のシンボルです。
以前不思議に思っていました。あの輪とは一体なんなんだろう?
この様な異教の神々のシンボルの混ぜ物のイメージでイスラエルの神、イエシュアを表す、聖書のメッセージを曲げて伝達されてしまっているのです。他の神々の要素に便乗する全て、それらは
完全に混ぜ物です。どう考えても神の前に汚れたものに映るもの
です。
見るからに西洋、太陽神、別宗教の画像です。
ヘブライの世界、聖書とは違うイメージを伝達しています。
西洋宗教と呼ばれる意味は、ヘブライ=オリジナルでは無いからです。
救い主が伝われば、その手段、方法、内容はなんでも良いと考えるのと、神の意図通りをそっくりそのまま再現して伝えなくてはならないと考える意識は、2つのものは異なる性質のものだと思います。異教の神々の要素、シンボル、教え、記念日に便乗する様な事をする、それはイスラエルの神が拒絶しているものなのです。異教の神々の宗教の中にも同じ宗教画があります。
神が言われた事は、天にある神の家の現実、見たまま、
そっくりそのままを地上で再現しなさいとモーセに伝えました。
その詳細を細部まで細かく伝えてトラー=モーセの五書の中に
書かれてます。
神の意図通りである事!それが何より重要です。
天にあるものをそのままを地上に映し出す。
それは、神の性質を神の意図通りに生きること=神の家の中で
表されている全て、人の生きる行動で地上に現れ出るからです。
神の言葉を薄め、変形し、価値下げし、差し引き、付け足し
し続ける行為は、神の現実が私達人の生きる行動を通して正確には地上に現れ出ない、別物を映し出してしまう行為なのです。
神の意図そっくりそのままを映し出す、動かない静止した水に
映し出されるものでも理解出来ます。
神の言葉通りをそっくり映し出す人間の生き方、天が地上に
現れる鍵です。天の国とは、神の性質そのものを表す言葉です。
地上に神の性質、栄光が現れ出る唯一の鍵は、人が神の性質
イエシュアの性質をイエシュアが生きた通りを生きる事で
再現されるのです。神の言葉を曲げるとは、揺れ動くザワザワ
落ち着きのない水の上に映し出されるぼやけた天の現実の
映像になってしまうのです。
神の言葉を歪めると言う行為は、神の性質がそっくりそのまま
現れ出なくなると言う事です。
遺伝子の染色体のどの部分にでも手を加えて破壊したら、
人が作った設計図に手を加えたら、創造主、設計者のオリジナルの意図通りは出現しないのです。歪んだものが現れ出る。
だから神は人に、神の言葉に手を加えることを人類歴史の
一番最初、エデンの園の中ではっきりと警告しているのです。
命の木からだけ、食べなさい。神の言う通りだけ。
善悪の知識の木から食べる様にあなたは造られていませんと
言われました。自分の性質に合わない事=神が伝える人の性質とは違う生き方をする事、それらは人を破壊し、他者を破壊し、
神との関係、人との関係、本来神が創造された意図通の関係の中から外に飛び出す行為なのです。
神の意図とは違う教えを聞いて、神が言われた事を曲げるなら
神のデザインした命から飛び出た生き方をしてしいます。
神から離れた場所にあなた自身の行為があなたを追いやり
飛び出します。
神が人に厳しい刑罰を与えているのではなく、人の行動そのものがその人自身に神から離れた場所へ追いやる状態を招いているのです。
人の行動、思想が人を神から離れた場所に連れ出してしまう。
どちらが本物が分からない、本体と影はぴったり1つです。